第13話 距離

文字数 2,145文字

「葵ちゃん?」
 コンビニのドアの外から浩行の声がした。
 ゆっくりとドアを開ける。
「大丈夫。もういないから」
 浩行は仕事中だったのかスーツ姿だった。前髪も仕事用らしく綺麗に上げられていて、東京で会った時とは別人のようだった。
「あの男の人、しばらく店内にいましたけど、諦めて帰ったみたいですね。店の外も確認したんですが、いないみたいです」
 レジにいた葵と同じくらいの歳の青年が心配そうに声をかけてくれた。
「大丈夫でしたか? 彼氏さんが来てくれたなら安心ですね」
 恋人同士に見られたのに葵は驚いたが、浩行は店員の青年に礼を言い、ホットカフェオレを2つ買って、1つを葵に渡した。
「とりあえず乗って。家まで送るよ」
「…ありがとうございます」

 浩行はゆっくり車を走らせた。コンビニから家まで車で五分ほどだったが、コーヒーを飲む終わるまで遠回りして走ってくれた。
「大変だったな。怖かっただろう」
「…怖かったです…。さすがに…」
「図書館に小林がいるだろう。中学の同級生だ。俺から連絡しておくから」
 葵はかぶりを振った。
「大丈夫です。自分で何とかできます」
「意地を張ってもしょうがないだろ。明日からどうするんだ。歩いては通えないだろうし」
「父に送ってもらうことにします」
「それがいいよ。小林に事情話して、あまりカウンターに出ないようにして」
 葵は黙って頷いた。
「本当はまた瑠璃が帰ってるから、連絡したんだ。うちの母親も会いたがってたから」
「そうだったんですか…」
「タイミングが悪かったかな。まだ何日かこっちにいるはずだから、連絡したらいい」
「…はい」
「そんなに気落ちするな。これから人生いろいろあるんだから」
「…はい。すいません、ご迷惑をお掛けして」
「そんなふうに思ってない。仕事がなかったら、毎日送り迎えに行ってもいいくらいだ」
 浩行のストレートな言葉が何となくただの冗談のような例え話に聞こえなくて、葵は黙り込んだ。浩行も黙っていた。
「着いたよ」
 浩行は以前と同じように、葵の家の少し離れたところで車を停めた。
「ありがとうございました」
「気をつけて、あんまり気にしないように」
 葵は頭を下げて家に向かった。

 結局、母親に事情を話し、次の日の朝は図書館まで、父に車で送ってもらった。
 父は最近仕事が忙しいらしく、家でもあまり顔を合わせることがない。今日は迎えに来てもらうが、いつまでも頼っているのは気が引ける。
「明日から送らなくてもいいよ。帰りは誰か他の職員の人と帰るし、朝は明るいから、つけられる事もないと思うから」
「また変なやつがいたら大変だろう。他の職員の人と帰っても家まで一緒な訳じゃないだろうし、お前は心配しなくていいから、帰りに電話しなさい」
 父はどこか疲れた顔で答えた。
 大学を卒業しても結局親に心配をかけてしまうことが情けなかった。あの男性が図書館で近くにいたときに、もっと毅然とした態度で何か言えていれば、こうはなっていなかったのかも知れない。浩行も父も自分よりずっと忙しい仕事の合間をぬって、自分のことを心配して行動してくれているのだ。
 樹にも注意されていたのに、結局自分の判断ミスで周りに迷惑をかけてしまう、この状況が情けなかった。

 図書館に行くと、すぐに小林さんに事情を説明した。小林さんはそこまで深刻な事態になっていると思っていなかったらしく、驚いた様子だった。
「その男性を図書館出禁にするから、見かけたらすぐに話してくれる? 大平さんの他にもその人、分かる人いるかな?」
「はい、私、見たら分かります」
 葵に図書館変質者への心得を説いてくれた、先輩女性司書の橘さんが名乗り出てくれた。
「出禁になってるケースは実は他にもあるし、あまり大声では言えないけど、大平さんと似たような目にあったことは、実はあたしもあるから、そんなに気にすることないからね。こらから、帰りはシフト重なる日は一緒に帰ろう」
「俺も協力するから、また何かあったら教えて」
「ありがとうございます」

 この一件を、葵はまだ樹に伝えていなかった。
 あれほど注意されていたのに結局問題が起きてしまった以上、葵の無用心な態度を咎められるだろうと思っていたし、困ったときに助けてくれた浩行について樹に説明するのも何だか違う気がしていた。
 何より樹はいつも授業とアルバイトで忙しそうで、葵の日常を聞いている余裕はなさそうだった。それ以外の時間にも課題や就職に関することを調べたりしている様子で、それと同時に充実した様子が電話越しに伝わってくる。忙しい時間をぬって興味のある展示会を観に行ったり建築物を見て回っているらしい。どんどん新しいことを吸収していく樹に葵はすっかり追いつけなかった。東京と地方で流れる時間の早さも違うように感じていた。
 まだこっちに来て三か月ほどしか経っていないのに、もう一年くらい経ったようだった。

 数日後、浩行が言っていた通り、瑠璃から連絡があった。
 実家にいるから遊びに来て、その前に退屈だから買い物とお茶に付き合って。相変わらずワガママで自分本位な要求だったが、何となくその天真爛漫な様子が清々しくて、気持ちがいい。
 いいよ、と答えた。図書館は設備点検日に当たっていて終日休館なのでちょうどよかった。
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