第14話 妹

文字数 2,694文字

昔から瑠璃はブラコンだと言われていた。
 もともと浩行は亡くなった前妻の子なので、瑠璃とは母親の違う異母兄弟なせいもあるのだろうが、昔から浩行は瑠璃にとって自慢の兄で、実際いつも瑠璃に優しかったのだ。
 浩行は学校の成績もよく、友人も多かった。男性の友達だけでなく周りにはいつも綺麗な女の人たちがたくさんいた印象だった。
 浩行さんの綺麗なガールフレンド。
 浩行がたまに家に連れてくる女の人のことを、瑠璃の母親はそう言って歓迎した。
 浩行は割と抵抗なく頻繁に実家に女性たちを連れてきた。でも、そういう綺麗な女の人たちの中から、兄は結婚相手を選ぶことはないのだろうと、瑠璃は薄々感づいていた。
 きっと兄が結婚する人は、きちんとしたお家の、もっと地味で大人しい感じの人だろうと。
 でもそれが葵である可能性はあるのだろうか。
 この前、葵と実家で夕食を摂った日から、ずっとそのことを考えている。
 あの兄が、瑠璃のことを可愛がってはくれたが、決して重要なことは何一つ相談も事前の報告もしてくれなかった、ハナから妹のことなど自分の人生には一切関与させてくれなかったあの兄が、葵のことを瑠璃にいくつか質問した。
 実家の酒蔵について、学生時代の葵の成績や部活動などの学校生活について、また、葵の母親について。
 兄の質問の意図は計りかねたが、兄が瑠璃にわざわざ個別に連絡をし、葵について聞いたことにそもそも意味があるのだ。
 電話口の兄の口調はいつも通りだったが、どうしてこんなに気になるのだろう。
 確かに葵は代々続く酒蔵の娘で、昔ながらの商家の家らしくしつけには厳しかったはずだ。瑠璃と同じようにお茶を瑠璃の母親に習っていたし、ずっと公立の学校に通い、途中で私立の高校に行った瑠璃とは違い、市内でトップの進学校に進学している。
 両親も堅実な人たち、という印象だった。葵の家の人たちは、葵も含めて代々この地域で暮らす人たちの規範となるような勤勉さと高潔さがあった。
 そこがうちとはやっぱり違う、と思う。祖父が起こした会社と言っても、うちの会社は創業50年程度だ。葵の家よりははるかに豊かな生活をしているという自覚が瑠璃にはあったが、そんなこととは関係なく江戸から続く酒蔵を守っている葵の一家に、街のみんなが尊敬と敬愛を示しているのは、瑠璃でも何となく感じていた。
 あの兄が、葵とどうこうなるなんてことがあるのだろうか。
 瑠璃はいまだに浩行の本心を計りかねている。
 ただの興味本位で妹の友人にちょっかいを出すなど、瑠璃には考えられない。
 それはつまり、そういうことなのだろうか。
 
 ぼんやりそんなことを考えていると、ガラス越しに向こうの通りから葵がカフェに向かってが歩いてくるのが見える。
 ブルージーンズにシンプルなプルオーバーのブラウス姿だった。髪は肩より下のストレートで、一度も染めたことがないのか、さらさらと音がしそうだった。
 飾り気がなくて目立たない、マイペースで我が道を行く、頭はいいけど本ばかり読んでいるちょっと変わった子。
 それが葵の印象だった。
 子供っぽい外見なのに、情緒は一定して安定している。
 葵がいると危険分子の多い不安定な女子のグループが自然にまとまり、安定するからだろう。八方美人、と葵のことを悪く言う女子もいたが、葵は緩衝材としてとても優秀で、クラスでも人気があった。
 そうは見えないのに意外に世渡り上手で、女の子の集団に入っても敵を作らないように立ち回るのが上手い。
 一見、社交性が高く明るい性格に見えるが、女性同士の軋轢に弱い瑠璃にとって、葵は昔から不思議な魅力を持った子だった。
 葵は自分にはないものばかり持っている。
 それは葵の家が代々守ってきたような、伝統や家柄に由来するものなのかも知れなかった。
 確かに、綺麗な子だ。
 そこまで考えて、でも、と瑠璃は考え直す。
 でも、本当に葵ちゃんがお兄ちゃんと…?
 あるかも知れない。
 何度目かの質問に、結局瑠璃はそう結論を下した。
 うちの家にはないもの、あたしにはないものをたくさん持っている葵ちゃん。
 それはきっといくつかの理由で、瑠璃の兄の興味を惹くものであるのかもしれなかった。
 
「瑠璃ちゃん、ごめん、遅くなって」
 カフェに入ってきた葵は謝りながら席に着いた。
「ううん、葵ちゃん、元気そうだね」
「この前受けた模試の結果が良かったからかな。勉強のコツもだいぶ掴めてきたから」
「そう。お兄ちゃんから聞いてちょっと心配してたよ」
「ごめんね、心配かけて。お兄さんにも迷惑かけちゃったよ」
「災難だったね。今日は気分転換しようよ」
「うん。こうやって外に出るの、久しぶりだから気持ちがいい」
 二人はカフェでのお茶を楽しんだあと、ウィンドウショッピングを楽しんで、瑠璃の家に向かった。

 その晩は、瑠璃の家で前回と同じく、瑠璃と瑠璃の母親と葵の三人で、瑠璃の母親の手料理を食べながら、おしゃべりを楽しんだ。
「お兄ちゃん、来るって言ってたのに、遅いね」
「浩行さんも仕事が忙しいんでしょう。パパも今日は遅いみたいだし。葵ちゃん、ごめんなさいね」
「とんでもないです」
 浩行がこの場にいないことに、葵は少しだけ、ほっとしていた。以前、コンビニに迎えに来てもらってから、お礼のメールだけはしていたが、何となく、浩行にこれ以上助けてもらったり、関わり合うのは距離が近すぎてしまう気がしていた。いくら友達の兄でも、頼り過ぎだと思う。
 樹に言えないこと、言う必要がないと思っていても、どこか罪悪感を抱く行動はこれ以上したくなかった。
「もう遅いから、そろそろお暇するね」
「葵ちゃん、どうやって帰るの? お兄ちゃん、もう少ししたら来るんじゃないのかな。待ってたら送ってくれると思うよ」
 瑠璃は引き止めようと、二杯目の紅茶を注ごうとする。
「悪いよ。そんなに遠くないから大丈夫」
 そう言っているときに、ちょうど玄関のノブが回る音がした。
「ちょうどいいタイミング」
 浩行がスーツ姿でリビングに入って来た。仕事が忙しかったのか、どこか疲れた顔をしているような気がした。
 葵の顔を見て、浩行はゆっくり笑った。前より親しみが込められているような気がして、葵は居心地が悪い気がする。
「もう帰るの?」
「はい、お邪魔しました」
「送っていくよ」
 瑠璃と瑠璃の母親の前で断るのは気が引けて、浩行に送ってもらうことにした。
 意識する必要がないのに、浩行の態度に自分への好意が込められている気がしてしまう。
 多分、自分の勘違いだし、自意識過剰なのだろうが、心がざわざわして落ち着かなかった。
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