第29話 ここ赤紅ハイツは日本の梁山泊?
文字数 2,379文字
八月五日夜になると豪雨も去り、野登人の部屋は賑やかである。
順番で言うと、慶治、時雨、閃光姉妹の順であった。皆それぞれにケーキやら飲み物とおつまみ持参である。慶治の快気祝いなら、本来は退院者が招くもの。それとはどこか集合の意味合いが違う集まりであった。
「まずは、慶治さんの復活祭ってとこね」
化粧の濃い美宙が音頭をとって、ビール乾杯で始まった。
「でも、世界は滅茶苦茶ね」
一気に飲み干したあと時雨が言った。
「今年に入って、世界中で耳を疑う惨事が続いている」
ショートケーキに手を伸ばし野登人が言い、続ける。
「最近、特に多いのは地震と火山噴火それに子供による銃乱射事件。国内では七歳児による両親殺しも発生している」
もはや異常気象は、日常すぎて話しネタではない。
「ガザ地区もウクライナも飛び火して、アフリカの騒動なんか終末世界の始まりみたい」
美光まで言い、ひとしきり暗い話が飛び交った。そして皆の視線が慶治に集約され、言葉を待つ。
慶治は「この闘いの意味は、人類の意識改革を促すものだと思う」。さらに「僕たちの闘いと同時に、日本国がそのリーダーシップを取るべき時代の訪れだと思う」と言った。
「沙羅総理って、私たちの眷属かも」
洒落たピンク色のブラウスを着た美光が、割に明るく話した。
「あれ美光さん政治に関心ありか。へぇー意外だね」
茶化し気味に能登人が突っ込む。
美光は「あら馬鹿にしないでね。今、ネットじゃ若者の政治関心度って非常に高いのよ。だって少し前まで、対岸の火事みたいだったけど、戦争が自分たちの身近な問題として迫ってきているのを感じ取っているみたいよ」と口を尖らせた。
仕事帰りの足でそのままここに寄った感じの時雨が、
「先月の渋谷駅構内の銃撃戦、日本の出来事とは思えない」
「だから、あれはソウル・ジャパンとCIAだと、大獅子さん言ってたじゃん」
野登人しきりに鉤鼻をこすり時雨をフォローする。
それからは悪魔の話そっちのけで、ソウル・ジャパンの推理合戦がしばらく続いた。するとドア・チャイムが鳴った。野登人が出ると、やはり大家が立っていた。
「あ、大家さん、いいところに来はった、お入りください」
悪びれることなく時雨が立ち上がり、大家の手をとり招き入れる。
「今日は慶治さんの誕生日なんです。大家さんも祝って下さい」
いつのまにか復活祭が誕生日祝いになって、時雨の誘いに大家は嬉しそうな素振りであった。ベッドの慶治の横の美光の隣にチョコンと座る。今夜は割烹着を身に着けていなくて、品のいい和装姿だった。
「一日ふつか、見いしませんなんだけど、どこぞ具合がわるおしたんか」
(気にかけていてくれてたんだ)慶治は喜ぶ。
「ええ、そうですが、たいしたことなかったがです」
方言の応酬が続く。大家さん好きオーラ―発散で、慶治は酒をコップに注ぐと手渡した。大家はまんざらでもない顔で「おおきに」と言い、両手で上品に口に運び飲んだ。
「ところでハイツの名は、誰が決めはったのですか、大家さん」
前々から興味持っていた質問をした。おそらく皆も同じ思いであろう。スマホ検索しても見つからない、ハイカラでクレージーな名称である。トンボ眼鏡の大家さんが名づけ親だと聞いてはいたが、どうしてもイメージが結びつかないでいた。
大家はしばらく無言であった。まずかったかなと慶治は少し後悔した。
「……実はね、私がちょうど四十の時に、両親、二人いっぺんに亡くしてしもうたのどす。横断歩道で憎たらしい車にね。いっとき涙も出やしませなんだ。……そうどすなあ、不運でかたづけられやしません、恨みましたがな、天をも呪いました。この世に神もいなければ仏もいない、心の底からそう思いましたんどす」
大家は視線を天井に移す。
「……そん時、ふと西の空を見上げたら、けったいな夕焼けいうより赤紅と呼ぶ方がふさわしい空を見ましてね。なぜか心が震えました。そうどす、きっと両親はおひさんの中に溶け込んでいて、見守ってくれているに違いない――そう思いました。それで、……かんべんえ、この辺で堪忍しとくれやす」
大家は残りの酒をいっきに飲みほした。
「ありがとうございます、大家さん。……実は僕たちは、人の運命にかかわって悪さする悪魔をやっつけます。人が悲しまなくてもいい世界を、きっと僕らが築きます。ちかごろ悲惨続きの世の中の仕組みを、根本から変えてみせます」
慶治は心の底からそう言い切った。ふと皆の顔を見まわすと、大家を見る皆の顔に慈愛が満ち溢れているように思えた。
すると、そのタイミングでドアがノックされた。
慶治にはもうすでにそれが誰だか予感していた。だから自分が迎えに立った。
そこに勤務を終えた九條蓮華が手土産を下げ立っていた。美光の表情が変化した。
「エヘン、紹介します。俺、いや僕のガールフレンド九條蓮華さんです。彼女もここ赤紅ハイツ梁山泊 の住人です。ね、大家さん」
先走り気味の慶治の宣言。蓮華はその場で固まりキョトンとしている。
美光はショック気味な表情だったが、切り替え早く嫌味のない笑顔になると、「まあ、綺麗なかた。完敗だわ。……どうぞ蓮華さん」と言って、ベッドの定位置をゆずった。
「ほんまどすなぁ。おたくも、とうとう運命の人を、……よう探さはりましたなあ」
「それ、どういう意味」と慶治が応えると、大家は自分の息子を見るような目をして、口に手を当て笑った。
蓮華があいさつを終えると、美光の表情もすっかり和らいでいて、蓮華と恋愛話を始めるのだった。経験豊富な彼女は同じ歳だと分かると、すっかり先輩格の友達気分である。
和やかに赤紅ハイツ梁山泊の夜は更けて、大家は帰った。そこで一週間後の十三日の夜だという『獣人式』に対する作戦を皆で練った。そこに悲壮感らしきものはまるで存在しなかった。
順番で言うと、慶治、時雨、閃光姉妹の順であった。皆それぞれにケーキやら飲み物とおつまみ持参である。慶治の快気祝いなら、本来は退院者が招くもの。それとはどこか集合の意味合いが違う集まりであった。
「まずは、慶治さんの復活祭ってとこね」
化粧の濃い美宙が音頭をとって、ビール乾杯で始まった。
「でも、世界は滅茶苦茶ね」
一気に飲み干したあと時雨が言った。
「今年に入って、世界中で耳を疑う惨事が続いている」
ショートケーキに手を伸ばし野登人が言い、続ける。
「最近、特に多いのは地震と火山噴火それに子供による銃乱射事件。国内では七歳児による両親殺しも発生している」
もはや異常気象は、日常すぎて話しネタではない。
「ガザ地区もウクライナも飛び火して、アフリカの騒動なんか終末世界の始まりみたい」
美光まで言い、ひとしきり暗い話が飛び交った。そして皆の視線が慶治に集約され、言葉を待つ。
慶治は「この闘いの意味は、人類の意識改革を促すものだと思う」。さらに「僕たちの闘いと同時に、日本国がそのリーダーシップを取るべき時代の訪れだと思う」と言った。
「沙羅総理って、私たちの眷属かも」
洒落たピンク色のブラウスを着た美光が、割に明るく話した。
「あれ美光さん政治に関心ありか。へぇー意外だね」
茶化し気味に能登人が突っ込む。
美光は「あら馬鹿にしないでね。今、ネットじゃ若者の政治関心度って非常に高いのよ。だって少し前まで、対岸の火事みたいだったけど、戦争が自分たちの身近な問題として迫ってきているのを感じ取っているみたいよ」と口を尖らせた。
仕事帰りの足でそのままここに寄った感じの時雨が、
「先月の渋谷駅構内の銃撃戦、日本の出来事とは思えない」
「だから、あれはソウル・ジャパンとCIAだと、大獅子さん言ってたじゃん」
野登人しきりに鉤鼻をこすり時雨をフォローする。
それからは悪魔の話そっちのけで、ソウル・ジャパンの推理合戦がしばらく続いた。するとドア・チャイムが鳴った。野登人が出ると、やはり大家が立っていた。
「あ、大家さん、いいところに来はった、お入りください」
悪びれることなく時雨が立ち上がり、大家の手をとり招き入れる。
「今日は慶治さんの誕生日なんです。大家さんも祝って下さい」
いつのまにか復活祭が誕生日祝いになって、時雨の誘いに大家は嬉しそうな素振りであった。ベッドの慶治の横の美光の隣にチョコンと座る。今夜は割烹着を身に着けていなくて、品のいい和装姿だった。
「一日ふつか、見いしませんなんだけど、どこぞ具合がわるおしたんか」
(気にかけていてくれてたんだ)慶治は喜ぶ。
「ええ、そうですが、たいしたことなかったがです」
方言の応酬が続く。大家さん好きオーラ―発散で、慶治は酒をコップに注ぐと手渡した。大家はまんざらでもない顔で「おおきに」と言い、両手で上品に口に運び飲んだ。
「ところでハイツの名は、誰が決めはったのですか、大家さん」
前々から興味持っていた質問をした。おそらく皆も同じ思いであろう。スマホ検索しても見つからない、ハイカラでクレージーな名称である。トンボ眼鏡の大家さんが名づけ親だと聞いてはいたが、どうしてもイメージが結びつかないでいた。
大家はしばらく無言であった。まずかったかなと慶治は少し後悔した。
「……実はね、私がちょうど四十の時に、両親、二人いっぺんに亡くしてしもうたのどす。横断歩道で憎たらしい車にね。いっとき涙も出やしませなんだ。……そうどすなあ、不運でかたづけられやしません、恨みましたがな、天をも呪いました。この世に神もいなければ仏もいない、心の底からそう思いましたんどす」
大家は視線を天井に移す。
「……そん時、ふと西の空を見上げたら、けったいな夕焼けいうより赤紅と呼ぶ方がふさわしい空を見ましてね。なぜか心が震えました。そうどす、きっと両親はおひさんの中に溶け込んでいて、見守ってくれているに違いない――そう思いました。それで、……かんべんえ、この辺で堪忍しとくれやす」
大家は残りの酒をいっきに飲みほした。
「ありがとうございます、大家さん。……実は僕たちは、人の運命にかかわって悪さする悪魔をやっつけます。人が悲しまなくてもいい世界を、きっと僕らが築きます。ちかごろ悲惨続きの世の中の仕組みを、根本から変えてみせます」
慶治は心の底からそう言い切った。ふと皆の顔を見まわすと、大家を見る皆の顔に慈愛が満ち溢れているように思えた。
すると、そのタイミングでドアがノックされた。
慶治にはもうすでにそれが誰だか予感していた。だから自分が迎えに立った。
そこに勤務を終えた九條蓮華が手土産を下げ立っていた。美光の表情が変化した。
「エヘン、紹介します。俺、いや僕のガールフレンド九條蓮華さんです。彼女もここ赤紅ハイツ
先走り気味の慶治の宣言。蓮華はその場で固まりキョトンとしている。
美光はショック気味な表情だったが、切り替え早く嫌味のない笑顔になると、「まあ、綺麗なかた。完敗だわ。……どうぞ蓮華さん」と言って、ベッドの定位置をゆずった。
「ほんまどすなぁ。おたくも、とうとう運命の人を、……よう探さはりましたなあ」
「それ、どういう意味」と慶治が応えると、大家は自分の息子を見るような目をして、口に手を当て笑った。
蓮華があいさつを終えると、美光の表情もすっかり和らいでいて、蓮華と恋愛話を始めるのだった。経験豊富な彼女は同じ歳だと分かると、すっかり先輩格の友達気分である。
和やかに赤紅ハイツ梁山泊の夜は更けて、大家は帰った。そこで一週間後の十三日の夜だという『獣人式』に対する作戦を皆で練った。そこに悲壮感らしきものはまるで存在しなかった。