戦端
文字数 5,904文字
通りを眺めていると、道行く連中が小走りになりだした。
ぽつぽつと雨が落ち始めたようだ。瞬く間に青空を駆逐した曇天を思うに、一気に大量の雨が落ちてきそうだ。そう遠くないところで雷鳴が警報のように轟いている。
いすゞは音が鳴ると、両耳に手を当てて顔をくしゃっと潰していた。
「雷様は子どものへそを取りに来るんだぞー」
「えっ」
肩を叩いてから耳元で囁くと、口と目をぽかんと開けていすゞはフリーズした。その目元は引きつっている。
「だんだん近づいてくるなー。気をつけないと……」
瞬間、パッと窓の外が白く染まり、地面が揺れるほどの轟音が、
「ひゃっ」
いすゞが腹を抱えて体を丸める。
なんてちょろいんだ。からかい甲斐があって面白い。俺にもこんなに素直な時代があったのだろうか。
同じような年格好だが、いすゞに比べてミツハはなんでもないような顔をして通りを睥睨している。可愛げもなにもあったもんじゃない。
「こんなに雨が強いと帰るに帰れなくなりそっすねえ。せっかくの服に泥がついちゃう」
「髪の毛を泥だらけにしても平気な奴がなに言ってんだ」
「なんだよ、いじわる!」
窓の外に見覚えのある甲冑軍団が映ったのはそんなときだった。ミツハがいち早く反応して椅子から降りた。
「いすゞ、奥の部屋で隠れていよう。雷様も部屋の奥まで入ってはくまい」
急ごう、とばかりにいすゞも背中を丸めて逃げていく。
――シブカワ。
ゆっくりと入り口の戸が開いて、見覚えのある鋭い目つきが入ってきた。すでに豪雨と呼べるレベルまで雨足は強かったが、どういうわけか傘もささずにまったく濡れそぼった様子がない。
身体にフィットするよう上品に仕立てられたスーツを纏って、今日も杖を片手に堂々としたものだ。
前回と同様に、漆黒の甲冑軍団から二体、さらに現実世界的女子学生服を着た魔導士も背後から現れる。
「こんにちはシブカワさん」
「ああ、久しぶりだね」
やはり勧めてもいないのに椅子に腰を下ろして俺と対面する。
「物騒な護衛が店を覆っていると外聞が悪くなりそうなので、次からはひとりで来て欲しいな」
ほんの冗談のつもりで言ったのに、うしろの少女が気色ばんだ。また刃物を突きつけられてもたまらない。
「先輩、お客さんすか。あの防具真っ黒でかっこいっすねえ」
ヒノミカがこの緊迫感に似つかわしくないあっけらかんとした声を出す。ブーちゃんを見習え、と思う。カラスタは持ち前の危機回避能力を発揮し、すでに立ち上がって音もなく二歩分は下がっているぞ。家具か造作の一部になりきっている風だ。
「新しい従業員かな。かわいらしい女の子だ」
「へへへ、ども」
「色々あって手伝ってもらってるだけですよ。で、ご用件はこのあいだの債権回収ですか」
訊くまでもなかった。他に用事などあるものか。
「ああ、〝赤の天領〟に行ってきた」
てん、てん、てん――ん? たっぷりと間をもって俺の反応を待っている。
「どうしました? なにかあったんですか」
「これに見覚えは」
シブカワが視線を送ると、甲冑の人形はもっていた剣を俺の目の高さに上げた。
鞘に彫り込まれた家紋。リリリンが借り入れに来たとき、仲間の男が腰に下げていた剣にそっくりだ。
確かに見覚えがある。しかし、
「どうだろう。記憶にはないですけど」
この剣がリリリン一行のものだとすると、シブカワたちは〝赤の天領〟でなにかしらを見つけたということだ。
「探している債務者は見つかったんですか」
「そうだな。見つけたつもりでいる」
なにか含んだ言い方だ。
「どういうわけだか、向こうにはダンジョン攻略の許可申請期間を大幅に過ぎても帰ってこない連中がいてね」
「その債務者のことじゃなくて」
「ああ、不逞の輩だ。小さいながらも宿営地を築いて、天領で生活している。戻ってきてもこちらに居場所がないんだろうな。さらに悪いことにその態度はゲリラや山賊のようなものだ。志をもって攻略に赴くグループも、同族に襲われたんじゃ命を賭けた意味がない。かわいそうに」
「リ、」リリンたちが、と訊いてしまいそうになった。「そいつらに襲われていたんですか」
冷静にこんなことを尋ねる違和感は不快感に変わる。あんなにか細い少女が自分の腕を斬り落としてまで頼った俺は、何食わぬ顔をして知らんぷりだ。
「そいつらはこの剣を拾ってきただけで襲ったわけではないと言った。骨も見つかっていない。問題なのは肝心の根付けがなかったことだ。この剣や防具の類はひと揃いあったが、根付けはなかった。作為的じゃないか。なぜよりによって根付けだけ見つからないのか、とね」
なぜ、
「それを伝えに?」
「かの厄災の魔女、ミツハ・クラルルの末裔は物質を転送する魔法が使えるそうだな」
誰から聞いた。どういう意味だ。
「〝赤の天領〟からもち帰られるものは城門で検閲されているはずだ。当然確認したが、根付けの通過した記録は残っていなかった。つまり、私たちが探している根付けは未だに結界の向こう側だ、と考えられる――しかし、」
「俺たちが〝赤の天領〟から転送したっていうのか。俺たちが攻略の申請を出していないことぐらい調べればわかるはずですよ」
これはまずい。
完全に俺たちを疑っていて回収に来ているってことか。
カマをかけるとか、様子をうかがうとかいうレベルを遙かに超えた、ずいぶんと断定的な態度だ。それに表の武装集団。もはや脅迫に近い。
「ココでは攻略者の客に渡すそうじゃないか、任意のものを転送できるような魔法符を。君たちのところにはひっきりなしに攻略者がくる。見かけたら転送するよう頼むことも可能だろう」
「違う。そんなことはしませんよ。第一、ちょっとかじってる奴なら高価な根付けは見ればわかるでしょう。依頼したところでもち逃げされるのがオチですよ」
「金貸しは、金の為ならなんでもする。どんな苦労をしてでも世に散っている金を自分の元へ集めようとする。いくらでも方法など考えるだろう。自分が一番分かっているはずだ。金の為なら犯罪も厭わない。そういう生き物だ」
その見下ろすような所作と言い草で頭に血が上った。
「あんたも金貸しだろ!」
落ち着き払ったシブカワに比べて大人気ないと思うが、嚥下できない悪態が口をついてしまった。
「そうだ。だからなんでもしてきた。これからもそうする。君はなんだ、まだ折り合いがつけられないのか。卑屈になる必要はない。堂々と金貸しでいればいい」
いつの間にか、と言っていい。視覚に捉えられない早さで、俺の額には刃物が突きつけられていた。
鎧武者の腰から抜かれたその刀はどろりとした黒い煙をカウンターに垂らしながら微動だにしない。
「口を慎め」
首から下がった根付けを夕日の色に輝かせ、サノンという少女は俺に命令する。前回と同じようなやり取りだ。
しかし、前回いなかった者がそこにいた。
「――っと待てよ、」
俺の横に座っていたヒノミカは憤懣遣る方無いという感じで立ち上がった。
「なんだてめーら、失礼だな。悪徳資本家か」
スイカでももつように両手を胸の前に上げると、十指に炎をたぎらせてサノンを睨みつける。まるで赤い爪を生やしたケモノのようで、その横顔には笑みすら浮かんでいる。
「お、おい、ヒノミカ」
「先輩が舐められるってのは、あたしが舐められるのと同じっすから」
止める間もない。
俺の額の刀をヒノミカがはたき飛ばした瞬間、鎧武者の胸部に七、八発の火弾が叩き込まれた。それこそ人形のように背後に吹き飛ぶ。
途端、視界のあちこちで、捉えきれないものが一斉に動いた。
ヒノミカはぼうと熱を纏い、外にいた甲冑軍団はすべて抜刀、突入姿勢をとった。
はち切れんばかりに緊張が膨らんで――無茶苦茶になる。
「おまえらやめろ!」すべて言い切れなかった。
ヒノミカの熱風がぬらりと俺の顔を撫でたときはもう、すべてが静止していた。
表通りを望む窓には無数の刀が外から突き刺さり、一、二センチほど切っ先がこちらに飛び出ている。
目の前では、漆黒の刀身がヒノミカの首をはねようと顎の下まで入り込んでいた。
が、
滴る煙もろともぴたりと凍り付いている。ヒノミカの両手首も手錠のような氷につながれ炎は掻き消えている。
「わたしの店でなにをしている」
こんなことをできる奴はひとりしかいない。
「社長!」
五百年分の貫禄を宿して、ミツハはゆっくりと姿を現した。比喩でなく部屋の温度が一気に下がった。
「これが魔女の末裔?」
制服の少女が睨み付けるように言うと、根付けの夕焼け色が増す。
「サノン、魔法は使わないで下がっていてくれ」
「でも、」
シブカワは話を遮るように手首から先を振って、反駁を断ち切った。
「あのミツハ・クラルルの末裔なのだとしたら、なぜ魔法が使える? 伝家の根付けは皇国に没収されているはず。緘魔石をもたない者が魔法を使えるなど聞いたことがない。まさか――」
「違う」
鉄鉱の青を横取りしたんじゃないか、と言うつもりだろう。
「サノンを止めるとなるとそれなりの力が必要となるだろう。根付けももたないこんな子どもが、」
地雷。
「誰が子どもじゃ!」
怒髪が天を突いた瞬間、天井の照明がパンパンといくつも割れた。確かにミツハに比べりゃあシブカワのジーさんだって小童だろう。しかしそれを解れというのも酷な話だ。
シブカワはなんにも動じた素振りはない。
「鉄鉱の青は金だけの問題じゃない。いまは国家として緘魔石の収集が急務となっている。二桁番台はすべて貴重な資源だ。使えない者にもたせていてもしようがないんだ」
「俺に言われても知りませんよ」
「一億出そう」
「はっ?」
「一億だ。それで鉄鉱の青を渡せ。いくら貸し付けているのか知らんがこれで足りないということもないだろう。こちらがどれほど本気か理解してもらえるな。皇国としてこれ以上の譲歩はない」
「一億……」
正規のルートで転売できれば、その十倍、もしくはそれ以上の値がつくかもしれない。しかし、国家権力にあやをつけられたまま、ほとんど盗難品扱いだと買う方も扱いに困る。状況を考えれば破格だ。
もちろん高級な根付けに値段は付けられないが、それにしても八十万の貸し付けが一億に化けるなら、こんなことは一生のうちに二度もないだろう。
「せ、せせせ先輩、い、いい一億って」
ヒノミカの声が震えるのは腕にかけられた氷のせいだけでもないだろう。
一億の儲け話と身の安全をふいにしてまでリリリンの根付けを守ってやる義理などあっただろうか。濡れ手に粟のスーパー焦げ太り。と、節操ない言葉が浮かびはした。もちろん皮肉だ。
「そんなものはウチにはない。仕事の邪魔だ帰れ」
ミツハ――全員の視線が集中する。
仕事に関することで俺の判断を仰がずに独断するなんて珍しい。これほど傲岸不遜な奴でも、仕事のこととなると学んでいるという姿勢が常にあった。俺より前に出たことなんてなかった。
そんなミツハが、シブカワの提案を真っ先に断った。
「それが結論でいいのか、金貸しよ。どんなにつっぱったところで国には逆らえんよ。君の先祖のときもそうだったろう。行政代執行になるぞ」
「二度も三度も同じことを言わせるな。叩き出すぞ」
「おい、ミツハ、落ち付けって。なにをそんなに怒ってるんだよ」
無視。
「我々もこんな僻地で油を売っている暇はないんだ」
シブカワは支えにしていた杖で床を大きく叩いた。一度、カツンと。
「まかり通る」
待っていましたとばかりに、サノンの胸から夕焼けの輝きがほとばしる。
「うわっ、襲撃! 社長、手の氷外して!」
通りに面したガラス窓が粉々に砕け散って、さらに入り口が吹き飛んだ。
漆黒の武者軍団が、ムカデのようにカシャリカシャリと音をさせてなだれ込んでくる。全員がぶら下げた刀から禍々しい妖気が溢れて、床を這っていく。
「小賢しい」
ミツハが左腕を薙ぐと、周囲にいた武者人形の関節という関節がバラバラになり細かく崩れ落ちる。
もはやなにがどうなっているのか、俺の目で追うには限界があった。しかしサノンの人形は次から次へと湧いてきて埒があかない。
「魔力が拮抗していれば凍り付かせることもできないでしょう」
サノンの表情は自信に満ちている。対するミツハは少し苦しそうに見えた。少なくとも余裕というものは見て取れない。
「社長これ取ってよう!」
ヒノミカは固定されたままの両手を高く掲げてアピールしているが、俺とともにすでに蚊帳の外に放り出されている。サノンでさえこちらを見もしない。
カラスタは大丈夫なのか、その姿を探したときだった。
カラスタの陰に隠れながらこちらを窺う、いすゞが目に入った。
シブカワがそれに気づいたのが視線でわかる。
「サノン、あの子どもだ」
左腕に巻いた時計を叩きながらそう言った。
こいつ、いすゞが現実世界から来たと知っている、そう思った。
なぜだ、という思いとともにセロリの顔が浮かんで、魔法符と時計の話がシブカワに漏れていてもおかしくない、と気付、――拐われる。
「カラスタ! 奥に連れて行け!」
間に合うわけがない。相手は皇国のお抱え魔導士だ。
サノンの標的がいすゞに変わる。カウンターの隅から俺がどう飛びかかっても、サノンといすゞの間に割り込むことはできない。それでも俺は湧き上がる衝動のまま足をもつれさせて手を伸ばした。
――それは音もなかった。
砕けたはずの天井の照明具から意識が飛びそうなほどの真っ白な光が放射された。
眩しい、と思ったのも一瞬。
リリリンの根付けを光らせたときをはるかに凌ぐ莫大な光量が世界を制圧した。それは気を失うほどの質量を感じさせた。銘々口にするうめき声のようなものだけが耳に聞こえる。いつまで経っても視界に色は戻ってこない。
「ミツハ! いるのか」
返事がない代わりに、ふんと鼻が鳴らされた。これをやったのはサノンじゃなくミツハだ。
そこには少し機嫌が戻っているような色が混ざっていた。
ぽつぽつと雨が落ち始めたようだ。瞬く間に青空を駆逐した曇天を思うに、一気に大量の雨が落ちてきそうだ。そう遠くないところで雷鳴が警報のように轟いている。
いすゞは音が鳴ると、両耳に手を当てて顔をくしゃっと潰していた。
「雷様は子どものへそを取りに来るんだぞー」
「えっ」
肩を叩いてから耳元で囁くと、口と目をぽかんと開けていすゞはフリーズした。その目元は引きつっている。
「だんだん近づいてくるなー。気をつけないと……」
瞬間、パッと窓の外が白く染まり、地面が揺れるほどの轟音が、
「ひゃっ」
いすゞが腹を抱えて体を丸める。
なんてちょろいんだ。からかい甲斐があって面白い。俺にもこんなに素直な時代があったのだろうか。
同じような年格好だが、いすゞに比べてミツハはなんでもないような顔をして通りを睥睨している。可愛げもなにもあったもんじゃない。
「こんなに雨が強いと帰るに帰れなくなりそっすねえ。せっかくの服に泥がついちゃう」
「髪の毛を泥だらけにしても平気な奴がなに言ってんだ」
「なんだよ、いじわる!」
窓の外に見覚えのある甲冑軍団が映ったのはそんなときだった。ミツハがいち早く反応して椅子から降りた。
「いすゞ、奥の部屋で隠れていよう。雷様も部屋の奥まで入ってはくまい」
急ごう、とばかりにいすゞも背中を丸めて逃げていく。
――シブカワ。
ゆっくりと入り口の戸が開いて、見覚えのある鋭い目つきが入ってきた。すでに豪雨と呼べるレベルまで雨足は強かったが、どういうわけか傘もささずにまったく濡れそぼった様子がない。
身体にフィットするよう上品に仕立てられたスーツを纏って、今日も杖を片手に堂々としたものだ。
前回と同様に、漆黒の甲冑軍団から二体、さらに現実世界的女子学生服を着た魔導士も背後から現れる。
「こんにちはシブカワさん」
「ああ、久しぶりだね」
やはり勧めてもいないのに椅子に腰を下ろして俺と対面する。
「物騒な護衛が店を覆っていると外聞が悪くなりそうなので、次からはひとりで来て欲しいな」
ほんの冗談のつもりで言ったのに、うしろの少女が気色ばんだ。また刃物を突きつけられてもたまらない。
「先輩、お客さんすか。あの防具真っ黒でかっこいっすねえ」
ヒノミカがこの緊迫感に似つかわしくないあっけらかんとした声を出す。ブーちゃんを見習え、と思う。カラスタは持ち前の危機回避能力を発揮し、すでに立ち上がって音もなく二歩分は下がっているぞ。家具か造作の一部になりきっている風だ。
「新しい従業員かな。かわいらしい女の子だ」
「へへへ、ども」
「色々あって手伝ってもらってるだけですよ。で、ご用件はこのあいだの債権回収ですか」
訊くまでもなかった。他に用事などあるものか。
「ああ、〝赤の天領〟に行ってきた」
てん、てん、てん――ん? たっぷりと間をもって俺の反応を待っている。
「どうしました? なにかあったんですか」
「これに見覚えは」
シブカワが視線を送ると、甲冑の人形はもっていた剣を俺の目の高さに上げた。
鞘に彫り込まれた家紋。リリリンが借り入れに来たとき、仲間の男が腰に下げていた剣にそっくりだ。
確かに見覚えがある。しかし、
「どうだろう。記憶にはないですけど」
この剣がリリリン一行のものだとすると、シブカワたちは〝赤の天領〟でなにかしらを見つけたということだ。
「探している債務者は見つかったんですか」
「そうだな。見つけたつもりでいる」
なにか含んだ言い方だ。
「どういうわけだか、向こうにはダンジョン攻略の許可申請期間を大幅に過ぎても帰ってこない連中がいてね」
「その債務者のことじゃなくて」
「ああ、不逞の輩だ。小さいながらも宿営地を築いて、天領で生活している。戻ってきてもこちらに居場所がないんだろうな。さらに悪いことにその態度はゲリラや山賊のようなものだ。志をもって攻略に赴くグループも、同族に襲われたんじゃ命を賭けた意味がない。かわいそうに」
「リ、」リリンたちが、と訊いてしまいそうになった。「そいつらに襲われていたんですか」
冷静にこんなことを尋ねる違和感は不快感に変わる。あんなにか細い少女が自分の腕を斬り落としてまで頼った俺は、何食わぬ顔をして知らんぷりだ。
「そいつらはこの剣を拾ってきただけで襲ったわけではないと言った。骨も見つかっていない。問題なのは肝心の根付けがなかったことだ。この剣や防具の類はひと揃いあったが、根付けはなかった。作為的じゃないか。なぜよりによって根付けだけ見つからないのか、とね」
なぜ、
「それを伝えに?」
「かの厄災の魔女、ミツハ・クラルルの末裔は物質を転送する魔法が使えるそうだな」
誰から聞いた。どういう意味だ。
「〝赤の天領〟からもち帰られるものは城門で検閲されているはずだ。当然確認したが、根付けの通過した記録は残っていなかった。つまり、私たちが探している根付けは未だに結界の向こう側だ、と考えられる――しかし、」
「俺たちが〝赤の天領〟から転送したっていうのか。俺たちが攻略の申請を出していないことぐらい調べればわかるはずですよ」
これはまずい。
完全に俺たちを疑っていて回収に来ているってことか。
カマをかけるとか、様子をうかがうとかいうレベルを遙かに超えた、ずいぶんと断定的な態度だ。それに表の武装集団。もはや脅迫に近い。
「ココでは攻略者の客に渡すそうじゃないか、任意のものを転送できるような魔法符を。君たちのところにはひっきりなしに攻略者がくる。見かけたら転送するよう頼むことも可能だろう」
「違う。そんなことはしませんよ。第一、ちょっとかじってる奴なら高価な根付けは見ればわかるでしょう。依頼したところでもち逃げされるのがオチですよ」
「金貸しは、金の為ならなんでもする。どんな苦労をしてでも世に散っている金を自分の元へ集めようとする。いくらでも方法など考えるだろう。自分が一番分かっているはずだ。金の為なら犯罪も厭わない。そういう生き物だ」
その見下ろすような所作と言い草で頭に血が上った。
「あんたも金貸しだろ!」
落ち着き払ったシブカワに比べて大人気ないと思うが、嚥下できない悪態が口をついてしまった。
「そうだ。だからなんでもしてきた。これからもそうする。君はなんだ、まだ折り合いがつけられないのか。卑屈になる必要はない。堂々と金貸しでいればいい」
いつの間にか、と言っていい。視覚に捉えられない早さで、俺の額には刃物が突きつけられていた。
鎧武者の腰から抜かれたその刀はどろりとした黒い煙をカウンターに垂らしながら微動だにしない。
「口を慎め」
首から下がった根付けを夕日の色に輝かせ、サノンという少女は俺に命令する。前回と同じようなやり取りだ。
しかし、前回いなかった者がそこにいた。
「――っと待てよ、」
俺の横に座っていたヒノミカは憤懣遣る方無いという感じで立ち上がった。
「なんだてめーら、失礼だな。悪徳資本家か」
スイカでももつように両手を胸の前に上げると、十指に炎をたぎらせてサノンを睨みつける。まるで赤い爪を生やしたケモノのようで、その横顔には笑みすら浮かんでいる。
「お、おい、ヒノミカ」
「先輩が舐められるってのは、あたしが舐められるのと同じっすから」
止める間もない。
俺の額の刀をヒノミカがはたき飛ばした瞬間、鎧武者の胸部に七、八発の火弾が叩き込まれた。それこそ人形のように背後に吹き飛ぶ。
途端、視界のあちこちで、捉えきれないものが一斉に動いた。
ヒノミカはぼうと熱を纏い、外にいた甲冑軍団はすべて抜刀、突入姿勢をとった。
はち切れんばかりに緊張が膨らんで――無茶苦茶になる。
「おまえらやめろ!」すべて言い切れなかった。
ヒノミカの熱風がぬらりと俺の顔を撫でたときはもう、すべてが静止していた。
表通りを望む窓には無数の刀が外から突き刺さり、一、二センチほど切っ先がこちらに飛び出ている。
目の前では、漆黒の刀身がヒノミカの首をはねようと顎の下まで入り込んでいた。
が、
滴る煙もろともぴたりと凍り付いている。ヒノミカの両手首も手錠のような氷につながれ炎は掻き消えている。
「わたしの店でなにをしている」
こんなことをできる奴はひとりしかいない。
「社長!」
五百年分の貫禄を宿して、ミツハはゆっくりと姿を現した。比喩でなく部屋の温度が一気に下がった。
「これが魔女の末裔?」
制服の少女が睨み付けるように言うと、根付けの夕焼け色が増す。
「サノン、魔法は使わないで下がっていてくれ」
「でも、」
シブカワは話を遮るように手首から先を振って、反駁を断ち切った。
「あのミツハ・クラルルの末裔なのだとしたら、なぜ魔法が使える? 伝家の根付けは皇国に没収されているはず。緘魔石をもたない者が魔法を使えるなど聞いたことがない。まさか――」
「違う」
鉄鉱の青を横取りしたんじゃないか、と言うつもりだろう。
「サノンを止めるとなるとそれなりの力が必要となるだろう。根付けももたないこんな子どもが、」
地雷。
「誰が子どもじゃ!」
怒髪が天を突いた瞬間、天井の照明がパンパンといくつも割れた。確かにミツハに比べりゃあシブカワのジーさんだって小童だろう。しかしそれを解れというのも酷な話だ。
シブカワはなんにも動じた素振りはない。
「鉄鉱の青は金だけの問題じゃない。いまは国家として緘魔石の収集が急務となっている。二桁番台はすべて貴重な資源だ。使えない者にもたせていてもしようがないんだ」
「俺に言われても知りませんよ」
「一億出そう」
「はっ?」
「一億だ。それで鉄鉱の青を渡せ。いくら貸し付けているのか知らんがこれで足りないということもないだろう。こちらがどれほど本気か理解してもらえるな。皇国としてこれ以上の譲歩はない」
「一億……」
正規のルートで転売できれば、その十倍、もしくはそれ以上の値がつくかもしれない。しかし、国家権力にあやをつけられたまま、ほとんど盗難品扱いだと買う方も扱いに困る。状況を考えれば破格だ。
もちろん高級な根付けに値段は付けられないが、それにしても八十万の貸し付けが一億に化けるなら、こんなことは一生のうちに二度もないだろう。
「せ、せせせ先輩、い、いい一億って」
ヒノミカの声が震えるのは腕にかけられた氷のせいだけでもないだろう。
一億の儲け話と身の安全をふいにしてまでリリリンの根付けを守ってやる義理などあっただろうか。濡れ手に粟のスーパー焦げ太り。と、節操ない言葉が浮かびはした。もちろん皮肉だ。
「そんなものはウチにはない。仕事の邪魔だ帰れ」
ミツハ――全員の視線が集中する。
仕事に関することで俺の判断を仰がずに独断するなんて珍しい。これほど傲岸不遜な奴でも、仕事のこととなると学んでいるという姿勢が常にあった。俺より前に出たことなんてなかった。
そんなミツハが、シブカワの提案を真っ先に断った。
「それが結論でいいのか、金貸しよ。どんなにつっぱったところで国には逆らえんよ。君の先祖のときもそうだったろう。行政代執行になるぞ」
「二度も三度も同じことを言わせるな。叩き出すぞ」
「おい、ミツハ、落ち付けって。なにをそんなに怒ってるんだよ」
無視。
「我々もこんな僻地で油を売っている暇はないんだ」
シブカワは支えにしていた杖で床を大きく叩いた。一度、カツンと。
「まかり通る」
待っていましたとばかりに、サノンの胸から夕焼けの輝きがほとばしる。
「うわっ、襲撃! 社長、手の氷外して!」
通りに面したガラス窓が粉々に砕け散って、さらに入り口が吹き飛んだ。
漆黒の武者軍団が、ムカデのようにカシャリカシャリと音をさせてなだれ込んでくる。全員がぶら下げた刀から禍々しい妖気が溢れて、床を這っていく。
「小賢しい」
ミツハが左腕を薙ぐと、周囲にいた武者人形の関節という関節がバラバラになり細かく崩れ落ちる。
もはやなにがどうなっているのか、俺の目で追うには限界があった。しかしサノンの人形は次から次へと湧いてきて埒があかない。
「魔力が拮抗していれば凍り付かせることもできないでしょう」
サノンの表情は自信に満ちている。対するミツハは少し苦しそうに見えた。少なくとも余裕というものは見て取れない。
「社長これ取ってよう!」
ヒノミカは固定されたままの両手を高く掲げてアピールしているが、俺とともにすでに蚊帳の外に放り出されている。サノンでさえこちらを見もしない。
カラスタは大丈夫なのか、その姿を探したときだった。
カラスタの陰に隠れながらこちらを窺う、いすゞが目に入った。
シブカワがそれに気づいたのが視線でわかる。
「サノン、あの子どもだ」
左腕に巻いた時計を叩きながらそう言った。
こいつ、いすゞが現実世界から来たと知っている、そう思った。
なぜだ、という思いとともにセロリの顔が浮かんで、魔法符と時計の話がシブカワに漏れていてもおかしくない、と気付、――拐われる。
「カラスタ! 奥に連れて行け!」
間に合うわけがない。相手は皇国のお抱え魔導士だ。
サノンの標的がいすゞに変わる。カウンターの隅から俺がどう飛びかかっても、サノンといすゞの間に割り込むことはできない。それでも俺は湧き上がる衝動のまま足をもつれさせて手を伸ばした。
――それは音もなかった。
砕けたはずの天井の照明具から意識が飛びそうなほどの真っ白な光が放射された。
眩しい、と思ったのも一瞬。
リリリンの根付けを光らせたときをはるかに凌ぐ莫大な光量が世界を制圧した。それは気を失うほどの質量を感じさせた。銘々口にするうめき声のようなものだけが耳に聞こえる。いつまで経っても視界に色は戻ってこない。
「ミツハ! いるのか」
返事がない代わりに、ふんと鼻が鳴らされた。これをやったのはサノンじゃなくミツハだ。
そこには少し機嫌が戻っているような色が混ざっていた。