第24話 幼い意思には約束を

文字数 7,147文字

 日の光が空のちょうど真上から降り注ぎ、肌寒かった風が乾いた陽気に代わる頃、ティーチ村に動きが見えはじめていた。
 動ける者たちがぞろぞろとどこかへ向かっているようだ。

「……ん、んーーーーっしょ。ふわあ……。もうあんなにお日様、登っちゃってる……。早く起きて、また手伝わなくちゃ」

 照りつける太陽に頬を焼かれ、熱の(こも)ったボロ布の中で寝苦しさに耐え兼ねて、伸びやかなあくびと共にこちらもようやく眼を覚ました。
 その目元からは(くま)も薄らいで、いくらか晴れた顔色からは昨晩の疲れも少しは癒えたように見える。手の火傷も痕が残ってしまったものの特に問題なく動く。痛みも特にないようだ。若さとは実に羨ましいことこの上ない。

「みなさん、おはよ……あれ? ムーナさんたち居ない? どこ行っちゃったんだろ?」

 慌てて辺りを見渡すも、休んでいたはずの女性たちの姿はどこにもなかった。救護舎の中を覗き込んでみても、そこには怪我人たちが横になっているだけだ。
 見覚えのある掛け布に礼を言って丁寧に畳んでから、テララは村人たちの声が微かに聞こえる方へと歩いていった。





「おはようございます。遅くなってすみません。皆さん、何を話されてるんですか?」
「やあ、テララちゃんじゃないかい。もう休んでなくていいなのかい?」
「あ、ムーナさん。はい。お陰様で、ゆっくり休ませてもらえたのでもう平気です」
「そうかい。腰だの肩だの傷むって(うるさ)いあたいらと違って、若いっていいね。ハハハハッ」

 そこには、デオ団長夫妻やクス爺の他に、比較的軽傷で身動きができる村人たち十数人が集まっていた。その傍らには拾集で使う籠や石斧、大小の桶などがいくつか固めて置かれている。

「今ちょうど影籠りの準備について話を詰めてたところなのさ」
「影籠り、ですか?」
「ああ。村人の半分以上もやられちまったから、いざ移住しようにもいつもの倍は日がかかるだろうってチサキミコ様との話、覚えてるかい? それで、今動ける人数はこれっぽっちなんだが、熱くなって日に焼かれちまう前に早い内から準備しといて、できるだけ早く移った方がいいと思ってよ」
「一先ず、男共には家を畳んでまだ使えそうなもん集めてもらって、あたいらは山まで行って移住とその準備の間の食糧やらを拾ってこようってまとまったところさ」
「そうだったんですね。それじゃ、私にもお手伝いできそうなことありますか?」
「テララちゃんは、わしと残って怪我人の傷を看るのを手伝ってもらえんかの? 昨日はよく頑張ってくれとったようじゃし。頼めるならわしも安心して施術ができるんじゃが」
「クス爺のお手伝い。……わ、わかりましたっ!」

 (こころよ)く頷きはしたものの、一瞬テララの表情が強張ったようにも見えた。
 怪我した村の人たちのこと、一通りまだ覚えてるし。今度はもっとちゃんとできるよね。もう怖くなんかない……よし!
 けれども、胸元にぶら下がった首飾りから少しの勇気を借りたその目は、昨晩のようにもう震えたりはしていないようだ。
 そうして視線を真直ぐに上げ、改めてそこに集まった一行をざっと見渡してみる。その内に脚を痛めた女性が見て取れた。今の話からするとハリスの山での拾集組みになるのだろうか。他にも目の手当てを受けた老婆もその隣に見える。

「あの、その方たちも小山へ行かれるんですか?」
「ん? ああ……。山で拾うのはあたいらだけど、道中の荷運びなら手伝えそうだって言うからね」
「その、もしよかったら私が代わりに山へ行きましょうか? 私、どこも怪我してないし……。それに、そこにある大きい籠くらいならいつも背負(しょ)ってたのよりも少し小さいので、頑張れば2つ分は運べると思います。拾うのも1人でできますし、どうですか?」

 流石にこの少女の申し出には大人たちも困惑気味だ。なにせ、テララの言う大きな籠とは、どの家庭でも普段から使う大きさのものと変わりないのだ。それを自身の使い慣れたものよりも小さい。2つ分は運べる。そんなふうに言われてしまっては大の大人でも顔を見合わせ、また見合わせ、少女の正気を疑ってしまうというものだ。
 それもあるのだが、それよりも。実際、まだ疲れが(うかが)える顔で平気だと言い張るのだから、籠にさえ納まらないほどに心配が膨らんでしまうのも無理もない。そんな少女の提案を(なだ)めようと思わず一人の女性が声をかける。

「テララちゃん1人で2つ分も運ぶの!? でもね、テララちゃん。あなたまだ……」

 けれども、それをムーナがそっと制した。それから懸念など一切感じられない真直ぐな笑みでゆっくりと応えた。

「2人のこと気遣ってくれたんだね? ありがとね。それじゃテララちゃんの優しさに甘えて、代わりお願いできるかい?」
「いいんですかっ!?
「でも、1つだけ約束しておくれ。テララちゃん1人で2つも背負って帰ってくるってのは流石にちょっと心配になっちゃうから、もし無理そうならちゃんと言うんだよ? 影籠りまで何回かに分けて拾いにいくつもりだからさ」
「はいっ! あ、ありがとうございますムーナさんっ! 私、急いで支度してきますね!」
「はいよ。準備ができたらまたここに戻っておいで」

 ムーナの理解のあるふくよかさには今後も助けられそうだ。
 何だろこの感じ。ムーナさんが居てくれると、窮屈じゃなくなって、息がしやすくなるような? いつか感じたことがあったような……。いつだっけ……? まいっか。ようし! 今日も頑張ろっと! フフッ。
 弾み良く頭を垂れると、ここ数日の中で一番の笑みを浮かべてテララは我が家へと急ぎ駆けて行った。





 床下から居間に上る。この戻り方ももう慣れたものだ。

「そしたらあ……。まずは籠、探さなくっちゃ。いつも使ってたのがあれば、そっちの方が沢山運べるもんね。えっとお、確か……」

 籠がなくては小山での拾集は始まらない。料理をするのに刃物がない。火をおこすのに薪がない。姉を寝かせるのに寝床がない。最後のは場所を選ばず何処でも寝てしまうので割とどうとでもなるが、使い慣れた物がまだあるなら、それに越したことはないのだから。

「あれ? おかしいなあ。籠も斧もどこいっちゃったんだろ? これ。もしかして日笠かな? って、わあ……、穴空いちゃってる」

 それにしても、その穴から眺める居間は、テララの家のものであっても、よく見知ったものではなかった。
 こうして普段使いをしてみて分かる。あの一件の陰湿で忌まわしい一面だ。
 普段置いておく場所、だと思われる方を見渡しても求める物がどれも見当たらない。打ち上げられた床板をどかそうものなら、たちまち土埃が舞い上がる。自分の家だというのになんて不憫(ふびん)で面倒になってしまったものか。なるべくなるべく静かにと努めてみても、舞い立つ土煙に視界を遮られ咳き込むばかりでまるで準備が進まない。

「ケホッ!? ケホッケホッケホッ! んーー、おかしいなあ。いつもこの辺に置いてるはずなのに。どこいっちゃったんだろ――ウッ!? ケホッケホケホッ!?

 なかなかに手強い自宅での探し物。差し詰め、小山ではない自宅での宅拾いとでもいったところか。叶うなら、絶対にこれは日課にしたくはない。テララの顔がそう言っている。

「……ンーー、テ、ラ……ラ……?」
「あ、ソーマ。おはよう。昨日はゆっくり休めた――って、一人じゃ危なっ!?

 そんな土埃やら瓦礫と格闘する物音に起こされたのだろう。いや、今はそんなことはどうだっていい。誰かさんみたいに寝ぐせを作った銀眼の少年が、目を擦りながらふらふらと階段を一人下りてきたのだ。
 ただでさえ建てつけが悪くなった階段を、階段だったものを、寝起きのまま何の支えもなしに下りられるはずがない。
 身の毛がよだつとはまさにこのこと。テララは手にしていたガラクタを投げ捨てて、血相を変えて慌ててその方へ駆けよる。
 一歩。二歩。ふら付いた三歩目が次の段に下り立つよりも先に、足元の板が今にも抜け落ちそうだ。ではなく、もう抜け落ちている。

「止まってええええっ!? あれ違うっ!? 止まっちゃだめええええっ!!!?

 テララが居た居間の戸口から部屋奥の階段までは遠すぎる。今度ばかりは間に合わない。千切れるほどに伸ばした手をすり抜けるように、少年の身体が落ちてゆく。テララも思わず目を瞑った。
 だが、不思議と聞えて来たのは板が一枚落ちた軽い音だけだった。尻や頭をぶった重たい音も、痛さのあまりに泣き(わめ)く少年の声も、何も聞こえてはこなかった。

「……あ、あれ?」

 思わず顔を覆った手をどけて、恐る恐る事の成り行きを確かめてみる。
 階段の抜け落ちた板の下。居ない。そのまま視線をずらしてみる。居た。どうやら、ソーマは無事に最後の段まで下り切ったようだった。そこで座り込んで、まだ残る眠気と闘っているようだ。

「ふう、よかったあ……。変な汗かいちゃった……」

 全くである。この(くだり)。つい先日もあったはずなのだが、こうも何度も繰り返されると、いくら寿命があっても縮みきってなくなってしまうだろうに。

「フフッ、大きなあくび。起こしちゃったよね。ごめんね?」
「……ン……、ン、ウウ…………」
「まだ眠たかったら、寝てていいんだよ? 私この後、ちょっと出かけなくちゃいけないから」

 そう言ってソーマの前にしゃがんで跳ねた頭を丁寧に整えてやる。少年の呼吸に合わせてテララもゆったりと声をかえてみるものの、やはり起きて間もないようだ。出会ったばかりの頃のように呂律(ろれつ)がまるで回っていない。
 あれ……? ソーマ、もしかして寝ちゃってる?

「今日は傍に居てらげられないの。だから、上でお姉ちゃんと待っててくれる? って、ああ……、階段抜けちゃったんだっけ。今、直すから――」
「……ウウン」

 どうやら、それは嫌らしい。

「テララ……。イ……、イショ……。イ……ショ……」

 銀の瞳は瞼の奥でまだ眠たそうにしてはいるものの、顔を弱々しく横に振っている。その手は立ち上がったテララの袖をぎゅっと握って放してくれそうにない。

「ん? ソーマもいっしょに行きたいの? んーーと……。小山まですごく遠いよ? 外もう暑いし。ここで待っててくれない? 暗くなる前にはちゃんと戻ってくるから。だめ?」

 テララがもう一度腰を落として顔を覗き込むように優しく促してみても、袖は握ったままだ。こんなに頑ななソーマも珍しい。

「イ……イショ……。テラ、ラ。……イ、イ……」
「困ったなあ。お姉ちゃーーん? ……もう、まだ寝てるのかな……。んーー、分かった。それじゃ良い子にしててね? 約束だよ?」
「……ヤ、ク……ソ、ク?」
「うん、ヤクソク」

 これもお姉ちゃんとの約束だもんね。
 いつだったか名前のまだなかった少年に、姉が節操なく、ふしだらに絡み付いた日。ではなくて、村長(むらおさ)として姉がこの少年を受け入れた日。その姉と交わした大切な約束があった。
 私が頑張ってソーマの居場所作らないとだよね!
 ちゃんと面倒を看る。もう一度その言葉を胸にしまって、テララは少年の手をそっと握り返した。





「お待たせしました!」

 テララが村人たちの下へ戻ると、男性陣は既に持ち場に向かった後のようだった。

「あら、早かったね。おんや? その子は?」
「あ、えっと、この子はソーマって言います。この前ハリスの山から運んで手当てした」
「ああ、あのクス爺が夜通しで診たっていう? ずいぶんひどい傷だったって聞いてたけど。もう出歩いても平気なのかい?」
「はい。私が言うのもへんなんですけど。今はもう、手を繋いでなら歩けましたし。きっとクス爺の手当てがすごくよかったからだと思います。ソーマ、みんなに挨拶できる?」
「……ンギ、ギ……」
「なっ、何じゃとおおおおおおっ!!!!!?

 そんな他愛ない世間話を転がすテララたちの下に、一人の老爺(ろうや)がものすごい形相で飛び込んできた。

「あああああっ!? あの血塗(ちまみ)れだった奴じゃとっ!? 腕も脚も砕けとったんじゃぞ!? 身体の半分はろくに動かせんはずじゃっ!!!? それに今、喋りおったか!? 声が!? 声が出せるのか!? ああああ!! しかも立って!? あんなに深手を負っておったのに!? 本当にわしが診た奴なのかっ!!!?

 手ずから施術を施したのだ。その容態を正確に、強烈に、残酷なほどに目の当りにした当人だからこそ、ごもっともな反応だ。ごもっともではあるのだが、流石に怖すぎる。今日も今日とて、村医者として似つかわしくないあの見窄(みすぼ)らしい姿をしている。加えて相変わらず歪んだ老眼を突き破らんばかりに黄ばんだ目を突き出し、しわくしゃな手振るわせ、強張った指をもって今にもソーマに襲いかかる、ではなく触診をはじめそうな勢いだ。鼻息を荒ぶらせ手を上げて子供に迫るそれは、事情を知らなければただの不審者でしかない。
 姉という未知との対面がトラウマとなっているせいか、ソーマはテララの後ろで固まり完全に怯えてしまっている。挨拶だなんて、それどころではない。

「みっ!? みみみみみ診せてもらっても、よよよよよいかのっ?!
「う、うん。でも、あまり怖がらせないようにしてあげてね? ソーマ怖がっちゃってるから」
「ハア……! ハア……!! ハア……!!!? ど、どれ……。わしにじっくり見せておくれえ……!?

 だめだ。完全に自分の世界に入ってしまい全く聞こえていないようだ。より一層鼻息を荒くして、じりじりとにじり寄よる不審者。もとい、クス爺は、その少年の色白い腕を恐る恐る持ち上げる。そしてその鼻息のかかるほど間近で傷口を舐めまわすように検診をはじめた。

「お、おお……? ほおおおおおお!!!? 何という!? 何ということじゃっ!!!? こりゃ確かにわしが縫った痕じゃ! じゃが何故じゃ!? どうしてじゃ!? 傷口がどれも! こっちもじゃ! 全部きれいに繋がっとる……!? 奇妙じゃ……。珍妙じゃ……。信じられん……。本当に全部直っておるのか? 服の下はどうなっておるんじゃ!?
「クス爺? その子、ずいぶん怯えちまって見てらんないから、それくらいにしといてやりな?」
「……おっ? あ、ああ。すまん、すまん。わしとしたことが、夢中になりすぎてしもうた。邪魔したの。じゃがしかし、稀有(けう)なこともあるもんじゃ……」

 一応、クス爺の顔を立てるなら、彼はこのティーチ村で唯一の医者だ。これまで一人きりで村人たちの命と向き合い闘ってきたのだ。それこそ目を(つむ)っても傷口を縫い合わせられるほどに。数え切れないほど、命が灰へと朽ちゆく様を目にしてきたはずだ。それはきっと途方もなく孤独で過酷だったに違いない。そんな彼が全霊を込めて施したであろう大がかりな施術だったのだ。だというのに、それが"人並み"に立って歩き、声を出し感情をあらわにしてみせるのだから、驚くのも納得できる。だが何であれ、少々大人げなく無暗やたらに人の身体をまじまじと見過ぎだ。有り体に言ってしまうと、ちょっと気持ち悪い。
 そうしてムーナの重みのある忠告に好奇心を()まみ上げられ、クス爺は渋々救護舎へと戻って行った。

「あれでも(うち)の旦那なんかよりも頼れる村の名医なんだ。悪く思わないでやっておくれ」
「アハハハハァ……」
「それで? 大怪我だったらしいけど、その子、ソーマちゃんだっけ? いっしょに連れてくのかい?」
「はい。私も待っていてってお願いしたんですけど、今日はなんだか言うこと聞いてくれなくて……。手を引いてあげれば歩けるし、こう見えてこの子、すごく力持ちなんですよ? 私がちゃんと看ますから、このまま連れて行ってもいいですか?」
「テララちゃんがその子のお姉ちゃんしてくれるってんなら、あたしらは止めたりなんてしないよ。人手は多い方がありがたいしね」
「私がソーマの……。はいっ! ありがとうございますっ!」

 自分がソーマのお姉ちゃん。どれだけ身勝手な思い上がりで失敗しても、やっぱりその言葉には惹かれてしまうみたいだ。たちまち深緑の目がやる気色一色に染まったようだ。

「それじゃ早いとこ準備して、あたいらも出発しようかね! そう言えば、テララちゃん。準備しに帰ったわりには何も持って来てないみたいだけど、もういいのかい?」
「それが、いつも使ってた道具がどこ探しても見つからなくて……。日笠はあったんですけど、穴空いちゃってて使い物にならなそうで……。だから私と、ソーマにも籠を運んでもらおうかなって……」
「ああ、それなら仕方ないね。フフッ。それじゃ今日はよろしくお願いね。2人とも!」
「はい! こちらこそよろしくお願いします! いっしょに頑張ろうね! ソーマ!」
「イ、ショ……ガ、ン……ガ?」

 雲一つない紺碧(こんぺき)の空の下。テララとソーマ。ムーナに他数人。年が二十ほどの女性ら、計五名がおのおの籠を背負い村人たちの食糧を得るべくハリスの山へと出発した。
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