こぼれ話(5):空白を読む、というかようするに妄想ノスゝメ(ハートマーク)
文字数 2,852文字
「行間、空白を読む」という話を、もうちょっとしてみたいと思います。
おつきあいいただけたら嬉しいです。
創作でも、翻訳でも、言葉は「足りない」ほうが「多すぎる」よりいいと、私は思っています。
「心余りて言葉足らず」とは、紀貫之が在原業平を評して言ったことですが、私は褒め言葉だと信じています。言葉からあふれて入りきらないほどの心。佳いではないですか。
逆に「言葉が余る」のは、どうもね。少なくとも、安く見えてしまいます。
言わぬが花、とも言いますね。
『闇の左手』、第十八章はとてもドラマチックです。
第十六章でエストラヴェンによって語られたのと同じ時期の出来事が、ゲンリーによって語り直されるのですが、その違いこそが魅力的です。
文体の違いは、じつはそれほどありません。英語では一人称は「I」、二人称は「you」しかないし(じつはじつは他にもあるのですが、ふつうは使われないので今は省略します)、「だ/である」と「です/ます」の使い分けも、「ね」や「よ」のような語尾にくっつける言葉もありません。
そこじゃないんです。
ゲンリーによる第十八章を読むと、エストラヴェンが第十六章で
それは、エストラヴェンの奥ゆかしさのためだったり、秘密を守るというゲンリーとの約束のためだったり、たぶんエストラヴェンには辛すぎて書けなかったからだったり、逆にもしかするとエストラヴェンにとっては大したことではなかったからだったり(がーん! ゲンリーかわいそう笑)、さまざまな理由があるようです。
この理由、なぜエストラヴェンが書いていないか、を妄想すると、二倍楽しめます。
と、私は思うので、お勧めします。^^
そして、エストラヴェンに比べて率直で多弁なゲンリーですが、彼もまた、書いていないことがけっこうあるのです。そこを妄想すると、二の二乗で四倍楽しめます。^^
いくつかミムラお勧めの妄想ポイントを挙げておきます。ご参考になれば幸いです。
★妄想ポイントその1:18-6より
「どうして僕がマインドスピーチを教える気になったのか、その動機を、エストラヴェンはわかっていたと思う」
……とありますが、その動機、本文中には書いてありません。
あれ?
さて、どうしてゲンリーは教える気になったのでしょうか?
そして、どうしてそれを書いていないのでしょうか?
もちろん答えはありません。でも、私だったら……、
私にマインドスピーチができるとして、誰かに教えたいと思うとしたら、その相手は、たぶん一人しかいません。
好きな人ですよね。(*^^*)
その人の心が知りたいし、私の気持ちも、口に出さなくてもわかってもらいたい!
で、もし、誰かマインドスピーチのできる人が、私に「教えてあげる」と言いだしたとして、「うん、教えて」ってなるとしたら……、
やっぱり好きな人一択ですよね!!(o^^)oo(^^o)(o^^)oo(^^o)
「彼もひじょうに乗り気だった」
わーい!\(^-^)/
★妄想ポイントその2:18-9より
「突然僕の頭の中で、ためらいがちにつぶやく声が聞こえた。
『ゲンリー』
ゲンリーのリはRじゃなくてLなのだが、マインドスピーチの中でさえLがちゃんと発音できていない。
即座に僕は返答した」
この「ゲンリーのリはRじゃなくてL」というのは、小説の初めのほうで、カーハイド人にいつも名前をちゃんと呼んでもらえないゲンリーがちょっとイラッとした感じで書いていて、日本語がまさにそうだから(RとL難しいですよね)、私はとても印象に残っていたんです。
まさかの伏線になっていたとは!
ここはもう、イラッとするどころか、私がゲンリーだったら嬉しくて悶絶しますね。
何でも完璧にできちゃうエストラヴェンさまなのに、Lの発音だけできないなんて可愛すぎるっ。(*^^*)
で、「即座に僕は返答した」って、何て返答したの? ゲンリー!
書いてませんね。
だけどきっと、怒涛のように返したんじゃないでしょうか? 思いのたけを!
だって最後に「もういい」って言われちゃってるし。( ´艸`)*。*。*
ところで、読む人によって、エストラヴェンのイメージはかなり違うのではないかと思います。
私自身のイメージを書いてしまうと押しつけになりそうで、気をつけてきたのですが、
この「エストラヴェンをどうイメージするか」が、もしかして自分自身の心を映しだす鏡かもしれないと気づいたので、ちょっと書いてしまいます。
じつは私のイメージするエストラヴェンは、すごくかっこいいオトコマエの女性です。
ゲンリーより一回り上で、身近なイメージで言ったらハンサムウーマンな女性上司。
で、なぜか私自身はゲンリー@100%男子の気持ちになって、そんな素敵なお姉さまに恋い焦がれているんですね。なんだろうこれ。どういうねじれ現象でしょうか?
もちろん二人とも男性で、BLでもばっちりだと思います。
いわゆる「年下攻め&無自覚誘い受け」のパターンですね(エッチはなしだけど)!
なんでそんな用語知ってるんでしょうか、私は?!笑
どちらにも読者の好きなように想像できるところが、すごいと思います。
★妄想ポイントその3:18-8&9より
ゲンリーのマインドスピーチの声が、エストラヴェンには亡くなったお兄さんの声に聞こえてしまいます。
なぜそんな現象が起きるのか、理由はけっきょく明かされません。
だけど……、明々白々、ですよね?
これはさすがに、これ以上書くのは野暮と言うものです。
私がとても素敵だと思ったのは、エストラヴェン自身がこの瞬間まで、自分がゲンリーとお兄さんを重ねていることに気づいていなかった、という設定でした。
だから彼(彼女)はめちゃくちゃ動揺するのですが、それでも逃げ隠れしないで(まあ逃げ隠れするスペースもないわけだけど笑)、「続けて」と言うエストラヴェンが私は好きです。
このシーンは、ゲンリーがエストラヴェンの秘密を知る場面であると同時に、エストラヴェンが自分の気持ちに気づいて、そして正面から向きあおうとする場面でもあるのでした。
さらに言えば、
ゲンリーは、エストラヴェンがいかに深く傷ついているかわかったということを、しみじみ記すのですが、
これ、泣きたいのはむしろゲンリーのほうじゃないでしょうか??
――そうか、好きな人いたんだ。そりゃいるよな。
――僕はその人に似てるのか。そういうことか。
えーん!!(大泣き)
ちなみに私の朗読劇では、エストラヴェンは初めからお兄さんに対するつぐないの気持ちを意識して、ゲンリー救出に命を賭けるという設定にしてあります。
舞台では、時間制限があるし巻き戻しはできないしで、小説のような複雑精妙な伏線を張ることはできないんです。(張っても伝わらないです。)
原作者もそこは気に入ってくださったようだったので、よかったと思っています。
おつきあいいただけたら嬉しいです。
創作でも、翻訳でも、言葉は「足りない」ほうが「多すぎる」よりいいと、私は思っています。
「心余りて言葉足らず」とは、紀貫之が在原業平を評して言ったことですが、私は褒め言葉だと信じています。言葉からあふれて入りきらないほどの心。佳いではないですか。
逆に「言葉が余る」のは、どうもね。少なくとも、安く見えてしまいます。
言わぬが花、とも言いますね。
『闇の左手』、第十八章はとてもドラマチックです。
第十六章でエストラヴェンによって語られたのと同じ時期の出来事が、ゲンリーによって語り直されるのですが、その違いこそが魅力的です。
文体の違いは、じつはそれほどありません。英語では一人称は「I」、二人称は「you」しかないし(じつはじつは他にもあるのですが、ふつうは使われないので今は省略します)、「だ/である」と「です/ます」の使い分けも、「ね」や「よ」のような語尾にくっつける言葉もありません。
そこじゃないんです。
ゲンリーによる第十八章を読むと、エストラヴェンが第十六章で
語っていない
ことが、じつにたくさんあることがわかります。それは、エストラヴェンの奥ゆかしさのためだったり、秘密を守るというゲンリーとの約束のためだったり、たぶんエストラヴェンには辛すぎて書けなかったからだったり、逆にもしかするとエストラヴェンにとっては大したことではなかったからだったり(がーん! ゲンリーかわいそう笑)、さまざまな理由があるようです。
この理由、なぜエストラヴェンが書いていないか、を妄想すると、二倍楽しめます。
と、私は思うので、お勧めします。^^
そして、エストラヴェンに比べて率直で多弁なゲンリーですが、彼もまた、書いていないことがけっこうあるのです。そこを妄想すると、二の二乗で四倍楽しめます。^^
いくつかミムラお勧めの妄想ポイントを挙げておきます。ご参考になれば幸いです。
★妄想ポイントその1:18-6より
「どうして僕がマインドスピーチを教える気になったのか、その動機を、エストラヴェンはわかっていたと思う」
……とありますが、その動機、本文中には書いてありません。
あれ?
さて、どうしてゲンリーは教える気になったのでしょうか?
そして、どうしてそれを書いていないのでしょうか?
もちろん答えはありません。でも、私だったら……、
私にマインドスピーチができるとして、誰かに教えたいと思うとしたら、その相手は、たぶん一人しかいません。
好きな人ですよね。(*^^*)
その人の心が知りたいし、私の気持ちも、口に出さなくてもわかってもらいたい!
で、もし、誰かマインドスピーチのできる人が、私に「教えてあげる」と言いだしたとして、「うん、教えて」ってなるとしたら……、
やっぱり好きな人一択ですよね!!(o^^)oo(^^o)(o^^)oo(^^o)
「彼もひじょうに乗り気だった」
わーい!\(^-^)/
★妄想ポイントその2:18-9より
「突然僕の頭の中で、ためらいがちにつぶやく声が聞こえた。
『ゲンリー』
ゲンリーのリはRじゃなくてLなのだが、マインドスピーチの中でさえLがちゃんと発音できていない。
即座に僕は返答した」
この「ゲンリーのリはRじゃなくてL」というのは、小説の初めのほうで、カーハイド人にいつも名前をちゃんと呼んでもらえないゲンリーがちょっとイラッとした感じで書いていて、日本語がまさにそうだから(RとL難しいですよね)、私はとても印象に残っていたんです。
まさかの伏線になっていたとは!
ここはもう、イラッとするどころか、私がゲンリーだったら嬉しくて悶絶しますね。
何でも完璧にできちゃうエストラヴェンさまなのに、Lの発音だけできないなんて可愛すぎるっ。(*^^*)
で、「即座に僕は返答した」って、何て返答したの? ゲンリー!
書いてませんね。
だけどきっと、怒涛のように返したんじゃないでしょうか? 思いのたけを!
だって最後に「もういい」って言われちゃってるし。( ´艸`)*。*。*
ところで、読む人によって、エストラヴェンのイメージはかなり違うのではないかと思います。
私自身のイメージを書いてしまうと押しつけになりそうで、気をつけてきたのですが、
この「エストラヴェンをどうイメージするか」が、もしかして自分自身の心を映しだす鏡かもしれないと気づいたので、ちょっと書いてしまいます。
じつは私のイメージするエストラヴェンは、すごくかっこいいオトコマエの女性です。
ゲンリーより一回り上で、身近なイメージで言ったらハンサムウーマンな女性上司。
で、なぜか私自身はゲンリー@100%男子の気持ちになって、そんな素敵なお姉さまに恋い焦がれているんですね。なんだろうこれ。どういうねじれ現象でしょうか?
もちろん二人とも男性で、BLでもばっちりだと思います。
いわゆる「年下攻め&無自覚誘い受け」のパターンですね(エッチはなしだけど)!
なんでそんな用語知ってるんでしょうか、私は?!笑
どちらにも読者の好きなように想像できるところが、すごいと思います。
★妄想ポイントその3:18-8&9より
ゲンリーのマインドスピーチの声が、エストラヴェンには亡くなったお兄さんの声に聞こえてしまいます。
なぜそんな現象が起きるのか、理由はけっきょく明かされません。
だけど……、明々白々、ですよね?
これはさすがに、これ以上書くのは野暮と言うものです。
私がとても素敵だと思ったのは、エストラヴェン自身がこの瞬間まで、自分がゲンリーとお兄さんを重ねていることに気づいていなかった、という設定でした。
だから彼(彼女)はめちゃくちゃ動揺するのですが、それでも逃げ隠れしないで(まあ逃げ隠れするスペースもないわけだけど笑)、「続けて」と言うエストラヴェンが私は好きです。
このシーンは、ゲンリーがエストラヴェンの秘密を知る場面であると同時に、エストラヴェンが自分の気持ちに気づいて、そして正面から向きあおうとする場面でもあるのでした。
さらに言えば、
ゲンリーは、エストラヴェンがいかに深く傷ついているかわかったということを、しみじみ記すのですが、
これ、泣きたいのはむしろゲンリーのほうじゃないでしょうか??
――そうか、好きな人いたんだ。そりゃいるよな。
――僕はその人に似てるのか。そういうことか。
えーん!!(大泣き)
ちなみに私の朗読劇では、エストラヴェンは初めからお兄さんに対するつぐないの気持ちを意識して、ゲンリー救出に命を賭けるという設定にしてあります。
舞台では、時間制限があるし巻き戻しはできないしで、小説のような複雑精妙な伏線を張ることはできないんです。(張っても伝わらないです。)
原作者もそこは気に入ってくださったようだったので、よかったと思っています。