第24話 フレンチクルーラー

文字数 3,506文字

 俺がお前と出会ったのは、俺が十八でお前が十七だった。
 あの頃俺は三〇人ほどの『族』のメンバーで、お前は対抗グループのレディースで親衛隊をやっていた。目が合えばそれこそ火花が散るくらいガンを飛ばしあい、身の丈以上に突っ張っていた頃だった。
 ある時、隣町のグループが乗り込んでくるという噂が立ち、俺達はガンを飛ばしあう時でもないと休戦協定を結び、来るべき時に備えていた。

 結局そのグループの件は単なる噂で終わったのだが、それからというもの俺とお前は何かしらと一緒に過ごすことが多くなり、いつの間にか一緒に暮らすようになっていた。
 おそらく、俺もお前も親に見捨てられていたという共通の環境があったせいで、お互い口に出さずとも分かり会えることが多かったのかもしれない。

 そして俺が二十歳になった時、俺達は結婚した。平成元年十月二六日だった。ウエディングドレスも指輪も無い本当に貧しい二人だけの結婚式だった。

 何も無いアパートの部屋で俺はお前に尋ねた。

「本当に俺でいいのか」

 お前は笑ってうなずいていた。そして、ミスドで買った一個のフレンチクルーラーをウエディングケーキ替わりに二人で半分ずつ食べた。その後二人で市役所に婚姻届を出し、その足でアパートの管理人の所に行って入居者の『家族欄』にお前の名前を書いた時、俺は涙が溢れた。生まれて初めて家族が出来たのだと、心底嬉しかった。

 その時お前は驚きの言葉を口にした。

「もう一人いるのよ。家族が」

 照れたように自分の腹をさするお前の姿を見て、俺は何があってもお前とお腹の子は守ってやると固く心に誓った。

 しかし守ってやると心に決めたものの、生活の糧となる仕事が無ければどうにもならない。中卒で学歴が無く、補導歴のある『族上り』なんて簡単に仕事は見つからない。つい昔の仲間から誘われてふらふらとそっちに行きかけると、お前がいつも止めてくれた。
 毎日毎日面接を受けては落ち続けた俺に、毎朝「大丈夫だよ」と言って笑って送り出してくれたお前がいたからこそ、おれは頑張ってこられたんだと思う。


 お蔭でこんな俺でも雇ってくれる工場が見つかり、俺は必死になって働いた。世の中はバブル景気のてっぺん辺りで、働いたら働いただけの金は稼げた。俺は、昼は工場で働き、夜はビルの工事現場で働いた。今から考えると相当無理をしたものだと思うが、まだ若かったことと、お前達の為という大きな目的があったので、一度も辛いとは思わなかった。

 翌年、平成二年八月に『雄太』が生まれた。色が黒いのは俺に似たのかもしれない。瞳が大きいのはお前に似たのかもしれない。そんな他愛も無い会話が俺達にはとてつもなく幸せに思えた。

 しかし、バブルが弾けると真っ先にリストラされたのは俺達のような下層労働者で、正直その頃の俺は焦りまくっていた。とにかく仕事が無いのだ。大きな会社ですら次々倒れ、誰でも知っている銀行でさえ潰れた時代だった。
 でも生きて行くために稼がなければならなかった俺は、前のように履歴書を持って毎日仕事探しを続けた。毎朝お弁当だと言ってお前が持たせてくれた弁当箱には、いつも塩むすびが二つと黄色の沢庵が二切れ入っていた。公園のベンチで、俺はそれを泣きながら食べていた。こんな俺と一緒になったばかりに、いつも苦労をかけるお前に申し訳なかった。

 それでもなんとか、ある料亭の雑用係として雇ってもらい、働けるようになった時にお前は、自分の事のように喜んでくれた。

 それから十年、街中には『明日があるさ』というリバイバルソングが流れていた。俺はその言葉通り、明日を信じてそれまで以上に働いた。その間にはお前が待ち望んでいた女の子『明日香』が生まれ、店の女将さんの後押しもあって調理師免許も取れた。
 少しずつだったが生活が楽になり、俺達はそれまで住んでいた六畳一間のアパートから、少し広い部屋のあるアパートに引っ越すことができた。雄太は初めて自分の部屋が出来たと喜んでいたのを覚えている。明日香にも欲しがっていた赤いランドセルを買ってやることが出来た。

 お前はそんな子供たちの成長を、いつも目を細くして見ていた。若い頃、尖りまくってガンを飛ばしていた頃のお前とは全く違う、優しくそして頼もしい母親の目だった。

 ある日、店の親方が俺に店を出してみないかと言ってきた時には、さすがに驚いた。俺のような若造が、しかも俺より腕の良い兄弟子達がいるにもかかわらず『なぜ?』とも思ったが、兄弟子達もその話は受けた方がいいと言うので、平成十五年に小さな料理屋を持つことが出来た。
 店は俺と子育てがほぼ一段落したお前と二人で始めたが、やはり初めは客の入りも少なくて毎日溜息をついていた。でもそんな時でもお前はいつも笑って「いつか必ず、お客さんは来てくれるよ」と励ましてくれていた。
 そのうち一人二人と常連さんが付いて来ると、その常連さんがまた新しいお客さんを連れて来て少しずつ俺達の店は繁盛していった。

 それからさらに十年、テレビをつければどのチャンネルでもアイドルグループの女の子達が歌い踊っていた頃、俺達の店は二階を増築して宴会場にして、従業員を二人雇えるほどになった。お前も立派な女将さんとして店を仕切るようになった。たまに古い仲間がやって来ると、俺達の変りように誰もが驚いていたものだ。

 驚いたと言えば、雄太が大学に合格した日は格別だった。親が二人とも中卒で、親父がほとんど子育てに関わってこなかったにも関わらず、誰もが羨む有名大学に合格したことは、俺とお前の大きな誇りだった。
 それからさらに年月が過ぎ、平成二八年。短大を卒業して出版社で働いていた明日香は、店の常連さんの息子に一目惚れされて、今や小さい会社ながらも二代目社長夫人である。その前の年に結婚した雄太には男の赤ちゃんが出来た。俺達の初孫だった。

 店のお客さんと笑って世間話をし、たまに帰る明日香の愚痴を聞いては笑い、孫がやって来ては笑い、お前は毎日笑って暮らしていた。そして俺はそんなお前を見ているのが一番幸せだった。

 そんなお前が体の不調を訴えたのは平成二九年の秋だった。ちょっと診察して貰ってくると言って、病院へ行ったお前が戻って来た日のことは今も忘れない。お前は平然とした顔で俺に言った。

「私、入院だって」

 俺は訳も分からないまま病院に走り、医者から『がん』の告知を受けた。
 俺は足元が崩れていくような気がした。今まで苦労ばかりかけて、何一つ良い思いをさせてやれず、子供達が立派に育ち、やっとこれから俺達の幸せな時間が来ると思っていた矢先に、なぜ今なのかと、俺は神を呪った。

 お前に本当のことを告げた時、俺はお前以上に打ちのめされていた。しかしお前はそんな落ち込む俺に言った。

「私はがんばるから、あなたもがんばって」

 俺はお前のその一言を信じるしかなかった。きっと、きっと必ず良い方向に事は進むと思うことで、俺はそれからの日々を過ごすことにした。

 しかし現実は想像以上に残酷だった。

 入院して半年、お前の自慢だった黒髪は抜け落ち、ふっくらとした手は痩せ細り、日に日に弱って行くお前を見るのが俺には苦痛だった。でもそんな中でもお前は俺が姿を見せると、必ず笑って話してくれた。

「こんなに痩せちゃった。これじゃダイエットどころじゃないわね」

 俺はそんなお前の笑みを見て、いつも陰で泣くしかなかった。

 そして平成三十一年二月十日。お前は俺を残して旅立って行った。

 四月、いよいよ『平成』が終わる。俺達にとってこの三十年は、振り返ってみれば一瞬のように思える。しかし俺達の三十年は普通の人の五十年分、六十年分に相当するくらい充実していたと思う。  
 そしてその間、俺はずっとおまえの微笑みに励まされ支えられてきた。お前の微笑みがなかったら、俺がどうなっていたかを想像すると恐ろしいものがある。

 今こうして、白い布で覆われた小さな木箱を眺めながらお前の姿を思い出すと、その顔は必ず笑っている。笑っているお前しか思い出せないのだ。だから悲しみの気持ちはもう無い。
 もちろん部屋に帰ると誰もいない寂しさはあるが、それもお前が残してくれた雄太や明日香が癒してくれるだろう。
 来年には明日香の最初の子が、そして雄太には二人目が生まれる。俺はお前の代わりにその子達に微笑みを与えてやろうと思う。そしていつか俺がそっちの世界に行ったら、またいつかのように、フレンチクルーラーを分け合いながら、色んな話をしよう。お前の微笑に包まれながら。


                   ー了ー
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