第4話 僕と『僕』

文字数 3,752文字

 今朝、会社に行くと同期の社員が声をかけてきた。

「おまえ、昨夜はすごかったな」
「昨夜? 何の話だ」
「繁華街で大立ち回りをしてたじゃないか」
「大立ち回り? おまえ何言ってんだ。俺は、昨夜は残業で、終わると部屋に直帰だったぞ」
「へ? そうなのか」

 僕は誰かと間違えたのだろうと思っていた。しかし、その日を境に僕を見たと言う人物がちょくちょく現れるようになった。これだけ続くと僕も穏やかではいられない。


 ある日の夜、僕は前日僕を見たと言う人物から教えてもらった場所に行ってみた。そこは場末の薄汚れた飲み屋街で、今までに足を踏み入れたことがなかった場所だった。
 店の看板の影で小一時間も待つと、向こうの方から作業服を着た男がふらふらとやってきた。そしてその男が僕の前を通り過ぎる時、僕は隠れるようにしてその男の顔を見た。
 僕は言葉を失ってしまった。そこにいたのは間違いなく『僕』だったのである。その男は赤提灯を何軒か暖簾越しに覗いている内に、僕と目が合ってしまった。どちらからともなく「あっ!」と、声が出てしまった。

 その男は僕に近づき、頭からつま先までをじろりと眺めると、僕と同じ声で言った。

「おまえ、誰だ?」

 僕も答えない訳にもいかず、そのままを答えた。

「僕は僕です」

 僕達は何も言えずにお互いの顔や姿を、じろじろと見つめ合っていた。そのうちにその男が笑みを浮かべて言った。

「こいつは面白いや。俺と同じ顔の人間がいるなんてな」
「僕も驚きです。本当によく似ていますね」
「これも何かの縁だ。一杯奢らせてくれ」

 僕達は近くの小料理屋に入って行った。そこは彼のよく使う店らしく、全く同じ顔が二つ入って行くと、店の女将や常連客は目を丸くしていた。

「なんだよ。そんなに珍しいかよ」

 もう一人の『僕』が照れ隠しなのか、言葉を荒げると女将は「へー」などと言って愛想笑いを見せていた。

「あんた確か一人っ子だったよね。あれは嘘だったのかい?」
「違うさ。今そこで知り合ったばかりなんだ」
 僕も何か言わなければと、その男の隣に腰を下ろして言った。
「僕も今夜、初めて会いました」
「へー!」

 その店にいた全ての人間の声が揃っていた。
 それから僕達は自己紹介をかねて自分達のことを語り合った。驚くことに、育った環境は違っても、家族構成は全く同じで、過去に起こった事件なども全く同じだった。

「すると何か? おまえも中学じゃ陸上をやってたのか」
「そうです。 確か三年の春の大会で決勝まで進みましたね」
「そうそう、あん時は悔しかったぜ。偶然速い奴らに挟まれてしまってよ」
「そうでしたね」

 僕達は不思議な感覚に囚われながらも、まるで自分の過去の思い出を語るように色々なことを話し合った。

 そろそろ酔いも回って来た頃、彼が言った。

「なぁ、俺達がこんなに似てるのなら、俺の親父とお袋も同じかもしれないぞ」
「まさか、そんな所まで一緒になりますかね」
「いや、分かんねぇぞ。どうだ、ここは一つ、お互いの家族紹介ってのは」
「えー、父と母を呼ぶんですか」

 乗り気でない僕に対して、彼はもうその気になっているのか滑らかに語った。

「明日、ここで会おうぜ。なぁに、別人が揃ったらそれまでの事よ」
「はぁ」

 それでもまだ、今一つ乗り切れない僕であった。


 しかし、翌日同じ時間に店に集合した僕達は、昨夜の僕達と同じ様に言葉を失っていた。全く同じ顔の家族が揃ってしまったのである。

 僕の父が向こうの父親に恐る恐る尋ねた。

「あの、私、これの父親です」

 すると向こうの父親も、ぎこちなく答えた。

「あの、私も、こいつの親父です」

 全く同じ顔の家族が二組揃っているのである。どう見てもそれは異様な光景で、噂を聞きつけた近所の常連客達が、重なるようにして中を覗き込んでいた。
 ただ、かしこまっているのは男親と僕達だけであって、母親同士は会った瞬間から話が盛り上がっていた。

「うちのバカ息子が、自分にそっくりな奴がいるって言うもんだから来て見たけど、まさか本当にいるなんてね」
「そうですね。驚きましたわ。でも、これも御縁でしょうね。私達もそっくりですものね」

 僕の母は物事に動じないのはいいが、考えようによっては何も考えていないようにも思える。ある意味これは恐ろしいことかもしれない。
 しかし男達が固くなっている横で、二人の同じ顔をした女が盛り上がるのは男達にしてもいささか気まずく、時が経つにつれて男達も同じ様に盛り上がるのだった。

 酒が入ると怖いものなしになる僕の父親が、頭にネクタイを鉢巻代わりに巻いて言った。

「この際、私の親戚も呼びますか! これだけ似た遺伝子がばらまかれているのなら、もしかすると親戚一同も同じ顔かもしれない」
「おう! あんたいいこと言うな。いっそのこと温泉にでも行くか」

 それを聞きつけた母親同士も、完全に酔いが回っていて二人で肩を組んで気勢を上げていた。

「そうだ! 温泉だ」

 僕と彼は困ったものだと目を合わせて苦笑いしていた。その笑いの中には、いくらなんでもそこまで似ることはないだろうと、醒めた気持ちがあったのである。


 一カ月後、僕達はある温泉旅館に集合していた。
 玄関の広いロビーで、僕達は石になっていた。僕達を迎えてくれた旅館のスタッフも同じ様に石になっていた。見事に全く同じ顔の集団が二組揃ってしまったのである。

 しかししばらくの沈黙の後、僕の従妹の子供で幼稚園の年長組の男の子が、向こうの集団の中に自分と同じ顔を見つけると、親しそうに近づき二人で遊び始めた。それをきっかけに僕達は一気に打ち解けてしまった。それぞれ同じ顔を見つけては感嘆の声をあげ、旧知の友のように語り出すのである。
 そんな連中の宴会ともなると、とんでもない盛り上がりになってしまった。お互いの似た所を笑い合い、励まし合うのだ。
 考えてみれば同一人物が集まったようなものなので、トラブルなど起きるはずがないのだ。忙しいのは旅館の仲居で、注文した相手がどちらなのか分からず、右往左往していた。

 そんな大騒ぎも終わりを迎えるころ、それぞれの家族の最年長者がステージに立った。二人とも十分な年寄りで、十分に酔っていた。しかも全く瓜二つである。

「今夜、わしらが集まれたのも、きっと神仏のお導きじゃ。この御縁はもっと広く、もっと深く結ばれるべきもんじゃ。そこでじゃ!」

 一人が話し終わると、もう一人が話し始めた。

「こうなったら集まれるだけ集まって、もっと大きな人の輪を作ろうではないか!」

 完全に陶酔していた。二人とも戦争経験者なので、このような場になると一際強い団結力が生まれるのだろう。
 そんな二人の雰囲気に飲まれた酔っ払い達は、話の内容も分からずひたすら「おー!」などと拳を突き上げるのだった。


 半年後、僕達は東京ドームに集まっていた。僕達は一塁側に、もう一人の『僕』は三塁側にスタンバイして、開会の合図を待った。やがて僕の母親と向こうの母親がマウンド上に設置されたマイクに進み声を合わせて一声叫んだ。

「始めるよ!」

 その声と同時に内外野席の各出入り口から人が走り出て来た。当然グラウンド内には人が溢れ、まるで戦争から返って来た家族を迎えるように、同じ顔を見つけては歓喜の涙を流していた。
一か月前の事前打ち合わせではそれぞれ三千人ほどだったのだが、今ここにいる人間の数はそれどころではないように思えた。

 僕はグランドの隅で茫然としながら、隣で同じように茫然としているもう一人の『僕』に言った。

「凄いことになりましたね」
「ああ、凄いことになったな」

 僕は大騒ぎしているある集団を指差して言った。

「あの人達はどなたですか? 親戚ですか」

 彼はそちらを見て言った。

「あぁ、あれは町内の消防団の連中だ。それよりもあっちで白い服を着て暴れてる連中はなんだ?」

 今度は僕がそれを見て答えた。

「あれは僕の家の近くある神社の氏子衆ですよ。どうしても神輿を担ぐっていうものですから」

 どうやら単に騒ぎただけの連中も混ざっているようである。
 やがて暴動にも近い懇親会が終わりを告げる頃、またあの二人の長老格の老人がマイクを持った。

「これも神仏のお導きじゃ……」

 僕達は一年後、さらに仲間を増やして会うことになった。


 一年後僕達は荒川を挟んで立っていた。それぞれの川岸には何万人いるか分からない。とにかく同じ顔の人間が川を挟んでいた。しかしそこには敵対意識など無く、あるのは友好的な仲間意識だけだった。

 まさにお互いが手と手を取り合おうと川の中に入ろうとした瞬間、川上から一艘の船が流れて来た。その船は僕達の事など眼中にないように、平然と川の真ん中を流れてくる。そして僕達の目の前に来た時、一人の男が顔を出した。
 僕ともう一人の『僕』は目を見張った。そこにはさらに新しい『僕』がいたのだ。その彼も僕達の顔を驚いた様子で見ながら川下へ流れて行った。

 残された僕と『僕』は顔を見合わせた。そして言葉にはならないが、二人とも同じ事を考えていた。

『同じ顔は、あと何人いるんだ』

 辺りは静まり返っていた。それは、これから始まる狂乱の前の静けさのようであった。


                          ―了―
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