第21話 人は自分の意思で人生を決めるもの
文字数 3,667文字
父親は代々の国会議員で、母親は祖父譲りの大手商社三社の筆頭株主であった。彼は何不自由なく育ち大学を卒業後は、母親の推挙で『山友物産』の海外部に所属した。市場調査の名目で、世界各地の支社を渡り歩き過ごした。それは実質制限のない遊興旅である。
一人息子を溺愛する母親は、『帝王学』を学ぶ機会をと考えての事であった。しかし当の本人は僅か二、三年の間に贅沢の限りを知り尽くし、どんな物でも手に入れることができるという、際限のない『浪費学』を身に着けるに到ったのだった。
クルーザーでまとわり着く女たちと遊興に明け暮れる日々。苦労なくも手に入る金、物、女。そんな無機質な日々は他国の灼熱の太陽でいつしか色あせて――寂しさと空しさが寄り添うようになった。
(俺の根はまじめな性格のようだ)
ある時期、気づいた。
そもそも劉光という名前は母方の祖父が命名したものだ。
祖父の家は代々禅宗を継ぐ僧侶家系であり、
(宗教は本当に人間を救いうる力を持つのか。自分もいつか病み死に至るのであろうか)
その疑心暗鬼が彼の真理追及に拍車をかけた。数多くの宗教書を読みあさり、目につくあらゆる宗派の門をくぐり真剣に修行に励んだのだった。あまりにも稚拙な宗派は三日後に飛び出し、感じるところのある宗派には半年近く住み込み修行を行った。
(何なのだろう、どれも救われない)
大山は夢を見た。化粧を落とした女が笑い、涙しコケティッシュな声で語りかける夢だった。よく見るとそれは大山自身であった。目覚めた彼はゆっくりと深呼吸し再び目を閉じた。瞑想し自分の中にある秘密の考えを呼び出そうかとするように。
いつしか彼は思う。宗教は限られた人々のものでなく、全人類的であらねばならない。理論的にも科学を凌駕し、しかも科学と矛盾しないものでなければならないと考えるようになった。自分も救われ、人の悩みをも救済するものでなければならないのだと。
大山は会社を去り、旅に出た。そして絶対的多数が神と崇める『キリスト教』『ユダヤ教』それに『イスラム教』の聖地を訪れた。
一番感動に包まれたのは『嘆きの壁』に押しよる人々の多さであった。と同時に思った、本来は『感激の壁』であるべきではと。そこは、それほどまでに人々の嘆きに満ちていた。
イスラエルはユダヤ教がおもな宗教で、もともとイスラエルに住んでいたパレスチナ人(おもにイスラム教スンナ派)との争いは、一九四〇年代から延々と続いていた。旅する中で戦火を見て、大山は絶対神である『一神教』は独善的なのではと思った。他を認める寛容性に欠け、今も人びとを争いに駆り立てている事実。――地球上の不幸の元凶だと考えた。
そこで大山は仏教に立ち返り、瞑想の世界で聖人の境地に挑んだ。
だが時として酒や女に溺れる自分が同居している。生易しい世界ではないことも思い知った。平和求道と
そんな大山が帰国したある日。
東京生まれの彼が、京都観光で嵐山の渡月橋を独り散歩していた。その雅やかな古都の橋の上で、偶然にと呼ぶよりも運命的のほうが相応しいだろう、幼馴染の惑星ユリ子に出会ったのだった。
「もしかして惑星ユリ子さんでは」
「あなたは、……大山さん」
多くの女性歴を経てきた大山にとって数年ぶりに見るユリ子は、清楚で現世の菩薩にでも会ったような新鮮な驚きであった。
そんなユリ子は両親を早くに失い、人生に迷い孤独であった。
孤独な二人が心を引き合うのに時間は掛からなかった。
嵐山のボートで会話し何回かデートを重ねた。この時の大山は自分も信じられないくらいのときめきを感じ、これまでの女たちと違いユリ子に対しては紳士で従順であった。
「ユリ子さん、人生は素晴らしいね」
「ええ、こんな人生、夢にも見なかったわ」
――大山とユリ子は間もなく同棲を始めた。
そして煩わしい現世を離れるという意味あいと婚前旅行を兼ねて、二人して長期の世界一周の旅に出発したのであった。それは厳格な母親も喜び祝うほどに、幸せな旅立ちであった。
最初の数年間は世界中の観光地中心の旅であった。ブルターニュ地方の自然の旅。カナダの山々でのビバーク瞑想体験。地中海の海辺で過ごす日々、マチュピチュの遺跡観光――そのうち古代遺跡を巡る旅となった。
いつしか若い二人は物欲と愛欲にまみれた生活となった。それこそが欲望の膿を出し尽くし、仏教でいう
二人はどちらともなくインド北東部ビハール州の
夜風が心地よいなか、満天の星に導かれるかのようにとある菩提樹の近くで一夜を過ごしたのである。
「まるで宇宙に吸い込まれて、消えてしまいそう」
ユリ子は子供の用に、はしゃいでいる。
横になり星々を見ながら二人は将来の夢を語り合い、いつもになく高揚感と神秘に包まれた夜であった。
やがて二人は決意して横たわった姿勢で深い瞑想に入った。
そして時間をかけ、それまで踏み込んだことのない深い意識の底に辿りついた。不思議な幻想を二人して呼び込む運命だったのだ。――そこには、『異形の
その
やがて大いなる自然界の中、広大な朝日で覚醒した二人。
「じつに、爽快きわまりない!」
大山は夢の中で異形の主から
民衆救済を掲げる二人は、日本に帰ると宗教法人『
だが光沢がありよく切れるハサミのように別離は静かに忍びより、立宗宣言からわずか四ヶ月後に二人を切り裂いたのである。
ユリ子が懐妊していることを知り、――その喜びで、夢の主にユリ子の懐妊を告げた。すると主は一信者であった
「……わたくしは京都に住みます」
ある息も凍りつく寒い朝に、教団本部の廊下でユリ子はすれ違いざまに言葉を発した。
「そうか、……たっしゃでな」
すでに二人だけに解る呼吸が存在していたのだ。
「はい、総会長さまも、おげんきで」
この短いフレーズ以外に、言い訳や未練の言葉は存在しえなかった。
教団員への名目は、ユリ子の京都分教会の教会長としての移動であった。
まもなくユリ子が無届で教会を出て行方をくらませたとの報をうけた。
その日は教会本部の庭の桜が春雨で散りはじめた日であった。ユリ子は僅かばかりの生活費と出産費用を引き出したようだ、大山は心で詫びた。
「すまない、ユリ子」
京都での逢瀬を考えていた彼は、身辺調査のプロをつかって全関西の産院を調べさせた。が、もともと肉親との縁の薄いユリ子の消息は、風の中のか細い凧糸のようにすぐに切れてしまった。未練は許されなかったのだ。
およそ二年後に、突然ユリ子は京都教会に現れた。そして娘だというヒカル子を、親しい子のない教会員夫婦と養子縁組をおこない去った。
ユリ子の摩周湖での入水自殺は、ヒカル子十二歳に突如として教会に訪れたその後である。
「ヒカル子、ごめんね」
「うん、お母さんいつ帰るの?」
「そうね、ヒカル子が大人になった時、必ず……ね。今のお母さん優しい?」
「うん。……でも」
ヒカル子は声を出さずに、涙をこぼした。
それは大山に伝わったが、ヒカル子を引き取らずに布教に没頭する。
その後の大山の教義内容や性格は変化して、世界的宗教から自らが学び取り新解釈した構成であった。中でも仏法の教義とキリスト教の聖書からの教義流用が中心であり、時に過去の偉人に憑依して、それを『霊界で得た教え』として信者を教化した。
彼は師匠と仰ぎ、夢に存在する主『オーム・アカンターレ』との『魂の契約』が深まると、やがて総裁となり『真光幸せ教団』は設立からわずか四十年余りで、全国四十七都道府県におよぶ『分教会』という名の拠点を持つに至ったのである。