第1章 2

文字数 3,044文字

 大学の長い夏休みが明けた。
 SNSが錯綜するのはいつものことだ。「勉強会の場所、急遽変更」。これはサブゼミのグループLINE。まだどこに変わるのか決まってない。サブゼミ・リーダーから追って連絡が来る。「打上げのお知らせ」。これは短期イベント・バイトの時のグループLINE。誰が来るんだろうとちょっと想像する。木南姐さんが来るなら行きたいけど、絶対顔を合わせたくないヤツもグループには入っている。様子を見るために保留。メールも来ている。登録しておいたT食品流通からの「インターンシップのお知らせ」だ。応募しておかないと。T商事本体も、その子会社のT食品も無理。孫会社の食品流通だったら、ゼミの先輩の就職実績もあるし。だいぶ上の代だけど。ここなら何とかインターンシップに参加できるかも。金融系じゃないけど、もうどうでもいい。マジで、インターンシップがゼロはシャレにならない。
 本名で仲間内とだけ繋がるSNSとは別に、Xで、就活関連専用の匿名アカウントを作った。SNSはデマもまああるけど、眺めていると風向きが分かるし、自分の立ち位置も嫌になるほどよく分かる。自虐的な気持ちになる。気が付くと何時間もSNSを流し見している。どんどん自虐に浸れる。
 僕の匿名アカの投稿にリプが付いた。最近よく絡んでくる「雨降りクマの子」。正体不明。ほぼ内容のないリプを付けてくる。悪質なアンチよりはマシだけど、見ても全然面白くないし、そのくせしょっちゅう書き込んでくるので、だんだんウザくなる。最初は、ちょっと嬉しかったんだけど。
「山崎、マーケティング演習、出てた?」
 背中から声を掛けられ、僕はスマホから顔を上げて振り向いた。増尾はサークルだけでなく、学部学科まで同じだ。
「いや、今日はパス」
「いいのかよ、あいつ、結構、シビアに落とすって」
「四回までは欠席OKだろ?」
「そうだっけ?」
「そうだよ」
 増尾が向かい側に座る。
 僕たちは午後の学食にいた。もうとっくに食事時は過ぎているけれど、学生がそこそこ散らばって座っている。なんとなく、テリトリーがある。このへんは、午後は大抵、フィールド・マーケティング・アソシエーション、略してFMAの奴らが時間を潰している。FMAは、マーケティング調査を実際に街に出てやってみるという主旨のサークルだ。大学認定団体でもないFMAは学生棟に部室を貰えないので、メンバーはこのへんでたむろする。
 増尾はアイスコーヒーを啜りながらスマホを眺め出す。
 今日はこの後、FMAのフィールド調査がある。曜日ごとに班が分かれていて、そこでのテーマも数か月ごとに変わっていく。うちの班は、今は、シャツをパンツの中に入れるか、出すか。
 流行はドミノというよりはオセロのように変化していく。どこまで行っても一枚ずつちまちま倒れていくドミノではなく、ある閾値を超えると白が一斉に黒くなるのだ。一九八〇年とか、その頃の映像をみると、大学生たちはたいていシャツをパンツに入れている。それが世紀を越えていくにつれ、いつの間にか、シャツの裾はパンツの外に出る。まずはファッションに興味ありありの若者たち。ついで普通の若者、やがては中高年へ。それがコロナ禍に前後したあたりからだろうか、再び、ファッションに敏感な若者からシャツをパンツにしまい始めた。
 「今時点でどこまで広がっているか調べてみよう」。言い出したのは増尾だ。増尾はウェイ系ではないけれど、ウェイ系に憧れがあるタイプだと思う。ロードサイドのショッピングモールですべて完結する地方の町でいちおう高校デビューを果たし、ファッションにはかなり気を使っている。ちなみに、シャツはパンツに入れている。
 僕はといえば、どうでもよかった。
 商学部に入ったのは経営に興味があったわけじゃなくて、合格した大学の中で一番偏差値が高くて就職もよさそうなのがこの大学の商学部だったというだけだ。FMAに入ったのも、勧誘されたサークルの中で一番めんどくさくなさそうで(つまりは縛りがなくて)、一方で、それなりに授業や就職の情報収集にも役立ちそうだったからだ。別にマーケティングにも、シャツをパンツに入れるかどうかについても、さほど興味などない。

 調査はまず渋谷で三〇分、次に新宿で三〇分、最後は銀座で三〇分。その後、新橋まで歩いて行って安そうなチェーン居酒屋に入り、飲みながら結果を集計した。活動メンバーは、三年の増尾と僕、それに二年女子の佐伯さんの三人。最初は一年も三人いたのだけれど、途中で幽霊化して消えていった。珍しいことじゃない。
 調査対象人数は三つの町、だいたいどこも三人合わせて四百人程度になった。当初予想通り、新しい流行であるシャツを入れる方の比率は、渋谷が一番高く、次いで新宿、銀座の順だった。ただ、すごい高齢の爺さんはシャツをパンツ、というかズボンに入れていて、これは流行などとは無関係で、むしろ流行が一周してしまったということだろう。それに銀座はインバウンドの海外旅行客を対象に含めるかどうかという問題があったが、実際に行ってみたらインバウンド客だらけだし、日本人との見分けもつかないし、含めざるを得なくなった。
 という具合で、あらゆる面でいい加減なフィールド調査でしかない。そのくせ、学園祭で発表すると、意外にウケる。それに、調べていてもそれなりに楽しい。調査後の飲みも、それなりには楽しい。楽しかった。ちょっと前までは。
「これ、ほら、見て見て」
 増尾は調査の合間に印象的なファッションの人を見つけると、こっそり写真に撮る。それを佐伯さんに見せながら、酒の肴にしている。
「この人、強烈だよね。強烈じゃね?」
「ヤバイですねー」
 佐伯さん、話を合わせるのが上手い。増尾は佐伯さんを狙ってるのがバレバレで、佐伯さんはいつもうまくかわしている。とはいえ増尾が焦れてきたのか最近強めに出てきている感じがして、このままだとおそらく佐伯さんはきっぱり増尾を撥ねつけて、FMAに出てこなくなるだろう。佐伯さん、かわし方が露骨になってきているし、二人がうまくいくことはきっとない。
「ね、山崎さん、どう思います?」
 今も、かわしきれなくなって、佐伯さん、僕に振ってくる。
 巻き込まないでほしいと心から願う。僕の周囲に、面倒な人間関係地雷を撒かないでほしい。

 案の定と言うべきか、その夜、佐伯さんから個別でLINEが来た。
 「増尾さんに、山崎さんから何とか言ってもらえないでしょうか?」
 ああ、ウザい、ウザい。
 とりあえずこの件は置いておいて、まずはパソコンを開け、T食品流通のインターンシップのエントリーシートを記入する。もうテンプレは出来ていて、それをこの会社用に修正していく。志望動機とか学生時代に力を入れたことの欄を埋めながらも、でも、T食品流通の社員となった自分の姿がまったくイメージできない。
 以前、そんな話をFMAのOBに話したら、苦笑しながら、
「俺もそうだったけどさ。ま、なんつーかな、その場に入ってしまえば、何かもう、どうせそれが普通、日常になるから、今から意識しなくても。もちろん生活時間とかいろいろ大学時代とは違いはするんだけど、それでもまあ、変わらないっていえば変わらないのかもしれないしな。だから別に、会社に入って働く姿なんてどうでもいいってことなんだけど、って言っても、分かんねえか」
 と答えた。
 何を言っているのか、まったく分からなかった。
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