こぼれ話(12):やめましょう、とあなたは言った(または愛国と売国について)
文字数 2,402文字
『闇の左手』という小説は、三つの系統のパーツから成っています。ゲンリーの手記とエストラヴェンの手記、そして、その他。
この「その他」はざっくり言うと、惑星ゲセンに関するさまざまな資料の文章です。ゲンリーが収集して挿入したという設定になっています。
私のPCファイルも3つに分けてあって、「その他」グループの翻訳は終わりました。
量がいちばん少ないので先に手をつけたのですが(笑)、グループ内での文体がばらばらで、これはこれで苦労しました。でも面白かったです。
その中の、第九章についてお話しさせてください。
第二章、第四章、第九章は「カーハイドの民話」という体裁になっています。
語り部が語ったのをゲンリーが書き取った、と前書きがあります。だけど「むかしむかし、あったげな」的な文体だと、なにか合わないんです。原文はシンプルではありますが、異様に完成度が高くてむだがなく、まさに山椒のように「小粒でもぴりりと辛い」感じなのです。
いろいろ考えて、柳田国男の『遠野物語』、というか京極夏彦先生の「remixバージョン」を道しるべに、できるだけきびきびした語り口にしてみました。
(ついでに言うと、第十二章と第十七章は「文語訳聖書」の文体模写に挑戦してます。これもめちゃくちゃ大変でめちゃくちゃ面白かったのですが、いまはその話はスキップしますね。)
第九章の原題は"Estraven the Traitor"です。「Traitor(である)エストラヴェン」。このtraitorはどうやら英語ではそうとう破壊力のある語のようです。こう呼ばれたら村八分、みたいな。
本文中では国だけでなく、家族や同胞に対する裏切りも指しているので、日本語では何という語を当てたものか、さんざん悩みました。
「裏切り者」、「背徳者」。どちらかというと、恋愛のもつれを想像させられますね。
「売国奴」。「国賊」。「逆賊」。「非国民」。うーん、ヒコクミンはさすがにないか。
「二心」はどうだろうと考えました。「にしん」、「ふたごころ」、どちらも同じです。人に対しても国に対しても使えます。徳川幕府最後の将軍、慶喜公がこう呼ばれたと聞いて、「二心の君エストラヴェン」、良いんじゃないかなと思いました。
でも……やっぱり、「トレイター」という音の強さが出ません。
「国」という言葉を入れると、「きょうだい殺し」の非難が消えてしまいます。
「逆賊」にしよう、と思いました。
この「逆賊の君エストラヴェン」、本編のエストラヴェンさまとはぜんぜん関係なく、ぜんぜん違うお話で、『闇の左手』の世界の中でも架空の物語です。
本編のエストラヴェンは「トレイター」の烙印を押されますが、その呼称だけがいつかひとり歩きして、ぜんぜん違うお話になってしまったという設定です。
なんという凝りかた!
エストレとストク、隣りあう二つの邦の敵対。どちらも同じカーハイド圏なのに。
おたがい、軍備に軍備で対抗しあって、疲弊しています。
その御曹司どうしが恋に落ちて……
もう、まんまカーハイド版ロミオとジュリエットですよね。どっちがロミオでジュリエットかわからないだけで。まあどっちでもいいですよねそんなこと。って思わせられちゃうところがすごい、闇の左手ワールド。
一人が殺され、生き残った一人が赤ちゃんを産んで……
その子が成長して、
ある危機に遭遇して、いのちを救われる。その救ってくれた人が……
運命の二人が再会するクライマックスも、本当にことば少なに語られているので、よく読まないと何が起こっているのかわからないまま通り過ぎてしまいかねません。
「お母さーん!」とか「お父さーん!」とか、どっちだ、だからそれはどっちでもいいんですけど、そういうわかりやすい号泣を演じてくれないんですね、カーハイド人という人たちは。
「はじめてお逢いしますのに」
「むかし、一度、お逢いしているのです」
ここを読むたびに私の涙腺は決壊しちゃうんですけど、何がどうなのというかたはぜひ拙訳のページをお読みください! ぜひ!
「わたしたちの家さえ、あらそいをやめてくれたら」
「やめましょう。わたしが誓います」
そして、あらそいは終わります。
やめましょう、と言ったエストラヴェン(寓話の中の)が、終わらせるからです。
やめましょうと言って、終わらせたために、領主エストラヴェンは「トレイター」の烙印を押されます。
きょうだい殺し。国を売った男/女。
されど――
この小さな物語は、「されど yet」から始まる一文でしめくくられています。ぜひ、どうか、そのラストまで読んでみてください。
すすんで「逆賊」の汚名をひきうけたエストラヴェンは、国を救って――軍備の重圧から祖国を開放して、永遠にエストレの人々の感謝と敬愛を受けることになります。
『闇の左手』を「フェミニズム」の小説だと言う人たちがいますが、私はなにか違うという気がしています。男だろうが女だろうが本当どうでもいいと思うんです。まだ言ってますけど。
そこじゃなくて、
という、
とんでもなく恐ろしい話なんじゃないんでしょうか、この物語は。
これが書かれてから五十年以上たちました。そのあいだに、夢の機械だったヴォイス・ライター(音声転写装置)もアンシブル(遠距離通信装置)も実現どころか一般に普及してしまいました。
なのに、この「やめましょう」だけがまだ実現できないって、どういうことなんでしょうね。
ロシアの中でも、身の危険をおかして「やめましょう」と必死に言っている人たちがいます。ものすごい勇気だと思います。エストラヴェンはこの世に実在するんだと痛感します。
おそろしくチキンで何の力もない私ですが、私も、
やめましょうよ、
と、言いつづけようと思います。
この「その他」はざっくり言うと、惑星ゲセンに関するさまざまな資料の文章です。ゲンリーが収集して挿入したという設定になっています。
私のPCファイルも3つに分けてあって、「その他」グループの翻訳は終わりました。
量がいちばん少ないので先に手をつけたのですが(笑)、グループ内での文体がばらばらで、これはこれで苦労しました。でも面白かったです。
その中の、第九章についてお話しさせてください。
第二章、第四章、第九章は「カーハイドの民話」という体裁になっています。
語り部が語ったのをゲンリーが書き取った、と前書きがあります。だけど「むかしむかし、あったげな」的な文体だと、なにか合わないんです。原文はシンプルではありますが、異様に完成度が高くてむだがなく、まさに山椒のように「小粒でもぴりりと辛い」感じなのです。
いろいろ考えて、柳田国男の『遠野物語』、というか京極夏彦先生の「remixバージョン」を道しるべに、できるだけきびきびした語り口にしてみました。
(ついでに言うと、第十二章と第十七章は「文語訳聖書」の文体模写に挑戦してます。これもめちゃくちゃ大変でめちゃくちゃ面白かったのですが、いまはその話はスキップしますね。)
第九章の原題は"Estraven the Traitor"です。「Traitor(である)エストラヴェン」。このtraitorはどうやら英語ではそうとう破壊力のある語のようです。こう呼ばれたら村八分、みたいな。
本文中では国だけでなく、家族や同胞に対する裏切りも指しているので、日本語では何という語を当てたものか、さんざん悩みました。
「裏切り者」、「背徳者」。どちらかというと、恋愛のもつれを想像させられますね。
「売国奴」。「国賊」。「逆賊」。「非国民」。うーん、ヒコクミンはさすがにないか。
「二心」はどうだろうと考えました。「にしん」、「ふたごころ」、どちらも同じです。人に対しても国に対しても使えます。徳川幕府最後の将軍、慶喜公がこう呼ばれたと聞いて、「二心の君エストラヴェン」、良いんじゃないかなと思いました。
でも……やっぱり、「トレイター」という音の強さが出ません。
「国」という言葉を入れると、「きょうだい殺し」の非難が消えてしまいます。
「逆賊」にしよう、と思いました。
この「逆賊の君エストラヴェン」、本編のエストラヴェンさまとはぜんぜん関係なく、ぜんぜん違うお話で、『闇の左手』の世界の中でも架空の物語です。
本編のエストラヴェンは「トレイター」の烙印を押されますが、その呼称だけがいつかひとり歩きして、ぜんぜん違うお話になってしまったという設定です。
なんという凝りかた!
エストレとストク、隣りあう二つの邦の敵対。どちらも同じカーハイド圏なのに。
おたがい、軍備に軍備で対抗しあって、疲弊しています。
その御曹司どうしが恋に落ちて……
もう、まんまカーハイド版ロミオとジュリエットですよね。どっちがロミオでジュリエットかわからないだけで。まあどっちでもいいですよねそんなこと。って思わせられちゃうところがすごい、闇の左手ワールド。
一人が殺され、生き残った一人が赤ちゃんを産んで……
その子が成長して、
ある危機に遭遇して、いのちを救われる。その救ってくれた人が……
運命の二人が再会するクライマックスも、本当にことば少なに語られているので、よく読まないと何が起こっているのかわからないまま通り過ぎてしまいかねません。
「お母さーん!」とか「お父さーん!」とか、どっちだ、だからそれはどっちでもいいんですけど、そういうわかりやすい号泣を演じてくれないんですね、カーハイド人という人たちは。
「はじめてお逢いしますのに」
「むかし、一度、お逢いしているのです」
ここを読むたびに私の涙腺は決壊しちゃうんですけど、何がどうなのというかたはぜひ拙訳のページをお読みください! ぜひ!
「わたしたちの家さえ、あらそいをやめてくれたら」
「やめましょう。わたしが誓います」
そして、あらそいは終わります。
やめましょう、と言ったエストラヴェン(寓話の中の)が、終わらせるからです。
やめましょうと言って、終わらせたために、領主エストラヴェンは「トレイター」の烙印を押されます。
きょうだい殺し。国を売った男/女。
されど――
この小さな物語は、「されど yet」から始まる一文でしめくくられています。ぜひ、どうか、そのラストまで読んでみてください。
すすんで「逆賊」の汚名をひきうけたエストラヴェンは、国を救って――軍備の重圧から祖国を開放して、永遠にエストレの人々の感謝と敬愛を受けることになります。
『闇の左手』を「フェミニズム」の小説だと言う人たちがいますが、私はなにか違うという気がしています。男だろうが女だろうが本当どうでもいいと思うんです。まだ言ってますけど。
そこじゃなくて、
売国奴と呼ばれることを恐れない人だけが真の愛国者となれる
という、
とんでもなく恐ろしい話なんじゃないんでしょうか、この物語は。
これが書かれてから五十年以上たちました。そのあいだに、夢の機械だったヴォイス・ライター(音声転写装置)もアンシブル(遠距離通信装置)も実現どころか一般に普及してしまいました。
なのに、この「やめましょう」だけがまだ実現できないって、どういうことなんでしょうね。
ロシアの中でも、身の危険をおかして「やめましょう」と必死に言っている人たちがいます。ものすごい勇気だと思います。エストラヴェンはこの世に実在するんだと痛感します。
おそろしくチキンで何の力もない私ですが、私も、
やめましょうよ、
と、言いつづけようと思います。