【民話】逆賊エストラヴェン(前半)(原作第九章)

文字数 2,256文字

【東カーハイドの民話。ゴリンヘリングにおいてトボード・チョーハワの語りをG・Aが記録。さまざまなバージョンがあり、この説話に基づいた〈ハッベン〉劇は、カーガフ地方東部の旅芸人のレパートリーとなっている。】


 今は昔、カーハイド王国を統一なされたアーゲイヴェン一世の御代より昔のこと、カームランドのストクとエストレ、二つの邦のあいだに、血で血を洗う(いさか)いがあった。あらそいは三代におよび、焼き打ちに闇討ちがあいつぎ、おさめる手立てとてなかった。
 ことの起こりは領地あらそい。カームに豊かな土地はすくなく、ただただ広さをきそうばかり、ご領主がたも気位(きぐらい)たかく気はみじかく、投げる影のみいたずらに長かった。

 エストレのご領主のお生みの御子が若き折、たまさか、イッレムの月にペスリを狩ろうとて大氷原のすそ野の湖をスキーで渡られ、氷が割れて湖に落ちなさった。氷のたしかな端にスキーの片方をかけて(てこ)とし、這いあがりはしたものの、クレム※(華氏零度からマイナス二〇度で高湿度)とあっては水に入るも地獄、出るも地獄、したたかに濡れそぼち、日ははや暮れる。エストレまで上り坂を八マイル帰るは無理と見て、湖の北の岸、エボスの村へと御子は向かわれた。
 日も落ち、氷河より霧のながれ来て湖面をおおい、ために道は見えず、スキーを向ける先にも迷う。氷を踏み抜かぬようそろそろと進みつつ、気ははやる、寒さは骨身にしみる、行くもこれまでかと思われたとき、夜と霧の向こうに灯りが見えた。湖岸は荒れ雪もまばら、御子はスキーを捨てた。体を支えるのもようようの思いで、灯りへ向かってしゃにむに進む。エボスへの道からははるかに逸れた。カームランドの木といえばソア、そのソアの森にぽつねんと立つ小屋、ひしと囲む木々も屋根を越える丈はない。
 ほとほとと戸をたたき呼ばわれば、戸は開き、御子は火影の中へと引き入れられた。

 家に居ったのはその者ひとり。御子エストラヴェンの衣、いまや氷の(よろい)のごとくなったそれを脱がせ、素裸(すはだか)にして毛皮でくるみ、おのれの体の温もりで御子の手足と顔から霜をはらい、熱いエールをふくませる。

 ようやく人ごこちついて、御子が世話人(せわびと)を見れば、見慣れぬ顔、似た年頃。すらりとたくましく浅黒く、面影きりりと眉目(みめ)きよらか、その(おもて)に、ケマーの火照(ほて)りをエストラヴェンは見てとり、言った。
「わたしはエストレのアレク」
 相手も答えて、「わたしはストクのセレム」
 力なくエストラヴェンは笑い、問うた、「ストクのかたよ、わたしを温め、生き返らせたもうたのは、殺すため?」
「いえ」

 ストクの人(ストクヴェン)はその手をのべてエストレの人(エストラヴェン)の手に重ねた。(こご)えの残りをたしかめようとするかのように。ふれられてエストラヴェンは、ケマーには一日二日早いというのに身のうちが熱くなり、ふたりは手を合わせて、身じろぎもせずにいた。
「同じ手」とストクヴェンは言い、てのひらをひたと合わせてエストラヴェンに見せた。
 ふたりの手は形も指の長さも、ひとりの右手と左手のようにしかと合った。

「逢うたときから、不倶戴天の(かたき)とは」そう言ってストクヴェンは立ち、暖炉の火をかき立て、エストラヴェンのかたわらに戻って座った。
(かたき)の君と、ケマーを契りたい」エストラヴェンは言った。
「わたしも」

 ふたりは契りをむすんだ。この地でケマーの(みさお)を固く守るは、昔も今も同じこと。その夜、つぎの夜、さらにつぎの夜も、ふたりは凍る湖の森の小屋でともに過ごした。

 あくる朝、ストクの者どもが小屋に来た。エストラヴェンの顔に見おぼえのあったひとりが、ひとこともなく剣を抜き、ストクヴェンの目の前で、エストラヴェンの胸を突きのどを裂いた。御子は冷えた炉の前、おのが血に伏して息絶えた。
「これはエストレの世継ぎでしたゆえ」手に掛けた者が申した。
「おのれらの(そり)でエストレへ運び、葬らせよ」ストクヴェンは申された。

 ストクヴェンは邦に戻られた。者どもはエストラヴェンのなきがらを橇に載せて発ちながら、ソアの森の奥でけだもののえじきになれと打ち棄て、晩のうちにストクへ帰った。
 セレムの君は生みの親御、ハリシュ・レム・イル・ストクヴェンの御前で者どもに問うた、
「わが申しつけのとおりに?」
「いたしました」
「嘘を申せ。きさまらがエストレから生きて戻れるはずがなかろう。殿、この者らはわが(めい)にそむいたばかりか、偽って逃れようとしております。お裁きを」

 ハリシュの殿は願いをみとめ、かの者どもを人外の地へと追いやった。

 その後まもなくセレムの君はストクを離れ、ロサラーの(とりで)にてしばし暮らすと言い残したまま、一年(ひととせ)たつまで戻らなかった。

 さてエストレの邦では、アレクの君を山野にさがせども見えず、(みな)して喪に服し、夏も秋もなげきとおした。御子は殿の(はら)のひとり子であったから。
 ところがサーンの月末、冬も厳しくなったころ、スキーで山越えをしてきた者があって、エストレの関守に毛皮でくるんだ包みを渡し、「この子はセレム、エストレの御子の御子」と告げて去った。その後ろ姿はあたかも水面(みなも)を切りゆく石のごとくにて、引きとめんとするさえ甲斐ないことであった。
 毛皮にくるまれていたのは生まれたばかりの赤子で、泣いていた。者どもはソーヴェの殿のもとへ子をとどけ、去り人のことばをつたえた。老いた殿はなげきのさなかにあって、この子を亡きアレクの君の生き写しかと思われ、内孫として育てよ、名はセレムとせよと申しつけられた、エストレの一族にもちいられたことのない名ではあったが。
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