こぼれ話(10):クライマックス/ご質問にお答えして

文字数 3,382文字

 第十九章の壮絶なラスト。
 とても詳しいファンレターをお寄せいただいて(ありがとうございます!)、私も一つずつお答えしたのですが、
 もしかして、他の読者さまにもお読みいただいたらいいかな?と思いつきました。
 なので、ここに私のお返事部分だけ転載します。

**********

 ありがとうございます! 不二原さんのご感想はいつもありがたいです。長くなりますけど一つずつお答えしていきますね。
 ほんと今回はまさに渾身で、内容が内容なのでへとへとになりました、泣きすぎて(笑)。

[19-13]
◆「白と黒のだんだら縞」(既訳)→「闇と光の織りなす縞模様」(私の訳)について
 私の訳のほうが原作に忠実です。原文は「白と黒」ではなく「闇と光 dark and bright」です。「だんだら」という一種田舎っぽい言葉がいまの読者さまに通じるか疑問でした。原文はstreakで光のひらめきや、まさに光の作る縞模様のことですが、「段だら」は広辞苑では染物のイメージなので、そういうものは厳密にはstreakではありません。

◆「僕の舌はもつれた」(私の訳)について
 原文にあります。既訳の訳し落としです。I said stammering. 直訳すると「僕はどもりながら言った」です。
 "The damned ungrateful traitor!" I said stammering.
 育ちの良いゲンリーが汚い言葉を吐くシーンはめずらしいです。もしかしたら全編でここ一箇所だけかもしれません。どもりには彼の動揺だけでなく、damnedなどというはしたない言葉を口にしてしまうことへの彼の緊張と、それを凌駕する激怒を表しています。すごく大事な要素なんですが、なぜ小尾先生は訳し落とされたのでしょうか。
 ただ、五十年前の英語だと"The... the damned, damned tr, traitor!"みたいにリアルに表記はしないのが常だったと思い、「くっ……」というのはいまの読者さまを思って私が補いました。笑

[19-14]
◆「シノス渓谷」(既訳)→「例の紛争の谷」(私の訳)について
 私の訳のほうが原作に忠実です。原文はthe disputed valleyです。じつは私も「えっとこの谷の名前なんだっけ、サシノス……違う違う」なんてまごついたんですね。それでもあえて「例の紛争の谷」に戻したのは、「例の紛争」がすごく大事だからです。
 憶えておられませんか? 冒頭のほうを読まないと書いてなかったかな、この章のセシシャを紹介するくだりでもまた話があったと思うけど。このシノス峡谷がカーハイドとオーゴレインの国境争いの地になっていて、当時この地域の長官だったエストラヴェンが地元民を心配して、私財を投じてまで移住させてあげたりして(セシシャはその一人)、それが政敵タイブににらまれて足をすくわれる原因になったんですね。
 だから地名より「紛争」を思い出させる方が大事だと、原作者は思ったんだと思うんです。
 私もここで、一気に、この作品の冒頭からいままでのエストラヴェンの苦難がそれこそ走馬灯のように(笑)頭をよぎりました。

◆「ダッシュ」(私の訳)について
 違う言葉が思いつきませんでした……。いい案があったらお教えくださいっ。
 原文は先のがshot back、後のがdashです。shot backを「すばやくスキーで滑り戻る」などとするとかったるくてうざくないですか。「しゅっと」とか「ひらりと」とか擬態語を使うとどうもちゃらくて、ここの緊張感に似合わないし。(タメイキ)

[19-15]
◆「それはたぶん受け付けてもらえなくて」(私の訳)について
 既訳、どうなってましたっけ。えーと、「不備ながら、身分証明書をたずさえているエストラーベン」ですね。
 原文はwith his unacceptable identification papersです。直訳すると「あそこへエストラヴェンは彼の受け入れられない身分証明書を持っていき」って何言ってるかわかりませんよね。英語ってこういうふうに、日本語なら文章で説明するところを、先取りして形容詞一つ(unacceptable)ですますことがけっこうあるんです。
 そのまま日本語に置き換えて「受け入れられない(であろう)証明書を持っていく」とすると日本語として変だから、私は文章の形に開いたんです。
 こういう工夫を私はしょっちゅうやっていて、つまり原文の形容詞一語に対して日本語の形容詞一語をあてるんじゃなく、ときには文章の形に開いたり、逆に英語では文章になっていても日本語でコンパクトに熟語で言えるところはそうしたりしてます。そして一文や一段落の中でだいたい分量があうように帳尻を合わせて、読者のかたの体感を原文を読んだときに近づけるよう努力してます。

 unacceptableは「受容不可能の」。「不備」どころではないです。ぜんぜんダメということです。
 憶えておられませんか、エストラヴェンはすでに何回も身分証明書を偽造していて、「これ以上の偽造は無理だ」と自分もゲンリーに語ってましたよね。保証されているわけがない。そのことをunacceptableという一語が表しているんです。簡潔でめちゃくちゃインパクトがあります。
 ゲンリーはここでようやく「いや亡命するってセレム、亡命できるわけないじゃないか……!」ということに気づきはじめるんですよね。その気づきの瞬間をとらえている一語で、もうみごとというしかありません。
 刑務所か強制収容所で一夜の宿が「保証されているassured」って、これ皮肉でしょう。刑務所、強制収容所での一夜。その先に待っているものをゲンリーは体験済みです。飢えと労働と恐怖と絶望と、死。
 この一文だけ読んでたんじゃだめなんですよ。いままで私たちは《何を》読んできたのかってことなんです。

[19-16]
◆「鉄の玉を発射する古代の銃」(既訳)→「爆発とともに金属の破片を飛散させる、古式ゆかしいタイプの武器」(私の訳)について
 私の訳のほうが原作に忠実です。原文はthe ancient weapon that fires a set of metal fragments in a burstです。くりかえしますがa set of metal fragmentsです。メタル・フラグメンツ、金属の破片たち。複数形です。明らかに散弾銃なんです。

 ついでにancientという単語についてですが、例えば「古代文明 ancient civilization」というように普通に「古代」という単語です。ですが、これ日常会話で使うときは、「古臭い」「流行遅れ」「いつの話だそれ」(笑)という揶揄が入った感じなんですね。これも憶えておられないでしょうか、このゲセンの世界は超未来で、実弾の銃はオーゴレインではもう博物館のケースの中にしかないんだけど、カーハイドは旧式の国だからまだじっさいに使っているという話がありました(どこでしたっけ。でも絶対あった)。だから「ウソだろいまどき実弾使うなんて! 麻酔銃じゃないのか?!」というゲンリーの悲鳴と怒りが炸裂しているように、私には聞こえたんです。

 ゲンリーが「散弾銃」と言わずにわざわざ細かく形態を説明しているのは、ゲンリーの世界にはもうこのタイプの武器はないからでしょうね。現代で「カタパルト」ってどんなものか説明してくれるような感じでしょう。

>そして。でも……なぜそこで〈●●●〉なのーーーーーっ。ゲンリーかわいそすぎる。(愛に応えてるのか???)

 でしょ、でしょ、でしょー!(泣)でもゲンリーついに「愛」って言っちゃったね!!(原文 my love for him)
 なんかもう……萩尾望都『トーマの心臓』の「これが僕の愛 きみにはわかっているはず」まで思い出しちゃって、やーん! 深夜ひとりでだだ泣きでしたー。早朝か!笑

>天国の作者に再考を検討していただきたいです。

 私もですっっ。アーシュラさぁーん!!

>新たな発見も多々あり、感謝しています。

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