第32話 清く悩めるタマシイの遍歴ゆえに

文字数 5,436文字

 私の名は星国行良『在日二世』である。
 韓国人名称は李哲植(イチョルシク)だったが、それは私のしらない事情だし国と国の決めた勝手な事情。日本生れで日本育ちである。もとより韓国をよく知らないが、名前も不確かな経緯でいくども修正された。

 父は韓国南部の全羅南道(ちょるらなんどう)の小さな漁村で生まれたようだ。継母(ままはは)のいじめから逃れるため戦争の混乱期に家を飛び出し、日本人に騙され九州の炭鉱に辿り着いたという。十五歳だったその彼を待っていたのは、過酷な労働と一度入ると抜け出せない蛸壺のような生活だった。
 ある夜、父は同胞の何人かで脱走したという。
 必死で山林に逃げ込み逃げた。気が付くと躰は(かや)によって血だらけだったといっていた。後日に伝え聞いた話だが、何人かはつかまり一人は見せしめに日本人によって殴り殺されたという。

 文盲であった父は多くを語らなかったが大阪でヤクザ世界に身を隠した時期もあったらしい。そういえば左腕の上部に象徴的な『流れ星』の蒼い刺青があった。やがて古くから日本に住んでいた韓国人の母と結婚したが、義理あるヤクザ世界の親分の身代わりで新潟の刑務所に収監された。母は単身家を出て、臨港町のあばら家に住み父の出所をまった。私はそこで産まれた。
 その年に『昭和の新潟大火』があり、戸籍とその時に間借りしていた住いは焼けてしまった。それで高知県須崎市の母方の実家に転がり込んだと聞いた。
 父は土木工事の飯場を渡り歩く流転の人生が待っていた。
 私たちは高校を卒業するまでに、県内で十数回に及ぶ引越しを経験した。
 貧困ゆえに雨の洩る炭小屋あとや、赤痢病院あとの共同家屋にも住んだ。いじめがあったが、たぶん父親ゆずりだろう性格で少しも怯まなかった。むしろいじめる相手の懐に飛び込み一緒になって遊び楽しんだ。決して反骨精神の裏返しではない。

 そして芸西の田野小学校時代に、運命的な『師匠』に出会うべきして出会った。
 小六のある日、極貧生活の中にあった私は窃盗を犯してしまった。その時に警察からの身元引受人として頼んだのは両親でなく担任の教師だった。その後藤という男性担任は、折に触れ私を励ましてくれていたからだ。この時も厳しく叱咤するのでなく、自宅で温かい夕飯を食べさせてくれた。意地っ張りで泣かない私だが、この時は涙が出た。
 食事のあと唐突に先生は表に出ようと言った。――その夜は満天の星空だった。しばらく無言で星空を見ていた先生は、その姿勢のままで口を開いた。

「君には、使命があるのだよ」
 静かにそう言った。

「……しめい?」
 言葉を知らない私は訊き返した。
「……そう、それはきっと『世界平和』だと思う」
 そう言い視線を私に注いだ。訳の分からない言葉だった。
 そのあと先生は苦し気に言った「私は残酷な戦争を体験した。……中国人朝鮮人捕虜の何人かを生きたままで、……殺した。実験だとの命令だったが、……彼らを名前でなく『マルタ』と呼んでね」。想像できない言葉だった。
「教育はまちがうと恐ろしい、しらず人間の精神を狂わせる。すべて政治家がきめたことだが、人間としてせられんことぜよ(してはいけないことだ)。けんど、その時には罪の意識は存在しなかった。すべてお国のためだと思った。……二度と戦争のない世界にしなくてはいけない。今はそう思う」

 とても永い沈黙の後、
「――この話、星国が初めてだよ。家内にも話していないし、だれにも話せない。どうしてだろう、君に。……あまりにも星がきれいだからだろうか」
 先生は嗚咽を発した。私は慟哭(どうこく)だろう苦しみが直視できずに、視線をはずしひときわ明るい星を見続けていた。

「国民は被爆者意識をもつが、戦争犯罪者として反省のかけらも存在していない。しかたのないこと……そのように教育された。だから君は日本に生まれたのだろう。……そうでないと生まれた意味を失くしてしまう。間違いなく君はしらったな(まっ白な)心をもっている。先生はそう信じちゅう」

 私は、心に理解できない熱い感情が込み上げボロボロと涙がでていた。だが「こんな僕に、そんな力などあるはずが無い」と答えていた。それでも先生は、泣き笑い顔で言葉をつないだ。
「試練に負けることなく挑んでこそ、君は飛躍できるのだよ。君の天性の明るさを先生は知っている。……小さな島国に自分を置かないで、ほら、しょうごっつい(すごくおおきい)空から見てごらん」。先生は空を指さし「君は一地球人じゃ。大陸の国際人ぜよ。もっともっと大きく生きなさい」そう言った。

 この夜以来、私は先生を人生の『師匠』と決めた。
 この師匠とはわずか一年ほどの交流だったが、毎夜のごとく訪問してあらゆる人生の偉人について学んだ。引越ししたが手紙でつながっていた。
 小学時代は勉強などしなかったが、母親が驚くほどに私は猛勉強を始めた。工業高校に上がると下宿生活となり、信じられないが文芸部の部長となり、兼任で登山部長として四国の山々の空気と自然の中で過ごした。たぶん師匠の存在があったからだと思う。

 だが、突然に師匠との別れの時は訪れた。
 私に人生を語り続けた師匠は、四十七歳で急性の肝臓がんを発病し亡くなったのだ。偶然、私の二十歳(はたち)の誕生日、三月十六日京都の夜の悲しい訃報であった。私は想像もしていなかった喪失感から、しばらくは立ち上がれなかった。
 人生の道標を見失い家にも帰らず、一人で流浪の旅に出たのだった。
 比良山系を下山しそのまま思い立ち、寝袋持参の登山スタイルでの出発だった。
「先生、俺はどうすればいいか分からない」
 旅先の夜空を見上げては嘆くばかりだった。

 旅は短期のアルバイトをしながら、無銭ヒッチハイクで続けられた。昭和時代はそれができる人情の時代であった。片手親指を立て和歌山から太平洋沿いで、いつしか北海道の『摩周湖』が私の目的地となっていた。――悲観に沈む中、そこを人生最後の地に決めていたのだ。
 その時の心境を正確には思い出せない、確か秋の始まりだった。
 摩周湖に辿り着いた時には、薄暗く誰もいなくて寒かった。人のいない野店にはトウモロコシを焼いたのであろう炭火の灰があり、手をかざすとまだ暖かかった。そのあと私は放心状態で、腰を低くして斜面を滑り下り湖の底に降り立った。

 ――そこに不思議な風景が待っていた。

 言葉や記憶で表現できない、シンと静かで神秘なカムイの風景だった。
 訳なく泣けるシルエットだった。それを眺めその世界にいると、死が無意味だと語りかけているようだった。(カムイは神の語源かもしれない)ふと、そう思った。
 ――天空を見上げて、特に明るい星を数えたがどこまで数え終えたのか思い出せない。湖をとりまく島のような黒い塊と小島が浮かんでいた。夜明けまで砂地に横たわり、私は眠らずに夜を過ごした。
 朝が明けきると、それまでのいきさつが何もなかったようにして、私は摩周湖を去った。
 死ぬ気が失せていたことさえ意識に存在しなかった。

(結局、死ななかった。だが、死ぬ勇気が無かったわけではない)
 旅を通して一体、幾人のドライバーの世話になっただろうか。中には別れ際に餞別までくれる人がいた。弟子屈では家に泊まれと言われ、何日かぶりの風呂に入った。人の優しさが身に沁みた。振り返ると、この人々との一期一会が、失意の私に生きる勇気を与えてくれたのかもしれない。人の慈愛を満身に浴びた青春だった。
(そうだ、大きなことができんでも、この優しき人びとに恩返しできる自分になろう)
 そう思いなおし師匠を偲んだ。

 やがて帰路は日本海側まわりで、私の出生地だと聞いていた新潟にでた。この地に入り、不意に(ここに住もう!)と閃いた。

 ます勤め先を探したが、身なりがまともでない私に世間は厳しかった。――そんな中で安保闘争の経歴を持つ支店長に巡り合った。営業職で宗教用具の商品を車で売り歩く訪問販売の会社だった。商品のデモンストレーションと人間性で『即決販売』する営業であった。
 本堂で清掃能力の高い外国生まれの掃除機を、二時間ほどのデモで売り上げるのだが、とても高額な商品だった。それだけに客が熱している間に即決しなければならない。
 私にとって、この職業は結果的に正しいめぐりあいだった。なぜなら多くの寺院、教会、神社等々を渡り歩き、人間の持つ宗教の本質に触れることができたのだから。仕事は生きる手段だが『世界平和』に宗教が欠かせないと知った。
 きっと得るものがあると思っていた。販売がてら積極的に宗教の話を聞き問答もおこなったが、師匠ほどに啓発を与えてくれる崇高な精神の持ち主には巡り合うことができなかった。

 失望し悲観の中で、私は平凡でない恋愛経験をした。
 それは新潟支店の事務員とその妹を同時に愛してしまったのである。多情、浮気性といわれても仕方ないが、姉妹といってもまったく別性格の二人であった。
 妹とは出張を絡めて旅行を楽しむ深い男女関係だった。
 姉は最後まで理由を明かさなかったが悲恋を抱えていたようだ。いつも二人で夜の日本海をみつめては、接吻をくりかえすだけの関係だった。それ以上に発展しないし、望まないミステリアスで孤独なふれあいだった。私の精神は姉を愛し、躰は妹を熱く愛した。姉妹だが、まるで二人で一つの魂だったと思う。
 そんな中でいつの間にか三十六歳になっていた。

(人生の目的を失念して、平凡な生活に逃げていた!)

 別れ話には当然だが、姉妹からの罵詈雑言は覚悟の上だった。
 だが決意が固いと知った妹は、見合いであっさり公務員と結婚してしまった。それは彼女なりの愛情だったと後に知った。姉とは互いに言葉すら残せずに別れた。それゆえ未練を断ち切る苦しさがしばらく旅の中で後を引いた。
 多くの幹部から引き止められたが、意志は固く会社を退職し又もや旅に出た。そして気ままな流転の旅は十年ほど続いた。

 この時の私は、亡くなった父親のたどった流浪の日々を自分に重ね合わせていた。
 引き継がれ逃げられない『宿業』であることに、気付くのに時間を要しなかった。  
 その父母が与えてくれた人生の『師匠』との出会い。多くの人との出会いそして二人の姉妹。その出会いの意味が、この先に待っているような『予感』が、いつか私の魂と呼ばれる部分に芽吹いていた。
 そしてそれは大台ケ原の頂上、広大な宇宙の真っただ中で待ち受けていた。

 西側に目をやると存在感のある峰々が連なり、そこに近畿地方の最高峰である八経ヶ岳が夕日を受け悠然とそびえていた。八経ヶ岳の名には意味がある。
 ――この地の役行者(えんのぎょうじゃ)は飛鳥時代の呪術者。山岳信仰である修験道の開祖と云われる。そのルーツ、一説では帰化人に由来している。ちょうど欽明天皇期、百済から古代日本(大和朝廷)への仏教公伝(伝来)にも合致している。幼名が金杵麿(こんじょまろ)であり、賀茂役君(かものえんのきみ)とも呼ばれていた。また高弟の名が韓国広足(からくにのひろたり)であることもそれを裏付けている。
 逸話ではあるが呪術にすぐれ神仏調和を唱える反面、命令に従わないものには呪いで縛ったという。また鬼神を従えるほどの法力を持っていたとも。
 天皇家系の聖徳太子が用いた仏教を知るが経典、とくに『法華経』が解釈できなかった。末法思想を恐れ荒行に励み、経典を紀伊山中に埋納したとされる。時代は初めて『法華経』で明かされた『女人成仏』が理解できない男社会であった。大峰山系は永く女性の入山が禁止された。

 私は仏教施設を訪れる中で、末法に即した教えが『法華経』だと理解した。
 その中でも中国の鳩摩羅什(くまらじゅう)訳の『妙法蓮華経』が正典で、そこに人類を救済していく力を有していることを理解していった。
 過去の数多い高僧と呼ばれる存在は、いずれも鎌倉時代に京都の比叡山で修行を行っている。だが彼らも法華経を正しく解釈できずにあげくは打ち捨て妻帯し、非僧非俗という立場に流れた僧もいる。
 鎌倉から今の時代にいたるまで、民衆は像法時代作のスス汚れた美しい仏像を崇拝している。この末法の時代は釈迦の威光は失われてしまう。これは釈迦自身の予言であり、警告でもある。釈迦は未来をある特別な仏と菩薩に託した。現代の民衆の不幸は、勝手解釈した教祖や僧侶の過ちだと言えよう。結局は観光業と葬式仏教になり果てた。

 だが過去の数多い高僧の中でただ一人、あらゆる経典を読み切って正しく解釈した僧がいた。釈迦予言の六難九易(ろくなんくい)――法華経を広める人への大難――を承知の上で、時の執権(現在の首相)の北条時頼に唯一『国家諌暁』を行った高僧が存在した。
 今の千葉県に生まれた『日蓮』という、『日本』にとって実に深い意味を孕んだ名前の高僧である。
 自らの命を顧みずに、伊豆、佐渡流罪や斬首の座に臨んだ僧であり、紙や筆に事欠く過酷な流罪先などでも信者を思い記した真筆や写本が、分かっているだけでも五百編近く残存している。他の高僧には存在しないし、あの聖書さえも超える信じられない量の聖典である。

 そして日本に若きリーダーが生まれ、同時に悪鬼、悪魔のたぐいが人心の中に活発に躍動し始めた。同時にそれらと闘う使命を持った勇者らが、世界中に存在することにも私は気がついた。まさしく『世界平和』への転機到来なのだと知る。

 ――不可思議な光体験でこれまでの私の躰は死に、そして魂は誰かに宿り、生まれ変わった。見えない神経にさえも光が宿っている気分である。これまでの人生の中で知った、わずかばかりの理屈など遥かに飛び越えて――。
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登場人物紹介

生更木慶治《きさらぎけいじ》・四十歳



1990年生まれ2002年12歳に光体験。



ホテル警備夜勤勤務・高知県梼原町の出身。京都上賀茂に住む。坂本龍馬の信奉者右手で右耳の上の髪を掻く癖あり。名字由来は春に向けて草木が更に生えてくるとの意味。名前は小学生で亡くなった弟の忘れ形見(改名)。



極端な猫舌。基本黒Tシャツに上着。ブルージーンズ。夢の世界の宇宙と現世をつなぐ『夢の門番』で主人公。

下弦野登人(かげんのとひと)・四十歳 



エレベーター保守会社夜勤勤務。高知県羽山町出身須崎の工業高校の同級生190㎝の長身猫背。穏やかな性格だが剛毅。真剣に考える際に鉤鼻を親指と人差し指で挟みこする癖。ダンガリーシャツと薄ピンクのジーパン。

九條蓮華(くじょうれんか)・二十八歳 



『北京都病院』と北都大病院勤務の看護師。献身的看護で慶治の恋人となる。京都出身だが実家を離れ紅ハイツに住む。

五十嵐時雨(いがらししぐれ)・三十歳 



下弦野登人の通いの恋人。四条の電気器具販売店勤務。新潟の五泉市出身。色白美人。ぽっちゃり丸顔で色気あり。

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