第19話 沙羅首相狙撃事件からの始まり――(2)
文字数 3,222文字
「そうです」
おだやかな割に返答が早い。
「どんな姿であったろう」
「はい。近年韓国の考古学者の調査によって、韓国南部で十数ヶ所の前方後円墳が発見されています――隠された真実は、いつの日か歴史のなかで浮かび上がるもの――真実、日本の古墳とよく似ています。埋蔵物も大和特有の円筒埴輪や貝製品、それに巴形銅器など否定しようのないものばかりです」
「ふむ……」沙羅は腕を組む。
「ちなみにこの時期に作成された『記紀』には、これらについて述べられていません。理由はあるのですが、ここでは述べません。ただ『日本書紀』には、朝鮮半島南部の伽耶 (任那)に関する記述があり、倭国の出先統治機関が存在したことが記されています」
SJは考古学者のように語る。
沙羅は『記紀』程度にしか知らないが、衝撃を受けていた。
さらにSJは言葉を継ぐ。
「奈良で仕切り直しを画策した権力者にとって、特に豪族男にとって、卑弥呼の実績は非常に都合の悪い内容。ですから過剰に男子天皇にこだわり神格化する必要があった。そのため編まれたのが『日本書紀』と『古事記』という『神話』なのでしょう。初代天皇だといわれる神武天皇の『神武東征』はその最たる逸話で、これが自国の民をあざむく手段だったと考えられます。国学者らが為政者に忖度して、ことさらそれを助長した。これを踏襲する現代学者の学識は、理解しがたい稚拙さに満ちています」
「そのあなたの推論も、憶測にもとづいたものでは、……」
沙羅は冷静を保ち反論を述べた。だが男にはたじろぐ気配が感じられない。
「……先に述べた八百万の神は、日本国民の寛大な精神の源泉ですが、これだけでは庶民は救われなかった。素戔嗚尊 に代表される荒ぶる神々に、仏教伝来により慈愛の仏が加わり、すなわち『神仏習合 』によって、はじめて日本の衆生は救われたのです。……それを宣揚した天皇が存在します。第三十三代推古天皇ですね、しかも女性天皇であられます。元々の天皇家に、男尊女卑の思想などいっさい存在していなかった」
理路整然とSJは語る。
「それにしても、ソウル・ジャパンいい呼び名ですね」
沙羅は今日の問答に、日本のみならず人類の平和な未来が宿っているような気がして心が躍った。(実に魅惑的な発想だ)さらに訊く、
「この先に、どのように舵をとればよい」
もはや総理という鎧を脱ぎ捨て、沙羅は五十年配の男に謙虚に問うた。
「人を繰る悪魔。つまり根源悪と選ばれた正義の戦士らが近々に対峙 します。勝利は決して簡単ではないと思います。そこで……総理に望みたいことがあります。国内外に発信して戴きたいことです。決して容易な内容ではありません。確たるヤマト魂、勇気と英断が必要となりましょう」
「戦争のための武器の放棄です」
「なんと! それは自衛隊解散か?」
「いえ、自衛隊そのものではありません」
「……どうして。……防衛バランスがくずれてしまう」
(それでなくても、中国が領海侵犯をおかしている)――沙羅は武器増強を保持したうえでの対話路線であり、それが現実的で効果的なやり方だと考えていた。SJの提案は受け入れられるはずがない。(非現実的だ!)
SJの表情に憂いが漂う。そして微笑み言った。
「総理は塚原卜伝についてご存じですか」
「名は聞いたことがある」
「剣聖、宮本武蔵の兵法 と塚原卜伝の兵法は対極的に語られていますね」
「……うむ、たしかに違う」
「武蔵は百戦錬磨の剣豪、受けた傷も多かったようですね。いっぽう卜伝は百戦無傷の剣豪といわれています。いずれも伝承話ですから信憑性は別として、武蔵は享年六十四で没し、卜伝は享年八十三の長寿だと云われています。総理はどちらのタイプでしょう?」
「……」
「卜伝は琵琶湖の船中で若い剣士と乗り合い、卜伝だと知ったその剣士が決闘を挑んだ。卜伝はのらりくらりとかわすが血気にはやる剣士。周囲に迷惑がかかることを気にした卜伝は船を乗り換え、二人で湖内の小島を目指す。先に剣士が浅瀬にとび降りると、彼はそのままなにくわぬ調子で、櫂を漕いで島から離れてしまった。取り残された剣士が大声で卜伝を罵倒するが、卜伝は『戦わずして勝つ、これが無手勝流だ』と高笑いして去ったようです。フッフッフ」
沙羅はいつか聞いた話だとおもった。
「凶器は人間の持つ狂気をあおります――シャレではありませんよ」
言ってSJは声を抑え笑い、すぐに真顔で、
「武器の放棄、核の放棄。――これまで誰もなしえなかった決断です。つまり無手勝流」
すんなりと言う。
「……!」
「それこそが真の『大和魂 』だとは思いませんか? 総理」
夜の静寂 が声を失っている、と沙羅おもう。
「勇気の根源はタマシイです」
さらなる言葉が心に刺さり、沙羅の頬が赤らんでくる。
「核の脅威に対する想像力の貧困さは、一部の平和論者たちの地道な実践によって変化し始めています。この先の総理の行動しだいで、それこそ核の連鎖反応のように人類は新しいステージを築くことでしょう。――目覚めです」
「わかりました」
沙羅は、目の前のSJ、ソウル・ジャパンによって『使命』が浮き彫りになった気がする。
「やりましょう! 武器の全面放棄、絶対に!」
正直、難題だ。だが必死になれば、きっと世論が後押しをしてくれるだろう。そう沙羅は確信し、決意していた。それを聴きSJは、
「そう、日蓮は安国論の中で、□ に玉(王の意)の国でなく、民 の字を多く使った。民意をくみあげるのが指導者の度量の広さ、立派です沙羅総理殿。……もう五、六年前から政治家の世代交代が始まった。その時、若手で――確か四十三歳だったとおもうが、彼が総裁選に挑戦した。ただ、八十四歳の老練な副総裁に翻弄された――そして、ついに民意は若さだけでなく、平和思考を持った指導者の登場を願ったのでしょう」
誇りに満ちた顔の沙羅に、「あ、そうそう」と言った。
「丁寧に国民に訴えて、天皇の復権を回復してくださいね」
「天皇の復権? どういう意味ですか?」
「……実はご存じでない国民が多いのですが、明治政府以前は、もっと具体的にのべれば平安時代から明治に至るまで、天皇のことは天皇自身が決められていたのです」
「えッ」
沙羅は、ワイシャツボタンを外して身を乗り出した。
「明治までは、宮中の役職である内侍所 や蔵人所 の任命は、おもに天皇によって行われ、内侍所は、天皇の身の回りの世話や宮中の儀式を担当する女性たちの役所で、長官である尚侍 は天皇の信任を受けた女性が任命されました。蔵人所は、天皇の秘書的役割を果たす男性たちです。長官である蔵人頭 は天皇の信任を受けた高位の貴族が任命されました――ようは、明治の新政府は天皇の意思を無視して、政治と神道に紐づけする目的で、言葉は悪いが、政治が憲法で縛ったのです」
――とてもながい沈黙が二人を支配した――。
ふう、と声を発したのは沙羅総理であった。そして、
「これは、国民に知らせるべきだ。恐れ多くも天皇を蹂躙したうえに、宮内庁という定着化した庁を利用して、女性天皇うんぬんと、よくもまあ国民を騙したものだ!」
「まあ、落ちついてください総理。――それにしても小室真子さん、良かったですね。天皇家は重責を担っていますが、一人間として幸せであるべきです。国民も意識変化が必要でしょうね。この先、天皇は誇り高き、日本だけではなく世界の平和の象徴となるでしょう」
沙羅総理は、もう一度しみじみと言った。
「ソウル・ジャパン、……いい名ですね。それに不思議な名だ」
「焦らず行きましょう、大丈夫です」
SJは左手のグラスを上げたのち、旨そうにブランデーを飲み干した。
沙羅がふと気になり、窓外に目をやる。そして暗い闇に雨が降っていることに気がついた。
そして再び視線をソウル・ジャパンに戻すと、最初がそうであったように、彼は自然に消えていた、なんの残像も残さずに。――夢のようだが夢ではない――。
おだやかな割に返答が早い。
「どんな姿であったろう」
「はい。近年韓国の考古学者の調査によって、韓国南部で十数ヶ所の前方後円墳が発見されています――隠された真実は、いつの日か歴史のなかで浮かび上がるもの――真実、日本の古墳とよく似ています。埋蔵物も大和特有の円筒埴輪や貝製品、それに巴形銅器など否定しようのないものばかりです」
「ふむ……」沙羅は腕を組む。
「ちなみにこの時期に作成された『記紀』には、これらについて述べられていません。理由はあるのですが、ここでは述べません。ただ『日本書紀』には、朝鮮半島南部の
SJは考古学者のように語る。
沙羅は『記紀』程度にしか知らないが、衝撃を受けていた。
さらにSJは言葉を継ぐ。
「奈良で仕切り直しを画策した権力者にとって、特に豪族男にとって、卑弥呼の実績は非常に都合の悪い内容。ですから過剰に男子天皇にこだわり神格化する必要があった。そのため編まれたのが『日本書紀』と『古事記』という『神話』なのでしょう。初代天皇だといわれる神武天皇の『神武東征』はその最たる逸話で、これが自国の民をあざむく手段だったと考えられます。国学者らが為政者に忖度して、ことさらそれを助長した。これを踏襲する現代学者の学識は、理解しがたい稚拙さに満ちています」
「そのあなたの推論も、憶測にもとづいたものでは、……」
沙羅は冷静を保ち反論を述べた。だが男にはたじろぐ気配が感じられない。
「……先に述べた八百万の神は、日本国民の寛大な精神の源泉ですが、これだけでは庶民は救われなかった。
理路整然とSJは語る。
「それにしても、ソウル・ジャパンいい呼び名ですね」
沙羅は今日の問答に、日本のみならず人類の平和な未来が宿っているような気がして心が躍った。(実に魅惑的な発想だ)さらに訊く、
「この先に、どのように舵をとればよい」
もはや総理という鎧を脱ぎ捨て、沙羅は五十年配の男に謙虚に問うた。
「人を繰る悪魔。つまり根源悪と選ばれた正義の戦士らが近々に
「戦争のための武器の放棄です」
「なんと! それは自衛隊解散か?」
「いえ、自衛隊そのものではありません」
「……どうして。……防衛バランスがくずれてしまう」
(それでなくても、中国が領海侵犯をおかしている)――沙羅は武器増強を保持したうえでの対話路線であり、それが現実的で効果的なやり方だと考えていた。SJの提案は受け入れられるはずがない。(非現実的だ!)
SJの表情に憂いが漂う。そして微笑み言った。
「総理は塚原卜伝についてご存じですか」
「名は聞いたことがある」
「剣聖、宮本武蔵の
「……うむ、たしかに違う」
「武蔵は百戦錬磨の剣豪、受けた傷も多かったようですね。いっぽう卜伝は百戦無傷の剣豪といわれています。いずれも伝承話ですから信憑性は別として、武蔵は享年六十四で没し、卜伝は享年八十三の長寿だと云われています。総理はどちらのタイプでしょう?」
「……」
「卜伝は琵琶湖の船中で若い剣士と乗り合い、卜伝だと知ったその剣士が決闘を挑んだ。卜伝はのらりくらりとかわすが血気にはやる剣士。周囲に迷惑がかかることを気にした卜伝は船を乗り換え、二人で湖内の小島を目指す。先に剣士が浅瀬にとび降りると、彼はそのままなにくわぬ調子で、櫂を漕いで島から離れてしまった。取り残された剣士が大声で卜伝を罵倒するが、卜伝は『戦わずして勝つ、これが無手勝流だ』と高笑いして去ったようです。フッフッフ」
沙羅はいつか聞いた話だとおもった。
「凶器は人間の持つ狂気をあおります――シャレではありませんよ」
言ってSJは声を抑え笑い、すぐに真顔で、
「武器の放棄、核の放棄。――これまで誰もなしえなかった決断です。つまり無手勝流」
すんなりと言う。
「……!」
「それこそが真の『
夜の
「勇気の根源はタマシイです」
さらなる言葉が心に刺さり、沙羅の頬が赤らんでくる。
「核の脅威に対する想像力の貧困さは、一部の平和論者たちの地道な実践によって変化し始めています。この先の総理の行動しだいで、それこそ核の連鎖反応のように人類は新しいステージを築くことでしょう。――目覚めです」
「わかりました」
沙羅は、目の前のSJ、ソウル・ジャパンによって『使命』が浮き彫りになった気がする。
「やりましょう! 武器の全面放棄、絶対に!」
正直、難題だ。だが必死になれば、きっと世論が後押しをしてくれるだろう。そう沙羅は確信し、決意していた。それを聴きSJは、
「そう、日蓮は安国論の中で、
誇りに満ちた顔の沙羅に、「あ、そうそう」と言った。
「丁寧に国民に訴えて、天皇の復権を回復してくださいね」
「天皇の復権? どういう意味ですか?」
「……実はご存じでない国民が多いのですが、明治政府以前は、もっと具体的にのべれば平安時代から明治に至るまで、天皇のことは天皇自身が決められていたのです」
「えッ」
沙羅は、ワイシャツボタンを外して身を乗り出した。
「明治までは、宮中の役職である
――とてもながい沈黙が二人を支配した――。
ふう、と声を発したのは沙羅総理であった。そして、
「これは、国民に知らせるべきだ。恐れ多くも天皇を蹂躙したうえに、宮内庁という定着化した庁を利用して、女性天皇うんぬんと、よくもまあ国民を騙したものだ!」
「まあ、落ちついてください総理。――それにしても小室真子さん、良かったですね。天皇家は重責を担っていますが、一人間として幸せであるべきです。国民も意識変化が必要でしょうね。この先、天皇は誇り高き、日本だけではなく世界の平和の象徴となるでしょう」
沙羅総理は、もう一度しみじみと言った。
「ソウル・ジャパン、……いい名ですね。それに不思議な名だ」
「焦らず行きましょう、大丈夫です」
SJは左手のグラスを上げたのち、旨そうにブランデーを飲み干した。
沙羅がふと気になり、窓外に目をやる。そして暗い闇に雨が降っていることに気がついた。
そして再び視線をソウル・ジャパンに戻すと、最初がそうであったように、彼は自然に消えていた、なんの残像も残さずに。――夢のようだが夢ではない――。