第2話 葵
文字数 1,262文字
葵は子供の頃から本が好きだった。
大人しいわけでも外で遊ぶのが嫌いだったわけでもないが、結局自分の一番落ち着く場所は図書館で、その次が本屋だった。
「葵は本を作ったり、管理したりする人より、作品を生み出す人の方が向いてると思う。いい本をたくさん読んでるから、葵が書いた作品が本屋にあったら、俺は買うと思うよ」
大学で知り合った樹はそう葵に言ってくれた。
子供のライオンのような猫科を思わせる茶色い瞳、小柄な体に長めの手足。背筋が少し猫背で、大学を歩く姿は気儘な子猫のようだった。実際樹は誰に対しても人懐っこくて、誰に対しても優しかったし、男の子にも女の子にもよくもてた。
人気者だった樹が葵の特性にいち早く気付いて、葵の本心を代弁してくれたことが嬉しかった。
樹はどうしているだろう。最後に会ったのは引越しの日だった。
またすぐ来るんだろう、またすぐ来るからね、と確認をしあって、握手をして別れた。樹はそのままバイトに行くと行っていた。苦学生でバイトばかりしている樹。
昨日ラインで「明日から仕事頑張って」とメッセージが来ていた。スタンプ一つで返信は終わっていたが、樹の学校がない週末には、きっと聞いてほしいことがたくさん溜まって、電話をしてしまうだろう。樹は忙しいながらもアルバイトの合間をぬって、付き合ってくれるはずだった。
図書館の仕事は想像した通り、本にばかり囲まれて過ごすことになる。
葵にとってこんな幸せなことはなかった。
職場の人は、やはり女性が多くて本が好きな人が多い。司書の免許がある人や本屋で勤めている人も多いらしく、休み時間にさっそく好きな作家を聞かれた。葵はいつも好きな作家を聞かれると、現代の作家の他に、必ず紫式部をあげている。源氏物語は昔から好きで何度となく繰り返し読む作品の一つだった。
「どの姫が好き?」
図書館の職場では珍しい男性の正職員が声をかけた。自己紹介では小林と名乗っていた。
「朧月夜と花散里ですかね」
と葵が応えると極端な人だな、と笑っていた。
「外見は紫の上っぽいのにね」
まあ、初日だし無理しないで、と言い残して、小林さんは仕事に戻って行った。
図書館の仕事が終わって、優に頼まれていた食材を買いにスーパーに寄ったら、葵に声をかける人がいた。
「あら、葵ちゃん?」
上品な柔らかい声と、華やかな顔立ちのおばさま、という雰囲気の女性だった。
「あ、平岡さん、ご無沙汰してます」
平岡夫人は、葵が中高の頃、習っていたお茶の先生だ。自宅で開かれていた
教室に、週に一度通っていた。
「綺麗になったわねー。今はこちらにいるの?」
「はい。図書館で臨時職員をしてます」
「そうだったの。ちょうどうちの瑠璃もね、帰ってきてるのよ。あの子、就職もしないでふらふらしてて。ちょうどいいから今度お夕食にいらっしゃいな」
「いえ、そんな」
「瑠璃も会いたがると思うわ。ね、久しぶりに遊びにいらして」
「えっと、じゃあ…」
葵が言い淀むと、平岡夫人は今日瑠璃に連絡させるわね、と言い残して颯爽と高級車に乗り込んでいく。
大人しいわけでも外で遊ぶのが嫌いだったわけでもないが、結局自分の一番落ち着く場所は図書館で、その次が本屋だった。
「葵は本を作ったり、管理したりする人より、作品を生み出す人の方が向いてると思う。いい本をたくさん読んでるから、葵が書いた作品が本屋にあったら、俺は買うと思うよ」
大学で知り合った樹はそう葵に言ってくれた。
子供のライオンのような猫科を思わせる茶色い瞳、小柄な体に長めの手足。背筋が少し猫背で、大学を歩く姿は気儘な子猫のようだった。実際樹は誰に対しても人懐っこくて、誰に対しても優しかったし、男の子にも女の子にもよくもてた。
人気者だった樹が葵の特性にいち早く気付いて、葵の本心を代弁してくれたことが嬉しかった。
樹はどうしているだろう。最後に会ったのは引越しの日だった。
またすぐ来るんだろう、またすぐ来るからね、と確認をしあって、握手をして別れた。樹はそのままバイトに行くと行っていた。苦学生でバイトばかりしている樹。
昨日ラインで「明日から仕事頑張って」とメッセージが来ていた。スタンプ一つで返信は終わっていたが、樹の学校がない週末には、きっと聞いてほしいことがたくさん溜まって、電話をしてしまうだろう。樹は忙しいながらもアルバイトの合間をぬって、付き合ってくれるはずだった。
図書館の仕事は想像した通り、本にばかり囲まれて過ごすことになる。
葵にとってこんな幸せなことはなかった。
職場の人は、やはり女性が多くて本が好きな人が多い。司書の免許がある人や本屋で勤めている人も多いらしく、休み時間にさっそく好きな作家を聞かれた。葵はいつも好きな作家を聞かれると、現代の作家の他に、必ず紫式部をあげている。源氏物語は昔から好きで何度となく繰り返し読む作品の一つだった。
「どの姫が好き?」
図書館の職場では珍しい男性の正職員が声をかけた。自己紹介では小林と名乗っていた。
「朧月夜と花散里ですかね」
と葵が応えると極端な人だな、と笑っていた。
「外見は紫の上っぽいのにね」
まあ、初日だし無理しないで、と言い残して、小林さんは仕事に戻って行った。
図書館の仕事が終わって、優に頼まれていた食材を買いにスーパーに寄ったら、葵に声をかける人がいた。
「あら、葵ちゃん?」
上品な柔らかい声と、華やかな顔立ちのおばさま、という雰囲気の女性だった。
「あ、平岡さん、ご無沙汰してます」
平岡夫人は、葵が中高の頃、習っていたお茶の先生だ。自宅で開かれていた
教室に、週に一度通っていた。
「綺麗になったわねー。今はこちらにいるの?」
「はい。図書館で臨時職員をしてます」
「そうだったの。ちょうどうちの瑠璃もね、帰ってきてるのよ。あの子、就職もしないでふらふらしてて。ちょうどいいから今度お夕食にいらっしゃいな」
「いえ、そんな」
「瑠璃も会いたがると思うわ。ね、久しぶりに遊びにいらして」
「えっと、じゃあ…」
葵が言い淀むと、平岡夫人は今日瑠璃に連絡させるわね、と言い残して颯爽と高級車に乗り込んでいく。