第19話 特命

文字数 3,419文字


 源三は政府のエリート役人であった。

 彼は首相から密かな任務を受け、一人山間の曲がりくねった道に車を走らせていた。目的地は、一番近いJRの無人駅から更に二時間ほど走らなければならない深い山村であった。
 源三はうっそうとした森や林を抜ける度に、これからのこの国の行く末が、ある意味自分の活躍によって決まるのだと思うと、何とも言えない充実感がみなぎっていた。

 今時のこの国にこんな田舎があるのか思うほどの景色を眺めながら、彼はふっと思った。

『こんなへんぴな所なら、あのプロジェクトが動き出せば、新しく道路も必要になるだろうな。もちろん、鉄道も引かなければならない。必要ならヘリポートも作らなければならないだろう。どう少なく見積もっても二兆から三兆の金は動くだろうな。このプランが公になったら、ゼネコン辺りは色めき立つだろうなぁ。この不景気だから』

 そんな事を考えていると、いきなり目の前が開けた。

 そこは辺り一面が田んぼで、どれくらいの広さがあるのか見当もつかなかった。廻りが高い山々に囲まれた盆地で、そのほぼ真中辺りに二十軒程の民家があった。実は彼が目指していたのは、この村の村長の家だったのである。

「ごめんください」

 彼が身を整えて一軒の家に入ると、奥から見事に禿げ上がった老人が出てきた。

「どなたかな?」
「この村の村長の丑松様ですね。」
「いかにも、ワシは村長の丑松じゃが」
「私はこういう者でございます。」

 源三がうやうやしく差し出した名刺を受け取った丑松は、かけていた眼鏡を額まで押し上げ、腕をいっぱいに伸ばして目を細めて眺めた。

「あーん? なんか良く判らんが、偉い人のようだね。その偉い人がこんな田舎の村に何の用事があって来なさった?」

 源三は誰かに聞かれたらまずいとでも言わんばかりに、辺りをうかがい、声を落として言った。

「実は、この村をまるごと売っていただきたいのです」
「へっ?」

 丑松は声にならない声を上げてから、源三を睨みつけた。

「村をまるごと売れだと、冗談は休み休み言え!」

 源三は出きる限り平静を装い、事務的に話を続けた。

「驚かれるのも無理はありません、しかし、これは冗談などではありません。本音で聞いていただきたいのです」

 落ち着いた源三の様子を見ていた丑松は胡座をかき、キセルに煙草を詰めると一服して言った。

「あんたがそう言うなら、話だけは聞こう。ただし、聞くだけだぞ。売る、売らないは別の問題じゃからな」
「ありがとうございます。実は……私どもではこの地に、ある物を移転させたいのです」
「なんだいそれは、大層なもんかい?」
「首都でございます」
「シュトォ?」

 丑松はあんぐりと口を開け、目をしばつかせた。

「首都って言うと、東京ってことかい? ここが東京都になるってことかい?」
「いいえ違います。東京は東京ですから何処にも参りません。こちらに移転させますのは、議事堂や中央官庁の建物なのです。ですから当然ですが、両院の議員や総理を始めとする各閣僚もこちらで執務するということになります」
「ふーん」

 源三の説明を聞いた丑松は腕組みをして思わず唸ってしまった。

「また大変な事になったもんだな。しかし何故そんな面倒くさくて金のかかる事をするんだい? 今のままじゃぁいかんのか?」
「はい、東京は今や満杯状態で、足の踏む所もございません。これからの我が国の発展と、国際協調を考えますと、思い切って広い土地で新しい気持ちでスタートしなければ早晩、東京の首都機能はパンクしてしまうのです。なんとか広い御心で私どもの計画にご賛同いただけないでしょうか」

 源三は深々と頭を下げた。

「幾つか聞いても良いかい?」

 彼は上目づかいで丑松を見上げるようにして答えた。

「何でございましょう」
「あんたの言う事も分からんでもない。しかし、ワシらもこの土地で生きてきた人間じゃ。そう簡単にここを離れる訳にはいかん。そうは思わんかね?」

 源三は待っていましたとばかりに、カバンから数枚の資料を出した。

「それはそうでしょう。ですから私どもではこちらの資料にもございますように、通常土地価格の倍の金額を考えております。その上で、皆様が他の土地へ移られるのならば、それ相当の補償をさせていただきます。また、今後もこちらに住みたいと思われる方々にもそれなりのメリットがあるようにさせていただきます。いかがでございましょうか?」

 丑松は渡された資料をパラパラとめくりながら改めて源三に聞いた。

「首都がこの村に来ると、どんな良い事があるんじゃろう?」
「それはまず、VIPが数多く訪れるわけですから、新しく警察機構が整備されます。ですから治安が格段に良くなります」

 丑松は「へへっ」と笑った。

「この村には泥棒なんていないんじゃ、家の玄関なんざ、ここ何年も鍵を掛けた事は無い」
「左様ですか、その他にもございます。国の中枢が来るわけですから、ITが整備され、日本どころか世界中の情報が瞬時にして伝わります」

 また丑松は笑った。

「ワシらに地球の裏側の話をされたってさっぱり解らん。第一、テレビやラジオで充分に世の中の事は知っておるつもりじゃ。電話もあるし、なんの不都合もないがなぁ。それ以上に見聞きせにゃならん事でもあるのかのぅ」
「それではこういう事ではいかがでしょう。もし首都が参りましたら、多くの人々が集まるわけですから、スーパーやデパートなども出来ます。これは皆様にとっても大変便利でしょう?」

 丑松は鼻の穴に指を突っ込んでモゾモゾさせた。

「へっ! ワシらは自分の食う物は自分で作っとる、それが安心と言うもんじゃ、着る物にしたって夏冬二、三枚あれば事足りるわい。それに町まで行けば何でも手に入るぞ」

 源三は口の達者なジイサンだと思った。

「ならば、その町に行かれる時は如何ですか? ここからですと大変時間が掛かるのではないでしょうか。その点首都が参れば、道路や鉄道が作られますから今よりはるかに楽になりますよ」
「別にそんな物が無くったって、朝と夕方にバスが来る。なんの不便があるものか」

 さすがの源三も困ってきたので、思い切って話をそらした。

「でしたら、ここで御土産屋でも開かれたらいかがですか? 絶対に儲かりますよ」

 丑松は「ほー」と溜息を一つした。

「なぁ御兄さん。ワシらは先祖代々ここで百姓をやってきた。米野菜を作っている間はなんの不自由も無いんじゃ。山に行けば季節の果物は取れるし、猟師に頼めば旨いイノシシの肉も手に入る。そんなワシらは金を儲けても使う事を知らん。ここじゃあ金を儲けるなんて意味が無いと思わんかね?」

 取り付く島が無いとはこのジイサンの事だと源三は思った。

「大きな声では言えませんが、沢山の人間が集まるのですから、若いピチピチの女の子も来ますよ。楽しいですよー」

 丑松は首を傾げ、考え込むように言った。

「この村の男は七十歳より若い者はおらん。あんたはワシらに何をさせるつもりなんじゃ?」

 源三はもうひたすらお願いするしかないと思った。

「確かに御話になる事は全てごもっともな事でございます。しかしながら何とか私どもの気持ちと、この国の為という大儀をご理解いただき、是非とも良い御返事をいただきたいのですが」

 もう源三は土下座状態である。そんな彼を丑松は「まぁまぁ」となだめながら言った。

「あんたの言いたい事は良く解った。しかし、ワシ一存で決められる物でもないので、しばらく時間をくれんか?」
「結構でございます。ただ、できるだけ早くいただければありがたいのですが」
「うーん、そうじゃな。そう言う事なら、まず村の者に『首都』という物を説明しなければならんな。こういう言い方でいいじゃろうか?」

 源三はもうどうでも良いから早い返事が欲しくてたまらかった。

「どういう言い方でも結構でございます。なにとぞ皆様のご了解を得られますように」

 丑松はスッと立ちあがると腰に手を当て、威厳を持って言った。

「あちこちに泥棒がいっぱいいて、テレビやラジオではどうでも良い噂が乱れ飛び、何処で取れたか分からない不思議な物を食い、人の歩く所が無いほど多くの道路や線路が張り巡らされた場所で、金儲けばかり考えているスケベな人間の集まる場所にしようと思うがどうか? こう言えば分かり易いじゃろう」

 源三は泣きそうになる自分を押さえるのが精一杯だった。

              ー了ー


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