第23話 微睡(まどろ)みの中で

文字数 4,132文字

 一夜明け、救護舎周辺は閑散としていた。
 せっせと衣服を干す姿も、小山へと籠を揺らす姿もない。日課に(いそ)しむ者が誰一人として見当たらない代わりに、村中には黒く炭へと成り果ててしまった家屋と、平らな地面を余すことなく引き裂いた天災の痕が埋め尽くしていた。
 ちょうど登った日の光が辺りを青白く照らす所為もあってか、まるで村全体が深い眠りについてしまったかのように色あせ静まり返っている。

 調理場では昨晩夜通しで村人たちに飯を(こしら)えていた女性陣が、数少ない掛け布に身を寄せ合うようにして(くる)まり寝息を立てていた。
 その傍ら。きっと最後まで怪我人を看ていたのだろう。皆と一緒に包まり損ねたテララが一人、倒れた桶に()れるようにして眠っていた。穴の開いたボロ布を被り、ひどく草臥(くたび)れた様は、荒野の朽ちた枯木よりも生気を感じない。一応、弱々しいいが息はしているようだ。
 先の大事の後、懸命に生き抜き痛みに耐えた者たちにようやく許された静けさ。だからこそ、この掛け替えのない朝は、何ものにも邪魔されることなく心ゆくまで、それこそ少々寝疲れするほど十分に皆が平等に享受すべき見返りであるはずだ。
 だというのに、もしこの世界にあらゆる摂理を司る何者かがいたとしたなら、それは少し悪戯(いたずら)が過ぎるかもしれない。
 そんな何人たりとも犯してはならない貴重な朝を、(むしば)まんとする影が調理場に現れた。息を(ひそ)め頭から掛け布を被り、人目を気にしてうろつく様は実に怪しい。怪しすぎる。絶対に怪しい。間違いない。
 この一大事だ。もし盗みを働こうものなら即捉え、首を絞め上げ、腹を割いて石を詰めるか、火焙りにてその罪を償わせることとなるだろう。そのような残虐非道な風習は幸いこの村にはないにせよ、白日の下に晒しその処遇を決めなければならない。
 そしてその影は愚かにも自身の末路を(かえり)みず、物音を立てないよう慎重に辺りを物色しはじめたようだ。あの大災害が過ぎ去った次の日だというのに、一体どこの誰がこんなふざけたことを考えるのか。人としての品性を持ち合わせてはいないのだろうか。まさに親の顔を見てみたいものだ。実に嘆かわしい。

「…………ん、…………お、おねえ……しゃん……?」
「ハウゲッ!!!?

 テララの姉であった。

「あ、あらーー? 起こしちゃったかしらん? 疲れてるのに悪いわねえ。アハハハハァ……」
「……ううん。お姉ちゃんこそ……、こんなとこで……何……してるの……?」
「えっ!? ああ!? いや! 何って!! べべべべ、べつにちょっとつまみ食いしようかなあなんて、こ、これっぽっちも思ってないんだからねっ!!!?

 一つ。

「昨日、寝過ぎちゃって? 晩飯食べ損ねちゃったし? い、今さっき起きたばっかで……。ほ、ほら! ソーマもお腹空かせてたしっ!!

 二つ。

「あ、余り物しかないだろうけど、子供2人分くらいならって!? ……そう!? も、守部が! ちゃんと許し貰ってるもん! あ、あたし何も悪いことしてないんだからっ!!

 三つ、四つ。

「ほんとだよっ!? ほんとに、ほんとの、ほんとっ!!

 五つ、六つ、そして七つ。
 不思議なことがあるものだ。これも天災が成す人知を超えた偶然なのだろうか。
 身ぶり手ぶり自分の潔白を必死で訴えるその破けた袖元から、何故だか木の実があれよあれよとこぼれ落ちている。
 一体、どこまでが本当なのか疑いが晴れる余地はないのだろうが。どうやらまだ寝ぼけたテララには気付かれていないようだ。
 足元に転がる怪しさ満点の証拠に、村長(むらおさ)の冷汗がこれまた何故か止まらない。これはもう野晒しの刑待ったなし。有罪確定。村長剥奪。日頃から善行を少しでも積んでおくべきだったと後悔しても既に遅い。今にもその人は目を回して泡を吹いて倒れてしまいそうだ。

「……ご飯? …………ああ、ごめん。昨日……、忙しくて……。お姉ちゃんにご飯……運んであげられ……なくて……。ふわあーー……」
「……ふう。そんなの謝らなくていいんだよ。あんた、自分の分も食う気なくすくらい、みんなのこと看てくれたんでしょ?」
「…………ふへ?」

 まだ意識がはっきりとせず今にも閉じてしまいそうな(たる)んだ目のテララの傍らには、一口も食べた跡のない、すっかり冷めてしまった飯がぽつりと置かれていた。
 姉に言われるまま視線を自分の横手にあるそれに向けても、記憶の呼び起こしがままならないようだ。いや、むしろ見詰めたまま止まっている。もしくは、目を開けたまま寝入ってしまったようにも見える。テララはそれをただただ眺めるばかりで、全く言葉が返って来ない。まだ全然疲れが取れていないことは姉でなくても見れば分かる。

「あたしが頼んだことなんだけどさ。だからって、無理していい理由にはならないからね? だからほら。あんたもちゃんと食べときな?」

 妹の有様に見兼ねた姉は小振りの椀を手に取り、そこへ煮汁と煮崩れした具をよそった。まだ微かに熱が残っている。十分食べられるはずだ。それからそれを持ってテララの横に並んで座り、少々冷めて生温い椀を両手に持たせてやる。

「あ、ありがとお……。わあ……、あったかい……。フフッ、おいしそう……、いただきます……」
「冷めてるけど、少しでも腹の中入れときな。って、ほうら。口んとこ付いてるから」

 まるでいつもの逆だ。中身が入れ替わってしまったとさえ思えてしまう。
 半分寝たままの、いやもう寝たままで覚束ない手つきでちゃんと口に運べるはずもない。弱々しく開けられた口元から(こぼ)れたスープがだらしなく残ってしまってる。
 それを赤子でもあやすかのように、姉は指で何度も拭い自分の口へと始末してやる。
 珍しく手間をかけている本人はと言うと、それすら気付いてはいない様子で、久しく口にしていなかった食事を少しずつ黙々と(すす)っている。

「こんなになるまでやることないのに。ほんと、あんたってお人好しと言うか。負けず嫌いって言うか。ああもう。ちゃんと持ってないと溢すってば。って、また口汚してるし」
「……エヘヘ……」
「いやいや、褒めてないから。ほら、口開けてもないのに飲もうとしないの。もう、しょうがない子だねえ」

 (くま)のできた顔で力なく微笑みを返すテララの口元からまた食べ残しを拭い取ってやる。もうそれだけで姉の朝食が済んでしまいそうだ。こうも溢してばかりいるとちゃんと食べられているのか心配になってくる。茶化し上手の姉も自然と口数が減っていくというものだ。

「ふはあ……。ちょっと休憩い……」
「はあ、そうしてくれると助かるかも……。人の世話するのって、こんなに苦労するもんだっけね……」
「フフフッ。お姉ちゃん、お母さんみたい……」
「ん!? あんたもしかして、わざとやってる? うわっちょ!? 飯持ったまま寝たらだめだってばっ!?

 そうしてしばらく介抱と言う名の謎の攻防を繰り返したあと、テララの目の離せない容赦ない食事もひと段落したようだ。
 ようやく休めると溜め息混じりに視線を少しずらす。すっかり参ってしまった青緑の目に、救護舎で横になった村人たちの姿が映り込む。そのやり切れない光景が追い討ちをかけるように胸を締め付けてくる。

「それにしても……。改めてこうして見ると、この村も人が随分減ったね……」
「…………うん」
「あたしら以外で動ける人間がほとんど居ないだなんって。これが悪い夢見せられてるんじゃないってんだから、ほんと嫌になるよ……」
「夢だったら……、よかったのにね……」
「……そうだね。今朝も様子見に来てみたら、ヘキチョウが(くすぶ)ってるの何人か居てさ。慌ててクス爺起こして血分けて落ち着かせてあげられたんだけど。まだ日経ってないのに参ったよ……」
「……そんなに分けちゃって、平気……なの……?」
「まあ、いつもの半分もない量しか分けてやれてないから、あたしは何とかなってるけど。それより、あの量じゃその場しのぎぐらいにしかならないだろうから、いつまでもつかそっちの方がね……」

 自分のことよりも他人ばかり心配するのは、どうも姉妹そろってのことらしい。
 肩を落とし額に手を当てて項垂(うなだ)れる姉の首輪には、まだ新しい血がわずかに滴っているのが見て取れた。
 久しぶりの食事が身に()みるにつれて、次第に意識もはっきりとしてきたのか。その深緑の目に映る姉の表情は、心成しか血の気が薄らいでいるように見える。

「……つらい……よね……」
「ああ、ほんとに……。これ以上何もなけりゃいいんだけど。でないと流石にあたしも身がもたないよ。それだけは、勘弁してほしいかな……」

 深い溜息交じりに珍しくそう不安を溢す。そうして引き起こされるようにして力無く立ち上がり、身震いさせながら姉は再び鍋の下へとすり寄っていった。

「だから、あんたはちゃんとそれ食べて、ゆっくり休みなよ? ソーマにはあたしが飯やっとくから、って……」

 大き目の椀に冷めた残飯を二人分よそいながら、駄目押し気味に妹の身体を気遣う。こんな姉らしい姉は見ようと思ってもそう簡単に見れない貴重な姿だというのに、振り向いた頃にはテララは既に夢見に戻った後だった。
 ほんの少しだけ色味の戻った唇で寝息を立てる妹の姿に、余計な心配事もこれ以上は無用か。
 ほとんど空になった椀を小さな手からそっと片し、自分が羽織っていた掛け布を夢心地の妹に掛けてやる。
 本当に、お疲れさま。いつも、ありがとね……。

「ヘッブシッ!? うううう、さむ。早く戻ってあたしも食べよっと。ソーマはどれくらい食べるんだろ? まあ、足りなかったら、それはそれでっと」

 椀の半分にも満たないスープを抱えて、姉は腹を空かせているであろうソーマの下へと静かに戻っていった。
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