第7話 縛り付けられた色眼鏡

文字数 6,265文字

「……はわっ!? ……ああ、もう朝かあ……。ふわああああ……。起きたんだね。おはよう……」

 不意に二度も立て続けに驚かされ、掛け布を跳ねのけ寝床の隅でひどく怯えてしまっているそのヒトとは裏腹に、テララは妙にのんびりしている。どうやらまだ少し寝ぼけているらしい。
 それもそうだ。上半身を(ゆだ)ねていた寝床が突然大きく跳ねて無理矢理起こされたのだから。どんな夢を見ていたかなんて覚えていないといった様子だ。それでも、寝起きに目の前のヒトに飛びかからないだけ十分ましだろう。
 だけども、眼の下にくまをつくった顔で大きく背伸びこそしてみせたものの、見覚えのある鋭い銀色の眼差しに、はたとすぐさま正気を取り戻す。
 その銀眼のヒトは歯を剥き出しにし、酷く興奮して今にもテララに噛み付かんばかりに殺気立っていた。
 その威嚇に昨日の小山での出来事が鮮明に蘇る。反射的に一瞬たじろいたが、胸元の首飾りを握り締め押しとどめた。それから一回、二回。息を整えて、両の手の平をそっと開いてテララはにこやかに振って見せた。

「……あっ! えと……、びっくりしちゃったよね? 急に大声だしたりして、驚かせちゃってごめんね……? その……、あなたの痛がるようなこと何もしないよ? 嘘じゃないよ? だから落ち着いて……ね?」

 流石にまだ取り繕った笑みにはぎこちなさが残る。テララ自身も不審感を拭えそうにないのではと半ば諦めが見え隠れする。そんな表情だ。
 けれど、そんな少女の微笑みに何か思う所があったのか。そのヒトはやがて剥き出した歯牙()をしまい、逆立てた殺気を治めてくれた。銀眼の瞳の奥にはまだ疑心が渦巻いているだろう。でもそれも昨日の他者を喰らい殺すほどの鋭さは見受けられない。
 ……ふう。よかった。
 その様子にテララも一安心。胸を撫で下ろして一呼吸。静かに息を整える。
 こうして改めて見ると、そのヒトは意外にまだ幼く見えた。背丈はテララと同じくらいだろうか。血で汚れてしまっているものの、顔の幼さからして歳もテララと近いかもしれない。
 ……女の子かな? もしそうだったら仲良くしたいな。
 そんな風に考えている内に余計な緊張も取れてきた。テララは肩の力を抜いてゆっくりと言葉を続けた。

「でも昨日の晩は私も驚いたんだよ? クス爺にまだ診てもらっている途中だったのに。あなた、起きたと思ったら急に外に飛び出すんだもん。それで慌てて追いかけてみたらお姉ちゃんの所で倒れてて、直ぐまた運んだけどずっとうなされてたし。すごくすごく心配したんだよ?」

 傷の手当ての最中に一度意識を取り戻したこと。祭事中の楽殿に一人向かい、再度意識を失って夜通しうなされていたこと。クス爺の施術が終わり寝付くまでの間、聞き慣れない言葉を何やら叫んでいたのだが、今はそこまでの言及はよしておこう。
 いたいけな母性でそのヒトを気遣う少女の声。内容こそ多少の小言が(うかが)えるものの、水面に広がるように身の内に沁み渡るそんな静かで柔らかな声だった。

「飛び起きたときね? まだ傷口開いたままだったんだよ!? クス爺も開いた口がずっと閉じなくてね? あ、クス爺っていうのはこの村のお医者さんで。見た目はちょっと、整ってないって言うか。お姉ちゃんと同じくらいって言うか。あ、お姉ちゃんはね、私のお姉ちゃんで――」

 いやでもしかし、少し興奮しすぎかもしれない。よっぽど心配していたのか、こうして話せることが嬉しいのか。目の前で呆気にとられているそのヒトに気付くことなく寝起きとは思えない早さで次から次へと言葉が続き途切れそうにない。それはもしかしなくとも、初対面の者にとって疎ましいものに違いない。
 そのはずなのだが。どうもそのヒトに至っては異なるようだった。その声は自身を襲ってこない。そう感じ取ったのだろうか。気持ち角が取れた銀の目を少々小言気味の少女に向けたまま、身を横たえて頻りにその仕草を追っている。

「あっ! ごめんね……。こんなに一度に話したら身体に障るよね……。あんなに大怪我してたんだし、傷も痛むよね……」

 一方的に話はじめてしまった自分が恥ずかしくて情けない。
 前かがみ気味だった姿勢を制してテララは面目なさそうに俯いてしまった。ついいつもの癖と言うべきか。口が達者で聞き分けのよろしくない姉の世話ばかりしている所為か。そうだそういうことにしておこう。慣れない相手と話すのとはどうも加減が違うみたいだ。そんな当たり前なこと、すっかり忘れてしまっていた。
 テララが(うつむ)いたまま次の動作を思いあぐねていると、銀眼のそのヒトは自分の身体にまとわり付く遺物に気が付いたらしい。他人の気苦労など構うはずもない。その違和感に耐えかねて傷口に当てられた帯を剥がしはじめてしまったのだ。

「……なっ、ちょっと!? だめだよっ!! それ外しちゃっ! 昨日クス爺に診てもらったばかりなんだから、まだそのままにしておかなくちゃ! 傷、開いちゃうよっ!? あっ! もう、ちょっとっ――!?

 首に巻かれた帯を外そうとする手をテララは咄嗟に押さえる。
 しかし、それでその行動を改めさせることが叶うはずもない。小山での一件を思い返せば、力ではそのヒトの方が勝っているのだから。
 それでも小言多し今朝はお節介気味のテララは諦めない。
 お互いが退かず傷当てを巡る小競り合いが朝の寝床の上で拮抗する。それはまるで姉妹喧嘩さながらだ。暴れ湧き立つ埃が、刺し込む日の光で乱反射するほど朝の攻防は尚続く。
 そうこうしている内に銀眼のそのヒトは最早帯がどうではなく全てが煩わしくなったのだろう。段々と両の手を大きく振り回し単に暴れだしてしまった。これには流石にいたいけな母性では手の付けようがない。

「えっ!? わっ!? ちょっと! キャッ!? そ、そんなに暴れちゃ――キャアアアアッ!!!?

 予想外の行動に傷口を押さえていた力の均衡が崩れる。
 その反動でテララは体勢を保てず、そのまま寝床の上に倒れ込んでしまった。
 その間際のことだ。有ろうことか少女の指がそのヒトの腕の帯にちょうどいい具合に引っかかり、倒れ込む拍子にそれを物の見事にほどいてしまったのだ。
 テララの小さな驚きの悲鳴と共に両者の間にわずかな静寂が流れる。
 外れちゃった……。え!? 今のってもしかして私の所為っ!? あんなにクス爺が絶対に安静にするようにってすっごく怖い顔してたのに!? あんな顔、私が小さい頃お母さんに内緒で料理しようとして刃物で指切っちゃった日以来……。どどどどどど、どうしようっ!!!? 急いで巻き直す? えでも、こんな大きな傷なんて手当てした事ないっ! クス爺に……あああ、うううう……どうしよう! どうしようっ!! どうしたらあ!!!?

 目に見えてわなわなしている。
 自分の指に(むな)しく垂れ下がった帯が実に滑稽。いや惨めだ。それにしれもこの慌てっぷり。余程、幼いころのお叱りが末恐ろしかったのだろう。絶対に姉には知られたくない妹の弱みである。
 ほんの少しでも普段の理性があれば、そのまま取り乱し続けて姉に見つかってしまう危険性に気が付くはずだ。そして、いつものように首飾りを握り締めて落ち着きを取り戻すに違いないのだが。
 不運なことに既に半べそ状態のテララ。無我夢中でとった起死回生の一手。それは――。

「あわわっ!? えっ、あっ、その、ごごめんなさいっ!!!! あぐっ!? 私こんなつもりじゃ! んーーもうっ、ごめんなさいっ! 本当にごめんなさいっ!!!!

 土下座であった。少し鈍い音がした。
 その慌てふためき様にはそれまで寝床の上で少し怯え気味だったそのヒトも流石に引いている。
 寝起き後、本日二度目の失態。猛烈に自己嫌悪に苛まされる少女。今日はきっと"ついている"日ではないのだろう。床に押し付けた丸い額でその板を割ってしまうのではないか心配になるほど力一杯に非礼を詫びている。
 しかし、混乱している最中ほど、突拍子もない余計なことが頭を(よぎ)るもので、それは今のテララにおいても例外ではなかった。
 ひれ伏しつむる(まぶた)の裏で、頭を打ち付ける瞬間、視界に映り込んだ光景に違和感を感じていた。
 ……あれ? 今、たしか……?
 押し付けた額が赤くなり感覚がなくなったところで、テララは恐る恐る顔を持ち上る。上目遣い気味にその違和感をそっと確認してみた。

「…………えっ、……うそ……!?

 そこには、有るはずのものが見当たらなかったのだ。
 そのヒトの身体は姿形を留めさせないほどに酷く損壊していたはずだ。その傷跡が、一晩かけてクス爺が決死の施術を施し命を繋ぎ留めた跡が、縫合糸だけを残しなくなっていた。正確には薄らとその痕は残っているものの、傷口に余分な血の被膜もない。皮膚が完全に繋がっているのだ。
 その信じられない出来事に呆気にとられないはずがない。テララは知らぬ間にそのヒトの腕を持ち上げ、鼻息がかかるほど近くで縫い痕をそっと撫でながらその真偽を確かめている。本日三度目の失態である。

「……すごい。……傷が……治ってる? えっ!? だって、昨日あんなに……。うそ……!? もう!? ……痛く、ないの……?」

 腕をおもむろに撫でられている当の本人は痛がる素振りを全く見せない。むしろ撫でられることに慣れていないのか。少しこそばゆそうに身体を(ひね)り悶えている。
 しかし、そんなことすら目に入らないのが本日のテララである。困惑と好奇心の波が少女をそそのかす。これまで一度も目にしたことのない驚愕の事態に深緑の目はそれはもう丸く輝いてしまっている。その関心の勢いは留まること知らず、自分の首を指さしながらそのヒトに続けて問い迫っていた。

「えっと……、その……首……。首の傷も……平気……、なの……?」

 銀眼のヒトは少女の仕草に首をかしげている。どうやら意図を理解しかねている様子だ。

「あのね。だからその。首にぐるぐるって巻いてある。その、そう! これ! 私がさっき間違えて取っちゃったこのひらひらしたのと同じのをね? ぐるぐるって、取ってみせて? できそう?」

 それでもめげずに自分の首を指さし、テララは何かを引き剥がす素振りを繰り返す。
 少女の熱心な眼差し。
 それに促されたのか、ようやくそのヒトは見よう見真似に自身の首にまとわりつく帯を引き剥がしはじめた。
 一週目。二週目。三週目。途中自分で首を絞めそうになるのをテララにも手伝ってもらいながら、徐々に傷当てをほどいてゆく。
 その間、テララと言えば寝床の脇で床に縛り付けたように正座し、その様子を食い入るように見詰めていた。覆われた傷当てがどけられ徐々に覗くそのヒトの首元に。そこにあるはずの傷、その一点に少女の視線は注がれている。
 そうして最後の帯がひらりと落ち、細い首が姿を見せた。

「……うそっ!?

 しかし、テララの熱い視線とは裏腹に、やはりその首には傷一つなかった。まだ少し血で汚れ薄っすらと縫い痕だけが残っているものの、目を覆いたくなるような傷らしい傷はどこにも見当たらない。

「傷が……ない……?! 夢みたい……。私、まだ夢見てるのかな。……っ、痛い……」

 つねった頬がひりひりする。これは夢じゃない。頬に痛みが広がるのを確かめるほどに、今、目の当りにしている光景がますます信じられなくなる。まだ寝ぼけていて傷跡が見えいないわけでもない。煩わしい帯から解放されて思う存分首を回している様子から察するに、きっと痛みさえないのだろう。
 つい先程まで興奮して大きかった深緑の目も、これには最早、布きれに開けた穴のようにただの点になってしまっている。

 それもそのはずだ。
 クス爺の話では命はなんとか繋ぎ留めることができたが、歩くことはおろか、身を起こすこともできない。寝たきりの生活になると教えられていた。手なんて動かせるはずもない。喉の傷もそうだ。傷は塞がることはなく、息が漏れて喋ることもできなければ、ろくに食事もできないだろうと。ただ数日。穏やかに過ごすことだけが、このヒトに残された最後の幸せなのだと。
 それを知ってテララは涙が止まらなかった。クス爺の足下にすがりついて泣き(わめ)き続けた。
 山の中で独りぼっちで泣いていたの! やっと見つけてあげられたの。助けてあげなくちゃって思ったのに……。折角生きていられてもそんな仕打ち、酷過ぎるよ……!!

 昨日の小山での惨状。夜通しの出来事。そして今、目の前にある現実。それらを齟齬(そご)なく理解することなんて無理に決まっている。そりゃあ開いた口だって塞がらない。
 そんな少女を銀眼のヒトは不思議そうにしばらく眺めていたが、間も無くその関心はやはり身体中に巻かれた無数の傷当てに移ったようだ。闇雲にそれらを一人引き剥がしはじめた。
 いくら順序立てて頭の中で整理してもまるで訳が分からない。訳が分からないことを何度こねくり回しても訳が分からないのだから、今は一旦やめにした方がよさそうだ。

「…………あっ!? わ、私、ほどいてあげるね?」

 早速身体中に纏わり付いた帯で自分を絞め上げて苦しそうなそのヒト。
 また怪我したら大変! 急いで手伝わなくちゃ! 解けない疑問に向き合うのも大事だけど、目の前で困っている人がいるなら何より助けてあげたいから。
 ようやく普段の少女らしい健気さが戻って来た。
 もしかしたら、まだ傷が治っていない部分があるかもしれない。誤って全部外してしまって、かえって傷を悪化させてしまうかもしれない。
 そうならないように、帯は一息にほどかずに傷が完治しているか確かめながら上半身から順に努めて慎重にほどいてゆく。

 右肩。左腕。側腹部。右大腿。左脚。
 どこかに傷が。どこかに傷が……。
 不謹慎にもそんなことを思い巡らせてはいたものの、順調すぎるほどに傷当ては剥がされていった。
 そして幸運にも、未完治の傷など一切なかった。傷口に残る縫合糸が少し痛々しいが、驚くことに全ての傷当てを外し終えてしまった。
 身体に纏わりつくものから解放され銀眼のヒトは余程気分が良いらしい。自分の四肢を何度も眺め満足そうに寝床の上で跳ね回っている。無邪気すぎるほど元気そうな姿だ。
 ……フフッ、そんなのずるい……。
 昨晩から今の今までずっと少女の心を縛り付けていたものが一気に解けて、押し込めていた気持ちが目尻を熱くする。まだ目の下の腫れがひいていないのに、大粒の涙が溢れて止まらない。

「……良かった。……良かったね。本当に……。本当に……、よかった……。よかったよおおおお……!!

 それまで口を開けたまま固まって動かなかったものが途端に声を上げて泣き出したものだから、飛び跳ねるそのヒトも驚きだ。こちらもまた何がどうなっているのかまるで理解できていないご様子。だが、そんな少女の姿にしばらく動揺さえしたものの、やがて涙を流す深緑の瞳を不思議そうに覗き込み、少女が泣き止むのをただ静かに待ったのだった。
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