第13話 ソウル・ジャパンは幽霊擬き?

文字数 9,673文字

 六月中旬の官邸。

「どうしてこうも堅物(かたぶつ)ぞろいなのだ!」
 首相執務室の壁が振動するかと思われるほどの大声。熊本官房長官は初めての音声(おんじょう)に驚いた。
「彼らに平和構想の思いは存在しないのか!」
 言って沙羅は立ちあがり、外の光が差し込む窓の位置まで移動し危険を承知で窓を開けた。
 その怒りで震える背中を見て熊本は口を開いた。
「総理、……すこし性急すぎるのではないでしょうか」
 熊本は沙羅の指示で主要各国の首長宛ての書簡を、事務方を通し領事館経由で送っていた。だがよくは中身を確かめた訳ではなかったが、沙羅の性格からして想像はしていた。
「段階的に、……まずは友好国から始めるべきでは?」
「……」
「これまでの友好国を飛び越えては、仲間内からも顰蹙(ひんしゅく)をかうでしょう」
「……」
 熊本は立ちあがり、沙羅の背後に歩み寄る。
「そうだな。……君のいうとおりだな。――よし、仕切り直しだ」
 それを聞き、熊本は破顔する。沙羅は向き合わせて「ありがとう」と言い、
「君に任せる。よろしく頼む」と頼もしげに言った。
(やはりこの方は、なみの人格ではない)熊本は誇りに思う。

 その日の午後。
 武者小路総理宛に手紙と呼ぶには時代錯誤のような、そんな内容の書簡が届いた。国民や諸団体からの陳情書に紛れ込んでいた。

 六月十五日付消印の手紙の内容はこうだ。
『 拝啓、武者小路沙羅総理殿。 

世は乱れに乱れ、(ちまた)に人々の苦悩は満ち溢れんばかりなり。
過去より世襲したる高邁(こうまい)な学者は多けれども、皆、血筋は鎌倉殿の末裔なるか。
ひたすら机上で文字遊びに興じ、民衆救済の根本解決の手立てを語らず、知らず。

過去にコロナウイルス感染症、全世界に再拡散あり。
ここ近年にして疫病終焉の(ぬか)喜びも冷めやらぬに、
又してもひそやかに、そして際限なく(やまい)は人類の傍らに忍び寄る。
これ意味あって、人類のみに止まらず鳥類筆頭に動植物全般もまたこれに漏れず。
元凶は世界的な異常気象、地球温暖化なりしが、天変地異は万人思想の乱れゆえ。
すべては人類に真摯(しんし)な平和追及、確たる哲学を促さんがためなり。

世界は末法(まっぽう)なる言葉知らず。戦禍は収まる気配なし。これ末法思想を知らぬゆえ。
この先に悪鬼・悪魔の本源がこの世に訪れ、人の身を渡り歩くであろう。
すでに神社仏閣は形骸化して力なく、仏は不在故に『悪鬼入其身(あっきにゅうごしん)』の兆しあり。
貴殿知るや、この人類を責め立てる根源の由縁と由来あること。
由縁に起因する日本国の『宿命』と『使命』の由来あること。

この由来の根源は、すべて過去の釈迦予言『正法・像法・末法』に明確なり。
釈迦滅後の三時(さんじ)、正法、像法、末法の世に伝来したる『仏典』の中に明確なり。
過去に日本伝来するも、その仏典を正しく解釈する僧は(ただ)一人。受難ある僧なり。
その僧のみ身命を()とし、斬首、流罪の試練で開眼する仏なり。
あとの僧、みな知らず。正しき法を打ち捨て世法に下る。遊楽妻帯し小乗を説く哀れ。
無知の衆生に対し来世安楽のみ説く。ゆえに衆生の現世の苦は去ることなし。

また過去に聖徳太子曰く。
「日いずる処の天子、書を、日没する処の天子に致す。つつがなきや」と隣国をいさめる。
世界に唯一御座(おわ)す、万政一系・日本国の皇帝・天皇家こそ平和象徴なり。
これ大日本帝国憲法(明治二十二年)下で定めたる、他国侵略の定義には(あら)ず。
『記紀』前の万の神々(よろずのかみがみ)は荒れ狂い、争いの国家であった。
仏教伝来により『仏と神』概念が根づき、神々は本来の働きを得て、一時期、太平の世となる。
それにて明治に至るまで、天皇の信仰の中心は仏教であった事実。強い信仰心をもっていた。
すなわち明治混乱期に築き上げたる政の陰謀(まつりごとのいんぼう)。国学者共謀の『国家神道(しんとう)』『征韓論』なり。
鎌倉武士の亡霊は国勢拡大をもくろみ、征韓論を世界制覇へと押し広げた愚行者なり。
そのために現人神(あらひとがみ)と仕立てられた天皇は哀れなり。
この義、誤解なきよう理解すべし。
天皇は推古天皇精神に帰るべし。これを推し立て世界平和を築くべき時、今に到来なり。

我、神仏の足元にも及ばねども、深き魂の由縁あり。
よってここに『全世界国家諌暁(こっかかんぎょう)』を致すものなり。
これ(ひとえ)に、世界に人類未到の平和世界を(もたら)すべしとの思いなり。
鎌倉よりの末法、時至り久しい。もはや躊躇なく行動すべし。
この箴言(しんげん)無視すれば、世はいよいよ乱れ悪鬼蔓延(はびこ)るは必定なり。
日常の惨事の由縁は、すべて(まつりごと)の範疇なり。

我に力はあれども、すでに愚行犯すゆえにその記別なし。
実行するは、仏教東漸(とうぜん)の地、日本国に(ゆだ)ねたれたると知る。 
衆生に若き機根熟(きこんじゅく)し、時ついに至れる。このこと、広く世界に宣言し告知すべきなり。
ここに貴、若き勇者・武者小路総理殿の英断を仰ぐものなり。 

釈尊の予言したる使命深き国は日本。
行うべきことは明確なり、『世界平和立国宣言』なるか。
このことで戦禍止むばかりでなく、自然界をも安定すること必定なり。
自然界はまことに不思議なり。すべて人類の心根(こころね)とつながり生きるもの。
それ人智では推し量れぬもの。不思議なる回復力を秘め存在するものなり。
れいせば、海に岩礁(がんしょう)築けば海藻育つなり。ついには魚類寄り栄えるがごとし。
海洋安定すれば自然界うるおい、雲界の気候は安定するなり。
人びとに安定を目指す機運あり、やがて水循環穏やかに推移するよし。
雨塊(あめつちくれ)を破らず風、枝を鳴らさずと申すは受難聖人の言葉なり。
その時は至り眼前にあり、政の良心を動かしぬれば変革必然なるか。
世界に率先垂範の国を訪ぬれば、この国よりほかになきなり。

若き貴殿、このこと狂言にあらず心して信ずべし。

恐々謹言  ソウル・ジャパン  』
                                    
 この手紙内容は書記官によって総理に報告され内閣で閲覧協議されたが、程度の悪い右左翼絡みの嫌がらせだと軽く無視された。――すると間を開けず二日後に、まるでそのことを見込んだかのように、再び手紙が官邸に届いた。
 その手紙の消印は前回と同じ千代田区内からであった。

『 拝啓、武者小路沙羅総理殿。

我は生まれしより、久しくこの時の到来を待つものなり。
我がこの時期に至り、貴殿を選んだ理由あり。
戦後最年少の盛年(せいねん)総理ゆえに、柔軟対応の(うつわ)と判断のゆえなり。
もっとも(にわか)には信じがたき箴言ではありましょう。
とりまきの無視と躊躇は、ながき慣習ゆえに無理の無い話であります。

そこで僭越(せんえつ)ながら我の予知・予言力を披露しようと思う。 
この力は正義心に基づくソウル・マジックなり。
決して奇をてらい不安を煽る意図でも偶然でもないと知るべし。
つとめて誤解なきよう、後々の英断を仰ぐものであります。

次の三点は本来であれば避けたい内容、しかし避けがたき歴史あり。
歴史の流れは意図と矛盾に満ち、必然を避けることは叶わないもの。
これ、とある(ことわり)ゆえ、意味を含み人類を導かんがために。

 その一 ユズラエル国での婦人大量殺戮発生。
 その二 太平洋上にてとある核爆破あり。
 その三 阿蘇山大噴火の国難あり寸時に対応すべき。

いずれもこの惑星に、今は神と仏は不在ゆえここ数日の出来事なり。
明後日の阿蘇山大噴火は、(いにしえ)の卑弥呼抹殺の怨念、遠縁なるか。
されど仏の国の慈悲にて。数日の猶予が与えらしものなり。善処すべし。

『世界平和』実現に、武力はいかほども意味を持たない。
『非核三原則』この尊き精神を、日本国は厳守すべきであります。
心して、西洋思想になびき迎合すべきではない。
あくまでも日本は仏国土(ぶっこくど)、武器なし『中立国』を目指すべし。
これが日いずる国、仏と(よろず)の神々の縁深きスタンスであるべき。

このことよくよく肝に銘じて決断すべし。
失礼ながら、再度、 
若き武者小路総理の英断を促すものなり。 

恐々謹言  ソウル・ジャパン 』
            
 ――いたって短くも、笑えない内容である。
 大胆にも前回文の無視を確信していて、即刻に書かれたものなのだろうか。
「なんとも、ふざけた内容。国民の不安をあおり、新政権をおとしめる策謀だ」
「今をよく思わぬ野党の陰謀ではないか」
「全世界国家諌暁――過去の僧、日蓮の『立正安国論』きどりではないか」
 新政権の閣僚から、不逞の人物、あるいは組織に対して怒りの声が上がった。だが単に犯罪を目論む輩だとの見解で、騒ぎを世間に出さずに秘密裏に検挙すべきだとの方向に話は進んだ。

「……たしか日蓮という僧は、鎌倉幕府の第五代執権であった北条時頼に対して、世の乱れは信仰の誤りによるといさめた――元寇や内乱を予言し、的中したとも。単に世界情勢にあかるかったからとも諸説ある。ただ、自らの命を顧みずに時の権力に物申した僧は、日蓮のみであったという。実際に他宗に恨まれ『斬首の刑』や『数度の流罪』にあっても生き延び――法華経に背き続ける限り、国土の三災七難は治まらないと未来にまで続く趣旨の『奥書(おくがき)』を書き残していると聞く」
 ソウル・ジャパンのその周到さに、心揺らぐ沙羅であった。

 その思いを全閣僚に相談したが真に受ける者はなく、ついには精神異常者による『狂言』だと片付けられる気運たった。
 だが沙羅は自身の心の揺らぎを無視できなかった。――無視すべきでない――直接に自衛隊幕僚長に指示を出し、阿蘇山観測所への警戒情報は通達され、陸上自衛隊員による現地立ち入り封鎖の手がうたれた。
 はなから国会の無視を想定している。――これは姿が見えないが狂人にできる謀略ではない。強い本気度を沙羅は感じながら、その二通の書面に再び目を通した。単に新政権に対する嫌がらせにしては回りくどく、奇妙過ぎる文面であった。

 沙羅は側近の熊本官房長官に率直に言った。
「これは時代錯誤もいいところだな、このどこかの聖人気取りの輩は、……単独犯だろうか、あなた――幹事長はどう思う」
 沙羅はまだ自分以外の年配閣僚を君と呼びきれない。
 その熊本は、手紙の写しに目を配ったあとで笑って応えた。
「おそらくは単独犯でしょうね。総理のいわれる聖人とは、例の鎌倉時代の僧侶(そうりょ)でしょうか……しかし総理を持ち上げているようでもあり、これまでの政権を揶揄(やゆ)しているようでもある、少し手の込んだ僧侶まがいの文面ですね」
 無難に答えた。
「官房長官は過去の歴史で『立正安国論』なる――(これはのちの呼び名だが)――時の鎌倉幕府第五代執権に提出された国主諫暁書のことを知っているね」
 沙羅は尋ねた。
 それを聞き熊本は、盛んに熊のように首を振り振り言った。
「ええ、概略は学んだ覚えがあります。……確か、日蓮宗系の創始者ですな。え―と、なんだっけ。たしか難しい言葉で……『他国侵逼難(たこくしんぴつなん)』と『自界叛逆難(じかいほんぎゃくなん)』でしたか。その予言書と似た形式ではありますな」
 沙羅は熊本が、浄土宗の宗徒であることを知っていた。
「確かに似てはいるが、日蓮のものは客人と主人の問答形式だった。過去の仏法僧は、盛んに他宗派とのあいだで、問答形式での論戦が持たれたと聞く。やぶれた僧は、いさぎよく改宗したとも」沙羅が答えた。
 
 コホンと咳をして、沙羅は続ける。
「その諫暁書の中で、日蓮が当時に飢饉・疫病・地震・暴風雨などの災害が多発していた原因。これは、――ある意味現代との共通項であるがそれらが誤った宗教によるとし、その筆頭に念仏批判が展開されていた。更に真言密教加えた。それに激昂した浄土宗門徒による襲撃事件も発生したと聞く。世にいう『松葉ケ谷(まつばがやつ)の法難』だと。また書簡内容が『執権批判』と見なされ、翌年に日蓮は伊豆国に流罪となっている。――ネットで調べた情報だがね」
「……」
「……やく二年間の伊豆伊東配流中に、日蓮の監視に当たった地頭の何がしは念仏者だったが、病を得た折に日蓮の祈念によって平癒し帰依(きえ)している。……そのこととの関りは不明だが、再び北条時頼によって日蓮は赦免された。……本来ならばこれに懲りるのが人間の常、あろうことかその僧は、度重なる法難こそが法華経の行者の証明であるとして、故郷にて立宗宣言をしたのち母親の死を看取っている。その折、地頭・東条景信らによって日蓮と信徒は襲撃をうけ、死者も出て壊滅的打撃を受けた(小松原の法難)。それでも布教は続けられ、残りの予言である他国侵逼難すなわち『蒙古襲来』も実現した。――この構図、今回に実現なれば、……いや、狂言と信じたいが」
「……」
 熊本は息をつめ答えない。

「――このことで日蓮は確信を深め、その時の八代執権・北条時宗、侍所所司・平頼綱らの幕府要人らのほか、鎌倉仏教界の主要僧侶に対して十一通の書簡を発している。これはかなりの度胸……覚悟だね。調べたが史実として書面が残っているね。内容は、諸宗との公場対決を要求している。が、諸宗はこぞって無視して、日蓮らを危険集団と見なしたようだ」
 ここで沙羅は、笑みを浮かべた。
「当時は旱魃がひどかったようだ。それで幕府は有力僧に祈雨の祈願を要請したようだ。真言律宗教団の中心人物であった僧・極楽寺の良観(忍性)に対してね。日蓮は降雨祈願の勝負を申し出ている。しかし良観はこれに応じず、侍所の平頼綱に尋問させ、鎌倉中を引き回したのち夜間に日蓮の斬首を画策した。……官房長官も知っているだろう、江の島の光ものの件(龍の口の法難)と、その後の『佐渡流罪』からの生還を」
「総理それは、……あくまで伝承では」
「偶然にしては出来過ぎだし、……多くの文献も残っているようだ」
 沙羅が最新の『AI問答』検索で得た情報データーだった。
 総理机の上には歴史学者からの返信も混ざっていた。

「しかし、……似てはいるが対象が全世界宛のようだ。各大使館から私宛に問い合わせが入っている。その書面の記載概略はほぼ同じだが、国に応じて文面がことなるようだ。多分AIによる分別作文だろう。基本的に他国の『一神教批判』ではあるようだが、その国の思想や哲学を絡めて警告しているようだな。――それに、結論的に日本国の使命論なるものを申し添えている。これには激怒する国もある。我が国に対してね」
 沙羅は大量の書面を、熊本のデスクの上に投げ渡した。
「総理、この一件はもしかして『公元党』の支持母体信者が関係して……」
「いや、多分それはないと思う。――官房長官は閣僚として、前の連立政権下でかかわったと聞くが、与党の政策実現で尽力した公元党、まさかその支持母体機関誌を一度も見聞したことがないのかい。……今の彼ら、国内外の識者や国連が認める常識路線そのものだ」
 沙羅は、あきれ顔で言い、思った。

(確かに公元党の立党時には、世間の注目を浴び一時期政教分離に関して問題はあったが、その後、質問主意書への内閣の回答で、公元党は政治上の権力に当たらないという見解が示されている。それに国際的にみれば、宗教そのものの政党が多く存在しているのが実情だ。考え方によっては『統一教会』で明るみになった、日本政治家個人の宗教利用よる集票利用こそが問題だ)

 沙羅には今回の諫暁書が、何故か彼の伯父が不慮の死に至った問題と密接にリンクしている気がしてならない。それにまだ実感が伴わないが、今回の予言のすべてが虚妄であって欲しいと思っている。
 だが、――そのソウル・ジャパンによる予言は、実際に手紙到着の三日後に発生したのであった。――このことで、沙羅首相を筆頭に官邸内は大混乱を招いた。予言は狂言ではなかったのだ。世界の要人も驚いたことであろう。

 まずは中東の『ユズラエル国』で、現政権に抗議する八百人を超える女性蜂起による平和デモ行進が行われた。その群衆に向けて、容赦のないユズラエル原理主義政府の機動部隊による機銃発砲事件が発生したのである。あきらかに反対勢力への見せしめだと思われる。その死者数は、国際社会からの非難を無視し、これまでにない最大規模の死者数に及んだ。
 二つ目の予言は、同時刻に遠い空で発生した。
 それは太平洋のど真ん中、その上空での『核弾頭を実装』した弾道ミサイル爆破発生である。これについての各国の報道は『ミサイル常習国、北のあの国か!』との憶測がまず飛んだ。
 だが約一時間後になって、アメリカ・ペンタゴンより関係諸国に向けて、緊急発表があった。この報道は前代未聞の速さであった。

『太平洋を航行中の戦略ミサイル原子力潜水艦(SSBN)で、想定外の事象でミサイルが誤発射された。幸い発射後一分後に我が軍によって自爆処理された。したがって人的被害と津波被害には一切及ばない。あくまでも誤発射であり、他国工作によるものでもない。搭載された『核弾頭』は、どの国をも対象にしていない。その艦は、海軍のオハイオ級原子力潜水艦の一隻である『トライデント』である。不慮の事故ゆえ、各国に対し遺憾と共に深くお詫びをする』
 本来なら米国に限らず、軍事事象は機密主義が鉄則である。
 だがそこまで明かさないと収拾がつかないとの、米国政府の英断であろう。事故原因究明チームを結成して、徹底した放射能検証を行うと共に、核爆発地点の正確な情報を開示することで、事故現場近海のあらゆる船舶の航行禁止を訴えていた。――後日、原因は艦内責任者による錯乱状態での突発事故だと判明した。

 ――もはや疑う余地はない。日本政府は武者小路総理の命で、鋭敏に行動に移した。ヘリも動員し自衛隊先導による阿蘇山地域全民の退避行動である。同時に半径二十キロ圏内の立ち入り禁止が敢行され、住民が周辺都市の大型施設に避難したあと、その近代未聞の大噴火は発生した。噴煙は遠方の都道府県からも望まれるほどの規模であった。

 京都・西賀茂署所属の赤松警部補は、リストを見つめ溜息をついた。
 手渡された『全世界国家諌暁書』の写しと、国会周辺の監視カメラからAI選択された写真リストである。赤松は諫暁書内容よりも、ポスト投函者個人に関心がある。それは今どきの4K精度で写し出されたものだが、彼の溜息の原因は、京都関係者三十数名の中に三名の住所不定者が含まれていたからだ。
 その中の二名については単にチンピラヤクザで、最近の顔写真付で所在が判明したし完全に白だった。今回のような大胆なことのできるタマでは到底ない。ところが残りあと一名が問題だった。――赤松はそうであってほしくなかったのだ。もう一度、彼は深い溜息をつきSATメンバー専用コンピューターと会話を始めた。

 その人物映像は近年に流行った『疫病』を思い出させる変装姿であった。
 細身長身で黒ハンチング帽と顔半分を覆った黒マスク、そのうえサングラスときている。ハンチング帽子からのぞく黒髪は東洋系だ。いくら自慢の高性能スパコンでも、人物特定は不可能の領域映像だ。とんでもなく尋常ではない人物だが、それこそが極めて濃厚なソウル・ジャパン候補ということになる。
 赤松は、残りのファイルをデスクの奥に押し込んだ。
(どうやら上層部は期待を込めてこの写真を俺に回したに違いない。俺がSAT・J(特殊急襲部隊J)に属している事を知る幹部だろう)冷静でかつ自尊心の高い赤松はそう思った。
 パソコンを操作しながら呟く。この(しゃべ)り作業は彼の癖である。
「諫暁書の文体もそうだが……服装、体形、その動きから見て明らかに若者でなく四・五十代だろう。しかし若い感覚の持ち主だ。靴はナイキの最近のデザイン。腕時計は――ありきたりなシチズンだが、……オーダ・メイドだな。これは確か、……アテッサ FTSエディションで間違いない。しかも右手に装着、左利きのようだな」
 赤松は腕時計マニアで、本人は質素なタイメックスを使っている。
「おっと、『りゅうず』の貴石はブルーサファイアときている。あえて質素な時計と服装だが、お洒落で収入は安定しているようだな」
 彼は腕時計の線から、この意味不明な犯人を辿ることに決めた。
 動きを止め、ボールペンを(くわ)え画面を睨みつける。――やがて気が済んだのか、おもむろに濃イエローのマグカップの冷めた珈琲を口に含んだ。
 薄暗いこの部屋は、署内の奥にひっそりと存在するSAT・J専用の空間だ。誰人も立ち入り禁止の、冷ややかな孤独が詰まった部屋である。 

 ――赤松警部補の捜査は難航した。
 まず時計メーカーからの追跡で、オーダ・メイド依頼主の所在はすぐに明らかになったが個人名ではなかった。依頼主の指定ネームは『Japan・Soru』の刻印指定である。しかも送付先名は『京都湖畔ホテル』内のソウル・ジャパン宛であった。
「こいつ外国籍か?」
 それは数十年も前のオーダーだった。個人保護法の流れで詳しい注文詳細記録は一切残されていなかった。黒塗りのオーダー原本を預かり特別なAIを駆使して探り当てた。赤松は、その日のうちにホテルに聞き込みに向かった。

 応対の事務長では皆目分からず、そのうち勝飛(かつとび)と名乗る支配人が現れた。
「二十年前にさかのぼり調べさせましたが、そのお名前での従業員は見つかりませんでした。それに外国従業員名簿にも在籍記録が残っていません」
 勝飛支配人は、申し訳なさそうにそう告げてきた。
 だが赤松は食らいつく。
「そうですか、……お手数かけますが、過去の顧客名簿をお調べくださいませんでしょうか。当然のこと情報保護の存在を承知していますが、実は国家的事件が絡んだ問題でして、――もし必要とあれば、裁判所の許可書をご用意致しますが」
「……分かりました。少しお時間を頂けますでしょうか。もし分かれば、ご連絡させていただきます」体育系らしく長身で大柄の支配人は、薄い唇に微笑みを湛えて返事した。

 連絡は翌日に、勝飛支配人直々に電話があった。 
『わたくしが入社以前にいた社員が、天皇崇拝者で変わり者だったと知る社員がいました。名前はカモハタ・ユキヨシ、印象深い名前だと憶えていました」
「ありがとうございます。それで」
 赤松の声が弾んだ。
『それで事務長に調べさすと、古いのですが二〇〇〇年の社内旅行の際の保津川下りの写真が見つかり、記憶ある彼に確認してその男が特定できました』
「本当ですか、ありがたい」
『いえ、……それが、サングラスをしているうえに、斜めむきで不鮮明なのです。どうも故意に避けているとしか見えませんね、これは……』
「……そうですか。とにかく伺いますので、その写真と彼を知る従業員さんにお会いできますでしょうか」
「ええ、かまいません。年配の河西――従業員の名前ですが、彼は本日の午後二時に出社です」
「わかりました、その時間にお伺い致します」
 赤松は少し落胆したが、会えば何とかなるかも知れないと自分を鼓舞した。写真の送信のみであれば現代は生映像並みの精密転送だが、人との会話にこそ思わぬ収穫が隠れていることを彼は熟知している。
 
 赤松は電話を切ると、SAT・J専用のパソコンを起動して、カモハタの情報検索にとりかかった。ここには普通のAI・PCでは検索不可能な個人情報が網羅されているのだ。一つ間違うと違法がらみのデーターであったりする。
 個人データー専用サイト(ゝゝゝゝゝ)を立ち上げデーターを入力した。
 瞬時に被疑者の詳細データーが表示された。しかしそこに顔写真はなかった。通常最先端テクノロジーによって、AR(拡張現実)グラスなしでリアルな本人(ゝゝ)の上半身がディスプレイ表示されるのだが、それがない。かわりに複数の住所データーと、複数の名前が表示された。
「一体、なんなのだ。このでたらめの表示は?」
 驚き顔で赤松はしばらくデーターを眺めていたが、やがてゆっくりと首をかしげた。怪訝な面持ちで何度かタッチ・キーボード操作をくり返した。そのたびに別データーが表示される。
「本籍地は、新潟、長野、高知、長崎、京都、千葉……名前は賀茂秦亮馬、賀茂秦行良、星国亮馬、星国行良、李哲植、高橋昇……正真正銘の不審者だ」
 それでも赤松は執拗に検索を続けたが、やがてエネルギーの備蓄を使い果たしたような顔をして、柔らかい椅子に深く身を沈めた。そして呟いた。
「この男、まるで、……たましいのない幽霊だ」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

生更木慶治《きさらぎけいじ》・四十歳



1990年生まれ2002年12歳に光体験。



ホテル警備夜勤勤務・高知県梼原町の出身。京都上賀茂に住む。坂本龍馬の信奉者右手で右耳の上の髪を掻く癖あり。名字由来は春に向けて草木が更に生えてくるとの意味。名前は小学生で亡くなった弟の忘れ形見(改名)。



極端な猫舌。基本黒Tシャツに上着。ブルージーンズ。夢の世界の宇宙と現世をつなぐ『夢の門番』で主人公。

下弦野登人(かげんのとひと)・四十歳 



エレベーター保守会社夜勤勤務。高知県羽山町出身須崎の工業高校の同級生190㎝の長身猫背。穏やかな性格だが剛毅。真剣に考える際に鉤鼻を親指と人差し指で挟みこする癖。ダンガリーシャツと薄ピンクのジーパン。

九條蓮華(くじょうれんか)・二十八歳 



『北京都病院』と北都大病院勤務の看護師。献身的看護で慶治の恋人となる。京都出身だが実家を離れ紅ハイツに住む。

五十嵐時雨(いがらししぐれ)・三十歳 



下弦野登人の通いの恋人。四条の電気器具販売店勤務。新潟の五泉市出身。色白美人。ぽっちゃり丸顔で色気あり。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み