第8章 3

文字数 1,333文字

 そのようにして、木南さんが僕の日常からいなくなった。
 予想通り、木南さんはバイト仲間のグループLINEに、「母が脳梗塞で寝たきりとなり、帰郷して介護看病にあたることになりました」とポストした。これも予想通りに、バイト仲間からは、惜別とガンバレと上京したら連絡してねからなるレスが一斉に付いた。
 そしてそれはそれだけで、そこまでで終わりになる。あとは、みんながそれぞれに、木南さんは愛媛の地元で、バイト仲間たちは引き続き東京のゴチャゴチャの中で、日常に帰っていって互いのことは緩やかに忘れていく。
 でも木南ロスは、僕にとっては、思ってもみなかったほどに大きかった。タイミングも悪かった。陰謀論の動画の件以来、瑠奈からの、杏と三人でどこどこに行こう、みたいな誘いが無くなっていた。杏は杏で、自立に向けて忙しくしている。杏はよくSNSにポストするので、その様子が伝わってくる。僕は本来であれば、四月からの社会人生活に向けた準備をしておかなくてはならないのだろう。けれど、ただだらだらと、あまり気乗りのしないままに卒論をパソコンで打ち、木南さんと遭遇する可能性の消えた割烹やドラッグストアにバイトに行き……。
 内定仲間の女子、浦野さんから、グループLINEが来た。僕と飯島くんと三人のグループだ。
「お久しぶりです。物流と人材派遣に関係のある資格の勉強をしてみようかと思っているのですが、それぞれにとても幅が広いし難しいしで、どこからどう手を着けたらいいのか、迷っています。みなさん、どうしていますか?」
 うわあ、と思った。浦野さん、超マジメ女子って感じだったし、こう来るのか。どうしているもなにも、僕は何もしていなかったし、何かしようとすら考えていなかった。どうせ飯島くんもそうだろうと思っていたら、一時間もしないうちに彼からレスがあった。
「この会社は業容が広いから、どこかに決め打ちして資格の勉強しても実際に配属されたら見当違いってことになるかもしれんな。むしろ、まずは資格じゃなくて、業務関係の本を探した方がいいと思う。俺は株が好きだから、この会社、非上場やけど中期経営計画とか財務、それに業界動向、そっちから入ってるな(笑)」
 飯島くんは彼なりに始めているようだった。
「不動産会社はどうした?」
 と聞いてみた。
「あそこは止め。やっぱりブラック」
 とすぐに返ってきた。
「財務系希望?」
 と聞くと、
「最初は地方の現場配属としても、財務経理に希望は出す」
 と応じてくる。
「ツテたどって業界の人に話聞いてるけど、現場はキツそうだしな」
「私はむしろ現場の方がいいです」
 浦野さんが入ってくる。
「物流でも人材でも、そこで早く専門性を身につけて、転職できるようにしておきたい」
「それも大事」
 飯島くんがそう受ける。
 僕はただ質問するだけで、自分から話せることがない。二人の中に入っていけない。飯島くんも浦野さんも、この会社で働くイメージが作られてきている。僕はいまだに、ここで働く自分のイメージが一向に沸いてこない。
 グループLINEでのやり取りが、僕を除いた二人で続いていく。僕はただぼんやりと傍観している。
 何やっているんだろう。
 ああ、俺はいったい、何やってるんだろう――。
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