第6話 夢宙育ちの破天荒姉妹は美しい

文字数 5,884文字

「ちょっと、どけてくんない。このぶっとい足!」
 姉の美宙(みう)が、胸の上に乗っかった美光(みこ)の足を『パン』と叩いた。美光はというと、姉とは反対の体勢でうつ伏せだ。
「うう―ん、うるっさいわねぇ。……今、何時」
 躰半分を起こし、欠伸をしながら訊く美光。
 この部屋を天井から俯瞰すれば、部屋のスペースは、花柄であしらったダブルベッドでほぼ占拠されている。それ以外は大小のトラベルトランクが五,六個無造作に部屋の両側に置かれているぐらいだ。このシンプルな配置空間は、二人の移動人生における生活ポリシーに基づくものである。
 二人に両親はいない。ジプシー人生だった。

 両親は、二〇〇五年のJR福知山線脱線事故(JRは『福知山線列車事故』と呼称)に巻き込まれて亡くなった。当時二歳未満だった双子の二人も、二両目に両親と共に乗っていた。
 事故当日、列車は制限速度を大幅に超えていた。
 死亡した運転士(三十二歳)は、キャリアがあり常に安全運転を心掛け、乗客の安全を第一に考えていたという。ではなぜこの速度超過を犯したのか。カーブ制限速度七〇キロメートル/時を大幅に上回る一一六キロメートル/時で進入した。この半端でない速度超過が事故の原因である。
 だが当の運転手は亡くなり、いつものようの利権忖度が働いたのか、マスコミも界も世間的な注目度を『安全装置の不備(自動列車停止装置 ・ATS-P)』と『運転士の労働過剰』などに誘導して、事件を終息した。
 いくら立派な人格者でも『魔が差す』のである。では魔が差す心理はなぜなのか。これを追及する『人格者』が不在(もしくは皆無)の現代なのである。だからこのたぐいの『日常事件』は、このままでは永遠になくならないであろう――そう分析する心理学者もいる。

 ともかくこの事故に奇跡が存在した。
 いや、奇跡という言葉さえ存在しない限られた場所で、仮死状態未満で二児が発見されたのだった。それも双子姉妹だ。両親だったのであろう肉塊の中から発見された二人。その発見者は報道陣に対しオフレコで「真っ黒い血糊の中、まるで地獄から脱皮した妖精のようだった」と、思い出し涙で表現した。――死んでいてなんらおかしくないが、万が一の仮死状態を想定した医療従事者の機転が功を奏し、懸命の連携と手当てとで二つの命がこの世に生還したのだった。
 この時になって初めて『奇跡』という言葉が成立した。
 誰も知らないが幼い双子姉妹は、不思議に超瞬間の記憶を共有していた。それは両側から二人を包むように抱えた両親が、押し潰されていくさまである。その地獄世界にも似た情景がトラウマとなり、回復したものの二人は失語症に至った。
 小さなもの音にも怯え、親戚身内が優しく接したが誰にも心を開かずに、結局は児童養護施設で育てられた。それからの二人は片時も離れることなく生きたのである。 

――そんな二人、ほかにも誰にも打ち明けられない秘密が存在していた――。

 それは夢の中で両親と共に過ごしたという、世間では通用しない事実である。
 ほとんど二人は同時に眠りに入り、同時に目を覚ますという習慣が自然に身に備わっていた。そして夢の世界で、生前には関西の高校と大学の教師であった両親に、慈愛で諭されつつ心の病をゆっくりと直したのであった。
 現実の中では養護施設で育ったが、成長していくにしたがって美しい女性へと変貌していく二人。それゆえに職員からのセクハラやいじめと闘う毎日であった。やがて聡明な二人は失語症を完全に脱し――夢の両親の努力の賜物だが――施設を出る覚悟を決め十八歳で就職を希望した。
 世間とのギャップで何度も挫折を味わったが、それを懸命な努力で勝ち越えた。そして自立のための援助を断り、退所を申し出て気丈に生活力を身に着けたのだった。
 仕事はコンビニ店員からのスタートであったが、若者たちの誘惑が絶えることなく店は賑わったがうっとうしさが付きまとった。結局どこも長く続かずに転職を繰り返した。突如、芸能界からのスカウトもあったが、最終的に過去を問われずに源氏名(げんじめい)で生きられる京都での水商売に落ち着いた。
 とてもチャーミングで魅力的な容姿の二人だが、男たちの下心を巧みにかわし、嫌味を残さずに諦めさせる話術テクニックを身につけっていった。だから男たちは嫌味を感じないで、夜になるとまた足を運んでしまうのだった。

 この二人が仕事を終え帰るアパートには、夢の世界と両親が存在することを、結局は誰も知ることは無かった。でありながら自分たちも、両親が体験したという、光体験と夢の世界にいる理由を今でもよく理解できていない。
 物心がついたころ、最初に光体験が両親から語られた。――二人が生まれる前の体験だと言っていた。三年前の八月下旬に広島の原爆ドーム見学の旅に出ていて、その夜のホテルで子供を授かりたいとの想いで愛を確かめ合っている最中、それも歓喜の最高潮に達した時に、室内にまで差し込む強い光りを浴びたという。その光は二人を祝うかのような優しさに満ちていて、母は「二人をその時に身ごもったに違いない」といった。
 二人は二〇〇三年の五月に誕生して、両親が亡くなった二〇〇五年から、死んだことが理解できない段階には、二人は夢の中では両親にあやされて育った。物心がつき始めると段階的に教育がはじまり、いつしか現実社会で学んだことを報告すると、それを補修する内容に変化した。やがて自我がしっかり成長すると、学校では聞くことや学ぶことのない人生の全般を教えられて育ったのである。

 父親は、自らの悲惨な死という体験を経て、自分が『宿命』と呼ばれるものを背負っていたことに気がついたとも言った。人は早くにその存在に気付くべきだし、それを乗り越える知恵を二人に諭すのだった。
 二人は、人生に『宿命』が存在する意味が解らずに尋ねた。
「おそらく、きっと人が生死(しょうじ)を繰り返す中で、……そうだね、良いことも悪いことも、すべて自らのおこないが知らずに身につける、いわば(あか)のようなものかも知れない。ハッハッハ、たとえが的確ではないがね。――その垢を落とすためには、訪れる宿命の試練から逃げないことだ。逃げずにそこに意味を見つけだし、人生を謳歌すべきだと思う。実は、いや、……父さん知ったような話をしているけれど、人生にそんな厄介なものが存在していることなど、生きている間はぜんぜん考えもしなかった。うん、ハッハッハ」
 あとから二人に理解できたのであるが、娘二人の成長にあわせるかのように、両親もまた人生の真実をつかもうとしていたのだと思える。

「そう、ある日に親しい友人が――彼はある宗教に入信していた――今、思えば親切心から『宿命転換』などを語ってくれたのだが、それがなぜか嫌だった。むげに断ったし、避けていつしかその友と疎遠(そえん)になった。――だが、今回の出来事。事故にあったことで彼の話がよみがえったね。今はその友人に感謝の思いだ。ここでこうして、二人に伝えることができているのだからね」
 父親は、自嘲と恥ずかしさを織り交ぜたように笑った。時折、幾つかの小さな懺悔の波が押し寄せているのであろうか。思い出したように涙し、笑う父だった。

「二人はヘレンケラーを知っているかい?」
「『奇跡の人』って古い映画、施設で観た覚えがある」二人が言った。
「そうか。……わがままで育った彼女は、七歳の時に、教師であるアン・サリヴァン先生と出会った。出会い、このこと自体が奇跡だね。その先生の熱意で矯正し、盲学校と聾学校から大学に通い、学位を収めただけではないのだよ。多くの著作や講演を行い、今度は多くの人びとを励まし勇気づけた。きっと友人がい言っていた話、『宿命』を『使命』に変えたのだろうね。……もちろん二人は二人、彼女とは別人格だ。でもきっと二人にしかできない『使命』を持ち合わせていると、今の父さん母さんは信じているのさ。でないと、二人が生き残った意味が、……失われてしまう」
 そう父親は、優しく言った。

 又、二人が初潮を迎えた時には、母親が丁寧に性全般について教えてくれた。気高い性のありかたや、自慰(オナニー)や快楽のことまでも享受してくれた。それは学校教育での教えにはなかった深さであった。
 だから二人とも傍目(はため)や慰めよりも、天真爛漫な日常をエンジョイできていて、落ち込んだ時にも互いを慰め合い、若さから興奮することがあれば変に忌み嫌わずに、クリトリスの熱を解消して果てるすべも身につけていた。
「決して男や女であることが問題ではないの。たしかに男女同権は大事だし、性の多様化も大事だけれど、今や社会はフェミニズムとか男女同権主義とかが幅を利かし、勝手気ままな自由がやたら強調されて、凶暴ささえ身に着けようとしているように(かあ)さんは思う。母性ある女性としての美しさを、失わない二人であってほしい」
 母親はそれを優しく望んだ。

 やがて父親の教育は、二人の人生への期待からか厳格なものが多くなった。
「与えられた人生をどう過ごそうが自由だけれど、後悔が描き込まれた魂であってほしくない。だって、現に父さんたちはいずれか旅立つ。可能ならば次も人間界に生まれたいしね。これまで母さん共ども若者の未来のために教鞭をとれて満足だったが、いま思えば単なる知識教育だった。人類の知恵とか人生の意味を自らも深く学び、未来を生きる若者にも伝えたかった。それに困窮する人びとを救っていく心、慈悲ある精神を教えるべきだったと反省している。これも死に至って、初めて理解したのだけれどね」
 父は母を見て「できるものなら、来世(らいせ)でもう一度やり直したいね」そう言った。事故死ゆえ悲しげだが、父の心、母の慈愛、その魂の抱いた強い意思を。姉妹はたしかに感じていた。

 さらに父は一転し「人生を楽しみなさい。病気や苦労は誰だって訪れる。それらは精神の成長のための演出だと思いなさい。でも、なかなか思えないけれどね、ハッハッハ。ウッフン、……すべての出来事に意味が存在しているのだね」と、明るく破顔した。
「でも生まれながら重度の障害をもっている人もいる」と美宙。
「SNS投稿で病気の悲観をつづっている」と美光。
 二人はそこにどんな意味があるのか理解できない。
 少し考えて父親は言った。
「たしかに本人は大変だよね。いや、そもそも『大変』という認識すらできない人も、世の中に多く存在しているね。……でも友人は云っていた。どんな人にも必ず存在の意味がそなわっているとね」
 そこで父親の言葉がいったん止まった。
 二人は辛抱強く次にくりだされる言葉を待った。

「……まず、SNSで病気を悲観し吐露する人、なかには単にフォロー数稼ぎもまじっているようだが、その人に対して多くの激励や慰めが寄せられている――そうじゃないかい美光」
「うん、そう」
「重度の障碍者を抱えたことがないからわからないが、障害者を抱える家族生活者のルポや難民子供の悲しげな顔の映像が、よくテレビ報道されているよね、美宇」
「うん」
「だけど、悲惨な現実は現場を見ないとわからない。世界中で心から人を救済している人々は、ほんの一握りも存在していないかもしれない。みんなファミリーを大切にすることで精いっぱいが現実だと思う。他人に対する『慈悲のこころ』は見えないからね。結局のところ、人間による良き人間教育が大事だと思う。事故死は、まさかの出来事だった。……だが実際にそれに至って、私たち夫婦は人生に隠されていた大切な秘密を知った。生きていく中での大事なもの、教育の中身が大事だと今になって思う。だが、いっこうに無くならない教育者による不祥事。生徒へのわいせつ行為や盗撮やセクハラ。……まず教育者自身の教育が課題だ。解決策は――思うに、先の友人が云っていた『宿命転換』に相通ずる課題かもしれない。今となっては遅いが、彼の話をもっと聞きたい気持ちだ。この死をきっと来世で活かしたい。こういう形で愛する子供二人に関われたのも、目には見えない存在からの、意味のある贈り物だと感謝している」
 そう語る父の目に、光るものが認められた。

 両親の話は二人が成長するにつれて哲学的になって、少々ウザイ部分もあった。そのことで反抗する時期もあったが、二人に『使命』が存在することを聞き、生きる希望を抱くことが出来たと思う。
「人生での出会いに偶然はない。良き先輩や師匠をもつことだ。人それぞれ『福運』の持ち合わせは違う。きっと過去から、自分自身が掴んだり捨てたりしたものだから仕方のないこと。華やかな人を(うらや)んでもしかたない。二人の使命は楽観主義で待てば、きっと向こうからやってくるさ」
 二人に父はそう言い残し、母親は「いつか私たちは生まれ変わって、きっと二人に逢いに来る。でも互いに分からない別人でしょうけれどね」と泣き笑い顔で言った。
 亡くなっても二人を想う両親の言葉は、悲しくも嬉しかった。そして二十歳(はたち)を過ぎたころ両親は突然に夢から去り、それからは二人ともリアルな夢を見ることはなくなった。

 過去は関西圏内を流転し、定住をすることはなかった。だが三年前から京都に住むようになり、この街にしっくりした馴染み感じている。――現在二人は京都先斗町(ぽんとちょう)にあるスナック・バーに勤務している。 
 さらに赤紅ハイツに住んでから、両側の窓を開け放つと近くの神社の木々の香りと、かすかな野鳥のさえずりを風が運んでくる環境だった。

「この前、赤珠で会った二人、ちょっと何か感じなかった」
 美宙がサンドウィッチを口に銜えて話した。
「私は静かな雰囲気の慶治さんタイプ、好みだなあ」
 美光はお茶漬けを食べながら言う。
「そうじゃなくて、今まで会った人にない、オーラのようなもの」と返す美宙。
「ほら、父が、人生に偶然は一つもないって言っていたじゃない」
 姉は漠然とではあるが『使命』とは、人を不幸にするものとの闘争だと認識している。父親大好きだし、今でも尊敬している。
「ってことは、私たちの『使命』に関係した展開が、この先、ある訳?」
 母親っ子の美光は(慶治さんとのSEX楽しいかも)と考えた。
 実生活は初心(うぶ)だが三十歳のませた性感覚が密接に絡んでいる。それに姉と違ってパトロン経験もある。双子でも性格は大きく違うものだ。
「お姉ちゃん、赤珠に行ってみない。彼らに会える気がする」
 普段は姉貴呼ばわりだが、何かしら魂胆のある場合、美光は甘え声で「お姉ちゃん」と呼ぶ。美宙はそれが気持ち悪いといつも感じている。
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登場人物紹介

生更木慶治《きさらぎけいじ》・四十歳



1990年生まれ2002年12歳に光体験。



ホテル警備夜勤勤務・高知県梼原町の出身。京都上賀茂に住む。坂本龍馬の信奉者右手で右耳の上の髪を掻く癖あり。名字由来は春に向けて草木が更に生えてくるとの意味。名前は小学生で亡くなった弟の忘れ形見(改名)。



極端な猫舌。基本黒Tシャツに上着。ブルージーンズ。夢の世界の宇宙と現世をつなぐ『夢の門番』で主人公。

下弦野登人(かげんのとひと)・四十歳 



エレベーター保守会社夜勤勤務。高知県羽山町出身須崎の工業高校の同級生190㎝の長身猫背。穏やかな性格だが剛毅。真剣に考える際に鉤鼻を親指と人差し指で挟みこする癖。ダンガリーシャツと薄ピンクのジーパン。

九條蓮華(くじょうれんか)・二十八歳 



『北京都病院』と北都大病院勤務の看護師。献身的看護で慶治の恋人となる。京都出身だが実家を離れ紅ハイツに住む。

五十嵐時雨(いがらししぐれ)・三十歳 



下弦野登人の通いの恋人。四条の電気器具販売店勤務。新潟の五泉市出身。色白美人。ぽっちゃり丸顔で色気あり。

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