【報告書】性の問題(3)(原作第七章)

文字数 1,311文字

 要考察:誰にもあらゆる可能性がある。一見きわめて単純なことだが、その心理的影響ははかりしれない。17歳から35歳くらいまでのすべての人が(ニムの言によれば)「出産にしばりつけられる」対象となるという事実はすなわち、ここでは、誰もよその世界の女性のように(心理的にも肉体的にも)完全に「しばりつけられ」はしないということを意味する。重荷も特権も、ほぼ同等に分かち与えられる。すべての人が同等の危険にさらされ、同等の選択の機会を持っている。ゆえに、ここの人間はすべて、よその世界の自由な男子ほど自由ではない。

 要考察:子どもは、母親と父親に対して精神分析学的な関係性を持つことはない。惑星《冬》にはエディプス・コンプレックスは存在しない。

 要考察:同意のない性行為、強姦は存在しない。人間以外の大部分の哺乳動物と同様、交接は、相互の(いざな)いと同意によってのみ成立する。そうでなければ不可能だ。誘惑はむろん可能ではあるが、よほどタイミングがよくなくては無理だ。

 要考察:人間を強/弱、保護/被保護、支配/従属、所有者/奴隷、能動/受動、といった形で二分する思考法はゲセンには存在しない。事実、人類の思考にあまねくゆきわたっている二項対立図式の傾向は、惑星《冬》においては弱められ、方向を変えられているようだ。

 次の事項は、すでに完成させた指針にぜひ挿入しておきたい。ゲセン人に接する場合、両性愛者がついやりがちなように、相手に《男》なり《女》なりの役割を押しつけることはできないし、してはならない。同性あるいは異性同士の間に生ずる、よくありがちな、あるいはありそうなやりとり、男だから、女だからこうだろうという思い込みを、相手に押しつけてはならないのだ。性別に基づいた社会人としての関係性は、ここには存在しない。彼らにはそういうルールは理解できない。彼らはお互いを、男性あるいは女性としては見ない。これはわれわれの想像を絶する世界だ。生まれてきた赤ん坊について、われわれはまず尋ねる、「男の子、それとも女の子?」――ゲセンにはそれがない。

 かといってゲセン人を「それ」という代名詞で考えることもできない。中性ではないのだから。彼らは可能体、あるいは完全体だ。カーハイド語にはソマー期にある人間を指す人称代名詞がないので「彼」と書かざるを得ないけれど、それは超越的な存在である神を男性代名詞で受けるのと同じことだ。「彼」のほうが「それ」や「彼女」より突出していない気がするから。けれども「彼」という代名詞を使っていると、傍らにいるカーハイド人が男のような気がしてきてしまう、本当は男でも女でもあるのに。

 第一次の使節を単独で送りこむ場合、その人間がたいした自信家かお年寄りでないかぎり、プライドが傷つけられることを覚悟させておかなくてはならない。男性は男らしさを、女性は女らしさを認めてほしいと思ってしまうものだ、たとえその男らしさや女らしさに対する関心や賞讃の関心や賞讃の示し方が遠まわしだったり微妙だったりしたとしても。惑星《冬》ではそういう反応は期待できない。人間はただ人間として評価され、判断される。
 なかなかきつい体験だ。
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