第7話 この夢宙で宣戦布告ってか!
文字数 6,271文字
慶治の夢は、幼い日に通った田舎路を歩いている場面だった。
見覚えのある田舎の坂道を独り下っていると、黒い入道雲が水面の空に黒墨の波紋をひろげ広がり、やがて空を覆ってしまった。だが慶治のいるリアルな世界は普通に明るかった。彼は町外れの共同墓地の前に出た。いつも通学時に足早に通り過ぎていた場所だ。
(なんで、墓地なんだい!)
ここには過去からの何百体もの人骨が埋まっている。
苔むした墓石には『何々家先祖代々』と文字が刻まれていて、相当に古い時代からのものもある。その荒涼とした風景には死臭が漂っているように思う。祖父の頃までは、すべてが土葬であったと父から聞いていた。今のように焼きあがった遺体の骨のかけらを、長さの違う箸をつかって骨壷に入るのではない。生身の遺体がそのまま棺桶に入れられて、この世に戻ることのないよう釘打ちされ、まるごと地面に埋められたと云う。
(人間は死ぬと土に帰る。焼かれたらどこに帰るのだろう)
小心者の慶治、そんなことを考えていた。
怖くてしかたないし、目を閉じたままに通り過ぎたい場所だ。だがそうは言っていられない事情と魂胆が、今の彼にはある。
そんな墓石の一つに眼をやると、予感通り墓石の後ろからアイツがヌラリと現われた。怖さを我慢し、ゆっくりとアイツに歩み寄る。アイツは相変わらず今日も無言で立っていた。――突如、慶治はアイツに向かって跳びついた。
「どうだ!」
何度も繰り返しイメージした作戦である。
まんまとアイツを捕まえた、と思ったら寸前で金縛りになった。いや、今度は金縛りではなく停止した。なんと夢の映像そのものが停止してしまった。彼は飛び掛かった姿のまま、まるで虫ピンで空中に貼り付けられた昆虫状態であった。瞬きすらも出来ないでフリーズだ。アイツの躰のほんの二、三センチ手前で躰が固まった。
(いったい、どうなった!)
アイツは平然と動き、慶治の固まった指先を摘まんだ。
感触を確かめ、顔を近づけ覗き込んできた。野箆坊とはいえ威圧感があり怖い。それに慶治の眼の焦点は動かせない。したがってアイツの姿はスリガラス越しのように映る。何とかしなければと焦るが、なすすべがない。そのうち言葉でなく慶治の熱い意識が、理屈を超えアイツに対して言った。
【……お前はいったい誰だ。俺自身か、それとも先祖か。俺にうらみがあってのことか、俺は君に危害をあたえる気持ちなんか少しもない】
【……、・・・】
(お! 話そうかと迷っている)
そんなアイツの感情らしきものが伝わってきた。
(もう一押しだ!)
【君の名前は、何と言う。それに何歳なの?】
優しく心からの心情で尋ねた――その瞬間、慶治の躰の塊 がほどけ、もろにその場に落下した。地面だが雲の上にでも落ちたように、少しも痛みはなかった。立ち上がりアイツを見ると、なんと顔に目鼻口がついていた。
「……いったい、君は」
「慶治さん、僕は慶治さんの、となりから来たのです」
男の子はしっかりした日本語で答えた。
よく見ると口の動きと発する言葉が微妙にずれている。
(まるで、吹き替え映画のようだ)
「僕の名前は、サカモト・ミツルです。……でも本名はラートなの」
それは非常にはきはきとした話しぶりだ。たぶん地声だろう。
「え、どういうこと、となりって……訳わからん」
慶治は混乱である。
「ごめんなさい。僕には慶治さんから名前と年齢を訊かれるまで喋れんオキテがあったの。慶治さんが本当に僕の探している人かどうか、確認が大事だったの。まちがうと慶治さんが死んでしまうオキテなの。……それで慎重に金縛りや時間を止めて確かめたの。だけどすぐに悪魔に気づかれて、僕は殺される。そしたら僕は慶治さんの夢から去り、僕のカラダに戻るの」
(……今まで我慢していたからか、良くしゃべる)
「どうして、ミツルでラートなの。どちらかペンネームなの? それに口の動きがズレてる」
「それは……僕たちの世界では、生まれたら言語処置がほどこされるの。多人種間の異世界言葉も理解できるし、瞬時に翻訳され相手に伝わるの。ごく自然な能力なの」
よく分からない説明だ。
「実は僕、本当の姿ではないの。この姿、慶治さんの知るサカモト・ミツルです」
「えッ、一体どういうこと、俺はミツルなんて知らない」
そう言うと、彼は首をかしげて斜め向きになり、人差し指で空間に文字を書き始めた。黒板のようにその空間に白文字が描かれ『坂元ミツル』と表示された。慶治はそれを見ても思いつかない。
「なぜ今の友人、野登人ではいけないの」
「だって、この世界にいる人でないと無理」
「この世界いる人? それって、もしかして……」
「うん、亡くなって迷っている人」
「げッ、もしかしてここは死の世界ってことかい」
「うん、そうだよ。迷っている人。現世に未練を持っている人が、ここには沢山いる」
(なんだい、なんだい。俺、他人に恨まれる覚えなんかないよ。それに夢の世界、なんなんだい、この世界は)
「目の前の君は、成仏できてない……俺の友人ってこと?」
「そう、それも親しかった友人だね、きっと」
(この子、成仏って言葉を知っている)
変に感心だ。
「だから俺は、知ら――待てよ、えッ、思い出した。今やっと思い出した。ミツルだったかな、あの夏の転校生。でも、たぶん俺一、二回しか会ってないし……たしか突然に行方不明になった子だ。そう、おそらくその子だ、だが友人ではない。未練なんて持たれる覚えはない」
不思議だが話始めると、それらしく思い出してくる。しかし不明瞭な記憶であるし、友達関係の記憶はまったくない。
「……事情は分からないけれど、驚いたらいけないと思って」
そのラートは、泣き顔にも見える複雑な顔になった。
「で、本当の君、ラート君、きみは何歳や」
慶治、野登人から聞いていた『質問事項』を曖昧だが思い出しながら話す。するとラートは、十二歳だと言った。
「だから、同じ年代だろうミツルを選んだのか」
だがどうにも合点がいかない。よくよく見るとその彼、ミツルの目鼻立ちは垢抜けした都会っ子のようにも見える。
「……ところで君の言うその『となり』の世界はどんなところかな? 夢の中に存在しているのかい、俺の夢のどこかに」
チェック項目の一つだ。
「うん、そうだよ。でも慶治さん、夢ではなくてここは『むちゅう』だよ」
「なに? 『むちゅう』とはどういうこと。宇宙のことかい?」
「ううーん、宇宙ではなくて夢の『むちゅう』ってこと」
彼は空中に『夢宙』と表記した。
「『宇宙』と『夢宙』は繋がっていて、二つは隣り合わせの関係です。慶治さんの言う宇宙は物質世界で、僕の惑星世界から二四〇光年以上は離れて存在していると、先生が言っていた」
「先生って、学校の先生かい?」
「いいえ、僕のおばさんで、物理学者だよ」
物理学者と聞き、慶治はラートの住む世界の仕組みが、自分の世界とあまり変わりがないことを知った。
(つまり彼、宇宙人ってことか?)と思い描く。
「この夢は俺の夢だよね? それとも君の夢かい?」
「だから、……僕はハールおばさんのマシーンで、慶治さんのいる夢宙世界に送られるの」
「で、この夢の世界は、たんなる夢ではないと」
「そう、宇宙とは別次元の世界。厳密には物質世界ではなくて、全生命の精神世界が存在する宇宙のことだよ」
「ふむ、俺の知る宇宙とは別で精神世界の宇宙、ホンマかいな」
「そう、宇宙となり合わせの世界です、普通の浅い夢ではなくて、ここは深い次元に存在する夢宙世界なの。だから宇宙のように二四〇光年という距離は関係ないの」
(どちらが年長だか解らない説得力だな。……でも、ありえそうに思える)
少し、慶治は悔しく思った。
「どうしてこんな気色 の悪い夢なんだい」
「これは夢じゃない。慶治さんの世界で実際に起こることです」
「それはどういう意味?」
「悪魔が夢宙から慶治さんの世界に入りよるから」
ミツルことラートは、平然とした顔で言う。
その土佐弁のイントネーションが笑える。だが慶治はその理由を聞き出すことを、しばらくためらった。ミツルつまりラートが途轍 もないことを語ろうとしているのが感じられたからだ。
(この子は大きな不吉を今、俺に突き付けようとしている。……そこにはきっと何が這い出てくるのか解らない、恐怖が隠されているに違いない。そんなもの聞きたくないし知りたくもない。でもこの子は、そうとう場数を踏んでいるようだな。こちらの思いが予測できている)
妙に感心の慶治だった。
ふと、映像が揺らぐ。
――ごく自然に慶治は白いボートに乗っていた。
舳先を視ると少年がいて、こちらに向い合わせて座っている。慶治自身の左右の腕はしっかり櫓を掴み、以前より自分の躰の輪郭がハッキリ認められる。水面には霧が立ち込めていて、それが湖面の青に少しずつ滲み込もうとしていた。湖の周辺は木々で覆われ、それらは霧に包まれた幻想的な日本画の世界であった。
(まるで俺好みの東山魁夷 の絵画の世界だな。この子、俺の趣味を知っている。不安な俺を落ち着かせようとして、このミツル君は……もとい、ラート君は大人だな)
その演出の意味を、次の言葉で気付かされた。
「慶治さん、実は、今日これから現われる悪魔に宣戦布告して欲しい。そしたら、慶治さんが悪魔に認識されて、……闘いがはじまるの」
少年は言いだし辛かったのだろうか、声のトーンが控え目だ。
(!)――慶治は、ついに突き付けられた不吉に絶句である。
十二歳の子が、宣戦布告なんて言葉を使うのにも驚いた。しばらく沈黙が、重く白い世界を覆いつくした。
(なんで悪魔、闘い? どうして俺なのだ)
「詳しく説明しますが、慶治さんはこの夢宙次元の使命ある『門番』だからです。夢宙と宇宙を繋ぐ精神を持ち合わせた、使命ある人なのです」
心の内を見透かしたうえでの、自尊心をくすぐる言葉が発せられた。
「使命、それって悪魔と闘うってこと?」
「そうです。選ばれし戦士です」
少年は平然とした顔つきだった。
「なぜに悪魔と闘うの?」
「彼ら、人類を滅ぼす計画をもっているから」
真面目顔だ。
「……そんなこと、信じられない」
「信じられなくても、事実なのです」
「……事実?」
「そうです。手順を話し証明します」
「証明? どうやって」
(馬鹿だなぁ俺、自分から深みに入っている)
「まず、悪魔に宣戦布告していただきます。それによって『門番』である慶治さんが認識されて、闘いが開始されるのです」
「え、そんなに簡単に開始されるものなの? ……できっこないよ俺」
沈痛な面持ちで慶治は訴える。
(冗談じゃない!)
「心配しなくても大丈夫です、慶治さん。僕たちも一緒だから」
(バックに物理学者が就いているってか。フ―ッ)
「まるで、闘うことが前提だね」
「うん。門番が先頭に立って悪魔と闘うの」
伏し目勝ちだがいかにも小癪 なミツル・ラートは、時々子供らしい笑顔を挟み慶治を覗き込んでくる。
「しかし悪魔がどうのこうのと言われても、これって……別の惑星でもそうなのかい?」
「うん、でも大丈夫。眷属 も現れますから」
「なに? ケンゾクって」
「あれ、知らないのですか、――仲間のことです」
「そうなの、それって仏教言葉だろうか?」
「そう、日本語の日常語はそうであるはずです。ほかの惑星だって……」
あきれ顔で話され少し腹立たしいが、よくよく考えれば確かにそうかもしれないとも思う。日本語の日常語はたしかに仏教語が基本だなと気づかされた。いつの間にか慶治は、一生懸命に話すミツル・ラートがなんとなく健気に思えた。それにとんでもない冗談かも知れない。
「よし解った!」
答えてしまってから、不安がよぎり後悔したがもう引けない。
「……そのう、聞くけれど、俺一人では到底のこと無理だ。そのケンゾクとやら、とにかく助っ人が欲しい。俺の友人と一緒では駄目か。それに会えるものなら、その物理学者のおばさんとの接見は可能かい?」
「うん、大丈夫だよ。次の手順として組まれているから」
(……ったく、勝手に決めてくれるな!)
「分った友人とここに来るには、どうすればいい」
「簡単です。慶治さんの住む座標はロックされているから、次回、その友人と一緒に寝て下さい。こちらで誘導しますので」
どこかに専属のシナリオライターでもいるのか、手回しの良さにもはや苦笑するしかない。
「……夢の世界は多層的にできていて、ここはとっても深い場所なの。生きている人が、普通の手段では来られない領域なのです」
「えッ、――俺の友人は大丈夫だろうか?」
「慶治さんの真の友人であれば、大丈夫です」
(だめだ、――これ以上は思考が及ばない)
「わかった、じゃあ今夜はこれで――」
なんとも、精神的に疲労困憊の慶治だった。
「あッ。待ってください慶治さん。――まずは門番による、悪魔への宣戦布告が優先です。そのうえで次回に接見の手順ですから」
「……あ、そうなの。で、どうすればいい」
「うん、一度目を閉じて、それから開いてください」
慶治は言われるままに実行した。
――目を開けると場面は急変していた――。
暗闇に立っている目の前に、突然に怪物が現われた。
怪物との表現がふさわしい奇異な相手だ。大きな西洋鎌を持ち黒いマント姿でフードを被っている。フードで顔面が見えないが、(こいつが悪魔か)と慶治は瞬時に思った。その脇にミツル・ラートが無防備な顔で佇んでいる。
「ラート、危なくないか」
声を掛けると、そいつは慶治に向き直り、底なしに暗いフードの中の眼を『ギョロリ』と音が聞こえるほど光らせ言った。
「お前は誰じゃ!」重くドスの利いた声だった。
(たじろぐな、慶治!)自分に言い聞かせる。
「俺は生更木慶治じゃ」
不思議だがこれまで経験のない闘争心が、心の底の部分から湧きだした。どうかして、そんな自分がカッコ良く思われる。すると悪魔だろうそいつは「ほう、どうする。止めるつもりかこの俺を、ヘッ、しゃらくさいわ」そう言い、鎌を振り上げ向かってきた。焦った慶治は(ヤバイ!)ほぼ反射的に左腕を上げて防いだ。――すると慶治の左手は瞬時に盾を掴んでいて、鎌がその盾で見事に弾かれた。薄いけれど頑丈な盾だった。正直ビックリした、相手も明らかに驚いたようだ。一旦、動きを止めた。今度は慶治、右手に剣をイメージすると瞬時に両刃の剣を掴んでいた。夢とはいえすっかりその気になり、引けていた腰をシャンとして、そいつに挑みかかっていく。
(自分が、今の自分が信じられへん!)
だが、いくら沸き立つ気持ち良いテンポでかかって行ってもなかなか倒せない。すると悪魔だろうそいつ、またしても動きを止めた。
「フッ、お前が門番だと良く分かった。ながらくお前を探していた、そう、お前をな。フッフ、この先我らはお前の世界を奪う!」
悪魔は闇の中の珍宝でも探し当てたような不敵な笑みを浮かべると、すぐに闇に溶け込み消え去った。あまりにも、あっけない幕切れだった。
(……そうか、今は門番を殺すわけにはいかない。現世に来るために必要だから)
不思議とそう思えた。
慶治の緊張が取れ少年を探すと、真っ赤な血を噴き出す首と胴体が、目の先に転がっていた。もう見慣れた光景だ。遠くで雷鳴が聞こえ、ザクロ粒のような血液が闇で赤く飛び跳ねる。
すると、それまでどこかに置き忘れていた恐怖が舞い戻り、慶治の躰が震え出した。急激に意識が遠のき――それが夢宙世界から現世への離脱かと思った。
見覚えのある田舎の坂道を独り下っていると、黒い入道雲が水面の空に黒墨の波紋をひろげ広がり、やがて空を覆ってしまった。だが慶治のいるリアルな世界は普通に明るかった。彼は町外れの共同墓地の前に出た。いつも通学時に足早に通り過ぎていた場所だ。
(なんで、墓地なんだい!)
ここには過去からの何百体もの人骨が埋まっている。
苔むした墓石には『何々家先祖代々』と文字が刻まれていて、相当に古い時代からのものもある。その荒涼とした風景には死臭が漂っているように思う。祖父の頃までは、すべてが土葬であったと父から聞いていた。今のように焼きあがった遺体の骨のかけらを、長さの違う箸をつかって骨壷に入るのではない。生身の遺体がそのまま棺桶に入れられて、この世に戻ることのないよう釘打ちされ、まるごと地面に埋められたと云う。
(人間は死ぬと土に帰る。焼かれたらどこに帰るのだろう)
小心者の慶治、そんなことを考えていた。
怖くてしかたないし、目を閉じたままに通り過ぎたい場所だ。だがそうは言っていられない事情と魂胆が、今の彼にはある。
そんな墓石の一つに眼をやると、予感通り墓石の後ろからアイツがヌラリと現われた。怖さを我慢し、ゆっくりとアイツに歩み寄る。アイツは相変わらず今日も無言で立っていた。――突如、慶治はアイツに向かって跳びついた。
「どうだ!」
何度も繰り返しイメージした作戦である。
まんまとアイツを捕まえた、と思ったら寸前で金縛りになった。いや、今度は金縛りではなく停止した。なんと夢の映像そのものが停止してしまった。彼は飛び掛かった姿のまま、まるで虫ピンで空中に貼り付けられた昆虫状態であった。瞬きすらも出来ないでフリーズだ。アイツの躰のほんの二、三センチ手前で躰が固まった。
(いったい、どうなった!)
アイツは平然と動き、慶治の固まった指先を摘まんだ。
感触を確かめ、顔を近づけ覗き込んできた。野箆坊とはいえ威圧感があり怖い。それに慶治の眼の焦点は動かせない。したがってアイツの姿はスリガラス越しのように映る。何とかしなければと焦るが、なすすべがない。そのうち言葉でなく慶治の熱い意識が、理屈を超えアイツに対して言った。
【……お前はいったい誰だ。俺自身か、それとも先祖か。俺にうらみがあってのことか、俺は君に危害をあたえる気持ちなんか少しもない】
【……、・・・】
(お! 話そうかと迷っている)
そんなアイツの感情らしきものが伝わってきた。
(もう一押しだ!)
【君の名前は、何と言う。それに何歳なの?】
優しく心からの心情で尋ねた――その瞬間、慶治の躰の
「……いったい、君は」
「慶治さん、僕は慶治さんの、となりから来たのです」
男の子はしっかりした日本語で答えた。
よく見ると口の動きと発する言葉が微妙にずれている。
(まるで、吹き替え映画のようだ)
「僕の名前は、サカモト・ミツルです。……でも本名はラートなの」
それは非常にはきはきとした話しぶりだ。たぶん地声だろう。
「え、どういうこと、となりって……訳わからん」
慶治は混乱である。
「ごめんなさい。僕には慶治さんから名前と年齢を訊かれるまで喋れんオキテがあったの。慶治さんが本当に僕の探している人かどうか、確認が大事だったの。まちがうと慶治さんが死んでしまうオキテなの。……それで慎重に金縛りや時間を止めて確かめたの。だけどすぐに悪魔に気づかれて、僕は殺される。そしたら僕は慶治さんの夢から去り、僕のカラダに戻るの」
(……今まで我慢していたからか、良くしゃべる)
「どうして、ミツルでラートなの。どちらかペンネームなの? それに口の動きがズレてる」
「それは……僕たちの世界では、生まれたら言語処置がほどこされるの。多人種間の異世界言葉も理解できるし、瞬時に翻訳され相手に伝わるの。ごく自然な能力なの」
よく分からない説明だ。
「実は僕、本当の姿ではないの。この姿、慶治さんの知るサカモト・ミツルです」
「えッ、一体どういうこと、俺はミツルなんて知らない」
そう言うと、彼は首をかしげて斜め向きになり、人差し指で空間に文字を書き始めた。黒板のようにその空間に白文字が描かれ『坂元ミツル』と表示された。慶治はそれを見ても思いつかない。
「なぜ今の友人、野登人ではいけないの」
「だって、この世界にいる人でないと無理」
「この世界いる人? それって、もしかして……」
「うん、亡くなって迷っている人」
「げッ、もしかしてここは死の世界ってことかい」
「うん、そうだよ。迷っている人。現世に未練を持っている人が、ここには沢山いる」
(なんだい、なんだい。俺、他人に恨まれる覚えなんかないよ。それに夢の世界、なんなんだい、この世界は)
「目の前の君は、成仏できてない……俺の友人ってこと?」
「そう、それも親しかった友人だね、きっと」
(この子、成仏って言葉を知っている)
変に感心だ。
「だから俺は、知ら――待てよ、えッ、思い出した。今やっと思い出した。ミツルだったかな、あの夏の転校生。でも、たぶん俺一、二回しか会ってないし……たしか突然に行方不明になった子だ。そう、おそらくその子だ、だが友人ではない。未練なんて持たれる覚えはない」
不思議だが話始めると、それらしく思い出してくる。しかし不明瞭な記憶であるし、友達関係の記憶はまったくない。
「……事情は分からないけれど、驚いたらいけないと思って」
そのラートは、泣き顔にも見える複雑な顔になった。
「で、本当の君、ラート君、きみは何歳や」
慶治、野登人から聞いていた『質問事項』を曖昧だが思い出しながら話す。するとラートは、十二歳だと言った。
「だから、同じ年代だろうミツルを選んだのか」
だがどうにも合点がいかない。よくよく見るとその彼、ミツルの目鼻立ちは垢抜けした都会っ子のようにも見える。
「……ところで君の言うその『となり』の世界はどんなところかな? 夢の中に存在しているのかい、俺の夢のどこかに」
チェック項目の一つだ。
「うん、そうだよ。でも慶治さん、夢ではなくてここは『むちゅう』だよ」
「なに? 『むちゅう』とはどういうこと。宇宙のことかい?」
「ううーん、宇宙ではなくて夢の『むちゅう』ってこと」
彼は空中に『夢宙』と表記した。
「『宇宙』と『夢宙』は繋がっていて、二つは隣り合わせの関係です。慶治さんの言う宇宙は物質世界で、僕の惑星世界から二四〇光年以上は離れて存在していると、先生が言っていた」
「先生って、学校の先生かい?」
「いいえ、僕のおばさんで、物理学者だよ」
物理学者と聞き、慶治はラートの住む世界の仕組みが、自分の世界とあまり変わりがないことを知った。
(つまり彼、宇宙人ってことか?)と思い描く。
「この夢は俺の夢だよね? それとも君の夢かい?」
「だから、……僕はハールおばさんのマシーンで、慶治さんのいる夢宙世界に送られるの」
「で、この夢の世界は、たんなる夢ではないと」
「そう、宇宙とは別次元の世界。厳密には物質世界ではなくて、全生命の精神世界が存在する宇宙のことだよ」
「ふむ、俺の知る宇宙とは別で精神世界の宇宙、ホンマかいな」
「そう、宇宙となり合わせの世界です、普通の浅い夢ではなくて、ここは深い次元に存在する夢宙世界なの。だから宇宙のように二四〇光年という距離は関係ないの」
(どちらが年長だか解らない説得力だな。……でも、ありえそうに思える)
少し、慶治は悔しく思った。
「どうしてこんな
「これは夢じゃない。慶治さんの世界で実際に起こることです」
「それはどういう意味?」
「悪魔が夢宙から慶治さんの世界に入りよるから」
ミツルことラートは、平然とした顔で言う。
その土佐弁のイントネーションが笑える。だが慶治はその理由を聞き出すことを、しばらくためらった。ミツルつまりラートが
(この子は大きな不吉を今、俺に突き付けようとしている。……そこにはきっと何が這い出てくるのか解らない、恐怖が隠されているに違いない。そんなもの聞きたくないし知りたくもない。でもこの子は、そうとう場数を踏んでいるようだな。こちらの思いが予測できている)
妙に感心の慶治だった。
ふと、映像が揺らぐ。
――ごく自然に慶治は白いボートに乗っていた。
舳先を視ると少年がいて、こちらに向い合わせて座っている。慶治自身の左右の腕はしっかり櫓を掴み、以前より自分の躰の輪郭がハッキリ認められる。水面には霧が立ち込めていて、それが湖面の青に少しずつ滲み込もうとしていた。湖の周辺は木々で覆われ、それらは霧に包まれた幻想的な日本画の世界であった。
(まるで俺好みの
その演出の意味を、次の言葉で気付かされた。
「慶治さん、実は、今日これから現われる悪魔に宣戦布告して欲しい。そしたら、慶治さんが悪魔に認識されて、……闘いがはじまるの」
少年は言いだし辛かったのだろうか、声のトーンが控え目だ。
(!)――慶治は、ついに突き付けられた不吉に絶句である。
十二歳の子が、宣戦布告なんて言葉を使うのにも驚いた。しばらく沈黙が、重く白い世界を覆いつくした。
(なんで悪魔、闘い? どうして俺なのだ)
「詳しく説明しますが、慶治さんはこの夢宙次元の使命ある『門番』だからです。夢宙と宇宙を繋ぐ精神を持ち合わせた、使命ある人なのです」
心の内を見透かしたうえでの、自尊心をくすぐる言葉が発せられた。
「使命、それって悪魔と闘うってこと?」
「そうです。選ばれし戦士です」
少年は平然とした顔つきだった。
「なぜに悪魔と闘うの?」
「彼ら、人類を滅ぼす計画をもっているから」
真面目顔だ。
「……そんなこと、信じられない」
「信じられなくても、事実なのです」
「……事実?」
「そうです。手順を話し証明します」
「証明? どうやって」
(馬鹿だなぁ俺、自分から深みに入っている)
「まず、悪魔に宣戦布告していただきます。それによって『門番』である慶治さんが認識されて、闘いが開始されるのです」
「え、そんなに簡単に開始されるものなの? ……できっこないよ俺」
沈痛な面持ちで慶治は訴える。
(冗談じゃない!)
「心配しなくても大丈夫です、慶治さん。僕たちも一緒だから」
(バックに物理学者が就いているってか。フ―ッ)
「まるで、闘うことが前提だね」
「うん。門番が先頭に立って悪魔と闘うの」
伏し目勝ちだがいかにも
「しかし悪魔がどうのこうのと言われても、これって……別の惑星でもそうなのかい?」
「うん、でも大丈夫。
「なに? ケンゾクって」
「あれ、知らないのですか、――仲間のことです」
「そうなの、それって仏教言葉だろうか?」
「そう、日本語の日常語はそうであるはずです。ほかの惑星だって……」
あきれ顔で話され少し腹立たしいが、よくよく考えれば確かにそうかもしれないとも思う。日本語の日常語はたしかに仏教語が基本だなと気づかされた。いつの間にか慶治は、一生懸命に話すミツル・ラートがなんとなく健気に思えた。それにとんでもない冗談かも知れない。
「よし解った!」
答えてしまってから、不安がよぎり後悔したがもう引けない。
「……そのう、聞くけれど、俺一人では到底のこと無理だ。そのケンゾクとやら、とにかく助っ人が欲しい。俺の友人と一緒では駄目か。それに会えるものなら、その物理学者のおばさんとの接見は可能かい?」
「うん、大丈夫だよ。次の手順として組まれているから」
(……ったく、勝手に決めてくれるな!)
「分った友人とここに来るには、どうすればいい」
「簡単です。慶治さんの住む座標はロックされているから、次回、その友人と一緒に寝て下さい。こちらで誘導しますので」
どこかに専属のシナリオライターでもいるのか、手回しの良さにもはや苦笑するしかない。
「……夢の世界は多層的にできていて、ここはとっても深い場所なの。生きている人が、普通の手段では来られない領域なのです」
「えッ、――俺の友人は大丈夫だろうか?」
「慶治さんの真の友人であれば、大丈夫です」
(だめだ、――これ以上は思考が及ばない)
「わかった、じゃあ今夜はこれで――」
なんとも、精神的に疲労困憊の慶治だった。
「あッ。待ってください慶治さん。――まずは門番による、悪魔への宣戦布告が優先です。そのうえで次回に接見の手順ですから」
「……あ、そうなの。で、どうすればいい」
「うん、一度目を閉じて、それから開いてください」
慶治は言われるままに実行した。
――目を開けると場面は急変していた――。
暗闇に立っている目の前に、突然に怪物が現われた。
怪物との表現がふさわしい奇異な相手だ。大きな西洋鎌を持ち黒いマント姿でフードを被っている。フードで顔面が見えないが、(こいつが悪魔か)と慶治は瞬時に思った。その脇にミツル・ラートが無防備な顔で佇んでいる。
「ラート、危なくないか」
声を掛けると、そいつは慶治に向き直り、底なしに暗いフードの中の眼を『ギョロリ』と音が聞こえるほど光らせ言った。
「お前は誰じゃ!」重くドスの利いた声だった。
(たじろぐな、慶治!)自分に言い聞かせる。
「俺は生更木慶治じゃ」
不思議だがこれまで経験のない闘争心が、心の底の部分から湧きだした。どうかして、そんな自分がカッコ良く思われる。すると悪魔だろうそいつは「ほう、どうする。止めるつもりかこの俺を、ヘッ、しゃらくさいわ」そう言い、鎌を振り上げ向かってきた。焦った慶治は(ヤバイ!)ほぼ反射的に左腕を上げて防いだ。――すると慶治の左手は瞬時に盾を掴んでいて、鎌がその盾で見事に弾かれた。薄いけれど頑丈な盾だった。正直ビックリした、相手も明らかに驚いたようだ。一旦、動きを止めた。今度は慶治、右手に剣をイメージすると瞬時に両刃の剣を掴んでいた。夢とはいえすっかりその気になり、引けていた腰をシャンとして、そいつに挑みかかっていく。
(自分が、今の自分が信じられへん!)
だが、いくら沸き立つ気持ち良いテンポでかかって行ってもなかなか倒せない。すると悪魔だろうそいつ、またしても動きを止めた。
「フッ、お前が門番だと良く分かった。ながらくお前を探していた、そう、お前をな。フッフ、この先我らはお前の世界を奪う!」
悪魔は闇の中の珍宝でも探し当てたような不敵な笑みを浮かべると、すぐに闇に溶け込み消え去った。あまりにも、あっけない幕切れだった。
(……そうか、今は門番を殺すわけにはいかない。現世に来るために必要だから)
不思議とそう思えた。
慶治の緊張が取れ少年を探すと、真っ赤な血を噴き出す首と胴体が、目の先に転がっていた。もう見慣れた光景だ。遠くで雷鳴が聞こえ、ザクロ粒のような血液が闇で赤く飛び跳ねる。
すると、それまでどこかに置き忘れていた恐怖が舞い戻り、慶治の躰が震え出した。急激に意識が遠のき――それが夢宙世界から現世への離脱かと思った。