第23話  瑠璃再び

文字数 3,691文字

 銀座のお洒落なホテルでアフタヌーンティーをしましょう、と叔母の節子に誘われ、瑠璃は待ち合わせに向かっていた。
 節子叔母さまも相変わらずだ。
 父の妹に当たる節子は社交好きで、昔からうちの家族と仲が良かった。
 まぁ、叔母さまが好きなのは結局お兄ちゃんだけなんだけどね…。
 早くに実母を亡くした浩行の母親代わりをしたいのだろうが、父も浩行もおしゃべりで派手な叔母をどこか嫌煙し、もっと言うと、馬鹿にしたようなところがあり、瑠璃は何となく彼女が可哀想で、こうして呼び出されると出かけてしまう。
「瑠璃ちゃん、こっちよ! いらっしゃい」
 まるで大輪が咲いたような派手な色のワンピースに厚めの化粧。少女趣味なうちの母もあれはあれで辟易するが、節子叔母の嗜好もよく分からない。
 叔母は瑠璃を見つけると、隣にいた若い女性に、じゃあ、と挨拶をして瑠璃に駆け寄った。
 叔母の連れであった女性は、瑠璃にもさりげなく頭を下げる。
 どこかの良家のお嬢様なのか、片手に花束を抱え、ふんわりとしたフレアスカートにサマーニットを合わせ、綺麗に巻いた髪を靡かせて去っていく。30手前と言った感じだが、いかにも結婚前の花嫁修行中の女性、といった感じだった。
 綺麗だけど個性もなくてつまらなそうな人。
 それが瑠璃の下した人物評だった。だいたい平日の真っ昼間に、親類でもないのに叔母に付き合うなんてよっぽどの物好きだ。
「さぁ、入りましょう。人が多くて疲れちゃったわ」
 叔母はさっさとホテルのエントランスに入って行った。

 叔母の最近の習い事や、瑠璃の母や父の体調や忙しさについて、彼女自身のダイエットや美容についての最近試したこととその成果について、などもろもろを一通り聞き、貴女も学校卒業していつまでもふらふらしてないで、無理をしないですむような簡単なお仕事くらいお世話していただきなさい、というお小言までいただいたところで、瑠璃は口火を切った。
「叔母さま、何か他に用があったんじゃない?」
 叔母はぱっと顔を輝かせた。
「浩行さんのことなんだけど」と言葉を繋げる。
「お兄ちゃん? どうかしたの?」
 また叔母さんの甥っ子自慢が始まるのか、と辟易したが、一応礼儀正しく聞き返す。
「そう、浩行さん、最近どう? 忙しいんじゃない?」
「お兄ちゃんはいつも忙しいと思うけど。どうして?」
 ここで、叔母は一拍置いて、
「貴女、さっきの女性、どう思った?」とたたみかける。
「え? さっきの女性って?」
 瑠璃はティーカップを持ち上げて小首を傾げた。
「さっき、貴女が来るまで私と一緒にいた方よ。綺麗な子でしょ?」
「その人がどうかしたの? 会社関係の人?」
 瑠璃は全く実家の家業について無関心だが、叔母は顔が広い。検討もつかなかった。
「あの方ね、どうかな、と思って。浩行さんに」
「お兄ちゃんに?」
 瑠璃は素っ頓狂な声が出してしまった。
「変かしら?」
「変、っていうか。叔母さま、うちのお兄ちゃん、女の人に不自由してるように見えます? 妹の私が言うのも変ですけど、お兄ちゃんが誰かに女性を紹介してもらう必要なんて、全然ないと思うけど」
 瑠璃は笑いながら言った。お兄ちゃんに叔母からそれとなくお見合いの話は何度かしているらしい、というのは母から聞いていたが、冗談じゃなく本気だったのか、と驚いた。
「そりゃあね、分かるわよ、私にもそれくらい。でもね、結婚は別でしょう? 浩行は早くに母親を亡くしてるし…。そろそろいい方と、って思ってるのよ」
 それが余計なお世話なのだ。全くいつまでも子離れできない叔母だ。出来のいい甥が可愛いくて、あまり綺麗じゃない地味な自分の子より可愛がるのは勝手だが、大体叔母が目をかけた女性が兄に相応しいとは限らないではないか。きっとつまらない女だろう。
 こんなことをしてるから疎遠にされちゃうのよ。
「あの方、会社関係の方? 取引先の人とか」
「…ええ、まぁ、そうよ」
 叔母はちょっと言い淀んだ。
 そら見たことか、と瑠璃は呆れる。叔母が持ってくる話が会社に関係していないはずはないし、純粋な叔母のお友達な訳がない。おそらく取引先の娘か何かなのだろう。叔母も名前だけだが会社の役員だし、むしろこの手の社交は自分の本分だと嬉々としてるのかも知れない。それにしたって露骨もいいところだ。江戸や明治時代じゃあるまいし、政略結婚なんて今時恥ずかしいと思わないのだろうか。
「今の話、お兄ちゃんにしない方がいいわよ。それに、」
「それに…?」
 瑠璃はそっと声をひそめる。
「お兄ちゃん、ちゃんとした人、いるみたいよ」
「まぁ、それ、本当なの? この前電話で聞いたときはそんな話、全然…」
「叔母さまには言わないわよ。大騒ぎしちゃうもの」
 叔母は驚いたのか、紅茶を何度も飲み下している。
「瑠璃、貴女、お相手の方、知ってるの?」
「さぁ、そこまでは」
 瑠璃は惚けたように言う。瑠璃の頭に浮かんでいるのは葵の顔だったが、まだ確証が持てなかった。おそらく兄が葵に興味を持っているのは確実だと踏んでいるが、瑠璃にはあの二人が並んで立っているイメージがイマイチ掴めない。
「ねぇ、叔母さま」
 瑠璃はそっとかがみ込んで叔母の耳に囁く。
「お兄ちゃんの相手、すっごく年下だったら、どう? 私と同じくらいとか」
「貴女と同じ? そんなに若い子なの?」
 叔母は驚いて瑠璃を食い入るように見つめた。
「冗談よ、冗談。もしもって話」
「ああ、そうなの…」
 叔母はもう心ここに在らずといった感じだった。
 本当に叔母を揶揄うのは面白い。くすくす笑いながら、パステルピンクのマカロンを頬張る。

 とは言っても。
 そろそろ兄にしろ葵にしろ、瑠璃に種明かしをしてくれても良さそうだ。
 夜、家に帰ると、瑠璃は葵に電話をかけた。挨拶もそこそこに。要件はただひとつだ。
「葵ちゃん、うちのお兄ちゃんと付き合ってるの?」
 葵は驚いた声を出していた。
「まさか、最後に会ったの、一ヶ月くらい前だよ」
 一ヶ月前。つまりそれまでは二人は何度か会っているのだ。何度か、もしかしたら何度も。
 やっぱり。
「本当? お兄ちゃんに葵ちゃんのこと聞かれたから、てっきりそういうことだと思ってた」
 瑠璃は鎌をかける。
「何度かご馳走にはなったけど、ほんとそれだけ」
「ほんとかな〜。葵ちゃん、あたしに遠慮して隠してるでしょ」
「ほんとだって。それにあたし付き合ってる人、いるし」
 電話口から笑い声がする。
「え? そうなの?」
 これは本当に初耳だ。葵みたいな純朴そうな子が東京の大学で彼氏を見つけられるとは思っていなかった。しかも昔からだが、葵は秘密主義だ。志望大学も合格するまで教えてくれなかったことを思い出す。瑠璃は手持ち無沙汰で鞄から引っ張り出した手帳に手元にあったペンで走り書きをする。
「長いの? その人と」
「大学時代の先輩だから」
 あまり話したがらない葵から、相手の基本情報を聞き出す。
 一個上。建築家志望。家具のデザイン。大学院生。山形出身。小柄。
 手帳に聞いたままを書き写す。
「なんだ、葵ちゃんならお兄ちゃんの相手でもいいかな、と思ったのに」
 まぁ、いいかなっていうか、マシかなって程度だけど。心の中で瑠璃はすかさず付け加える。
「嘘、瑠璃ちゃん、絶対納得しないんじゃない、誰でも」
「そうなんだけど。でも、葵ちゃんってうちのお兄ちゃんに似てる」
「……そう?」
 瑠璃は話がら結論を自分で導き出したことに我ながら驚いた。
 そうだ、葵ちゃんとお兄ちゃんって似てるんだ、とわけもなく胸がどきどきする。
 たった今、そう? と言った葵の返事のタイミングもそもそも似ていた。
 秘密主義なところ、根気強く自分の目標がブレないところや、余計な一言を決して言わない思慮深さ、なかなか感情的にならない性格など、確かに二人には似通っているところがある。
 そうか、と瑠璃はやっと腑に落ちた。葵を昔から好きな理由がやっと分かった。
 電話を切った後も、瑠璃は葵のことを考えていた。葵と兄のことを。
 葵ちゃん、国立国会図書館だか、国会国立図書館だか知らないけど、とにかく東京の図書館に勤めたいって言ってたな。
 彼氏は、建築家志望の大学院生だっけ。
 でもそれってどうとでもなりそうじゃない。半分フリーターみたいなものかも。
 瑠璃は自分の兄が葵の彼氏に負けるとは、到底思えなかった。
 っていうか、稼げるのかどうか分かんないような大学院生より、絶対お兄ちゃんを選ぶと思うんだけど。
 やっぱり、何となく、葵は自身の兄と最終的にくっつくような気がする。
 どうして? どうしてそう思うのだろう?
 妹のカン、だろうか。
 まぁ、それでもいい。瑠璃にとっては、自分を甘やかしてくれる人が周りに二人もいることになるのだ。昔から何を考えているのか分からない兄だが、確かに葵はいい子だし、瑠璃から見ても地味だけど綺麗だと思う。
 もちろんそれは。瑠璃は手帳に書いた文字をぐるぐるペンで囲む。
 葵ちゃんがお兄ちゃんをちゃんと愛してくれるなら。
 その大学院生なんかより、ね。
 瑠璃は手帳を閉じた。
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