第5章 2

文字数 3,064文字

 そこはちょっと城に似ていた。といってもラブホなどでありがちな西洋の城もどきではなく、日本の戦国時代の城だ。設計士が少し意識したのかもしれない。巨大な駐車場はさしずめ城下町か。建物はデカく――こっちに来て思ったのは何でもデカいということだ――、エントランスホールは広く高く、そこに爺さん婆さんがわしゃわしゃいる。楽しそうにしている。
「腹減っただろ? 先にメシ、食っちゃおうぜ」
 増尾は勝手知ったる感じでぐいぐい奥に入っていく。右側が巨大な和室で休憩所兼宴会場、左側がレストランになっている。ラーメンもパスタもカレーもカツ丼もあるあたり、フードコート、というか学食に近い。
 レストランは空いていた。不味いのか? 僕の気持ちを読んだように、
「ジジババはこっちには来ない。家から弁当持ってきて和室で食ってるよ」
 と解説した。
 なるほど。
 僕と増尾は、そこで増尾オススメのカレーとナポリタンのセット(味は推して知るべしだけれど、分量は十分だったし、何と言っても安かった)をだいたい無言でかきこむ。そしてすぐに、
「さ、温泉、温泉」
 増尾にせっつかれるようにして、席を立った。ここはH市が一枚噛んで運営されている、巨大温泉センターなのだ。
 温泉もとにかく広い。センスがあるとか趣があるとかは、まあ、ほとんど無いけれど、清潔で広くて快適だ。
「こっちなー」
 増尾の後について、サッシを抜けて露天風呂に出る。
 そこには風光明媚な海も川も湖もない。目に入ってくるのは、強烈な太陽光で蒸気でも上がっていそうな、どこまでも続く田園風景だけだ。向きによっては山影が見えるが、遠い。
 猛暑の昼下がり、露天風呂は僕たちのほかには誰もいない。
 この広さが、貸し切りだ!
「あー」
 増尾が、あに濁点を付けたような声をあげながら、湯を派手に波立てて風呂に入る。僕も続いた。
「あー」
 増尾がまた、あに濁点を付けた声を発した。僕も発していたような気がする。増尾は湯の中を庇の無い端の方にまで進んでいき、二人、炎天下に落ち着く。空からの太陽光線も熱い、湯もまた熱い。その熱さの二層構造はでも、なぜかそれほど悪くはないのだった。
 僕は頭の中の小賢しい知恵がことごとく溶け出してしまったようで、ただただ湯につかり、田園に臨む。
 ここはどこだ?
 今はいつだ?
 ああ、暑い。暑いから夏だ。でも西暦何年の、何歳の夏だったか?
「見通しはいいよなあ、ここ。田んぼ。稲。ひたすらそれだよ」
 岩や石で縁をあしらった温泉に漬かりながら、増尾は、僕に話しかけるというよりは、誰にともなく独り言のように話し出す。
「こんなでかい温泉センターが出来たり、小学校が妙に小奇麗になったりもしたけど、それでも基本はこれだよ。田んぼ。稲。ずっとそれが拡がってるのが、ここだ」
 僕は適当に相槌を打つ。のぼせるには早すぎるが、増尾の語りはうっすらとセピア色に彩色された昔語りみたいになって、僕の中にぼんやりと入り込んでくる。
「うちはさ、ずっと代々農家。稲作農家。親父は次男だから農協勤めで、じいさんの農業を継いだのは伯父なんだよな。でも伯父は生涯独身で跡継ぎはいない。伯父は頑健ではあるけど、年齢を考えれば、農業できるのはせいぜいあと一〇年くらいだな。俺には兄貴がいるけど、東京で就職して静岡出身の人と結婚して、子供もいる。もうここには戻らないだろう。俺がここに残るということは、つまりは俺が家のことを、農地もひっくるめて引き受けるってことだ。この土地の人間が残ると決めたのなら、そういうことだ。逃れられない」
 先にギブアップしたのは増尾で、立ち上がり、縁の大きな丸石に腰かけた。
「小学校も中学校も、廃校になる学校を統合するタイミングでの建て替えだったんだよな。豪華だけど、どっから金、出てるんだろうな。温泉センターも。仕組みは知らないけど、少なくともこのH市にはそんな財源はない。H市民の主要収入源は農業収入と老人の年金、それしかない。いままでずいぶん地方創生みたいなこともやってきたけど、全部ダメだった。この先、高齢者が減っていけば、年金も減って金もなくなる。就農者だって高齢者ばかりだ。俺みたいな人間は、縮んでいく町や村を見届ける、看取る役回りになる。いいのか、本当にそれでいいのか俺? って、まだ思う」
 そこまで言うと増尾は再び湯舟に入り、そのままずぶずぶと湯の中へと潜った。水田の上空を白い大きな鳥が飛んで行く。白鷺だろうか。増尾が浮上し、でもさすがに僕もいい加減のぼせてきて、それで二人して並んで縁の丸石二つに、それぞれ尻を乗せた。そうしていると日光浴状態で、すぐに皮膚の水滴は蒸発し、後はジリジリ焼け付いた。
「あっち行くべ」
 増尾は目線で示してから、庇の下、日陰になっているベンチへと歩き出した。僕も後を追う。増尾はベンチに座る時、今度は、うに濁点のついたような年寄りじみた声を出し、そうして二人でまた田園を眺めた。白鷺と思しき鳥がまた飛んで行く。風がするすると庇の下を流れていく。
「こっち戻って高校の時の仲間と騒いでいる時は、そりゃあ楽しい」
 増尾はまた、ゆったりと話し出した。
「カラオケ行って、『また一緒だな!』なんて酒飲んで騒いで。で、実家に戻るだろ? 古ーい一軒家、その自分の部屋で、スマホ見るだろ? さっきのカラオケの写真がLINEで送られてきて、ってそこまではいいんだけど。別のグループLINEからもメッセージが入ってくる。『サブゼミの場所が決まりました』とか。『FMAハロウィーンパーティーのお知らせ』とか。あるいは、どっかのクラブで知り合ったヤツの青山かなんかで撮った写真のインスタとか、何度も聴きに行ったライブハウスでフォローしているミュージシャンが撮った写真のインスタとか。次々に。続々と。スクロールしてもスクロールしても、延々と。俺は、ひたすらスクロールし続ける。それでも終わらない。LINEから、ツイッター、じゃなくてXか、それにインスタにTikTok。それぞれでかなりフォローしてるから、すごい人数だよ。その人たちが毎日刻々と写真をアップしたり、つぶやいたり、自慢したり、文句いったり、それがどどどどっと注ぎ込まれてさ。スマホ開けて画面をタップすると、途切れなく、無限に、永遠に、流れ出してくる。追いかけてくる。田舎帰ってもなお、実家のベッドの中にまで、どこまでも追いかけてくる」
「それって、フォロー解除すればいいんじゃねえの?」
 そうすると、増尾は少し怒る。
「――するさ! そのうちする」
 それから、だんだんトーンが弱まる。
「でも、まだかな。まだ出来ない。いやどうだろう。するのかな。出来るのかな。これ、全部切り捨てたら、俺、この田舎で耐えられるかな。人口の減少が加速してさ、誰もいなくなるみたいな中で生きていくことに、耐えられるのかな」
 四秒ぐらい沈黙して、それでいきなりトーンを変えて、
「なーんてな。思ったりもするわけよ」
 僕を見て笑った。ああ、そうだよな。この世に本当に迷いのない選択なんて、迷いのない人生なんて無い。
「でも、それでも戻るんだろ? そう決めたんだろ?」
 僕が尋ねると、増尾は頷いた。
「そだね。別に東京で正社員になれなくたって、派遣とか、バイトとか、いくらでも生きていく道はあったはずなんだよね。でも決めたね。誰かがこの場所を引き継がなきゃいけなくて、引き継ぎたいって、ここで仲間とやっていくって思える人間が必要で、それは俺なんだ。――決めたんだよ」
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