第18話 天災の喰い余り
文字数 4,009文字
壁を貫いた鋭く重い土塊 が掛け布に包まったテララたちを幾度となく撲ちのめした。壁の飾り布は見る影もないほどに引き裂かれ、家具はなぎ倒され、屋根の骨組みが床に激しく叩き付けられる。
家屋の支柱がやられたのか、寝床が床ごと傾 ぎ、いよいよかと一同が覚悟を固める。強張る身体からついに諦めが滲みはじめた頃、頭蓋 を軋ませるほどに鳴り響いていた轟音がようやく鳴り止んだ。
強張り過ぎた手足には最早感覚は残っていない。堅く瞑 った瞼 の内で、今意識のある自分は死んだのか。それともまだ生きているのか。それさえ冷静に判断が付かない。
「……終わったみたいね。皆、ちゃんと息してる……?」
気を抜けばたちまち震えだし、舌を噛み切るには十分なほどの恐怖がまだ身体中に刻みついている。
それでも声をかけずにはいられない。声を聞かずにはいられない。そうしてまず姉が抱きかえた家族たちの生存を訊ねた。
「……テ、ララ?」
「ソーマは無事みたいだね。で、この子はっと……?」
被っていた大量の布山を脱ぎ捨てて、大役を終えたその人は大きな溜め息と共に寝床に力無くへたり込んだ。肌蹴 崩れる山を見ると、改めてその細い身体でこれほどに多くの物をよくもまあ被れたものだと関心する。
完全に疲れ切って虚ろなその青緑の目は、今にも寝入ってしまいそうだ。いやおそらく今すぐにでもそうしたいのだろう。重たそうに垂れ下がった頭を持ち上げて、未だ一人丸くなったまま震える妹の様子を伺っている。
「んーー……? 見たところ、傷はなさそうだね。ほら、もう厄介事は済んだよ。いつまで丸くなってるのさ。……ね、聞えてる? おーーい? テララさーーん?」
「…………も、もう……。も、う……、平気……?」
「平気も平気。んまあ、まだ少し頭ん中で響いてる気もするけど、もう行っちまったよ。だから、早く顔上げてやりな? ソーマも心配そうにしてるよ?」
普段と変わりない気だるげで煙たげで、でもちょっと気にしいな口調だ。寝床に座り込んだままの姉の言葉は、今となっては少し頼もしく聞える。
そんなぶきっちょな優しさに小突かれて、固く閉じた目を少しずつ、泣きじゃくって崩れた顔をゆっくりと持ち上げた。こちらもまだ振るえが納まらないようだ。溢れた涙で深緑の瞳は歪み、ひしゃげた光景がその中に映り込んだ。
部屋の様子は見るも無残な有様と化していた。
床には薄汚れひどく破かれた飾り布や既に使い物にならない家具が散乱し、その床や壁には飛散した土塊で破られた鋭い傷跡が無数に残っている。
よほど今回のものは凄まじかったのだろう。床下より炸裂した土塊は天井にまで達し、そこにいくつもの大穴を残していた。射し込む日の光が枯木色に染まるほどに土埃が立ち込め、ほんの少し息を吸おうにも舞上がる塵が鼻から口、喉に張り付いてまともに呼吸するのも難しい。口の中に広がる砂塵の味がひどく不味く不愉快になる。
「……ひ、ひどい……。どうして、こんな……」
「ほんと、随分と風通し良くなったもんだよ。これじゃ眩しくて昼寝なんてできないだろうね……。自然が起こした気まぐれじゃあ、どうしようもないけどさ。まあ、これからの陽気には有難い……と言えば、言えなくもないかな……?」
そろって天井を見上げ途方に暮れる姉妹に釣られてソーマもその方を見やる。少年にとっても流石に理解、反応に困ってしまうのだろう。口をあんぐりと開けたまま、穴だらけの天井を見上げている。っと見上げ過ぎて傾いだ寝床に重心を崩され、転げ落ちそうになる。
「テラッ――グギギッ!!!?」
「――あっ!? 危ない!?」
「ブギッ!?」
「ふう。ソーマは何ともなかった?」
「テ、ララ……?」
「うん。お家、穴だらけになっちゃったね……。これからどうしよう……」
無事に抱き止めることはできたものの、やはりソーマも部屋中の異様な穴が気になるらしい。
改めて三人でその変わり果ててしまった我が家を見渡す。
やけに射し込む日差しも、横から吹き抜ける乾いた風も、下から巻き上がる土煙も、全部この家になかったものだ。随分と疎ましい佇まいになったものだ。
「この様子だと、村の様子も気になるね……。悪いんだけどさ。あんた、ちょっと見てきてくれる?」
「村の、みんな……ピウちゃんっ!?」
わずかに落ち着きをみせていた脈が息を吹き返したかのように荒ぶり出す。姉の言葉を耳にするや、心配していたもう一人の家族のあられもない姿が脳裏を過る。
――ピウちゃん!? いやっ!? そんなのいやっ!!!?
家でさえ、しかも二階の部屋でさえこの荒れ果てようだ。隠れ身を隠すこともできない外で天災に晒されてしまったのだ。いくら甲羅が固いと言えど、全身がそうであるはずもない。
大切な家族が五体満足に無事に息をしている想像がまるでつかないが、テララは強く祈らずにはいられなかった。転げ落ちるように慌てて寝床から立ち上がり、少女は弾き出されるように階段を駆けて行った。
階段を下りてまず目に飛び込んできた居間の様子は、姉の部屋と比較にならないほどに損壊が激しくひどい有様だった。
土塊に貫かれ床板が捲 れ上がるだけならまだしも、その猛威に耐え兼ね丸ごと抜け落ちてしまった一角もある。
飛散した土塊が部屋中に散乱し、部屋の衝立は砕け、暖簾 は破り捨てられている。水瓶は砕かれ、貴重な飲み水が虚しく滴り落ち、ここを人の住まう家屋だと最早胸を張っては到底言い難い。炉の火を消しておいたことが唯一の不幸中の幸いか。
テララは脆 く歪んだ床に足下を取られないよう、逸 る気持ちを抑えつつ慎重に戸口を目指した。
やっと戸口まで辿り着き、落ちた暖簾をまたいで外に出る。そこには見知った村とはまるで違う、死期に覆われた死没寸前の無惨な村の姿が広がっていた。
「……こ、こんな……!? どう、して…………」
息を吸うことすら憚 られる。おおよそ酷いと一言で言い表せられないほどの慣れ親しんだ村の姿に、テララは一瞬身体の自由を奪われてしまう。
地面は深く抉 れ、まるで突き立てられたかのように大きく鋭い土塊が無数に反り立っている。付近の家屋のほとんどが支柱もろとも一階部分を砕かれ倒壊し、見渡せる限りで無事に建っている物は一つとして見当たらない。その内に、恐らく炉の火が燃え移ったのだろう。太陽がわずかに沈みかけた淡い紫苑 の空に、緋色に燃盛る家屋が目に鋭く突き刺さる。
瓦礫の下敷きとなり助けを求め呻 く者。逃げ遅れたばかりに炸裂した土塊に穿 たれ碧く燃え盛る者。事切れた灰塵を名残惜しそうに掬 い顔を埋 め泣き叫ぶ者。
チサキノギとは別格の、惨酷で悲愴とやり場のない憎悪の入り混じった風が耳から胸に重く流れ込んでくる。
――い、いやだっ……。
込み上げる感情を胸元の首飾りを固く握りしめ必死に押し留める。
家はまだちゃんと建ってる。もしかしたら、被害が少なかった方なのかもしれない。あの子もきっと……! きっと……!?
戸口に立てかけられた階段は崩れ落ちていたが、そんなもの躊躇 うことなく飛び降りた。着地で膝が擦り切れたようが構わない。テララは床下で待つ家族を目指し無我夢中で駆け抜けた。
「ピウちゃんっ! ……ピウちゃんっ! …………ピウちゃんっ!!!?」
見慣れているはずの床下も言うまでもなくひどい荒れ果て様だ。
テララは抉 れた地面につまづき、土煙で霞 む視界を掻き分けながら突き進む。
「ゴホッゴホッ……ピウちっ!? ゴホッコホッ……、ピウちゃんどこおおおお!?」
そうして立ち込める土煙の中、やっと見つけた家族の影。急いで駆け寄りその状態を識るや、テララは思わず息を呑んだ。
そこには重量のあるあの巨体が物の見事にひっくり返っていたのだ。しばらく見ることもできなかった腹を空に無防備に晒し、身動き一つしていないピウの姿があった。
「ピウちゃんっ!? ピウちゃんっ!! ねえ、返事して!? お願い……ピウちゃんっ……!!」
テララは裏返った大きな甲羅の縁を辿りながら何度もその名を呼んだ。
――無い。
込み上げる不吉な予感を否定しながら何度も探した。
――どこにも無い。
しかし、現実は少女にとって容赦のない、あまりにも惨 いものだった。
甲羅を半周ほど辿っただろうか。それにもかかわらず見当たらないのだ。彼女の声を感じようものなら透かさずすり寄ってくる首が。首だけではない。地を踏みしめる太い脚や短く平らで愛くるしい尾すら、その存在を認めることが出来なかった。
「……ピウ、ちゃん? そ、そんな……。そん……な……。ごめんね……。ごめん、ね…………。ウアアアアアアアアンッ!!!!!!」
その事実を、拒み続けた現実を、テララは否定しきれなかった。
もう、応えてくれない……。小さな耳をはためかせて擦り寄ってきてくれない。小さくて丸くていつも潤んだ目で甘えてくれない。もう、好物のご飯をたくさん食べさせてあげられない。今度ちゃんと作ってあげるって約束したのに……。ずっといっしょだと思ってたのに……。そんなの嫌だよ……。嘘だって言ってよ……。
がらんどうと成り果てた大きな甲羅の、家族だったそれに縋 りつく。溜め込んだものが一気に溢れ出す。少女は大声を上げて泣き崩れた。その声は悲嘆渦巻く紺青 の空に溶けて、遠く彼方へと消えていった。
家屋の支柱がやられたのか、寝床が床ごと
強張り過ぎた手足には最早感覚は残っていない。堅く
「……終わったみたいね。皆、ちゃんと息してる……?」
気を抜けばたちまち震えだし、舌を噛み切るには十分なほどの恐怖がまだ身体中に刻みついている。
それでも声をかけずにはいられない。声を聞かずにはいられない。そうしてまず姉が抱きかえた家族たちの生存を訊ねた。
「……テ、ララ?」
「ソーマは無事みたいだね。で、この子はっと……?」
被っていた大量の布山を脱ぎ捨てて、大役を終えたその人は大きな溜め息と共に寝床に力無くへたり込んだ。
完全に疲れ切って虚ろなその青緑の目は、今にも寝入ってしまいそうだ。いやおそらく今すぐにでもそうしたいのだろう。重たそうに垂れ下がった頭を持ち上げて、未だ一人丸くなったまま震える妹の様子を伺っている。
「んーー……? 見たところ、傷はなさそうだね。ほら、もう厄介事は済んだよ。いつまで丸くなってるのさ。……ね、聞えてる? おーーい? テララさーーん?」
「…………も、もう……。も、う……、平気……?」
「平気も平気。んまあ、まだ少し頭ん中で響いてる気もするけど、もう行っちまったよ。だから、早く顔上げてやりな? ソーマも心配そうにしてるよ?」
普段と変わりない気だるげで煙たげで、でもちょっと気にしいな口調だ。寝床に座り込んだままの姉の言葉は、今となっては少し頼もしく聞える。
そんなぶきっちょな優しさに小突かれて、固く閉じた目を少しずつ、泣きじゃくって崩れた顔をゆっくりと持ち上げた。こちらもまだ振るえが納まらないようだ。溢れた涙で深緑の瞳は歪み、ひしゃげた光景がその中に映り込んだ。
部屋の様子は見るも無残な有様と化していた。
床には薄汚れひどく破かれた飾り布や既に使い物にならない家具が散乱し、その床や壁には飛散した土塊で破られた鋭い傷跡が無数に残っている。
よほど今回のものは凄まじかったのだろう。床下より炸裂した土塊は天井にまで達し、そこにいくつもの大穴を残していた。射し込む日の光が枯木色に染まるほどに土埃が立ち込め、ほんの少し息を吸おうにも舞上がる塵が鼻から口、喉に張り付いてまともに呼吸するのも難しい。口の中に広がる砂塵の味がひどく不味く不愉快になる。
「……ひ、ひどい……。どうして、こんな……」
「ほんと、随分と風通し良くなったもんだよ。これじゃ眩しくて昼寝なんてできないだろうね……。自然が起こした気まぐれじゃあ、どうしようもないけどさ。まあ、これからの陽気には有難い……と言えば、言えなくもないかな……?」
そろって天井を見上げ途方に暮れる姉妹に釣られてソーマもその方を見やる。少年にとっても流石に理解、反応に困ってしまうのだろう。口をあんぐりと開けたまま、穴だらけの天井を見上げている。っと見上げ過ぎて傾いだ寝床に重心を崩され、転げ落ちそうになる。
「テラッ――グギギッ!!!?」
「――あっ!? 危ない!?」
「ブギッ!?」
「ふう。ソーマは何ともなかった?」
「テ、ララ……?」
「うん。お家、穴だらけになっちゃったね……。これからどうしよう……」
無事に抱き止めることはできたものの、やはりソーマも部屋中の異様な穴が気になるらしい。
改めて三人でその変わり果ててしまった我が家を見渡す。
やけに射し込む日差しも、横から吹き抜ける乾いた風も、下から巻き上がる土煙も、全部この家になかったものだ。随分と疎ましい佇まいになったものだ。
「この様子だと、村の様子も気になるね……。悪いんだけどさ。あんた、ちょっと見てきてくれる?」
「村の、みんな……ピウちゃんっ!?」
わずかに落ち着きをみせていた脈が息を吹き返したかのように荒ぶり出す。姉の言葉を耳にするや、心配していたもう一人の家族のあられもない姿が脳裏を過る。
――ピウちゃん!? いやっ!? そんなのいやっ!!!?
家でさえ、しかも二階の部屋でさえこの荒れ果てようだ。隠れ身を隠すこともできない外で天災に晒されてしまったのだ。いくら甲羅が固いと言えど、全身がそうであるはずもない。
大切な家族が五体満足に無事に息をしている想像がまるでつかないが、テララは強く祈らずにはいられなかった。転げ落ちるように慌てて寝床から立ち上がり、少女は弾き出されるように階段を駆けて行った。
階段を下りてまず目に飛び込んできた居間の様子は、姉の部屋と比較にならないほどに損壊が激しくひどい有様だった。
土塊に貫かれ床板が
飛散した土塊が部屋中に散乱し、部屋の衝立は砕け、
テララは
やっと戸口まで辿り着き、落ちた暖簾をまたいで外に出る。そこには見知った村とはまるで違う、死期に覆われた死没寸前の無惨な村の姿が広がっていた。
「……こ、こんな……!? どう、して…………」
息を吸うことすら
地面は深く
瓦礫の下敷きとなり助けを求め
チサキノギとは別格の、惨酷で悲愴とやり場のない憎悪の入り混じった風が耳から胸に重く流れ込んでくる。
――い、いやだっ……。
込み上げる感情を胸元の首飾りを固く握りしめ必死に押し留める。
家はまだちゃんと建ってる。もしかしたら、被害が少なかった方なのかもしれない。あの子もきっと……! きっと……!?
戸口に立てかけられた階段は崩れ落ちていたが、そんなもの
「ピウちゃんっ! ……ピウちゃんっ! …………ピウちゃんっ!!!?」
見慣れているはずの床下も言うまでもなくひどい荒れ果て様だ。
テララは
「ゴホッゴホッ……ピウちっ!? ゴホッコホッ……、ピウちゃんどこおおおお!?」
そうして立ち込める土煙の中、やっと見つけた家族の影。急いで駆け寄りその状態を識るや、テララは思わず息を呑んだ。
そこには重量のあるあの巨体が物の見事にひっくり返っていたのだ。しばらく見ることもできなかった腹を空に無防備に晒し、身動き一つしていないピウの姿があった。
「ピウちゃんっ!? ピウちゃんっ!! ねえ、返事して!? お願い……ピウちゃんっ……!!」
テララは裏返った大きな甲羅の縁を辿りながら何度もその名を呼んだ。
――無い。
込み上げる不吉な予感を否定しながら何度も探した。
――どこにも無い。
しかし、現実は少女にとって容赦のない、あまりにも
甲羅を半周ほど辿っただろうか。それにもかかわらず見当たらないのだ。彼女の声を感じようものなら透かさずすり寄ってくる首が。首だけではない。地を踏みしめる太い脚や短く平らで愛くるしい尾すら、その存在を認めることが出来なかった。
「……ピウ、ちゃん? そ、そんな……。そん……な……。ごめんね……。ごめん、ね…………。ウアアアアアアアアンッ!!!!!!」
その事実を、拒み続けた現実を、テララは否定しきれなかった。
もう、応えてくれない……。小さな耳をはためかせて擦り寄ってきてくれない。小さくて丸くていつも潤んだ目で甘えてくれない。もう、好物のご飯をたくさん食べさせてあげられない。今度ちゃんと作ってあげるって約束したのに……。ずっといっしょだと思ってたのに……。そんなの嫌だよ……。嘘だって言ってよ……。
がらんどうと成り果てた大きな甲羅の、家族だったそれに