文字数 2,514文字

早苗からその話を聞いたのは、早苗が事故で亡くなる数日前の事だった。
雲行きが怪しい夏の午後だった。

まだ、コシアブラの会社は立ち上がっておらず、幸人は悲しみに暮れて引き籠っていた頃の事で、私は幸人と顔を合わせた事は無かった。

早苗はその頃、酷く荒れていて、義父も母の後に迎えた奥さん(3人目の妻)も手が付けられないと言っていた。
早苗は時々私を呼びつけては、相変わらずの話をした。
だからその日も呼ばれて行ったのだ。
私はその頃、フリーターでバイトをしながらユーチューバーをしていたから、まあ時間の融通は利いたのだ。

最近はちょっとしたアイドル系の若い男の子と遊んでいるのって早苗が言った。
「ヒロトって言うの。まだ21歳なのよ」
「モテていいわね」
私はそう言った。

早苗はぼんやりと宙を見ながら話を続ける。
不摂生な生活と過度なアルコール摂取と最近はそこにオーバードーズが加わりつつある。
目が少し虚ろで私はふと心配になった。
「早苗ちゃん。お医者さんへ行った方がいいよ」
私は言った。
早苗はフフッと笑って
「博美だけだね。ちゃんと私の心配をしてくれるのは」
と返した。
「でも、もういいの」
そう言うと黙った。

「ねえ、地下アイドルの△△っていうグループを知っている? 私、その子たちのコンサートのチケットを買ってくれってヒロトに頼まれたの。とても手に入らないから。誰かの伝手で買えない?って彼が言ったの。早苗さんが買ってくれたら、それで一緒に行こうって」
「それでチケットを買って出かけたんだよね」
「ふうん・・・」
地下アイドルの△△?
どこかで聞いた事があった・・・。どこかのニュース?

「帰りの駅は混雑していてね。入場制限されていたの。私がヒロトと一緒に歩いていたら
ホームの向こうから未耶が歩いて来たのよ」
早苗がそう言って私を見た。
私はどきりとした。
「まさか、まさか」と思った。
酔っぱらって落ちた男は確か、誰かに足を掛けられたと言っていた。それは言い逃れだろうとテレビやネットで言っていた。

「未耶は私に気が付かなかった。私はすぐに未耶だって分かった。だって、あの馬鹿みたいなくりくり頭はそのままだったから」
早苗はおかしそうにクックと笑った。
「天パーあのまま。私は未耶とすれ違ってから、ヒロトに言ったの。知り合いを見付けたから、ちょっと話をして来るって。先に帰ってって」
「ヒロトは頷いてそのまま帰ったわ。私は振り返って未耶を探した」
「それで?」
「それで未耶に近寄って声を掛けたの。未耶は目を丸くして、私に『お元気?』って聞いたわ。未耶の左手には結婚指輪が光っていた。私は『未耶ちゃん、結婚したの?』って聞いたの。そうしたら『うん』って答えたわ。幸せそうな笑顔で」
早苗は黙った。
「ねえ、博美。・・・何であの人、あんなに幸せそうなのかしら。・・・意味が分からない。頭の中も天パーなのかしら?」
ぽつりとそう言った。
「秋生さんはお元気ですか?」って言ったから、私も精一杯の笑顔で答えたわ。「とても元気よ」って。
「僕は早苗と結婚して良かったって言ってくれるわ」って。
「私達はすごく幸せなの」って。
「それに今度赤ちゃんも生まれるのよ」って。

未耶は一瞬驚いた顔をして私の顔と私のお腹を見たわ。それからにっこりと笑って
「それは良かったわね。じゃあお体をお大事にしてくださいね。どうぞ秋生さんとお幸せに」って言ったの。
「じゃあ、さようなら」って言って去ろうとしたから・・
「未耶ちゃんは、今日はどうしたの」って腕を捕まえて言ったの。
そうしたら昔の知り合いと会ってって・・・
早苗は宙を見詰めた。
「私、ピンと来たの。それは秋生さんじゃないかって」
早苗は言った。
私は茫然と早苗を見詰めていた。

「早苗ちゃん、そ、それでどうしたの?」
私が聞くと早苗は返した。
「別に? それだけよ。それで私はじゃあねってさっさと帰って来たけれど、未耶は電車に轢かれて死んだという、それだけ。まあ、大した話じゃないわ」
「未耶はきっと天罰ね」
早苗はそう言った。
「きっと秋生さんと不倫をしていたのよ。私の嘘を知っていて、心の中で嗤っていたのよ。
博美。酷い女よね。私は自分の立場が無いって思ったわ。自分のプライドが地に落ちた感じがしたわ・・・未耶って昔から性格が悪かったけれど、相変わらずだと思ったわ。・・・ああ、雨が止んだわね」
そう言って早苗はサッシを開けた。

外は蝉しぐれの夕方だった。
庭の片隅に赤い彼岸花が揺れていた。
一雨来たせいで、白書所の庭園は瑞々しい緑に濡れていた。
蝉が一斉に鳴き出した。
木々の深い緑がやけに鮮やかで、早苗の不穏な話と伴にそれが心に焼き付いた。
「空気が洗い流されたわね。さっぱりとしたわ」と早苗が言った。
けれど私は背筋が寒くなって思わず両手で自分の体を抱いた。

「ねえ。早苗ちゃん。どうしてそんな話を私にしたの?」
私は尋ねた。
「・・・何だか一人で抱えているのがしんどくなったの。誰かに荷物を少し持ってもらいたかったのね。誰にも言えないから、博美に言ったの。だって、博美はうんと小さい頃から私の味方だったから。博美にちょっと荷物を持ってもらって、それで私はちょっと身軽になったの」
「だって、博美は私の可愛い妹だもの。・・ずっと傍にいてくれた」
早苗はそう言ってふわりと笑った。
私は「居たくて居た訳じゃ無い」と思いながらも何故かその笑みに魅了された。
「誰もが私を置いて行ってしまった。お母さんもお祖父さんもお祖母さんも。秋生さんも」
早苗はぽつりと言った。
「お義父さんがいるじゃない」
と私が言うと、
「あの人なんて初めからいないのと同じよ」
と言った。

「もう、私の話は終わり。だから帰って」
早苗はそう言った。
「さようなら。博美ちゃん。話を聞いてくれて有難う」
私を見ないで彼女はそう言った。


 その2日後、早苗はヒロト君の車で崖から転落した。早苗が運転をしていた。二人の体からは大量のアルコールと風邪薬の成分が検出されたが、それは父がもみ消した。ヒロトの両親には多額の慰謝料が支払われた。
 早苗は一人で逝く事が出来なくてヒロト君を道連れにしたのだ。


 蝉しぐれが聞こえる盆過ぎの、14年も前の暑い夏の日の事だった。




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