第15話 トップ会談

文字数 3,785文字

 源三はある国の大統領であった。

 彼が今頭を悩ませているのは、源三を中心として築き上げた国家を武力によって転覆させようとするゲリラの存在だった。彼自身も今の国家を造る時、前の政権と長い内戦によって奪取した経験がある。
 その時の味方の数からすれば、今のゲリラの数など十分の一にも届かず、殲滅しようとすれば一晩で殲滅出来たのだが、彼には決断が出来なかった。

 毎日そんな悩みで頭を抱えていると、補佐官がやって来て告げた。

「閣下、お喜びください。ゲリラの最高指導者との会談が決まりました」
「何! それは本当か。これで少しは穏やかに話が進むだろう」
「そうですね。時間をかけて工作した甲斐が有ります」
「君には本当に世話になった。感謝するよ」
「しかし閣下。あのゲリラとの長い戦いの原因は一体何なのでしょう?」
「どういう意味かな?」
「私は随分と前から閣下の御側におります。その間に何度か我々に刃向う連中はおりましたが、いずれも我々の政治に対するはっきりとした不平不満がありました。しかしあのゲリラの連中には、そんな不平不満が見られないのです。どういうことでしょうか」

 源三は大きな溜息をついて、力の無い声で言った。

「それは君が知らなくてもいいことだ」
「はぁ……」

 補佐官はじっと考え込む源三を見て、それ以上は訊けなかった。
 補佐官は源三には普通の人間には理解できない、国のトップにしか分からない深い思慮があるように思えたのである。


 会談は双方の都合で白い砂浜が続く海岸で行われた。
 波打ち際に大きなテントが張られ、中にレストランの厨房が臨時に設置され、高級フランス料理を食べながらの二人だけの話し合いの場になった。

 先にテントに到着したのは源三だった。黒のタキシードに黒の蝶ネクタイ。最大級の敬意を払う正装であった。これに対してやって来たゲリラの最高指導者は、迷彩柄の戦闘服に薄汚れたマフラーを巻いた女だった。

 女はボーイのサポートを断り、勝手に椅子に座った。その様子を見た源三は苦笑いを浮かべてボーイに下がるように伝えると、自分も彼女の正面に腰を下ろして言った。

「相変わらずマイペースなんだな。洋美」

 洋美と呼ばれた女はスカーフを外すと、顔についていた土埃をそれで拭った。

「あなたと会うのに、どうして飾らなきゃならないの」
「そんな、食事の前からそんなに絡むこともないだろう」
「まぁ、そうね。今日はお互い喧嘩はしない約束だったものね」
「そうだよ。今日は君とゆっくり話すつもりで来たんだ」

 やがて料理が運ばれ、とっておきのワインも開けられた。一口飲んだ洋美の顔にわずかに驚きの表情が浮かんだ。

「このワインって……」

 源三もワインを口にすると、口の中で転がすようにしながらゆっくりと飲みこんだ。

「そうさ。僕が君にプロポーズした時に頼んだワインさ」
「よく覚えていたわね」
「当然だろう。今でこそ僕達は敵味方になってはいるけど、かつては夫婦だったのだから」

 洋美はもう一口ワインを飲んでから言った。

「そうね。考えてみれば私達も不思議な縁ね」

 時が経ち、ほろ酔い加減の二人を海風が優しく撫ぜて行く。波は穏やかで、はるか水平線までまるで鏡のようだった。テントの周囲には幾つものかがり火が用意され、炎に照らされた二人はいつしか額を合わせるように昔話に花を咲かせるのだった。

「あれは中学生になってすぐの頃だったかな。僕は君に初めて告白したんだ。でも君はその気はないと即答したんだ」
「そうだったわね。でもあの時は、本当にその気なんて無かったんだから、怒ってる?」
「いや、怒っていないさ。その時から僕は何度も何度も君に告白し続けたんだ。そして大学三年の時、ようやく君は首を縦に振ってくれたんだ」
「ふふふ……そんな昔話は止めてよ、照れるじゃないの」
「いいじゃないか。本当の事なんだから」

 二人が見つめ合う目と目が、心なしかうっとりし始めた。

 そんな二人に合わせるかのように時はゆったりと流れ、豪華な料理と思い出のワインで二人の間にあった険悪な関係は消えつつあると思われた。

 料理がメインの肉料理になった時、それを口にした洋美が言った。

「相変わらずナイフとフォークの使い方は下手ね」
「そうかな。君に言われて随分練習したんだけどな」
「そんなナイフの持ち方じゃ、ステーキどころかトマトも切れないわ」
「トマト? 君も相変わらずだな。トマトは切って食べるものじゃないよ。そのまま食べるから美味しいんだよ」

 二人の間にふっと冷たい風が吹き、一瞬会話が止まった。しかしそれは束の間の事で、またゆったりと時が動き始めた。食事も全て出そろい、最後のデザートとコーヒーになっていた。

 コーヒーを飲みながら源三が言った。

「昔からの癖は抜けないものだね。今でも君はコーヒーにそんなにミルクと砂糖を入れるのかい? それじゃあコーヒーの味が台無しにならないかい?」

 洋美は口を尖らせて不服そうに答えた。

「あらそうかしら。あなたが目玉焼きにソースをかけるのと同じよ」
「何を言うんだ。目玉焼きに醤油をかける君の方がおかしいよ」

 二人の間にまた冷たい風が過った。

「でも私達って、どうしてこうなったのでしょうね。あんなに愛し合っていたのに」
「そうだね。毎朝、あと五分だけゆっくり寝かせてくれたら、こんな事はなかったと思うよ」

 源三にしてみれば軽いジョークのつもりだった。しかし洋美には少々引っかかる言葉だった。

「あら、それどういう意味かしら。まるで私が無理やり起こしているように聞こえるわ」
「そんな意味で言ったんじゃないよ」
「あなたこそ遅くに帰って来て、やっと眠りについた私を起こして『よく眠れるかい』なんて馬鹿なことを訊いたじゃない。お蔭で私は慢性の寝不足だったわ」
「何を言うんだ。愛する妻に、感謝の気持ちを込めて声をかけるのは夫として当然だろう」

 洋美は持っていたコーヒーカップをソーサーに乱暴に戻すと言った。

「感謝の気持ちですって? よく言ってくれるわね。感謝する気持ちが少しでもあったら、どうして台所の棚をすぐに直してくれなかったの? 私が何度小麦粉の入った缶を落として粉だらけになったか知ってるの?」

 源三もコーヒーを飲む手を止めて言った。

「その棚には三キロしか乗せられないと何度も言ったのに、小麦粉が五キロも入った缶をいつも二個も乗せていたのは誰なんだ?」
「あなたがそこまで言うのなら、私も言わせてもらうわ。あなたね。毎朝歯を磨く時、ゲーゲー言わすの止めてくれる。こっちが吐きそうになるわ」
「君こそなんだ。食事の前に手を洗うのは誰でも当たり前なのに、服でちょっと拭いただけで食卓に着くのは止めてくれ、不衛生極まる」

 洋美の目が次第につり上がって行った。

「よく言うわ。食事の時、あれだけ何度も何度も注意したのに、あなたは今でも相変わらずクチャクチャ言わせるのね。恥ずかしくないの? 世界中のVIPと顔を合わすのに」
「な、なんだと! おまえだってスープを口にする時、ズルズル音を立ててたじゃないか。俺は昔、恥ずかしくて仕方がなかったんだぞ!」

 口から泡を飛ばしてわめく源三に、洋美も食って掛かっていた。

「冗談じゃないわ! 恥ずかしかったのは私のほうよ。ライスにカレーのルーを一度に全部かけてグチャグチャに混ぜて食べるのはどういうこと? 恥ずかしいどころか人間性を疑うわ。カレーは隅から少しずつ食べるものなのよ!」
「そんなもの食ったらみんな同じだ!」

 二人の口げんかは延々続いた。それを遠くから見ていた補佐官は思った。

「随分と話しが盛り上がっているようだ。これで少しは妥協点でも見つかれば良いのだが」

 しかし二人の話は佳境に入っていた。

「あなたがそこまで分からず屋だったなんて、今初めて知ったわ! いいわ。教えてあげる。あなたの最低最悪な所は夜中の寝言よ! たまに聞こえてた和美って誰? いい加減にしてよね」

 源三は最も痛い所を突かれたので顔が真っ赤だった。

「なんだと! おまえがそう言うなら俺もはっきり言ってやるよ。お前の歯ぎしりは人間とは思えないぞ。五キロ先でも聞こえるくらいだ。あの歯ぎしりのせいで俺は人生を狂わされたようなものだ!」

 二人は鬼の形相で睨みあっていた。そして洋美が静かに言った。

「私達、もうだめね」
「いや、まだ一つだけチャンスはある」
「何?」
「おまえが歯ぎしりを止めてくれれば、俺には考える余地はある」

 洋美は「ふふん」と鼻で笑った。

「それはこっちも同じよ、あなたが寝言を止めてくれれば、私も少しは考え直すわ」

 二人は無言で見つめ合った後、それぞれの仲間の所に戻った。


 源三にさっそく補佐官が尋ねた。

「いかがでしたか? 会談は上手くいきましたか」

 少しは血の気も治まり、冷静になった源三が溜息交じりに言った。

「だめだ。失敗だ」

 補佐官は大きく肩を落として言った。

「そうですか。上手く行くと思ったのですが……閣下、大変申し上げにくいのですが、そろそろ教えて頂けませんか。この戦いの原因の大元を。閣下お一人で悩まれる御姿を拝見しておりますと、わたくしの方が切なくなりますので……」

 源三は言葉が出なかった。まさかこの戦いの原因が『歯ぎしり』と『寝言』だとは、情けないやら申し訳ないやら……

              ―了―
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