第1話 渡辺さん

文字数 4,312文字

 今や大ペットブームである。

 しかし一時の犬や猫のような愛玩動物から、大きく路線は外れつつあった。
 今では爬虫類、昆虫などは当たり前、果ては細菌やウイルス類まで、ありとあらゆる生物がペットの範疇になっていた。そして、どれだけ稀少なペットを飼っているかが富裕層のステータスにもなっていた。そんな大人達の愚かな競争意識は子供の世界にも伝搬し、これ見よがしに自慢しあうのが日常的であった。

 幹男はある小学校の六年生である。彼の小学校は金持ちや権力者の子供が集まる、いわゆるお坊ちゃま学校であった。

「おい、幹男。お前の家にペットはいるのかよ?」

 父親が国会議員だという少年が、意地悪そうに幹男を小突いた。

「い、いるよ」

 他のクラスメイトと比べても幹男の家は遥かに貧乏であった。彼の父親の仕事は石化細胞の遺伝子抽出による絶滅動植物の再生で、夢多い仕事ではあるものの研究者の収入など知れており、幹男の友人保護者と比較すると、どうしても落差が大きくなるのである。
 いくら父親の上司の紹介で入学出来たとは言え、まだ他に勉強しやすい学校があったのではないかと、幹男はいつも幼心を痛めていた。

「へーん。またこいつ、嘘をついているぞ。お前の家なんか貧乏で、ペットなんかが飼えるはずないだろう」

 幹男は悔しそうに唇を噛んで言った。

「いるさ! 一匹だけど」
「それは猫かネズミか? それとも、何処かで拾った犬か? 悔しかったら言ってみろよ」
「違うさ! 珍しいのがいるよ」
「だから言ってみろって」
「それは……」

 幹男はつい言葉を飲んでしまった。確かに幹男の家にはペットはいた。しかし、父親が「誰にも言うな」と、いつも言っているのでぐっと堪える幹男であった。

「ほーら見ろ。やっぱり嘘なんだ。俺なんかこの前パパに、世界に三羽しかいない超珍しいインコを買ってもらったんだぞ。羨ましいだろう。見せてやろうか」

 幹男は半分泣きそうになりながら、せめてもの抵抗を見せた。
 
「そんな鳥なんか、見たくもないや!」

 その言葉は意地悪少年の自尊心をかなり傷つけた。

「おい幹男! だったらお前のペットを見せてみろよ。今からでもお前の家に行くか?」
「えっ! でも、お父さんに訊いてからじゃないと駄目だよ」
「やっぱり嘘なんだ。だから貧乏人は嫌なんだな」

 しばらくはつまらない子供同士の口喧嘩が続いた。意地悪少年はここぞとばかりに幹男を攻めたてる。

「よし解った。だったらもし、幹男の言うことが本当だったら俺はお前の家来になってやる。でもペットがいるなんて嘘をついていたら俺の靴を舐めろ。それでどうだ?」

 そう言って権力者の息子は、もう結果は見えているという風な顔をした。さすがの幹男も我慢ができなくなった。

「本当に僕の家来になるんだね? じゃあ今日の放課後、いっしょに帰ろうよ。僕の家のペットを見せてあげるよ」

 彼は遂に約束をしてしまった。

 放課後、幹男が待ち合わせの場所に行くと、あの少年の他に七人が集まっていた。彼等は皆、親が社長だの、テレビによく出ている評論家だのの息子で、揃いも揃って意地の悪そうな顔をしていた。

 少年達のリーダー格で、あの国会議員の息子がニヤニヤ笑いながら言った。

「こいつらも見たいって言うからさ。構わないだろう?」

 どうやら彼は、より多くの友人の前で幹男に恥をかかせたいようであった。しかし幹男の見た目は平然としていた。

「ああ、構わないよ。その代わり、みんなが驚いたら、全員が僕の家来だからな」

 集まった少年達の間から、誰からともなく嘲笑が漏れた。幹男は悔しかった。生まれて初めて心底悔しかった。

 彼の家に向かう間、少年達はずっと幹男に質問していた。

「鳥なのか? 両生類なのか?」
「さぁ、僕にもよく分からない」
「何を食べるんだ?」
「何でも食べるよ」
「まさか襲っては来ないだろうな」
「多分、大丈夫だと思うよ。人懐こいし」
「名前はついてるのか?」
「ついてるよ。渡辺さんって名前さ」
「渡辺さん? 何だよそれ、おかしな名前だな」
「仕方がないだろう。本当に渡辺さんなんだから」

 彼らは幹男の答えから色々と想像してみたが、幹男からの断片的な情報ではどんなペットなのか思い浮かべることはできなかった。
 結局、幹男が出まかせを言っているんだということになり、彼が這いつくばって靴を舐めるところをどうやって演出しようかと、こそこそと悪知恵を働かせるのだった。

 やがて幹男の家に着いた。彼の母親が驚いて言った。

「おやおや、珍しいこともあるのね。幹男がこんなにお友達を連れて来るなんて」
「お母さん、みんなが僕の家のペットを見たいんだって、構わないかな?」
「ペット? ああ、ペットね。本当は父さんに訊かないと駄目なんだけど、せっかく来てもらったんだから、ちょっとだけなら良いかもしれないね」

 母親の許しを得ると、幹男は彼らを二階の奥の部屋に連れて行った。その部屋は八畳ほどの洋室で薄暗く、異様な匂いが漂っていた。しかもその部屋には、家具らしい家具は一つも置いてなかった。

「なんだか生臭いな」

 独りの少年が言った。

「うん、それにじめじめして気持ち悪いぞ。おい、幹男。早く見せろよ」

 意地悪少年が、顔に恐怖を滲ませて言った。

「そんなに焦らないで。今見せてあげるから」

 幹男はそれまでのひ弱な印象の彼とは異なり、薄暗い部屋の中で目をぎらつかせて言った。その顔を見て残りの少年たちはじりじりと後ずさりし始めた。

「何だよ。怖いのか?」

 幹男はそう言いながら彼等の背後に回り込み、部屋の鍵をかけた。

「な、何するんだよ」

 意地悪少年は声を震わせながら虚勢を張った。しかし幹男は全く動じることはなかった。

「じゃあ開けるよ」

 幹男はそう言って、部屋に備え付けになっているウォークインクローゼットを開けた。
 扉を開けた瞬間、黒い靄のようなものが流れ出て来たかと思うとクローゼットの奥からズリッズリッと、何か重い物を引きずるような音が聞こえた。

「な、何がいるんだ?」

 少年の一人が半分泣き顔で言った。その様子を見て幹男が言った。

「何がって……これが僕のペットだよ。見たかったんだろう?」

 さらに幹男はクローゼットの奥に向かって声をかけた。

「渡辺さん。出ておいでよ。友達が来てくれたんだ」

 その瞬間、大きな黒い影がクローゼットの奥から飛び出してきた。その姿を見て少年達は、ある者は顔面が蒼白になり、ある者は石のように固まり、そしてあの意地悪少年は思わず股間を濡らしていた。

 出て来たのは直径が三メートルほどのズングリした塊で、表面は黒光りしているようなのだが、よく見ると幹男の掌ほどの大きさの鱗がびっしりと覆っていたのであった。それだけでも充分に異様なのだが、少年達を恐怖のどん底に突き落としたのは、そこから伸びる長い首であった。
 黒い塊から伸びる首も真っ黒で、頭の部分は逆三角に盛り上がり、大きく裂けた口からは先が二股になった舌がデロデロと出入りしていた。そしてその口の上部には彼等の拳ほどの大きさの目があり、両方とも恐ろしいほど真っ赤だった。しかもその首は一本ではなく、全部で八本あり、それぞれがウネウネとのたうっていたのである。

 その怪物の前に何事も無く立った幹男は、彼の周囲で八つの首が動き回るのも気にせず言った。

「この子が渡辺さんだよ。どう? 可愛いだろう」

 彼はそう言って動き回る首の一つを撫でた。その首は嬉しそうに頭を幹男に擦りつけるのだった。
 七人の少年達は恐怖のあまり、完全に自分を失っていた。やがて中の一人がようやく口を開くことが出来た。

「そ、それ、何だよ」

 幹男は相変わらず動き回る首とじゃれ合っている。

「だからさっき教えたじゃないか。渡辺さんだよ。お父さんの研究室で偶然生まれたんだ」
「どうして名前が渡辺さんなんだ?」
「それは僕もよく知らないんだけど……お母さんがお父さんに教えてもらった話だと、研究室の『渡辺さん』って人に、お父さんの研究結果を試してみたら、こんな風になったみたいだよ」
「えっ! じゃあこの化け物は、元は人間なのか」

 その瞬間、それまで揺れるように幹男にまとわりついていた八つの首が、ぴんと直立したかと思うと、あの真っ赤な目をさらに炎が燃え上がるように血走らせた。

「あっ! そんな『化け物』なんて言っちゃだめだよ。渡部さんは女の人だから……」

 幹男が慌てて少年達をたしなめるのだが、もう既に時は遅かった。

 その頃、幹男の母親がキッチンで彼等のおやつを用意していると、彼女の頭上でドタンバタンと物凄い音が聞こえた。

「あらあら、男の子があれだけ集まると大変ね」

 彼女はそう言って優しそうな笑顔を浮かべた。
 やがて二階の音が静かになると、幹男一人が降りて来た。

「あら、どうしたの。ジュースとケーキを持って行こうと思っていたのに、皆は?」
「うん。渡辺さんが食べちゃった」
「まあ! 全員食べちゃったの」
「うん。お父さんに怒られるかな」

 母親は悲しそうな顔になり、大きく溜息をついた。

「仕方がないわ。お母さんからお父さんに上手く言っておくから、おまえは心配しなくてもいいわよ。それに渡辺さんにしてみれば、いつもは一人ずつしか貰えない『おやつ』が、今日に限っては八人揃って貰えたんだから喜んでいるんじゃない?」
「そうかな?」
「そうよ。だからもう気にしないで」

 幹男はやっと納得したように笑顔を見せた。

「でもお母さん。僕も時々不思議に思うんだけど、父さんは人間だった頃の渡辺さんに、何を試したのかな?」

 母親は腕を組んで考えるように言った。

「そうねぇ。昔、お父さんが酔っぱらった時に言っていたけど、何だかクサナギノツルギってお宝があって、その剣先にほんの僅かな肉片の化石がくっ付いていたんだってさ。それをお父さんが研究していたって話だよ」
「ふーん、そうなのか」

 幹男は軽くうなずくものの、本当の所は話が難しくて理解できていなかった。

「まあいいや。じゃあ僕、ちょっと遊びに行ってくる」
「そう。晩御飯までには帰るのよ」
「分かった」

 元気よく駆け出して行く幹男を見送ると、彼の母親は玄関先を見てまた溜息をついた。そこには脱ぎ捨てられた八足の靴と、階段の下には八つのランドセルが置きっぱなしになっていたのである。

「まあ、まあ、どうしましょう。今度の不燃ごみの日は大変ね」

 彼女はそんな独り言を口にしながら、それらを階段下の納戸に放り込んだ。そこには既にこの家の家族の物ではない靴やバッグ、コートや傘が山のようになっていたのだった。


                        ―完―
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