第15話  金木犀

文字数 1,333文字

数日後、融は小夜子の病室にいた。

ストックは疾うに捨ててあった。看護師さんがやってくれたのだろう。
替わりに金木犀を花瓶に入れた。
「珍しいな。・・・ああ。いい香りだ」
夜刀が言った。
「花屋に売っていた。珍しいと思って」
融は花を整えながら言った。

「融、何だか元気が無いな」
ぼんやりと小夜子を眺める融を見て夜刀が言った。
「ああ。色々とな。考えさせられる事があって」
「ふうん」
暫く曲を聴く。
奈々さんの言葉を思い出す。


結婚して欲しいって言えるか?
いや、言えないのだ。素直に。
小夜子を抱える自分と結婚してくれるかと。
そこまで言える自信がない。怖くて言えない。

結婚できるのならそれは最高だ。
小夜子の事で君に迷惑は掛けない。君は俺の傍に居てくれたらそれでいいんだ。
俺は精一杯君を大切にする。勿論子供だって欲しい。
けれど小夜子を何かあったのなら・・・それは見捨てる訳には行かないのだ。
たった一人の肉親だから。
君を愛しているが、小夜子も大切なのだ。
それを分かって欲しい。

融はその一連の考えを何度も吟味した。
これでいいだろうか。
何か間違っているだろうか?

そうやって自分の考えを明確にして置けば、奈々さんにだってそう言えたのだ。
こう言って置けば奈々さんだってもっと早く決断出来たのに・・・。
そうして置かなかったのは、明らかに自分の怠慢だ。
融は奈々さんに対して申し訳が無いと思った。

自分が酷く情けない男に思えた。
甲斐性無しと言うのは俺みたいな奴を言うのではないだろうか。そう思った。


ずっと小夜子の傍にいて小夜子を見守るだけの人生は送りたくない。そんな事をしたら小夜子を恨みそうだ。自分の人生なのだから。決めるのは自分だ。
自分はようやく自分自身の人生について現実的に考え始めた。31にもなって。
そう思った。

融は曲を止めた。
「駄目だな。どうにも今日は気が滅入る」
彼はぽつりと言った。

「融。少し珠衣に帰ってリフレッシュして来いよ。俺が留守番をしているから大丈夫だよ。
・・・・そう言えば伊刀が前回の台風で社の古木が倒れたと言っていたぞ。ちょっと様子を見てきた方がいいんじゃないか」
「古木?・・・古木って桜か?」
「いや、大杉じゃないか?あれはもう殆ど中が空洞になっていたから」
「・・そうか。可哀想な事をしたな。だがあれを片付けるには村の人達の手が要るな。
じゃあ、ちょっと今度の連休にでも行って来るわ。序に家の方も見て来る。
一応管理は頼んであるけれどな。掃除でもしてくるよ」
「ああ。そうしろよ。女の子でも誘って行ってくれば。そろそろ紅葉が始まるだろう・・いや、まだ早いかな」
夜刀が言う。

融はクスリと笑った。
「お前、やけに優しいな。何かあるのか?」
「別に」
「女の子を誘って一緒に行ってさ。珠衣の温泉にでも泊って来いよ。掃除なんかいつでもできるさ。」
融は笑った。
「・・・女の子ねえ。・・・探すのが先だな。じゃあ、その内行って来るかな」
「ああ。大丈夫だ。・・・融。しっかりやれよ」
「何を?」
「だから。嫁だよ。嫁」
夜刀が言う。
「嫁ねえ。・・・嫁はまだ先だな。小夜子が・・」
融はそう言って一瞬黙った。

「じゃあ、帰るわ。宜しくな」
「おう。任せとけ」
融はドアを開けて振り返った。
影が小さく手を振ったのを見てくすりと笑った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み