第4章 2

文字数 1,323文字

 水族館の日の夕方の晴れ間は、その夜半までしか続かなかった。今年は長梅雨で、七月になってしばらくしても前線が立ち去る気配は一向になかった。それでも「クマの子」の農場は、ハウス栽培ものなども含めていつも忙しそうなのだった。
 ダイレクトメッセージのやり取りをしているうち、「クマの子」の国語力は上がっていた。繋がってからぼちぼち一年が経つ。二十一歳が二十二歳になっても、就活の焦りが諦めに変わっていくくらいで後は何も変わらない。ましてや成長など微塵も実感できない。けれど、さすがに中学生(あるいは小学生か)ともなると違うのだった。
 だから、というわけではないのだろうけれど、僕は匿名の気安さもあって、自分のことに踏み込んだ内容を書くようになっていた。
「人の生き死にってどうやって決まるんだろうと思います」
 六月の水族館から、いや本当はもっとずっと前、ボンが急逝してから僕の中にあるわだかまり。
「四年前に友だちが死にました。でも僕は死んでなくて生きている。友だちの方こそが生きているべき人間だったのに。だったら、僕は何をしたらいいのでしょうか」
「犬さんは、何かやりたいことはないのですか?」
 「犬さん」というのが、「クマの子」が僕を呼ぶ時の名前だ。僕のアカウントのハンドルネームはもっと長いのだけれど、その中に「犬」が入っているので、ただ「犬さん」と呼んでくる。
「特に無いように思います」
「では、好きなことは何ですか?」
「とても俗っぽくてありきたりなことかな」
「たとえば?」
「うまい焼肉を食べる、寿司を食べる、ピザを食べる、おもしろい映画を観る、マンガを読む」
 笑うクマのスタンプが送られてきた。ハンドルネームが「雨降りクマの子」なだけあって、この子が使うスタンプはいつもクマだ。それから数分の中断があり、「クマの子」の新しいメッセージが表示される。
「私はSNSが好きです。犬さんはどうして、私とこうやってSNSでやり取りして下さってるんですか?」
 「クマの子」はきちんと敬語も使えるようになった。たいしたものだと思う。
「楽しいからだと思います」
「私も楽しいです。SNSって面白いです。私と犬さんは遠く離れたところに住んでいて、SNSが無ければ知り合うことなんて絶対無さそうなのに、こうして、SNSで話をしています」
 まだ続きを作文している気配があって、僕はそれを待つ。数分もしないうちに受信する。
「私はこの村を離れることはなかなか難しいです。それでもこうやって犬さんと話をして、就活の問題や犬さんが考えていることが分かります。私がこの村にいて出来ることは少ないですけど、それでもSNSで知ることができます。この村よりもずっと広く、世界だってきっと知ることができます。犬さんみたいに、知らなかった人と知り合い、友だちになることだってできる」
 僕はますます感心してしまう。こんな短い時間で、こんなにしっかりした内容を書いてくるなんて。でも、「クマの子」はまだ続きを作文している。
 続きはこうだった。
「少しウソでした。やっぱり、本当は実際に行ってみたいです。世界は広いから。もし犬さんが自由に世界に行けるのなら、私の代わりに行って、世界を私に教えて下さい」
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