第16話   史有Ⅰ

文字数 2,052文字

9月から史有は新しい学校に転校した。
10月も後半になり、何とか学校にも慣れて来た。

現在、史有は樹のアパートが見えるコインランドリーにいる。

兄に見付からない様に勤務先の学校を見張った。
いい具合に道路を挟んだ向こう側にマックがあった。
史有はそこで樹が学校から出て来るのを待つ。
兄は帰りが遅いが彼女はそうでもない。
学校から出て来た樹の後を付けて、彼女のアパートを探し当てた。
後はあの男がここに来るのを待つだけだと思う。

だが、いくら待ってもあの男は現れなかった。
史有は時々、ジョギングをして来ると言って外に出る。
由瑞は「何でこんな遅い時間に」と言うが、兄が言い終わらない内に出て行く。
そして樹のアパートの前を3周ぐらいする。

由瑞には軽音楽のサークルに入ったと嘘を付く。
ギターが弾けるので、上手く誤魔化せる。ギターを背負ってアパートの辺りをうろうろする。

 だが、あの男は現れなかった。
史有はそろそろしびれを切らしていた。
あれは恋人では無かったのか?
いや、あの仕草は恋人以外の何物でもないだろう。
「融君」と言っていたな・・・。

由瑞は以前と変わりなく通勤している。特別変わった様子もない。

という事は、あの男は何もあの女に言っていないのか?
「困ったな」
史有は思った。
これでは埒が明かない。

史有は決心した。
これは直接本人に会ってあの男の住所を聞くしかない。



最近誰かの視線を感じる。
樹はそう思った。

視線を感じてふと振り向くが、誰かが見ているという事もない。
「おかしいなあ・・」
気の所為なのだろうか。


ある金曜日の夜。
樹は涼子と家で食事をしてホラー映画でも観ようという事になった。
最近、茂木ちゃんは年下の彼氏が出来て、週末はほぼデートである。
そんな訳で樹と涼子はよくつるんでいた。

駅からアパートに向かって来ると、向こうから歩いて来る男の子の姿が目に入った。
パーカーのフードを被って背中にギターを背負っている。
その子とすれ違った時、
「あれ?」という声が聞こえた。樹は顔を上げた。
「宇田先生ですよね」
彼はそう言った。

誰だっけ・・・?
「覚えていますか?佐伯の弟です」
彼はそう言うとフードを外した。
可愛い感じのこの少年・・・。
髪は茶髪で軽くウエーブが掛かっている。白い肌で優しい顔をしている。
甘いマスク。それがにっこりと笑う。

ああ。そうそう。
「佐伯先生の弟君ですね。」
樹は言った。

「こんばんは」
彼はにっこりと笑って言った。
「こんばんは」
樹も挨拶を返した。

「お仕事お疲れさまでした。あっ?この辺りに住んでいらっしゃるんですか?」
「あ・・ああ。そうなんです。あら?こちらに?」
「いや、僕は今、兄と同居しているんです。・・・学校で軽音楽のサークルに入っていて、友達の家がこの近くなんです。それでよくこっちに来るんです」
「ああ・・そうなの」
「では失礼します。あっ、そうだ。ちょっと僕に会った事を兄には黙っていてくださいね。兄は僕の友達の事に関してはすごくうるさいんですよ。もう神経質と言うか。・・・済みません。宜しくお願いしますね」
史有はそう言った。
樹はクスリと笑った。
「友達って女の子?」
史有は一瞬、えっ?という顔をしたがすぐに「いやいや。違いますよ」
と笑った。
「分かりました」
樹はそう言った。
ホントかな?きっと言い寄る女の子も多いだろうなと思う。

「前回、一緒にいらした方もこの辺りですか?」
「えっ?彼?・・・彼は違うけれど」
「何か・・・僕、あの人と前に会った事がある様な気がするんです。以前出会った後にそんな事を言っていませんでした?」
「あら?そうなの?・・いいえ。何も言っていなかったわよ」
「ふうん。いや、ちょっと気になって・・・あの人って宇田先生の彼氏ですよね?」
「えっ?」
樹は驚いた。
史有はしまったと思った。
「あ・・いや。御免なさい。余計な事を聞いて。兄がちょっと・・・心配していたから」
「ええっ?」
樹は更に驚く。

史有は頭の中がパニックになる。
「あ・・いや。何でもないんです。・・忘れてください。・・じゃ、さようなら」
彼は急ぎ足で去って行く。
「さようなら」
樹はその後姿に声を掛ける。

涼子が笑いながら言った。
「すごい可愛い子だったけど・・・ちょっと面白い子だね。どういう知り合いなの。まさか高校生にまで知り合いがいるとは思わなかったよ」
二人は歩き始める。
「ああ。同僚のね。弟君」
「へえ。・・・・先日一緒に居た男の人って?誰?彼氏?」
涼子がにやにやしながら聞く。
「いや、融君よ。もう随分前・・・8月の終わりの話だよ。・・・そんなの忘れてるつーの。
華子と美術館に行って偶然会ったのよ。それで三人でランチをしてさ。華子は先に帰ったけれど・・・それでね。その帰り道でその兄弟とばったり会ったの」
「へえ。偶然な出会いが重なったのね」
「ホント不思議な日だったわ」
「その兄が何を心配しているの?(笑)・・・・・面白い会話だったな。ちょっと、最近の樹はモテてますな。漸くモテ期到来かな?」
「来てもどうにもならない男ばっかだけどね」
樹はそう言って笑った。


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