第21話 歩み出る強さ

文字数 5,537文字

 そうして無事だったピウとの(たわむ)れや、色取りどりの食材に囲まれた賑やかな三人での食卓。そんな夢の一つ二つにじっくり浸っていても誰も(とが)めはしないはずだ。
 だと言うのに。階段の下の方。まだテララが寝息を立ててから間もないというのに、何やら外が騒がしい。誰かを叱る(いか)つく屈強な声が、そんな他愛ない一休みすらさせてはくれないようだ。

 完全に寝入ってしまった重たくだれた身体を引きずりながら、テララはその声のする方へと歩いていった。なんとか立つことはできたものの、目もまだ寝ぼけたままでふら付く足取りはとてもソーマには見せらそうにない。

「……ふあれ? お姉しゃん、もう起ひたんだ……?」

 いや、それは先の大事で吹き飛ばされ壁に引っかかった、ただの破れた掛け布である。

「ほああ……、何だ。間違へちゃった……」

 大口を開けた居間の穴の先で吠える(いか)つい声でもいい。誰か早くこの娘を休ませてやるべきではなかろうか。っと今、階段から足を滑らせそうになった。目が離せないとはこのことだ。





 そんな滅多に拝むことのできない懸命すぎて痛ましい姿のテララも、なんとか居間まで辿り着くことができた。途中、足をもつれさせた拍子に階段の柱に顔面をぶつけたせいか、目も少しは覚めたようだ。
 居間の穴の外からは相変わらず怒鳴る声が響いていた。薄ぼんやりと明かりも漏れている。

「おーーい! ここにも壁を立てるから、杭と縄持ってきてくれないか! 誰でもいい! 動ける奴は傷も痛むだろうが、今は辛抱だ! 手を貸してくれ!」

 どうやら先程の厳つい声は、デオ団長のもののようだった。
 吹き込む夜風に少し身震いしながら炉に落ちたままの掛け布を羽織る。
 それもまた破けてしまっていたが、何もないよりかはましか。
「お? ああ、テララちゃんか。こんな夜中にどうしたい? 今晩は寒いぞ。疲れてるなら風邪引く前に部屋に戻ってるといい」
「あ……、い、いえ。部屋の中も穴だらけになっちゃって、どこに居ても寒いのは同じですから。それより皆さん、何を? もしかして、姉と話してた……?」

 どこかの家屋から拝借したのだろうか。折れた支柱を支える巨漢の奥には、大勢の村人たちが(あわ)ただしく何かを作っている様子が見えた。

「ああ。さっきチサキミコ様と話してたと思うが、今動ける者を募って傷を負った村人たちをまとめて看る救護舎を作ってるんだ。と言っても、流石に今の人手と資材だけじゃ屋根までは作れねえけどよう」

 そう説明を受けてテララはもう一度その後ろを覗き見る。
 デオ団長のように身体の一部を怪我した者や、腕に力が入らない、もしくは欠損してしまった者。とにかく立って動ける者は手を貸し合い、支柱を打ち立て、そこに布を縛りつけて壁を作っている。
 その忙しく動き回る人々の更に奥。立てられた壁で囲われるようにして、先の天災で傷を負ったと思われる怪我人たちが何人も麻布の上に寝かされうなされていた。

「……あんなに、たくさん……」
「ああ……。今回のは特に被害が酷かった。無事に生き延びれたとしても、怪我でああして身動きが取れない連中が17人。何とか動ける者は10人程度ってところか。残念だが、助からなかった連中は村の半数。30を超えてやがった……」
「そ、そんなっ!? 村の半分もっ!!!?
「あっ!? いや、悪い。子供にこんなこと。話すもんじゃなかったな。忘れてくれ……」

 村の過半数が一瞬にして失われてしまった。先の天災の被害の規模を定量的に現実的に思い知る。その具体性を持った数は、再び激しい自傷の後悔となって少女の胸を締め付けた。
 たくさんの人が死んじゃった……。みんな仲が良くて、優しい人たちばかりだったのに。オオフリがあった日だってそう。みんな笑いかけてくれて、色んな物分けてくれて。貰ってっばっかりで、何もお返しできてないのに…………ウグッ!? 
 死ぬべきではなかった者。死なずに済んだはずの者。死なせてしまった者。誰一人として死すべきして灰と散った者はいなかったはずだ。にもかかわらず、その乱暴で横暴な自然の起こした気まぐれは、想像を遥かに超えて余りにも残酷すぎた。
 で、でも……。だけど……、ううん。だから、私……!
 また塞ぎ込んでしまいそうになる。目を背けて大人の言う通り、寝床に逃げ込んでしまいたくなる。それでも、もう少しも残っていやしない気丈さを搾り出して、掻き集めて、奮い立たせて。テララは首飾りを小さく握りしめ一歩踏み出した。

「……あの、わ……私……。わ、私も、何かお手伝いさせて下さい!」
「えええっ!? テララちゃんがか? そう言ってくれるのは嬉しいんだが、そのう……なんだ? あまり子供に見せられたもんじゃないからなあ……」
「私はもう……。もう、平気……ですから……。それに……」
「ん? 何だい?」
「今は辛抱しなくちゃ。動ける者は手を貸し合うんですよね?」
「あーー、いやあーー、まあーー。んーー、確かにチサキミコ様もそう言ってたが。しかしだなあ……」

 健気に気配り上手で素直。そして今や困難にも立ち向かおうとする頼もしさの三拍子越えて四拍子そろった村一評判の少女の頼み。
 そんな真直ぐに投げかけられた純真な眼差しを、後腐れなく上手にあしらえる器用さなんぞ、力仕事一辺倒の団長が待ち合わせているはずもない。ただでさせ髭面で岩のように角ばった怖ぼての顔を(ゆが)ませて、(いか)めしくもひどく弱った面持ちでデオ団長は黒い目をあっちへこっちへ転がし完全にお手上げの様子。
 土で汚れ赤くすり切れてしまった小さく細い手足。
 そんなものを見てしまうと、流石に他の皆と同じように(いか)つく支持を出すのも躊躇(ためら)ってしまう。
 少女の申し出にどう応えたものか。デオ団長はその大きな身体を(ひね)(うな)っていると、その背中から女性の声が呆れた調子で割り込んできた。

「黙って様子見てりゃあ。(じれ)れったいったらないよ! 何も、力仕事ばかりが仕事ってわけじゃないんだよ? あんたったら、脳みそまで肉団子なのかい?」
「なっ! お、お前なあ……」

 (もだ)える肉団子の真後ろ。怪我人たちが寝かされた方。
 そこにはふくよかな、もとい包容力と気風が良さそうで笑窪が魅力的な女性が、両手を腰に当てご立腹気味に立っていた。

「こんなに可愛らしい子が手伝いたいって話してるんだ。そこんとこ、どおして気が利かないかねえ? 鈍感過ぎて嫌になっちゃうったらないよ」
「おお、おい。お前怪我してんだろ? 大人しく向こうで休んでろって……」
「ハンッ! こんなのただのかすり傷じゃないか! 大げさ言うんじゃないよ! あんた、図体ばっかでかい割に肝っ玉が小さいんだよ! 情けないったらないね! もう、ごめんねえ。家の旦那が無神経で。ただでさえ怖い顔してんのに、怖がらせるようなこと言わなかったかい?」
「え、いえ、そんな……」
「怖いって……おらあ、そんなこと――痛って!? いきなり何し――あっ痛っ!? アタタタタッ!?
「あんたはいいから黙って壁作ってなっ!」
「うわっ!? 分かったから! んなもんで()つなって! イッテテテテッ!?

 団長の背中から現れた女性は登場早々、手に持っていた匙で旦那と呼ぶその人を小突き回し、まるでその巨体を煙のように容易く追いやってしまった。強い。二人の日々の間柄を根ほり葉ほり聞かずとも解る。これは逆らってはいけない。本能がそう訴える(たぐい)のものだ。
 そうしてその場を仕切り直すように、女性はテララの方までゆっくり歩み寄り腰を折って視線を合わせた。
 意図せずテララは唾を呑み込む。

「ハハハッ。乱暴なとこ見せちまったね。そんな顔しなくていいんだよ。貴女にはあんなこと絶対にしないから。えっと、セレッ――いや、確か。チサキミコ様んとこの妹さんの……テララちゃん、だったかい?」
「あ、はっ、はい! ムーナさん!」

 テララは知っていた。知っていると言っても、よく見知った間柄というわけでもない。ハリスの小山でや、ご近所付き合いで顔を合わせては一二言交わす程度。良く言っていい人。このムーナという女性についてはそれくらいの認識だった。
 ただ、テララとしてはそのはずなのだが、腰を支え膝を付きながらも目線を合わせてくれる。
 その何でも抱きとめてくれそうな温かみのある物腰は、どこかそう。
 なんだろ……。少し懐かしいような……?

「フフッ。いい返事だね。えっと、手伝いたいって話してたけど、こんな日くらい休んでたっていいんだよ? テララちゃんの(うち)もいろいろ大変なんでしょ?」
「い、いえ。2人とももう休んでますし。姉に、動けそうなら手伝ってあげてって……。それに、みんな傷だらけになっても、村のためにあんなに頑張ってるのに……。私だけ……。だから私も、何か手伝いたいって思ったんです」
「そうかい……。ちゃんと立派に大きくなったんだね……」

 やっぱりだ。この太めの困り眉と、小さくてつらそうで優しい目。気付かなかった。でも、どうしてだろ?

「ん? どうかしたんですか?」
「ああ、いやいや。ごめんね。なんだか感慨深くなっちゃってね。よしっと! それじゃ、おばちゃんたちを手伝ってもらっちゃおうかね?」
「本当ですか!? ありがとうございますっ! よ、よろしくお願いします!」
「はあい。こちらこそ、よろしくね。フフフッ」

 デオ団長の妻。ムーナはそう丁寧に会釈して見せてからテララの背中に優しく手を添え、自身の仕事場へと向かった。
 テララ自身誰かの、主に姉の。つい最近ではもう一人増えたが、その介抱をすることはあっても、自分がされることは思い当る限りなかった。先の大事など例外があるにしてもだ。だというのに、その背中に添えられた大きく柔らかい手。ちょうど両肩の間で、脇の下辺り。指が脇腹にかかりそうな具合に宛がわれたその温もりには、不思議と心が和らぐ。テララはそんな感覚を抱いていた。





 デオ団長率いる面々が救護舎を建てているその隣では、女性陣を中心に動ける者が数人集まり、食事の用意を進めている様子だった。
 大きさや破損問わず使えそうな鍋を幾つも火にかけ、スクートスのミルクを基に掻き集められた食糧を細かく刻み煮込んでいる。辺りは日の光もない夜風が身体に沁みる真夜中だというのに、この場所はすでに汗ばむほど暑い。

「ムーナさん、ここは?」
「見ての通り、調理場だよ。必死に生きようと苦しんでる者。それを助けようと必死に宿舎を建てる者。今、皆が生きようって必死だろ? そしたら、あたいらができることって言えば、頑張ってる連中全員に食わせるうんまい飯を作ってやることくらいだってね!」

 これまでに目にしたことのない、一目ではとても抑え切れない大量の食器と食材。あの姉やソーマが見たらどんな顔をして喜ぶのか想像に難しくない。まるで夢でも見ているかのような光景に、テララも思わず生唾をごくりと飲み込む。

「あたいらだけでここを(こしら)えたにしちゃ立派なもんだろ?」
「そ、そうなんですか!? すごい……。でも……、全員分のご飯をたったこれだけの人で……」
「5人だろうが10人だろうが。作るもんが同じなら、案外大したことないもんさ」
「そ、そういうものなんですか……」

 考えちゃだめ、考えちゃだめ……。頑張るって決めたんだから!
 これまでに自分と姉の分を何度も作ってきた。それだけでも、小手先で済ませられることではない。それをその身をもって知っているからこそ、圧倒されずにはいられなかったようだ。

「そんなもん。そんなもん。でね。あいにく、ちょうどいい刃物が足りなくてね。材料はこっちで何とかやっとくから、テララちゃんは出来上がったスープを怪我してる(もん)らに食べさせてやってもらえるかい?」
「わ、分かりました! それだったら、うん。ちゃんとできると思います」
「大変そうだったらいつでも声かけてくれていいからね? 終わったらテララちゃんも食べていいから、それまでは我慢しておくれ」

 あれ!? 今、もしかしてお腹鳴ってた!? もう、欲張りなの誰かさんから移っちゃったかなあ。恥ずかしいよう……。

「フフッ。はーーい。それじゃ、最初のお仕事頼んだよ!」
「あっ! は、はい! い、行ってきます!」

 慌てて両手で頬を(はた)き、破けた袖を(まく)り上げる。出来たてのスープの載った盆を受け取って、テララは意気込み新たにその場を後にした。
 また要らぬ気遣いをされてしまったと、自分の未熟さを責めながら口に(あふ)れた涎を呑む。(たる)んでしまった顔を引き締めるように首を振ってから、一旦目を(つむ)って言い聞かせる。
 いつも、あのお姉ちゃんを相手にしてるんだもん。私にだってきっとできる! 言葉も道具も分からないソーマにだって、ご飯食べさせてあげられたんだもん。怖くない怖くない! ちゃんとできるよ! 頑張って私!

「……よしっ!」

 気に掛けてくれた人たちの期待に応えるために、いつも以上に完璧な自分を思い浮かべる。そんな少しぎこちなさの残る足取りで、テララは怪我人たちの下を目指し歩みを進めた。

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