第6話 重なる悲鳴と寝言

文字数 3,081文字

 戸口の前で大きく背を伸ばし、見かけた隣人と挨拶を交わす者。
 丹念に手入れをした自慢の用具を担ぎ、山へ拾集に向かう者。
 飼養しているスクートスに朝食を与え、その脇で昨晩用意しておいたのであろう麻をほぐし布を織りはじめる者。
 チサキミコによる祭事が執り行われた明くる日の朝。太陽はいつも通り東の空から昇りティーチ村に朝が訪れていた。だがそれは、どこか少しだけ活気に乏しい朝だ。
 けれども、テララの家ではいつもより一つ多い寝息が三つ。差し込む陽気にそそのかされて三者三様に未だ夢の中をさまよっていた。
 空が朝焼け色から天色(あまいろ)に染まりかけた頃、ようやくその内一人の(まぶた)が開いた。テララの母親がかつて使っていた寝床で、目の開き方を確かめるようにゆっくりと瞼を持ち上げその銀眼を覗かせる。
 開いた穴に吹き込む風のように射し込む光。白くかすむ視界。押し広げられる意識。どれも知覚したことのない感覚に覚醒したばかりの意識が消し飛びそうになる。
 ――ッ!!!?
 目の前に突如広がる世界の処理が追い付かなくなったのか、たまらず今度は瞼をきつく閉じてしまう。
 …………?
 どうやらその未知は目をつむってしまえば危険はないようだ。それだけは理解できたのだろう。少々身体を強張らせながらも改めてその銀の瞳に光を映してみる。
 目を見開いた正面。頭上には特に飾り気のない木造りの天井。同じような幅の板が視界の上から下までただ整然と並んでいる。それ以外に襲ってくるものは何もない。
 頭を右に倒す。少しだけ開けられた突き出し窓の隙間から日の光が差し込み、目に入る光量が一段と増す。それ以外に襲ってくるものは……。
 ――ッ!?
 どうもまだ光には慣れないらしい。すぐ頭の向きを戻し、今後は反対の方へ視線を移してみる。
 こちら側はまだ見ていられるのか、目の動作を確認するかのように視界に映る物へ順に焦点を絞っていく。
 手前から黄色い花。その奥に赤黒く汚れた大量の布きれ。その更に奥には三つの並んだ大小の飾り布と部屋の戸口の暖簾(のれん)が風になびいている。それだけだ。その他には銀の瞳に襲い来るものは何もない。
 次は頭を戻し目を一旦閉じた。今度は耳に意識を集中してみるようだ。
 そこはとても静か部屋だ。たまに窓から吹き込む風と、それに布が揺らされ擦れる音。あとはその横たわるヒトの左手辺りから一定の間隔で聞える、何かが漏れるような音。
 ……?
 またそっと銀の瞳を覗かせ、その奇妙な音のする方へ視線を送ってみる。すると、すぐ傍らで微かに動く何かがその目に飛び込んで来た。これは一大事だ。全く予期せぬその存在に、はち切れるほどに銀眼を見開き、そのヒトは頭が割れるような奇声をもって飛び起きた。

「Υαααααα!!!?



 ここは……、知ってる部屋だ。壁に掛けられた3つの飾り布。大きいものとそれを挟んだ小さな布が2つ。お母さんに教えてもらいながらお姉ちゃんと編んだ初めての編み物。まっすぐに編めなくて、お母さんに手伝ってもらった大切な思い出。

「…………テララ……」
「――っ?! お母さんっ!?

 忘れもしないその声。日溜まりのように温かくて。ほぐしたての麻よりも柔らかい。胸の中までぽかぽか満たされる優しい声。

「待ってお母さんっ! 行かないでっ!! お話したいことたくさんあるのっ! 私、一人で小山に行けるようになったんだよ? 料理もたくさん覚えて、お母さんにもずっと食べてほしくて……! お願いっ! 行かないで、お母さんっ!!

 どんなに手を伸ばしても、寂しそうに微笑んだその背中にはもう届かない。どれだけ力一杯走っても、足に何かが(まと)わりついて、追い付くことさえできない。
 その何か。黒くて冷たくてどろどろしていて重たい何か。私の中からどんどん溢れて大きくなって、気が付けば私を呑み込んでしまう。そしてついには私も消えてしま――。

「いやっ!? いやだっ! 放してっ!! 私の所為じゃないっ!!

 夢中でもがいて振りほどいて這い上がる。いつの間にか外はもう夜だった。

「お姉ちゃんのご飯、作らなくちゃ……」

 そうだ。今日は小山でたくさん拾えたんだ。美味しそうなお肉もこんなにたくさん。お姉ちゃん、喜んでくれるかな?
 綺麗な麻の葉に、お母さんの好きな黄色いお花。いい香りの木の実と食べ応えがありそうなお肉。
 両手に抱えきれないほどの収穫だった。2人でも食べきれないくらい美味しそうだった。
 でもそれも突然土塊(つちくれ)が崩れるように手から溢れ落ちていく。

「えっ!? どうしてっ!? 待って! 消えないで!! 無くならないで……!!

 足元に転げ砕けるそれらを拾い集めようと必死で手を伸ばした。でも、掴んでも指の間からすり抜けて、どんどん消えていく。
 ――もう、なくしたくない……!
 思いっきり手を伸ばした瞬間。身体が真っ暗な穴の中に落ちていった。

「キャアアアアアアアアッ!? 落ちっ!? 誰か助けてええええっ……!!
「…………タス……ケ、テ……。……タ、スケ……テ……」
「えっ?! そこに、誰かいるの?」

 暗い暗い穴の奥底。光も声も届かない何もない世界にそれはいた。昨日のあのヒトだ。
 そうだ。このヒトを助けなくちゃ。誰かが居なくなってしまうのは、そんなのもういや……。今度は私が……守らなくちゃ……!
 胸元の首飾りをぎゅっと握り締めて、そっと傍に添い立ち様子を伺った。
 身体中傷だらけで、()()ぎだらけ。赤く破けた衣服のまま、母の使っていた寝床に横たわっている。でも、どうやら息はしているみたい。

「よかった。無事そうで……」

 安心した。
 ――何に?

 分からない。
 ――嘘だ。

 やめて! もう言わないで……!
 ――。

 一度目を(つむ)って深く深呼吸した後だった。目をそっと見開くと、突然そのヒトの身体が継ぎ目からどんどんバラバラに崩れはじめたのだ。

「うそっ!? どうしてっ!? 待って! お願い……! そんなのいやっ……! 止まってっ! 消えちゃいやっ……!!

 崩れる手、足、顔。
 どんなに必死に繋ぎ留めようとしても、次から次へとその身体が壊れて消えていく。どれだけ繰り返し願っても、望む姿になってはくれない。
 我慢したいのに視界が(にじ)んで、思うように力が入らない。そんな私の見っともない姿が嫌になったんだと思う。
 そのヒトは血濡れた歯を食いしばると、とても大きな声で叫んだ。

「Υαααααα!!!?

 そのとてつもない想いの圧に、私の身体は暗い穴の外へ一気に押し出される。

「――キャッ!? まっ、待ってっ! 私はまだ、何も……。待って、私を、傍に……居させてっ……!! お願いっ……ま――」

 どんどん遠ざかるそのヒトに手はもう届かない。叫ぶ声さえ掻き消されるほどに目の前が光に塗りつぶされて真っ白になった。



 そうして、風が暖簾(のれん)をゆらし、日の光が朝の訪れを運ぶ静かな朝。一つの部屋で二人の悲鳴が物騒がしく響きわたった。

「Υαααααα!!!?
「――待ってっ!!!?

 自身の驚きに釣られて目の前で(うごめ)く何かが突然そう叫ぶものだから、銀眼のそのヒトも間髪いれずもう一つおまけに叫んだ。

「Οαααααααα!!!?
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み