第5話 咆哮

文字数 1,826文字

 中庭へと移動した南柾樹(みなみ まさき)は、白木のベンチに腰かけてリラックスした。

 ペンキがところどころはげかけていて、前に立った氷潟夕真(ひがた ゆうま)はその一角を見つめていた。

「で、用向きは?」

「いや、なんでもねえことなんだけどさ……」

 氷潟夕真の問いかけに、南柾樹ははぐらかすように答えた。

「親父はなんで、おまえを使いによこしたんだ? 刀子(かたなご)にも内緒だったんだろ?」

「さあな、直接聞けばいいだろ? せっかく近々会いにいくとおっしゃってるんだからさ」

「つれないねえ」

「よせ、気色悪い」

 南柾樹は遠い目つきをしたあと、あらためて氷潟夕真に向き直った。

「氷潟、単刀直入に言うぜ?」

「なんだ、いったい」

「俺は、帝王になる」

「……」

「親父にはどいてもらってさ、龍影会の総帥の椅子には、俺が座る」

「……できるとでも思うのか? 第一、おまえはまだ、閣下のことは――」

「ああ、何も知らねえ、何ひとつだ。日本の影の支配者だってこと以外はな」

「だったらなんで」

「血っていうの? 親父のことを知ったときから、なんていうかさ、騒ぎだしたんだよ。細胞っていうか、遺伝子っていうか……」

「なんのことを言っている?」

「ま、ちょっとこれを見てくれ……」

「……」

 南柾樹の体が変形する。

 アルトラ、サイクロプスを発動させたのだ。

 しかしそれは、以前のひとつ目巨人の姿よりもずっと小さく、それでいてシャープでスタイリッシュなデザインになっている。

 黒いボディを基調として、肩や胸、顔のラインなどに赤く光るパーツが組みこまれている。

 ギリシャ神話の怪物というよりは、むしろ英雄のような雄姿を彷彿とさせた。

 氷潟夕真は戦慄し、ひるんで縮みあがった。

「南、これは……」

「なんか知らねえが、パワーアップしたみてえだ。ウツロのエクリプスと同じく、第二形態ってやつに進化したらしい。アップグレードってやつか」

「……このこと、あいつらは知ってるのか?」

「いや、誰かに見せたのは氷潟、おまえがはじめてだ。敬意ってやつだぜ?」

「敬意、とは?」

「おまえは俺に親父のことを教えてくれた。たとえそれが、親父の命令だったとしてもだ。そういう意味でだよ。そして、俺が何を言いたいか、わかってくれっかな?」

「……おまえに、南……ベットしろ、と?」

「強制じゃねえ、もちろんな。でも、もしその気があるなら、好きなタイミングでいい。俺についちゃあくれねえか?」

「なるほど、さすがは閣下の血脈だ……正直言って、おまえという男をなめていたよ」

「よしてくれよ。だがな、本当にいつでもいいんだ、俺の舟に乗るのはな?」

「泥舟、には見えないな、とうてい……このオーラのように伝わってくる力強さ……そして、感じる……南、おまえの力は、まだまだこんなものじゃない。その気になれば、いくらでも強くなる、と……」

「さすがは氷潟、こういうことには理解が深いよな」

「いざというときは、いつでも切るぜ?」

「それでいい。いや、むしろそれがいい。その緊張感が俺をもっと興奮させて、もっともっと強くしてくれそうなんだ」

「……」

 氷潟夕真は感じた。

 この世の何者よりもおそろしい存在だと思っていた総帥。

 しかしいま、その存在感が幾分か、かすんできている。

 それが意味することは、すなわち……

「屈辱だぜ、南? だが、震えが止まらない……歓喜ってやつか。くやしさなんか消え失せちまうくらい、俺は打ち震えてるんだ。どう思う? 俺はいま、おまえの前にひれ伏したくてしかたがない」

「いいって、そんなの。だが、いざってときには俺に力を貸してほしいんだ。俺はそれくらいおまえを、氷潟夕真ってえ男をかってるんだぜ? 最強の戦士としてな」

 震えた。

 体の奥底から何かがわきあがってくる。

 叫びたいくらいだ。

 なんだ、この感覚は?

 認められた。

 最強のあるじに、最強の従者として。

 そんな感覚だ。

「……」

 ひざをついていた。

 彼の意思とは関係なく。

 いや、無意識が平伏したのか……

「忠誠を誓うぜ? 未来の総帥閣下」

 見上げるその表情に、南柾樹は満足した。

 そして自分も姿勢を落とし、毅然として目線を合わせる。

「氷潟、約束する。俺はおまえを、必ず天国へ連れて行ってやる……!」

「お……」

 もう、押さえつけられない。

「おおおおおおおおおおっ――!」

 獅子は咆哮した。

 かくしてのちの帝王は、着実に栄光への道を歩みはじめた。

 いや、このときもうすでになっていたのだ。

 南柾樹という男の精神は、すなわち帝王へと――
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