第6話 耳の穴から脳が流れ出てしまうそうです。
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瑠璃仁は両耳を抑える。
両手で覆った顔が、どんどん真っ青になっていく。恐怖におののいたように、言葉をなくして震えている。
緊張状態の瑠璃仁を驚かせないよう努めながら、
問いかけると、答えが大声で返ってきた。
白夜は瑠璃仁の頭を見た。髪が多少乱れているだけで、外傷はまったくない。
手を見る。
止めてと言われても、耳から脳など出ていないのだから止めようがない。止めるべきは、間違った解釈をしてしまう病の進行だ。
だが白夜は否定を避け、しかし積極的には肯定せず、自分が共感できる方向で落としどころをつけていく。精神科看護の基礎だ。
瑠璃仁はしばらく身を小さくこわばらせて、なにか異様な体験を耐えていた。その傍らで、白夜はじっと待った。
悪夢から醒めたように、瑠璃仁は疲弊しきった声色で息を吐き吐き言う。
そして条件反射のように、声を大きくして言う。
白夜は大きく頷いてみせた。こういうときは第一に、肯定できる箇所をきちんと肯定し、共感してやることが大切だ。耳の穴から脳なんて自然に出るわけがない。しかしどんなにおかしな現象でも、精神的な病を患う彼の中では嘘偽りのない現実で、今まさに実際に起こっている出来事なのだと、看護師である白夜はわかっている。だから病気として、治療をしているわけで。
その反応に満足したように、瑠璃仁は少しリラックスした表情で続けた。
こめかみに指を当て、はにかむようにして笑う。白夜も一緒に笑おうとし――一旦踏みとどまり、しかし結局判断に迷った。冗談のつもりかそれとも本気で言っているのか。
その迷いが顔に出ていたのかもしれない。瑠璃仁は白夜を導くように、真面目に冷静にそう確認をし、話を戻す。ああ、やはり賢い人だと白夜は思った。脳ミソ、詰まっている。
白夜の肯定に瑠璃仁は静かに頷き、観念したように目を細めてふうと一つ溜息をつく。
瑠璃仁は、空気をかえるようににっこり笑った。
誇るように、自信を持って。
だが、今度こそ白夜は曖昧に頷くしかなかった。それは、手放しに否定も肯定もできない。瑠璃仁の心配する対応を差別的にするつもりはないが、それが妄想的な確信を帯びてきたりしたらその限りではない。しかしどうあれ、心を開いて話してくれるこの時を、チャンスとして大切にしたい。そう思って白夜は、もう少し突っ込んでみることにした。
内心やや臨戦態勢だ。「頭のネジを外す」=治療を放棄する、という意味だったとしたら、さすがに肯定したらまずい。幻覚はさらに増すだろうし、今せっかく本人にある「自分の体に異変が起きていて正常な現実認識が出来ず、幻覚が生じている」という病識も、「これは幻覚や妄想などではなく、神様からのメッセージだったんだ」などという妄想に変わっていくだろう。病識が持ちづらいのもこの病気の特徴だった。