第6章 3

文字数 1,294文字

 翌週、全員に漸く内定が出たお祝いということで、瑠奈と杏と三人でディナーに行った。高校の頃の僕らにはちょっと立ち入れないような、値の張るイタリアンだ。瑠奈が予約を入れてくれた。大学の剣道サークルで何回か使ったのだという。
「でもさ」
 食事を終えて、僕と杏でワインを一本空けて、瑠奈は飲めないのでノンアルカクテルをお代わりして、ドルチェも済んで、カプチーノを飲んでいた時だ。
 ふと、思いを零してしまったような感じで、瑠奈が呟いた。
「寂しくなるなー。私と亮ちゃんはそれぞれに日本列島のどっかに行って、杏は東京だね」
「ま、仕方ねえよ。みんな、それぞれに前へ進んでいくんだから」
 杏が説得するように応えた。
「ねえ、杏、赴任先にも遊びに来てね」
「そだな」
「五月の連休とか」
「おいおい、そこってまだ地方に赴任する前なんじゃないのか? 瑠奈っちのところは、最初一ヵ月は集合研修じゃなかったっけ?」
「あ、そうだ。そうだった」
「大丈夫かね、この娘は」
 杏がわざと冷たい視線を送る。
「大丈夫だよ。ね、亮ちゃんも来てね」
「ああ。落ち着いたらなー」
 酔いの中で、僕は目をそっと閉じてしまいたくなるような感覚を覚えていた。本来なら、「これからの希望に満ちた青年の心情」というあたりのはずなんだけど、そうではなくて、実際は安堵と諦めが折半になったような、力が抜けていく感覚だった。
 安堵は、クソ就職先かもしれないけど、とにかく行先が決まったこと。瑠奈も杏もだ、それぞれに決まった。決まったのだ。
 諦めは終わっていくこと。僕がずっと望んできたのは、ボンをそっと心の中に抱いて四人でいた頃のような安心感を三人で維持しながら、でも僕と瑠奈の関係はボンが亡くなった時以来の凍結を溶かして、前に進めることだったと思う。実際に起きたことは真逆だった。安心感は失われてどうしても戻らない。そのせいもあるのだろう、瑠奈も僕も、いなくなったボンのことばかりを思っている。むしろ、ボンが生きていた頃よりも強く。それで、僕と瑠奈は身動きがとれない。凍結されたまま化石化に向かっていく。
 この四年半、僕は瑠奈を見守り、杏と語らい、僕なりに、ふがいないなりに、諦めず頑張って来たつもりだった。でも、全然うまく行かなかった。ボンの不在を埋めることなんて出来なかった。僕じゃダメだった。それはやはり、僕には辛い日々だったのだと思う。それも終わる。就職して全国に散らばり、忙しく働くようになれば、僕がやろうとしてきたことは、もう完全に不可能になる。過去になる。済んだことになるのだ。僕の苦悩も、希望も。
 僕は空想する。赴任先で瑠奈は、もしかしたら、僕なんかよりもずっとしっかりとして頼りがいのある誰か、例えば、ボンのような誰かとめぐり合うかもしれない。そうしたら僕は、瑠奈とその人のことを祝ってあげよう。あるいは瑠奈は、それほどでもない誰かと歩き出すことになるのかもしれない。それでも、瑠奈が決めたのなら、僕はやはり祝ってあげよう。
 けれどまだ、万が一に、万万が一に、僕らが化石化を止められる可能性はあるのだろうか――?
 ボン、僕にはやっぱり無理だ。
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