未耶  1  

文字数 975文字

朝、起きたら未耶の姿が無かった。
未耶の温もりだけがベッドに残っていた。幸人はあの日と同じ様に未耶の枕を抱き締めて、また目を閉じる。

「幸人、ゆっくりと眠ってね」。
あの日の未耶の最後の言葉。
「さようなら」でも「愛しているわ」でも無い。
「ゆっくりと眠ってね」

「気を付けて行けよ」という自分の言葉。
未耶はあの日紺のパンツスーツとピンクのスカーフ姿で出て行った。
そして二度と家に帰って来なかった。

あの日、オフ会の最中に掛かって来た電話は警察からだった。
未耶が列車事故に遭ったと言う知らせだった。幸人は愕然とした。
真っ青になって店を飛び出した。
心の中で神様に祈った。夢中で祈った。未耶が無事である様にと。
その日、未耶は仕事帰りに知り合いと食事をして帰る途中だった。幸人のラインには未耶の最後のラインが残されていた。
「昔の知り合いに誘われたの。久しぶりだから会ってくるわね」
「分かった。楽しんで来て」


どこかの会場でやっていた地下アイドルのコンサートが終わって推しの人達が駅に溢れていた。駅では入場制限をしていた。
コンサートの帰りに酒を飲んで酔っぱらった若者がよろけて未耶と一緒に線路に落ちた。入って来た電車の急ブレーキ音が響き渡った。ホームは騒然となり、悲鳴があちらこちらで上がった。男は怪我で済んだが未耶は電車に体を裂かれて死んだ。
 未耶は即死じゃ無かった。手を伸ばして起き上がろうとしていた。それをホームから見ていた人の中にはカメラに収めようとしている人もいた。
「すげえな。まだ生きている」
誰かが言った。
線路の端にはがたがたと震える男の姿があった。
救急車が呼ばれ、直ぐに事故現場はブルーシートで覆れた。

 胸が潰れる思いで、病院に向かった幸人は同じく青い顔をしてやって来た未耶の両親や自分の父親と一緒に遺体の確認をした。未耶の顔は傷が付いてはいたがまだ綺麗だった。幸人は未耶の顔を震える両手で挟むと、ぼろぼろと涙を流してその冷たい頬に頬を寄せた。未耶の白い顔がもっと白くなってその唇には血の気が無かった。

血だらけの衣服は処分していいですね?
スカーフだけはお持ちしますか?
足が付け根から切れてしまったのです。白い上掛けは取らない様にしてください。


腰から下が少し凹んでいる白い布に触れた途端、幸人は意識を失って、そこに倒れた。
意識が戻った幸人を父は家に連れて帰った。
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