第19話 いつもの声と

文字数 3,364文字

 やがて立ち込めていた土煙も風に流され辺りの悲惨さが際立ちはじめた頃、依然として村中を覆う嘆きに混じって微かに聞き覚えのある音が少女の耳に届いた。

「…………えっ!? 今のって……」

 へたり込み泣きじゃくっていた顔を慌てて拭い、テララははたと動かぬ甲羅の方を振り返る。

「……ピウちゃんっ!?

 すると、何と言うことだ。それまで微動だにせず静寂を守っていた甲羅が、左右に大きく揺れ動いたかと思えば空を仰いだ腹の方から何か伸びてくるではないか。千切れ失くしてしまったとばかり思われた四肢や首、そしてあの愛らしい顔だ。それらが傷を確かめるように、命を噛みしめるようにゆっくりと伸び下りてきたのだ。
 テララは堪え切れず垂れ下った頭に抱きついた。

「ピウちゃんっ!? ピウちゃんっ!! 無事だったんだねっ! よかったっ! よかったっ!! 本当によかったっ……!! 私、わたしもうっ……。ウアアアアアアアアアンッ!!!!

 恐らくだが、イナバシリの衝撃でその巨体が横転した後、運よくその進行方向とは逆向きに分厚い甲羅を傾けることができ、四肢や首を内に折りたたむことで自然の脅威からその身を守ったのだろう。だとするなら見かけによらず何とも賢い生き物だ。残念ながら、愛くるしいその尾は根元から引き千切られ痛々しい傷跡が残っていたが、だとしてもまささにこれは奇跡としか言いようがない。
 無傷とは流石にいかなかったものの、無事生還し頬を擦り合わせることができた。念願の家族との対面に、先程とは違う温かい涙がテララの頬を伝う。

 しかし、どうしたものだろうか。
 無事に再会できたのはいいものの、そのひっくり返った巨体を元に戻す手立てを、少女はおろかその当事者自身も持ち得てはいなかった。先ほどから少女が見上げる先で、わなわなと四肢を揺らしもがいている。

「待っててっ! 今、起こしてあげるからね! よーーうし! んーーしょっ! うーーーーんしょっ……! んーーーー!!

 流石に無理がある。
 自分に任せてと袖を()くり、裏返った愛獣を元に戻そうと意気込むのだが、当然びくともしない。けれどもテララは毛頭諦める気はないらしい。その手がたちまちに擦り切れ痛みを訴えだしても尚、その巨体を何とか元に戻そうと健気に奮闘している。
 本来その巨体は、大の大人が十数人がかりでやっと動かすことが敵うかどうかというほどの超重量だ。到底、子供一人の細腕でどうにかできる代物ではない。
 そのようなこと、平常なら容易く理解できるはずなのだが、テララは尚も諦めず息を切らしながらも途方に暮れている。
 そんな中、今ではずいぶんと聴き慣れた少女を探す声がその手を止めさせた。

「テ……ラ……。テ、テ、ララーー!」
「ん? ソ、ソーマ……?」

 どうやら家の方からだ。小さな額にびっしりとかいた汗を拭って振り返ると、今度は思わず肝が冷える様子がテララの目に飛び込んできた。

「わわわわっ!? な、何してるのっ!? そんなところ覗き込んだら落っこちちゃうよっ!?

 その視線の先。もう少し正確に言うと、テララの家の床下辺り。あの床が抜け落ちた大穴からソーマがこちらを覗き込んでいたのだ。覗き込むというより、もう既に胸元まで出して手を伸ばす様はとても危なくてすごく危ない。

「すすすす直ぐそっち行くからっ!? 待っててっ! 危ないからっ!! 動いちゃだめだよっ!? だめだからねっ!?

 もう、お姉ちゃん! ちゃんと見ててあげてよね!
 一瞬テララに制され、その首を引っ込めたかと思われた。だが、ソーマのことだ。一度の制止だけで済むはずがない。そもそも伝わることを期待してはいけない。大人しく身体を戻したのではなく、あろうことか勢いをつけて更に上体を突き出し、ほとんど床に垂れ下がる不安定な体勢で宙釣りになってしまった。

「あわわわわわっ!? 危ないいいいっ!!!?

 そう思ったが最後。ソーマの身体は脆くなった床ごと豪快に抜け落ちてきた。
 しかし、そこはこの家一の頑張り屋のテララ。伊達に毎日小山へ拾集に赴いて足腰を鍛えていない。間一髪のところでそれを抱き止め派手に尻を()ち難を逃れた。

「痛っててて……。危なかったあ。ソーマ、怪我してない? もう、大人しくしてないとだめだよ? 痛ててて……」
「グググ……。テララ、……ナ、キ……オネ、チアン……」
「ああ……、もしかしてさっきの聞こえちゃってた……? エヘヘヘッ、お姉ちゃんが言ってたのね?」

 無謀にも床穴から降ってきたその理由を問い合点がいった。やはり肩をすくめた悪戯っ子に悪気はなかったらしい。こんな状況になってもソーマだけはいつも通りだ。そのあまりにもの変わりなさに不思議と肩の力も抜けてしまう。これでようやくいつもの気丈で健気な少女に元通りだ。

「それじゃ、心配して来てくれたんだね。ありがとう」
「ア、イガ、ト……?」
「うん。私のこと優しく思ってくれて、アリガトウ、ね。……でも、今はねピウちゃんの方が……」

 テララは座り込んだソーマを引き起こし、手を繋いで未だ空を仰いだままのピウの元へと歩み寄った。見上げる度に手の付けようのないその巨体に溜め息が漏れてしまう。
 ソーマが床板から落ちる間も独り仰向けのまま必死で四肢をばたつかせてもがき続けていたのだから、気の毒なことこの上ない。
 しかし、再びピウの甲羅に手をかけ力を込めてみても、やはりテララ一人の力では状況を好転させることは難しいようだ。

「うーーんしょっ!! やっぱりだめみたい……。どうしてあげたらいいんだろう……?」

 また例の如く頭を抱えて唸りはじめたテララの隣で、こちらも毎度のことながらソーマの真似ごとが始まった。その細い腕を大きな甲羅にかけ、どうやらひっくり返す気らしい。

「ソーマも手伝ってくれるの!? アリガトウ! それじゃ、せーーのでいっしょに持ち上げようか! いくよう……! せーーのっ!! うーーーーんしょっ!!

 そうして、今度は子供二人がかりで巨大な甲羅をひっくり返す挑戦がはじまった。と言っても、たかが子供が一人増えただけだ。無茶が増えて無茶苦茶にかさ増ししただけだ。
 結果なんてものは分かりきっている。二人がどれだけ力を込めてもその巨体はびくともしない。二つの食いしばる吐息だけが虚しく無為に溢れるだけだ。やはりこればっかりは大人の人手を借りなければどうしようもない。
 ――だめ……! やっぱり私たちだけじゃ、ピウを助けてあげられない……!?
 だが、テララが力む瞼の裏で少しだけ諦めが見え隠れしたその瞬間、信じ難いことが起こった。それまで傾きすらしなかったピウの甲羅が徐々に持ち上がりだしたのだ。

「……えっ!? うそっ!!!? ど、どうしてっ……!? ええええっ!!!?

 その傾きは少しずつ、そして徐々に大きくなり、やがてテララの手から甲羅が離れてしまった。
 その驚愕の出来事にテララは文字通り目を円く見開き、開いた口が閉められない。それも当然、無理もない。なにせ少女が愕然と立ち尽くす隣で、ソーマが自分一人の力だけでその巨体を持ち上げているのだから。開いた口はますます大きく広がっていくばかりだ。
 それ以上開いてしまっては顎が外れかねないが、そんな少女の顎事情に構うことなくどんどん起き上がって行く。こんな展開、誰が予想できただろうか。
 そしてついに、その小さく細い手は大きすぎる甲羅を見事にひっくり返してみせた。
 地響きを立ててピウの身体は無事うつ伏せとなり、その四肢で地面を踏みしめることができたのだ。

「……すごい! すごいっ!! すごいよ! ソーマ!! ありがとうっ!! あなたってとても力持ちさんだったのねっ!!
「アリ……、アリガ……ト?」
「うん! うん! アリガトウ! アリガトウッ! ありがとうっ!! フフフッ」

 またいつものように一人事態を全く理解できていないソーマに抱きつくテララの下に、感激して小さな耳をはためかせたピウも擦り寄って、三人で温もりを確かめ合った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み