第64話 ティレシアスのささやき

文字数 2,394文字

「ウツロっ、目を覚ますんだ!」

 姫神壱騎(ひめがみ いっき)万城目日和(まきめ ひより)が、ウツロ・ボーグにとびかかった。

「ふんっ!」

「ぐ――っ!」

 気合いだけで、二人は弾き返される。

「どうした? 上等なのは威勢だけか?」

「くっ……」

 過酷な戦いが展開されることを、彼らは覚悟した。

「壱騎さん」

「ああ、アルトラを使うしかないようだね」

 それぞれにおのが能力を発動させる。

「ドラゴン・ライド!」

「リザード!」

 姫神壱騎の体に龍の紋様が、そして――

「日和、それは……!」

 背後の一同は驚いた。

 アルトラの力でトカゲに変身した日和、しかしその姿は……

「へっへえ、どう? 前よりもいいデザインになっただろ?」

 以前よりも数段、人間の容姿に近づいたイメージである。

 トカゲの色合いはそのままに、闘争に特化した戦士、しいて言うならバーサーカー然とした風貌だった。

「なんかしらねえけど、こういう感じになれたわけだ。これなら前とは段違いだぜ?」

 彼女は高らかに、アルトラの進化を宣言する。

「まるでパワーアップのインフレだな」

 ウツロ・ボーグはなかばあきれている。

 しかし万城目日和は知っていた。

 アルトラが精神の投影である以上、その進化は精神的に成長したことを示している。

 それは誰あろう、目の前にいるウツロのおかげであることを。

 だがいま、新たに得た力で当人である彼を倒さなければならない。

 もどかしかった。

 なんという皮肉であることか。

「日和がそう来るのなら」

 姫神壱騎が体を抱えこむ。

「な、なんだ、ありゃあ……!」

 後方の一同が目を見張る。

「はあっ――!」

 龍の刻印が水に墨を垂らすようにうごめき、より鮮やかに、そしてより深く食いこんでいく。

「どう? これで俺も、もっと強くなった」

 筋肉はパンプアップし、豪奢な、しかし美しい肉体が映えている。

「壱騎さん、その力、まさか……」

 万城目日和はあることに気がついた。

「ああ、長くはもたない。そして、リバウンドによるダメージはおそらく、これまでの比じゃないだろう。それでも――」

 凛として前へ出る。

「それでもウツロ、君を救いだすためなら、こんな命、投げ出したっていい。なぜなら俺は、ほかならない君に救われたからなんだよ?」

「……」

 ウツロの脳裏に、ひとりの人物がよぎった。

 アクタ、アクタだ。

 その身を呈して自分を守り抜いた最愛の兄。

 その言葉、一挙手一投足が思い出される。

「ぐ……」

 頭が、ぐらついてくる。

 何者かが何かを語りかけてくるような。

 ウツロ、どんなことがあっても、心を閉ざしてはならん。

 はばたけ、はばたくのだ……!

「おい……」

 南柾樹(みなみ まさき)を筆頭に、最初期のメンバーには確かに見えた。

 あるいはそれは、幻覚の類なのかもしれない。

 だが確かに、確かにそこにいるのだ。

 姫神壱騎と万城目日和、その背後に立つ二つの人物が。

「父さん、兄さん……」

 心の扉をこじあけるように、その声は鳴り響いてきた。

(ウツロよ、暗黒の中に光を見出す。それがおまえの「人間論」だったはずだ。目を覚ませ、いまおまえが戦っているのは、おまえがもっとも愛する者たちなのだぞ?)

(ウツロ、苦しかっただろ? でも、自分に負けたっていいんだぜ? そこからまた、やりなおしゃいいじゃねえか。戻ってこい、戻ってこい、ウツロ……!)

「う、ぐ……頭、が……」

 ウツロ・ボーグの体制が徐々に崩れていく。

「よく、帰ってきてくれた、二人とも……」

 南柾樹は拳を握った。

 そのまなじりには光るものが。

「日和、いまだ!」

「おう、壱騎さん!」

 二人は追い風を受けるように、再度とびかかった。

 そのとき――

(ウツロさま、惑わされてはなりません。その者らはウツロさまをたぶらかそうともくろんでいるのです)

「だ、誰、だ……この、声、は……」

 ウツロ・ボーグが聞き返す。

(わたしの名はティレシアス。ディオティマさまからの命を受け、あなたに宿を借りている寄生生物の一種です。いまはこうして、あなたさまの首筋から、直接脳に語りかけているのです)

 ギリシャ悲劇に登場する予言者・ティレシアス。

 その名をかたる存在は、このようにウツロを「誘惑」した。

(人間などしょせん、自分たちのことしか考えてはいない。それを正すのがウツロさま、あなたの大切なお役目なのです。あのようにおのが行為の正当さを装い、その実は虚飾にまみれている。そんなものです、人間などというものは)

「そうだ、そのとおりだ……」

「ウツロ……?」

 ウツロ・ボーグの双眸が、再び爛々とした赤さを取り戻してくる。

 いや、以前にも増して、地獄の業火のような色合いをたたえてすらいるように映った。

「間違っている、人間という存在は、間違っている……!」

(そうです、ウツロさま。あなたの御業で、魔道へと堕ちた者どもを救済に導くのです。それができるのはほかならない、ウツロさまただおひとりだけなのでございますれば)

「俺は間違っていない、正しいのは俺だ。俺の考えが絶対だ。俺という存在こそが、絶対なのだあああああっ――!」

 ああ、ウツロは再び、絶望に満たされた奈落へと堕ちていく。

 すでに半分以上、自由な意思などはない。

 すべてはディオティマによる奸計と、このティレシアスに操られ、動かされているのだ。

「殺す、殺す、殺す……俺に逆らうやつらは、みんな殺す……!」

「ウツロ、落ち着け――!」

 こうして状況は再び、むしろ前よりも悪い展開へと流れていった。

(ふふふ、うまくいった。畏敬するディオティマさまが、矮小な存在にすぎないわたしに与えてくれたこの力。ささやくだけ、ささやくだけの能力。アルトラの名は「スティッフ・アッパー・リップ」……これでこのウツロは、わたしの思うがまま。ディオティマさま、すべてはあなたさまの偉大なる計画のために……)

 寄生生物はピシャリピシャリとほくそえんだ。

 戦いはまだまだ、終わらない。
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