第12話 神

文字数 3,136文字

 源三は突然のチャイムで起こされた。

「誰だ? こんなに朝早くから」

 眠そうな目をこすりながらドアを開けると、見知らぬ男が立っていた。ややくたびれた紺のスーツにブルーのネクタイ、細面の顔は神経質な性格を予感させた。

「どなたですか?」

 源三は朝早く起こされたことのイライラと、それを何とも思っていない風に平然顔で立っている見知らぬ男に、多少の怒りを覚えながら尋ねた。

「オレは『神』だ」
「神?」

 源三は朝早くから訳の分からないことを言い出す男の顔を改めて眺めた。しかし、どう見ても普通のサラリーマンだ。

「申し訳ないが、まだ朝早いので冗談はよしてもらえませんか」

 源三がドアを閉めようとすると、男が言った。

「本当にオレは『神』だ。信じる、信じないはおまえの勝手だが、オレはおまえに呼ばれたから来たのだ」
「僕があなたを呼んだ?」
「そうだ。おまえは夕べ、寝る前に神頼みをしたじゃないか」

 男がそう言うので、源三は夕べ寝る前のことを思い出してみた。

「あぁ、あの時か」

 夕べ、源三は確かに神に祈るような気持ちだったのである。

 今日の午後、彼は会社で一番美人であり、社長の娘である洋美にプロポーズする予定だったのだ。自分では淡い自信もあったのだが、何せ相手は高嶺の花である。うまく行けば彼の出世と周りの羨望は間違いないだろうし、失敗すれば全てにおいて奈落の底に落ちるのである。源三にとっては一世一代の大きな賭けだった。

「そうですね、確かに僕は神に祈りました。今日のプロポーズで良い返事が来るようにと」
「そら見ろ! おまえはオレを呼んだじゃないか」
「では、あなたは僕の願いを叶えてくださる為にいらっしゃったのですか?」
「そうだ、それ以外に何がある?」

 源三は体の心が震えるような喜びが湧きあがって来た。

「それは凄い。僕は何て幸せ者なんだ! 自信はあったけれど、本当は心臓が破裂するくらい心配していたんです。でも、神様が僕の味方になって貰えたのなら、これで成功間違いなしだ!」

 狂喜乱舞する源三を見ながら男は機械的に、いたって冷静な口調で言った。

「おまえの願いを叶えてはやるが、条件がある」
「何ですか。何でも聞きますよ」

 男は源三に諭すように言った。

「オレ達『神』も人数が限られていて最近は忙しいんだ。お前達人間は何かあるとすぐに神に頼ろうとするからな。オレ達は頼まれた以上、叶えなければならない。だから、神頼みはもうこれっきりにしてくれ。次から次と神頼みが増えると、担当外の残業が増えてしまって困るんだ」
「へえ、そんなものなのですか。知らなかったな」

 男は呆れたように溜息をついた。

「お前達人間は気楽でいいな。オレ達がその分割りを食っているんだぞ。この前なんか『愛の神』が〈どうか離婚できますように!〉なんて願いを担当したものだから、頭を抱えていたぞ。元々『愛の神』は男と女を結びつけるのが本業だからな」
「神様にも担当があるのですか。これも初耳だ」
「当たり前だろう。天上界も全て適材適所なのだ、それで何事もうまく行くのだ」

 源三は半信半疑で男の話を聞いていた。

「では、おまえの願いは聞き届けてやる。ただし、さっきの条件は忘れるなよ。それから、オレの能力の範囲で叶えてやるが、それでいいか?」
「はい! 僕が思うようになるのでしたら、どんな形でも結構です」
「よし、分かった」

『神』と名乗る男はそう言うと白い煙となって消えた。

 驚いた源三は狐に摘まれた顔をしていたが、内心は「やった、これで全てうまく行くぞ」とほくそ笑むのだった。


 その日のプロポーズは神の加護もあり、源三が望むような結果だった。何もかもが順調に動き始めた。結婚してすぐに源三は専務に抜擢され、誰もが疑わないエリートコースを歩みだした。
 会社の業績も大きく伸び、彼はやりがいのある仕事に満足していた。その上家に帰れば、この上ない美人の妻が彼の帰りを待っているのである。源三は幸せの絶頂にあることを実感すると共に、神の存在に感謝するのだった。

 そんな彼のバラ色の生活に翳りが出始めたのは、最初の子供が幼稚園に入った頃だった。
どうも洋美の様子がおかしいのである。夜、なんだかんだ言っては出歩くようになり、化粧も濃くなった。家事や子育てに手を抜くということはなかったのだが、なんとなくおかしいのである。彼は思いきって訊いてみた。

「なぁ洋美、最近少し化粧が濃くないか?」
「あら、そう? あなたの気のせいじゃないの」
「そうかな。それに最近、よく夜に出掛けるじゃないか」
「私だって、たまには息抜きをしたいわ。それに幼稚園のお母様方とのお付き合いも大変なのよ」
「そうかなぁ」

 その時は、そんなこともあるかもしれないと納得した源三だったが、洋美の夜遊びは相変わらずで、金遣いも荒くなってきた。たまらなくなった源三は思い切って探偵を雇い、洋美の行動を調べることにした。

 予想はしていたとは言え、その結果に源三は愕然とした。洋美には数人の浮気相手がおり、夜な夜な遊んでいたのである。その上、彼らに貢いだ金も半端ではなく、預貯金の大半がつぎ込まれていた。源三はその調査結果を洋美に突きつけて言った。

「おい! どういうつもりなんだ」

 しかし、洋美はケロッとした顔をしている。

「あら、バレちゃった。でも仕方がないじゃないの。私は元々こんな女なのよ、あなたは知っていて結婚したんじゃないの?」
「バカを言うな! 付き合っていた頃、君はそんな様子は見せなかったじゃないか。それに君がこんな女だと知っていたら、僕は結婚なんかしなかったぞ」

 しかし、洋美は開き直って言う。

「私は何でも望むように生きる女なの、それを世間から隠す為にあなたと結婚したのよ。
そうでなきゃ、あなたみたいに貧相な男と誰が結婚するものですか。あなただって、偉くなれたし、気持ちいいんじゃあないの」

 源三は怒りで拳が震えた。それを見た洋美が、笑って言った。

「あら、怒ってるの? じゃあいいわ、離婚しましょう。それであなたがすっきりするならね。でも、私と別れたらあなたはただの人よ、その他大勢の中に逆戻りなのよ。どうする?」

 何も言えない源三であった。せっかく手に入れた今の地位を手放す訳にはいかない。かと言って、あんな傲慢な女と暮らしていくのも嫌だ。いっそ自分も他に女を作ろうと思っても、そんな甲斐性も無い。

 悶々とする日々を過ごす源三は遂に神に祈ってしまった。

「どうか、私が思い描くような幸せな日が来るように」

 翌日、源三が目覚めると枕元に人の気配がする。いつかのあの男だった。

「あなたは、あの時の」

 男は額に皺を何本も作り、迷惑そうに言った。

「何の因果か、またおまえを担当することになってしまった。それにしても、あの時神頼みはこれっきりにしろと言ったじゃないか」
「すいません。事情が色々と変わりまして」
「事情もクソもあるか。しかも、あの願い事は何だ? 『思い描くような幸せな日々が来
るように』だと。そんな願いをオレの担当にしてもらっても困るんだがな。言っただろう
『神』にも担当があって得手不得手があるんだって」
「それはそうでしょうが……」

 泣きそうな源三であった。
 男はまたあの時のように、溜息をつきながら言った。

「そうだな、『愛の神』や『繁栄の神』ならこんな願いは簡単なのだろうが、オレはなぁ、はっきり言ってお門違いだからな。前みたいに、オレの得意なやり方でいいか?」

 今よりも幸せになれるのなら、どうなってもいいと思う源三だった。

「お願いします。助かります。ところで、あなたは何の神なのですか?」

 男は胸を張って言った。

「疫病神だ」
                          ―了―
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