第44話 喝

文字数 1,591文字

「いざ尋常に」

「勝負――っ!」

 太鼓の合図とともに、姫神壱騎(ひめがみ いっき)森花炉之介(もり かろのすけ)の試合は幕を上げた。

「先手必勝!」

 姫神壱騎が長刀を抜きながら突撃をしかける。

 森花炉之介はすうっと息を吸いこんだ。

「なっ……!」

 少し離れたところで、ウツロたちは驚いた。

 目が見えないはずの中年男が、少年剣士の大薙ぎをすれすれでかわしたからだ。

 まぐれ、ではない。

 全盲であることをむしろ最大限に生かした居合剣術。

 空気のゆらぎ、わずかに舞うほこり。

 常人には認識すら不可能な動きを俊敏に察知し、このような絶技へと昇華しているのである。

 最小限の動きで、しかもギリギリでの移動、さらには長刀のリーチが仇となり、姫神壱騎の間合いに一瞬、死角ができてしまった。

「ふんっ!」

 後方へそれた状態から体をひねり、左肩に仕込み杖を打ちすえられる。

「――っ!」

 反射的に鞘を地面へ落とした。

 白装束の内側では、幹部が赤く腫れあがっている。

「どうしました、壱騎さん。その程度でお力で、お父上のかたきが取れるとでも?」

「く……」

 当身はそれほどのダメージではないが、少年剣士の心は揺らいだ。

 果たして本当に、勝てるのかと。

「まだまだあっ!」

 今度は矢継早に剣戟を放つ。

 しかしこれも、森花炉之介は最小限の動きで難なくかわしていく。

「いけない、これでは……」

「ああ、ウツロ。思う壺ってやつだぜ……」

 ウツロと南柾樹(みなみ まさき)は汗を垂らした。

「森の狙いは、壱騎さんを消耗させること……ウツロや柾樹の言うとおり、このままじゃ危なすぎるね……」

 星川雅(ほしかわ みやび)も動揺を隠せない。

「くそっ、くそっ……!」

 悲しいかな、姫神壱騎の攻撃はことごとく空を切るだけなのであった。

「壱騎さん、おつかれのようですね。それでは、わたしからも行きますよ?」

「ぐあっ!」

 仕込み杖がしなり、少年剣士の体を間髪入れずに打ちすえていく。

 あっという間に、彼の衣装はボロボロになってしまった。

 生傷の数はそれ以上である。

「壱騎――!」

 姫神志乃(ひめがみ しの)が耐え切れずに叫んだ。

 実の息子がこんな仕打ちを受けているのだ。

 いっそ刺し違えてしまうか?

 そんなことが脳裏をよぎった。

「ふうっ、ふうっ……」

 ああ、いまの彼には、母親の声すら届いていなかったのだ。

 完全に心は閉ざされている。

 怒り、憎しみ、そして悲しみの嗚咽。

 頭の中が溶鉱炉のようにドロドロになっている。

 われを失い、魔道へと落ちかける。

 憎い、憎い、憎い……

 姫神壱騎はいま、みずからの深い奈落へはまりこもうとしていた。

「かあつ――っ!」

 うしろのほうでウツロが口を開いた。

「……」

 その場にいる全員が、びっくりしてそちらのほうを見やる。

「壱騎さん、焦らず、冷静に、間を置いて。真に戦うべきなのは、あなた自身のお心なのです……!」

「……ウツロ」

 その一喝に、少年剣士は目を覚ました。

 くもりが晴れていく。

「ありがとう、ウツロ……!」

 迷わない、もう。

 父さん、見ていてください。

「姫神一刀流・姫神壱騎、父・姫神龍聖(ひめがみ りゅうせい)の魂に誓い、あらためて勝負つかまつる……!」

 森花炉之介は畏怖した。

 闘気が、変わった……?

 これは、このオーラのようなものは……

「姫神、龍聖……」

 かつて自分が対峙し、ほふりさったあの男のもの。

 いや、それはまるで姫神父子が並び、こちらへ剣を向けているような……

「龍聖……!」

 三千院静香(さんぜんいん しずか)が立ち上がる。

 剣神とさえ呼ばれる彼ですら、はじめて目撃する光景であった。

 見えるわけではないが、確かにそこにいる。

 それはあるいは、古の剣豪が人生の最後にたどりつくという境地。

「よくぞ、戻ってきた……!」

 なんなのだ、いったいなんなのだ、この少年は……?

 桜の森が息をのんでいるように映った。

「森花炉之介、ご覚悟――っ!」

 光を得ない森花炉之介、しかし彼の前には、色まで確認できるような鬼神のごとき覇気が燃え盛っていた。
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