第16話 涼子

文字数 1,788文字

 浩行の連れてくる女の子はどんな子なのだろう。
 たくさんの葉物野菜を広々としたキッチンで洗いながら、涼子は考える。
 あの、浩行君がねぇ。
 大学出たての子らしいから、気を使ってやってよ。しかしあいつ、いつから年下好きになったんだろうな。全然分からなかったよ。
 夫の正平はそんなことを言っていた。言葉の節々に若い子を連れた浩行を羨ましがっている様子が滲み出ている。
 浩行に比べたら、夫の正平など、考えていることが手にとるようにわかりすぎるくらいで、なんて簡単な男と自分は結婚しているんだろうと呆れてしまう。
 涼子にとって浩行は、まさに鬼門だった。
 つまり、絶対に惹かれてはいけない男。
 夫の正平と浩行、そして涼子は大学時代の同級生だ。
 企業をする人間やいずれ社長になる御曹司も多かった大学で、学生時代に起業する人間も珍しくなかった環境だった。その中でも、浩行は本人がそう望んでいなくても自然と人を惹きつける、とても目を引く人だった。
 決して目立つタイプではなく普段は周りを俯瞰して見ていて、適切なタイミングでその場の人間を統率する、根っからのリーダー気質の人間。合理主義で冷血に見えるが、浩行の意見はいつも一貫性があってダイナミックだった。浩行も夫の正平も同じ地方都市の出身だが、浩行は都内でエスカレーター式に上がってきたいいところにお坊ちゃんたちの中に入っても、引けを取ることはなかった。背が高く精悍な眼差しは、子供の頃から厳しく躾けられている大型犬のように賢そうで、彼はそこに立っているだけで目立っていた。どこに行っても動じない、自然体の浩行に大学の友達はみんな注目していた。
 女の子にもよくモテていたが、結局長く続いた子はいなかったはずだ。あの大学に通う男子生徒にありがちだが、他校の可愛らしい女子大生と短いスパンでの付き合いを繰り返す。浩行もそれは変わらず、どの子もせいぜい2〜3ヶ月の付き合いで、浩行の方が浮気をするか、飽きるかで別れていた様子だった。
 浩行に泣かされる女の子を見るたびに、涼子は、この人だけは好きになってはいけないと肝に命じていた。浩行の付き合い方は極めて淡白でいかにも大学生が好みそうに遊びじみていて、女の子と付き合うのも、男子だけの社交の一種に涼子には思えていた。
 これでも美人だと人から言われてきたし、ずっと成績もよく、人生で大きな挫折を味わったことがなかった。そんなプライドの高い自分が浮気をされて捨てられるのは我慢ならなかっただろうし、一度恋愛関係になってしまったら、浩行とは二度と友人関係には戻れないだろうと思っていた。
 ちょうどその頃、夫の正平に告白されて付き合うことになり、正平は大学を卒業してIT系の会社を立ち上げた。家賃が浮くから、と正平の実家のある地方都市で、正平の親からもらった土地に家を建てて住んでいる。夫に社長などできるのかと思っていたが、意外にも人当たりが正平はビジネスのセンスがあったらしく、今のところ会社はうまくいっている。
 正平は一浪しているので、浩行より一歳年上となるが、インテリア会社の御曹司の噂は高校時代から聞こえていたらしい。大学で会ったときは驚いた、と言っていた。
 都内でOLをしていた涼子も今では悠々自適な専業主婦だった。三十才で結婚し、現在は娘が一人いる。あのとき、正平を選んだ決断は間違っていなかったと今でも思う。自分はこれでいいのだ。浩行のように眉目秀麗な夫でなくても、正平にはいいところがたくさんある。
 とりあえず大っぴらな浮気をしないとことか、大きな家を建てられる土地をそのまま譲渡してくれる裕福な会社経営者の義両親がいることとか。
 今日は正平の父親の持っている別荘で、浩行や同年代の若い経営者たちと一緒にBBQをする予定だ。そこに浩行が女の子を連れてくるという。夫婦やカップルの多く集まる家族の恒例行事になりつつあるこのBBQに、浩行が開始時間きっかりに参加するのは珍しい。
 正平にその話を聞いたときは驚いて思わず夫に聞いた。
「それって、浩行くん、結婚するってこと?」
「さぁなぁ。でもあいつ昔から秘密主義だったし。本決まりにならないと、俺らには合わせないんじゃない?」
 涼子は、その言葉を聞いても、まだ心臓の鼓動が治まらない。
 これは見ものだ。
 涼子はメインの高級肉の下準備に取りかかった。
 
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