第33話 それぞれの存在理由。
文字数 4,117文字
針間と南が、正面玄関を踏み越えて闊歩する。落ち着いた針間に対して南はきょろきょろと。この二人が一条邸に足を踏み入れることになる日がまさか来るとは……玄関扉を開けて迎え入れた白夜は改めて目の前の光景を不思議な気持ちで眺めた。
針間は足を止めた。南も止まる。
二階の吹き抜けの柵越しに、瑠璃仁がこちらを見下ろしていた。針間はしばらくじっと向き合う。静かな間があった。これから、人一人のアイデンティティに関わることまで奥深く触れる診察を行うのだ。針間の細い身体に、短い時間内に、背負っているものはいつも重い。
声を掛けられて、再び歩き出す。医務室より、本人の部屋の方がいいと、階段を上がり瑠璃仁の部屋へ。瑠璃仁の部屋のリビングに通し、瑠璃仁も針間もソファに腰かける。その傍らに白夜と南が立つ。針間に質問されて促され、瑠璃仁はいくつか話を始めた。幻聴や幻視などといった自覚症状、怖くて眠れないこと、朝起きにくいこと、現在の日常生活、周囲から問題にされていること、自分の考え、そして、
共に暮らす家族や使用人にも事あるごとに話して聞かせるように、
だが。
こちらもまた――いつものタイミングで、針間が遮る。
話の腰を折られても、瑠璃仁は涼しい顔をしてそう切り返す。
白夜は少し驚いて瑠璃仁の顔を見た。瑠璃仁の口から四次元の話はよく聞いていたが、そんな組織の話は初めて聞いた。
瑠璃仁はきっぱりと断言。
「逆に、変わった発想を妄想の一言で片づけられてしまうならば、「境界失調症」と診断された僕には今後何一つ革新的なことを許されなくなります。当時の常識であった天動説を否定したことで教会の怒りを買い幽閉されたガリレイも、檻の中でこんな気持ちになったんでしょうか。偉大な発見には、常に激しい批判が付き物なのだと」
「そんなこと、散々やってきましたよ? 僕の境界失調症患者としての重症度を上げるばかりの結果になりましたけどね。若槻先生に出会ってなかったら、今頃は増幅された薬に真実も自分自身も何もかも、溶かされていたでしょうね」
「そうじゃねえよ。だが病的なものは治療しないとおまえも周りも取り返しのつかないことになるだろ。四次元の薬? この世界を監視? じゃあ訊くが、もしおまえの間違いだったらどうするんだ? 健康な人間に、自己流に創作した薬を飲ませたりなんかして、取り返しのつかないことになることがわからないか?」
「ずいぶん危険な賭けだなあ、オイ。これだからお坊ちゃまは。自分のワガママのためなら、使用人に危険が及んでも平気ですってか? 危険どころか無責任だ。実際、事件が起きてもテメーは責任能力なしと診断されるだろう。そうなる前に、こっちは医師の責任として止めてんだ」
針間先生が、患者とこんなに長く会話しているのを見るのは久々だ。
どん、とテーブルの上に叩きつけたのは薬だ。針間が持参してきたらしい。白夜が以前、副作用を心配した眠剤に対する替えの薬まである。
だが瑠璃仁はそれを見ながら、揺るがぬ声色で言う。
瑠璃仁の意趣返しに、針間が黙る。
そう言って睨み合う。互いに、一歩も引く気配はない。瑠璃仁は言う。
「一条を恐れず、僕の傀儡にもならない、医者であろうとしている人間に会ったのは初めてです。あなたが自分のことを、人間であることを捨て鬼になった医者だというのなら、最後まで付き合ってもらいます。神になろうとしている僕の治療に。あなたこそ、イデア界の医師としてふさわしい」
白夜は二人のやりとりをハラハラして見守る中、なんだか平行線を辿っていることに気が付く。この流れでは、針間先生がもういいやめたと言って帰ってしまう。ここで決裂したら元の木阿弥。白夜はにらみ合ったまま動かなくなってしまった二人の間に進み出た。
咄嗟の提案に、
針間が踏み込むようにして、そう頷く。
瑠璃仁も乗ってくれた。
なんと、研究施設への入場許可まで付いてきた。これで薬を飲まされている使用人の様子も、針間先生の目に触れられる。
――不穏な駆け引きまで最後くっついてしまったが、ひとまず一歩前進だ。