第1章 4

文字数 2,263文字

 夜は、単発でバイトに行く。清涼飲料の新製品キャンペーンで、都心の駅ビル広場にイベントブースを設営する。モニターや音響のセッティング、試供品搬入とか、そういう一連の作業をサポートするバイトだ。僕は単なる手足で、清涼飲料メーカーの社員さん、設営会社の社員さんや古参バイトみたいな人たちの指示に従って、言われた通りに右のものを左へ、左のものを右へと運ぶ。
 去年までだったらただぼんやりと従事してきたこうした現場でも、僕はぽつぽつ考えるようになった。たぶん、僕はここの清涼飲料メーカーの社員さんにはなれない。設営会社はどうか。あまり有名でも大きくもない。ここならイケるか? 結構、しんどそうな仕事だけど。僕みたいにやる気も気働きもないバイトくんたちを使って、華やかでスッキリした空間を作る。
 心の中で模擬インタビューする。この仕事のやりがいってなんですか? 苦労する点は? この会社に入社した動機は? ずっと続けたいですか? 今の仕事に誇りを持っていますか? 大学時代は何してましたか? 何考えていましたか? 夢は何でしたか?
 夢? じゃあ、きみは? と、社員さんは反問してくる。
 山崎くん、きみの夢は何? きみは仕事に、会社に、何を求める? きみは、仕事に、会社に、何をしてくれるの?
「あれ? 木南さん!」
 ブースの飾りつけをしている木南彩花を見つけた。バイトの登録条件が似ているらしく、時々こうして顔を合わせる。赤坂のはずれにある割烹では、僕も木南さんも半ば定期的にバイトに入っている。まだ僕が大学一年の時、イベント系バイトでの飲み会で一緒になってから、SNSを交換し、会えば話をするようになった。そういえば、その時のグループLINEで回ってきた飲み会案内に、まだ返事をしていなかった。
「おう、山崎くん」
 木南彩花には、その名の通り、「花」がある。年齢はよく分からないけどたぶん二十五、六だと思う。出身もよく分からないけど、うっすらと西の方の訛りがあるようで、九州とか中国地方あたりと踏んでいる。本業が何なのかも分からない。この手の設営のバイトで一緒になるかと思えば、エキストラで映画のすみっこを駆けていたり(グループLINEで映画の宣伝が送られてきた)、ライブハウスでドリンク出したり(これもグループLINEで「来てね!」と送られてきた)、都心部をくるくるしている。
 飲み会の時、
「女優志望とかなんですか?」
 と聞いてみたことがある。
「うーん、そりゃ、なれたらいいなとは思うけどねえ。どうだろう」
 と彼女は答えた。
 それは、はぐらかしているというよりは、本当に、「どうだろう?」と自問している感じに思えた。
 あとで、帰りに一杯どうすか?と誘おうと、少しソワソワしつつ、社員さんに言われるがままに走り回っていたら、いつの間にか、木南さんの姿が見えなくなっていた。担当部分の仕事が終わり、帰ってしまったようだった。
 僕の担当個所はかなり遅くまでかかった。現場を出た時にはもう十時を過ぎていた。木南さんにLINEしてみようかなと思ったけれど、彼女が仕事を終えてから一時間近く経っていた。もう、ここいらにはいないだろう。僕は諦めて、スマホを尻ポケットに押し込んだ。
 木南さんは僕のこれまでの直接の知り合いの中でおそらくは一番の美人だけど、別に彼女と付き合いたいとか、やりたいとか、そういうことを思っているわけではない。微妙な関係が続いている瑠奈の存在が、その最大の理由だけれど、そうでなくても、綺麗ごとを言うつもりはないのだけれど、でも何か違う。姐さんだからか。そこは、増尾が佐伯さんに抱いている下心とは全然違うのだ。
 そういえば、まだ佐伯さんからのLINEにちゃんと返事していなかった。もちろん、増尾にも何も言ってない。何とかしなくては。

 夜十一時半すぎ、漸く家に帰りつく。肉体労働なのでかなり疲れる。夕食は外で済ませるとLINEしてあるので、もう母親は寝ている。父親は福岡に単身赴任中で留守だ。勤めていた銀行をリストラされて病んだ後、大学時代の同級生の会社が拾ってくれたのだ。
 そのまま自室のベッドに寝転がり、はあと一つ息を吐き、少しだけ目を閉じてからスマホを見る。SNSを開ける。
 佐伯さんにとりあえずのスタンプだけ返して、三日経ってしまった。
 どうしたものか。
 まず先に増尾か。増尾とは、明日のマーケティング演習で、どちらもさぼらなければ一緒になる。
 あー、面倒くさい。
 佐伯&増尾のことはまた横において、木南さんのSNSを開いた。最後のアップが昨日の午後だ。また、何かのドラマのエキストラに出るみたいだ。現場の様子を撮って載せている。
 木南さんは滅多に自撮りを載せない。かつては自撮りを載せまくっていたようで、どうやらそのことで誹謗中傷が集まって来てしまい、プチ炎上した経験があるらしい。目立つこと自体が炎上に直結するわけではないけれど、目立ちたいけれど目立てない人はたくさんいて、あちこちに密やかに地雷は埋まっている。地雷を踏んでから木南さんはいったんアカウントを止め、しばらくほとぼりを冷ましてから慎重に再開した。
 このへんの話は木南さんがいないバイト仲間飲み会で、誰かが、若干の悪意を込めてバラしていた。僕や他のバイトの奴らも、へええと相槌を打ちながら聞いていた。みんな、薄笑いしていたような気がする。全然おかしい話ではないのだけれど、なぜか薄笑いになるという状況がしばしばある。大抵は、その後で、とても疲れてしまう。
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