第39話 エピローグ
文字数 2,087文字
季節は巡り、春になった。
伊桜は熱を出すこともなく、元気に中学校へ通っていた。
瑠璃仁の看護に専念していた白夜には、又聞きの噂の情報しかなかったが、伊桜の不明熱は、四次元の空間にある臓器が異変を起こしていたらしい。どうやって治したのかまでは知らされていないが、あまり知りたいと思えなかった。その理由は――最近近くで怪しげな人影を見かけるから……
どうも見張られているような心地がする。
瑠璃仁の治療は今でも困難を極めていた。今の環境下では、現実と妄想、幻覚を区別することが誰にもできないのだ。瑠璃仁の四次元の仮説は実証されてしまったし、しかも、勝己が友人である岩岬の――一条よりもはるかに権力のある岩岬家の力を借りて捜索したところ、瑠璃仁を監視している組織がいくつもいくつも判明してきてしまった。白夜が最近気になっている人影も、おそらくはその関連とのこと。世界を揺るがしかねない大きすぎる発見のために、隠れていた組織が活動を開始しているらしい。
「加藤、数学者と哲学者呼んで来い。金ならこいつが出す」
「ああ、はい、お願いします。たしかな腕のある公正な人物をよろしくお願いします」
こんな会話ももう日常茶飯事。白夜は手帳に、学者を手配するためのメモを書きつける。
春馬がお茶を運んできてくれた。春馬は治験の影響であの後しばらく動けなかった。今でもまだ口を利くことができない。だが少しずつ以前の健康を取り戻してきたように思う。
時間に都合がつく日は勝己も一緒に診察を受けていた。
「二十四時間監視されてるって、本当気持ち悪いなあ。なんとかしなくちゃいけないね……一条家の総力を挙げて」
「くっそ、こんな会話の中にいると、マジでおれも病気になったんじゃないか……って思えてくる」
「大丈夫ですよ。皆さんは僕と違って、幻聴なんてないみたいですし。境界失調症って幻視のみが起こることは稀なんでしょう? そもそもこれ、実際に起きている数学的に説明がつく現象なので、幻視でもないですし」
「幻聴のない境界失調症だって存在する。幻視だけの場合も稀にはあるし、数学的に説明がつくって言ったって、俺らの妄想じゃないとは言い切れない」
「そんなこと言ったら、新しい現実を受け入れることなんてできないですよ」
「あーあー俺はわかりたくもねえよー……。ったく、ほんと、どうなってんだ……」
針間は耳をふさいでいる。
白夜はふと、初めて瑠璃仁と話した日のことを思い出した。そしてあの耳の中を流れていった生温かなゼリーの感覚。そう……もしこれが、自分の幻覚や妄想だとしたらどうしたらいいだろう。
たとえば実は自分まで、寝ている間に瑠璃仁に薬を入れられていて、瑠璃仁と一緒に、みんなで幻視を見て妄想を膨らませているだけだとしたら。
――やだやだ。背筋が凍る。でも、もしも自分が境界失調症になったら、誰に診てもらいたいだろう? 自分の体を預けるとするのなら、若槻先生? 針間先生? それとも――
「はあ。早く南が、優秀な医師になってくれないかな!」
南は看護師を辞めた。昔からの夢、医師を目指すと言って。
「あっ、酷いですね針間先生。自分はちょっとストレートで合格してるからって」
「不安げな顔してるお前の方がよっぽど酷いじゃねーか」
「し、してないですよっ。あいつは良い医者になります! 絶対!」
「やめてください……もう。ただでさえいつも、いっぱいいっぱいなのに……」
「白衣の天使くん、って南を毎日崇めていたおじいさんおばあさんが、人生の楽しみを失ったようにしおれているそうですね……」
「あー残念ながら、南が医者として戻ってくる頃には間違いなく死んでるなそいつら」
「そこまでは否定できませんが……もう! 死ぬとか、医者が簡単に発言しないでください! そういう言葉に敏感な患者だっていますからね!」
それにしても南には看護師という職業、似合っていた。白夜からすると、羨ましいくらいに、もったいないくらいに似合っていた。
「……よし! じゃあ俺が、白衣の天使になります!」
針間だけでなく、その場にいる全員に笑われてしまった。
「いや、見た目のことを言ってるんじゃなくて……!」
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