第6話 オリンピック

文字数 3,277文字

 国際オリンピック協議会は最終日を迎えて、異様な興奮に包まれていた。今日は次回のオリンピック開催都市を決める最後のプレゼンの日だったのである。

 最後まで残った候補地は、世界で一番裕福なA国の首都『タイキーン』と世界で一番貧しいB国の首都『ヒンコーン』であった。壇上にはすでに両国のプレゼンターが集合していた。


 A国の方は揃いのブレザーを着た五十人ほどの大集団で、中にはテレビやネットで見かける著名人の姿があった。B国の方は裸足で民族衣装を着た一組の男女が、ぽつんと席に着いていた。

 やがて議長が開会を告げ、まずA国の代表である太った男がマイクの前に立った。

「我々は選手、役員を迎えるために一万人が一度に宿泊できる選手村と三千人が一度に食事が出来るレストランを用意いたします。また一つ一つの競技会場は、大変失礼ながら……どちらかのお国の国家予算の十倍の経費をかけて新築いたしますので、快適にお過ごしいただけます」

 会場内に笑い声が湧きあがった。

「さらに皆さん! どの会場にも最新式の交通手段が接続されますので、海外からのお客様も迷うことなく目的地に到着できます。これだけでも私達は一千億円の予算を取っております。必ずや選手の皆さんやお越し頂く海外の方もご満足いただけるでしょう」

 歓声と拍手の中、太った男が席に戻ると今度は、B国の代表の男が頭に付けた民族衣装のクジャクの羽根を揺らしながらマイクの前に立った。

「我が国はご存じのよう貧しい国ですので、大きな建物は作れません。それに土地も狭く不可能なのです。ですから我々は、参加される選手役員の皆様には国民の住居にホームステイして頂きます。小さな家ではございますが、国民一人一人がそれぞれお顔を見ながら、最高のおもてなしでお迎えさせて頂きます。それは必ずや皆様の良い思い出になるものと固く信じております。残念ながら皆様が一度に集まれるようなレストランは作れませんが、幸いにも我が国は世界で最も良い気候として認められており、国中何処でも手を伸ばせば新鮮な果物がいつでも、お好きなだけお召し上がりになれます。それに主食であるイモやトウモロコシは完全無農薬ですし、選手の体調維持には最高な環境と考えております」

 会場にパラパラと拍手の音が響いた。
 A国の肥った男はB国の男をあざ笑うかのように一瞥した後、またマイクの前に立った。

「皆さん。我々は次回のオリンピックは三十競技、三五十種目が完全な形で行えるよう、全く新しい陸上競技場、サッカー場、野球場、その他十三の施設を新築いたします。他にも海岸を大幅に埋立て海洋スポーツ会場を、山岳スポーツの為に国立公園の一部を削って最高のフィールドを作ります。総額三兆円を超える大プロジェクトですが、アスリートファーストを考えますと当然の出費であろうと考えております」

 会場に大きなどよめきが起こり、太った男はにんまりと笑うと、肩を揺すって席に戻った。
 入れ替わりにB国の男がマイクの前に立った。

「我々の国土は狭く、荒れた土地ばかりです。それに先ほど申しましたように新しく会場を作ることは困難です。以上の理由から我々がご提供できる競技は陸上と水泳のみになります」

 会場内に白けた空気が流れ、失笑する声が聞こえた。B国の説明はまだ続いた。

「しかも我々が保有する唯一の陸上競技場は特に狭く、直線で百メートルは取れません。ですから陸上短距離の花形種目は八六メートル走になります。また水泳はプールが新築できませんので、最も静かな湾にコースロープを張って使用いたします」

 半ばブーイングに近い声が上がった。さすがの議長も質問せざるを得なかった。

「開催地に立候補された勇気は認めますが、それで選手が納得できると思われますか?」

 B国の男はどこがおかしいのか分からない顔をしていた。

「よろしいですか皆さん。世界には我々と同じように綺麗な百メートルコースを持てない国が一杯あるのです。石ころだらけの荒れ地で、毛布を丸めただけのボールでサッカーに興じる子供達がどれだけ沢山いることか。それを考えると、開催国が、開催都市が、これが陸上競技場ですと言えば、そこが公式スタジアムになり、ここが水泳会場ですと言えばそこが公式水泳会場になるのです。我々にしてみれば夢のような会場を既にお持ちになっている都市が、あえて大金をはたいて新しく会場を作る意義がどこにあるか分かりません」

 会場は静まり返っていた。そしてB国の男は念を押すようにマイクの前で言った。

「私達のオリンピックは二競技四三種目です」

 B国の男は特に表情を変えずに席に戻った。A国の肥った男は汗を拭きながらマイクの前に立った。

「我々は大金を使うだけではありません。エコも重要な要素だと考えております。ですから我々が開催するオリンピックに必要な金銀銅の各メダルは、産業廃棄物の再利用品から造られます。限りある資源を有効に使う。これこそがオリンピック精神にもつながるのではないでしょうか」 

 すると会場からヤジが飛んだ。

「その再利用品のメダルを作る工場にいくらかけたんだ?」

 A国の男は悪びれることなく答えた。

「なぁに、ほんの六百億円です。エコ政策を考えれば安い投資なのです」

 会場に、A国に対する初めての冷たい笑いが起こった。
 A国の男が噴き出す汗を何度も拭いながら席に着くと、B国の男が飄々と出て来た。

「我々の国土からは金も銀も銅も産出されません。携帯電話やパソコンなども普及率は五パーセント前後ですからA国様のように貴重金属の再利用もできません。ですから我々の開催するオリンピックではメダルは授与しません。代わりに、我が民族に伝わる最高の栄誉の印となる冠を授与いたします。もちろん、勝者のみです」

 すると先ほどヤジを飛ばした男が、今度はB国にヤジを飛ばした。

「月桂樹か。ありふれてるな」

 B国の男は笑って答えた。

「いいえ。我が民族に伝わる栄光の冠は、四年に一度花を咲かせる木を編んで作ります。オリンピックが開催される年にしか花が咲かない木なのです。そしてそれを与えられるのは、最も早く走った者、最も高く遠くへ跳んだ者、そして最も早く泳いだ者達なのです。そして銀メダルや銅メダルがない代わりに、このオリンピックに参加した全ての選手、役員の名前を石碑に刻み、我が国の国会議事堂に設置し、未来永劫顕彰させていただきます」

 B国の男は会場の拍手を背にしながら、意気揚々と席に着いた。
 すると議長が襟を正して二人の代表に言った。

「これで最後のプレゼンを終わりますが、何か質問のある委員の方はおられますか?」

 議長の隣に座っていた女性が手を挙げた。

「お二人に質問です。チケットの料金はどうなっていますか?」

 まずA国の男が出て来て、何かに怯えるように答えた。

「あの、その……私は単なるオリンピック請負コンサルタントなので、詳しいところは分かりませんが、A国組織委員会から聞いた話ですと、色々と経費もかさみますので最低一万円から最高は百五十万円ぐらいでなければ帳尻が合わないとか……」

 会場内から大きな溜息をつく声が聞こえた。そしてB国の男が入れ替わりにマイクの前に立つと、男はクジャクの羽根のついた頭飾りを取って言った。

「B国国王の名においてここに宣言します。我々が開催するオリンピックのチケットは全て無料です」

 会場内から今日一番大きなどよめきが起こった。B国の王はさらに言った。

「我々は四年に一度の競技会に照準を合わせ、大切な物を犠牲にしながらも、日々鍛錬するアスリートに敬意を表します。そしてそんな努力を重ねて来た選手諸君に、我々ごときが順位を付けることなど出来ない。ましてや、そんな選手たちの崇高な戦いの場を金儲けの道具などには絶対に出来ない」

 会場は割れんばかりの拍手に包まれていた。そして壇上を見れば、五十人ほどいたA国のプレゼンターはほんの数人しか残っていなかった。

                                   ―了―
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