第12話  彼岸花

文字数 2,839文字

史有は東京から戻った次の日、朝早くから薬草畑に出ている蘇芳を探した。

奈良の室生にある佐伯家の家。
見渡す限りの山の中だ。
周囲をぐるりと柵で囲われた広大な敷地に、家屋が幾つか建っている。
周囲にいくつか山を持っている。
南側の山の前には池と湿地が広がる。
水辺を好む薬草が生えている。

母屋の北側にある家屋は女達の研究室になっている。

母と伯母と蘇芳。
見た目が日本家屋なのでそんなモノには見えないが、本草研究の建物である。
ここでのアイディアの中から商品化可能、採算見込みの有りそうなものを伯母や母は会社に持ち込む。父の会社の施設で検討と研究を重ね、必要なら動物実験を行い、商品化に繋げて行く。

伯母は薬剤師、母は漢方医である。
蘇芳は管理栄養士である。
そして薬草の世話をし、薬膳の研究をしている。
3人で時々研究室に籠って何かを作っている。

蘇芳が言った。
「昔の錬金術や練丹術は基本的に料理に似ている」と。

料理のレシピを作っている様な物だと。または、すでにあるレシピにちょっとしたアレンジを加える様なものだと。
加熱の方法を変えてみる、高温にするか低温でじっくり温め養生するか。

蒸留は古来重要な手順の一つだと蘇芳が教えてくれた。
「物質の中の『プネウマ』(気)を取り出すには最適な方法らしいわよ。古来から。雑多なものが混在しているその中から純正な物を取り出すの。‥ねえ。史有。物質に対しての蒸留を人間に対しての何に例えればいいかしら?」
蘇芳は首を傾げた。
史有には何を言っているのかさっぱり分からなかった。

急速に冷やすかじっくり冷やすか。光を当てるか暗闇に置くか。
湿らすかそれとも乾燥させるか。
スパイスを変えてみる。調合をほんの少し。思いも寄らないモノを加えてみる。

地下室には歴代の女当主が収集して来た鉱石のコレクションがある。
たまに彼女等は幾つかの石を研究室に運び、何かをやっている。
それは一体何に使うのだと思う様な奇妙な形をした実験道具を使いながら。
楽しそうに擦り潰したり、混ぜたり、焙ったり、蒸留したり,
酸やアルコールに溶かしたてみたり。
何を作っているのか史有には全く見当も付かない。
ただ遊んでいるようにも見える。
いや、遊んでいるだろう。
でも、その姿はまるで中世の魔女みたいだと史有は思う。
そんな中からも商品のアイデアが出るのだろうか・・・。

 薬草畑ではもう数人の人が働いている。
近くの小道には三輪の自転車がぽつぽつと見える。広い畑の中を作業員はこれで移動する。

史有には名前も知らぬ草木がどう言う区分けか分からないが兎に角植えられている。
管理者は蘇芳である。自分の部屋は足の踏み場もない程散らかっているくせにこの場所は一応区画されている。畑の中に道があり、樹木の周囲に薬草が生えている。
まあ区画したのは先達であるが。
区画だけはしてあるが薬草は野放図に生えている感がする。

南北に流れる2本の縦の水路。コンクリートの側溝の中を水は静かに流れる。
畑の1/3には細長い温室。
それ以外は樹木園と露地栽培が占めている。

蘇芳は簾の付いた大きな麦わら帽子と作務衣姿で屈み込んで何かをやっている。


薬草畑の入り口の大きな柿の木の周りに彼岸花が群生していた。
赤い絨毯の中にぽつぽつと白の群れ。
別名曼殊沙華。そして死人花とも。
彼岸花は三倍体。

種子は稀に持つがほぼ発芽には至らない。鱗茎の栄養繁殖で増えて行く。交配しない彼等は同一の遺伝子を持つ。だから人が植えない場所に彼岸花は咲かない。・・と言うが、どう見てもこんな場所に彼岸花を植える訳が無いと言う場所にもぽつりと咲いているのはどう言う訳か。たまに遺伝子変異が起こるという。
彼岸花は帰化植物。三倍体は古い種らしい。

「交配しないのに何で白があるの?」
史有は聞いた。
「赤の中にポツンとある純白の白は、同じ種の白だと説明にはあるわ。それは交配ではない。
・・アルビノみたいなモノかしら?私には詳しい事は分からないわ。
それとは別に白花曼殊沙華という種があるの。それは白と言うよりもちょっとクリーム色かな。白花曼殊沙華は鐘馗(しょうき)水仙との自然交雑種だと言われているわ。稀に出来た種子が原因かしら?それとも違う種の彼岸花が親なのかしら?中国には2倍体や4倍体もあるというわ。
だから白花曼殊沙華と赤の彼岸花とは同じヒガンバナ科の仲間だけれど違う種なのよ。
鐘馗水仙は黄色なのよ。もしそうだとしたら、赤と黄色を混ぜたら白が出来たのよ。ふふふ。正に色彩のマジックね。まるで錬金術みたい」
蘇芳はそう言った。


不思議な花だ。すっくと立った茎の先に花火の様な花が咲く。葉は花や茎が枯れた後に出て冬に茂る。そして春には葉は枯れる。そして秋になると唐突に茎だけが伸びて花が咲く。

小さい頃、彼岸花を毟り取ってその花火みたいな花弁を散らして遊んでいたら蘇芳に叱られた。
「それは毒だから汁に触ってはいけない」と。
彼岸花の全草に毒が、特に鱗茎には多量のリコリンというアルカロイドが含まれている。

鱗茎を毒抜きして飢饉の時には食料としたとある。
時には毒抜きが不十分で、病人や死人も出た事だろう。
美しい彼岸花には不吉なイメージが漂う。


蘇芳は彼岸花の汁でべとべとの史有の手を掴んで、その手を石鹸で洗った。
あれはいつの頃だった?史有は考える。
彼岸花の赤を見ると必ず思い出す。

「由瑞と同じことをするわね」
蘇芳がそう言った。
「兄さんもやったの?」
小さい史有はそう言った。
「そうよ」
「兄さんの手も姉さんが洗ったの?」
「そうよ」
その時自分は何だか嬉しかったのを覚えている。

あれは自分がまだ幼児の時だった。4つか5つか。
と言う事は蘇芳は15歳か16歳。
すでに蘇芳は薬草畑で働いていた。

由瑞がいたずらをしたのはいつの事だろう。
小学生の頃だろうか。いやもっと小さかったかも知れない。
あの物事に動じない兄が小さい蘇芳に叱られながら手を洗ってもらうその場面を想像するとおかしかった。

それ以来史有は教えを忠実に守り彼岸花には手を出さない。
毒を含む植物はあまりにも身の回りに溢れている。史有はそう思う。
当たり前の様に彼等は毒を含み、そして美しい花を咲かせる。
だが、そんな毒は何でもないのだ。自分の体は。そんな事は蘇芳も由瑞も知っている。
彼等も同じだから。それでも石鹸で手を洗ってくれた、それが嬉しかったのだ。

それを思い出すと史有は少し素直になる。
「姉さん」史有は姉を呼ぶ。
蘇芳が立ち上がる。
「お早う。史有。何かしら」
「ちょっと聞きたい事があるんだ」
「ふうん。何?」
「ちょっとここじゃ駄目だな」
史有は辺りを見回す。

「じゃあ、一緒に朝ご飯を食べましょう。先に行ってお茶を入れてくれるかしら?
武井さんに朝食を用意するように言ってくれる?手を洗ったら行くわ」
「OK」
「目玉焼きは二つと言っておいてね」
「はいよ」
史有は頭を下げる人達に「お早う御座います」と声を掛け乍ら母屋に戻った。
昨日出会った、あの男の事を相談しようと思ったのだ。
由瑞は関わるなと言っていたが。
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