第26話 降りしきる笑顔

文字数 6,836文字

「おや! ソーマ、良い物貰ったねえ。格好良いじゃないか!」
「ニシシッ!」
「すみません。お話、途中だったのに」

 瓦礫の下では既に籠を背負い、皆再出発の準備を整えたところのようだった。

「いいんや、いいんだよ。ちょうどこれの準備もできたしね。テララちゃんたちがよかったら、いつでも行けるよ?」
「あっはいっ! すぐ用意しますね!」

 ムーナはそう楽しげに手に持った物を掲げて見せた。
 それはどうやら先程話していた枝笛のようだ。拾集組みの他の二人も太さや長さが違うが、それらしい物を構えて微笑みかけてくれている。

「それじゃ、出発しようか。テララちゃん、歌い手よろしくね?」
「はい! 歌ですね! ……へっ!? う、うたあああ!!!? わ、私がですか!?
「いいから、いいから。そら、はじめるよ」
「え、あっ、ちょっと!? ムーナさん! うううーー……」

 突然の指名に頬が強張って、小さな耳はもう真っ赤だ。ついでに深緑の目もぐるぐる回して、泡を吹いて倒れてしまいそうな勢いだ。
 きゅきゅきゅ、急にそんなこと言われても!? 家事しながらちょっとだけ歌ったりするけど、でも音に合わせてなんて!? しかも人前でなんて!? でで、できないよう……! お、お姉ちゃんどうしようっ!? って、お姉ちゃんは家か……。もう、どうして居てくれないの! お姉ちゃああああんっ!!!?

「へっ……、ヘッブシッ!? ……んあ? 飯……はま、だあ……むにゃむにゃ……」

 よりによって、幼い頃、自信満々に姉に歌い聞かせて、大笑いされた恥ずかしい記憶が頭の中で笑いだしそうだ。
 そんな恥ずかしさに挟み撃ちにされて悶える少女を横目に、大人たちはちょっぴり悪戯な顔で目配せを済ませると枝笛をひょいと咥え込んでしまった。どうやらテララの決心が付くまで待ってはくれないらしい。
 しかし、それがどうだろう。歌い手を残して一足先に奏でられはじめた音色は、何とも愉快な和音ではないか。
 合奏を支えるのはムーナの安定した低い音だ。握り拳ほどの太さで前腕よりも少し長い朽木を縦に構え、天辺から長く重い息を吹き込む。その下から響いてくる低く落ち着きのある柔らかい音には、腹を撫でられるような心地良さがある。
 そして、ムーナの音に色を添えているのは残りの二人だ。一人は指ほどの太さで長短二本の枯れ枝を咥え、中音から高音の伸びやかな音を器用に奏で分けている。
 もう一人もまた芸達者なものだ。がらんどうの枝で籠を叩き乾いた弾みの良い音を加えつつ、空いたもう片手で朽木の中に小石でも入れたのか、その口を塞ぎ振り上げて丸く可愛らしい音を刻んでいる。
 予想以上に多才な面々による多彩な音色は、少女の些細な迷いなんて軽く吹き飛ばしてしまいそうだ。
 うむ、それもどうやらもう済んでいるらしい。つい今まで頭を抱えて震えていたテララも、晴れた表情で身体を揺らしながら手拍子までしている。

「わあああ! すてき!! フフフフッ。ねえ! ソーマもそう思うよね?」

 それこそ言うまでもない。
 乾いた枯れ草も空も弾ませるその音色は、瞬く暇もないほど一瞬に銀眼の幼心を(とりこ)にしていた。少年の頭上の結び目がそれはもう楽しそうに飛び跳ね、太陽にも負けないくらい大きく閃き光って見える。

「ンギャッ!? ンギギッ!! ニシッ!! シシシシシッ!!!!
「ああ、ソーマ!? そんなに走りまわったら危ないよーー! もう……、フフフッ」

 銀の瞳は青い空と弾む笑顔でいっぱいだった。
 両手を上げて危なっかしく皆の周りを駆け回っている。何度コケ……コケた。何度コケようともお構い……またコケた。少々優雅さと安心感に欠けるものの、受け身を覚えた踊り子もこれで揃ったようだ。
 そうしてその愉快な楽団の音色に乗せられて、テララも母親譲りの思い出の歌を、心晴れやかに笑顔振りまき歌ったのだった。





 (おぼろ)げな部分は歌詞を繰り返し、手拍子を交えたりもしながら歌い奏でている間に、即興の演奏も様になってきた一行はようやく小山の石段まで辿り着いた。

「ふぅ、やっと着きましたね!」
「歌い手、ご苦労さん。テララちゃん、とても上手じゃないか! 枝っ端咥えながら聴き惚れちゃったよ」
「あ、ありがとうございます! ちょっと恥ずかしかったんですけど……。ムーナさんたちの笛がとてもすてきで、私も楽しかったですっ!」
「ウ、アイッ! ウ……マ、イッ!」
「ハハハハッ! ソーマも大満足だったとさ。そいじゃ、元気な内にちょちょいと拾っちまおうかねっ!」
「はいっ!!
「……ハ、イッ!」
「フフッ、ソーマ! 早く行こ? 手、つないで?」

 余韻に踊らされたままのソーマの手を引いて、テララは石段を一つ、二つ、三つと駆け登っていった。片道を手の掛かる弟の面倒を見ながら、もっと言うなら歌いさえしたというのに、その足取りの軽さときたら。
 年々重たくなる腰やら膝やらにへこたれずせっせと登る大人たちが、ほんの少しだけ不憫(ふびん)に思えてしまう。

「この上ってね。すごくきれいな景色なんだよ? 私の一番のお気に入りの場所なの。きっとソーマも気に入ると思うんだ! フフッ。だから、ほらあともう少し! がんばってっ!」

 大人たちが前を行く二人の姿に呆気に取られている内に、その若さの塊たちはあっという間に最後の石段まで登りきってしまった。テララとソーマ。二人揃って無事に到着だ。
 そして、そんな二人をあの極彩色の山々が風に(かぐわ)しい香りを乗せて鮮やかに出迎えてくれた。

「ふうーー! やっと着いたあーー!! ほら! ソーマ見て! これがハリスの山だよ! すごく綺麗でしょ? ……すうーー、はあーー。うん! 空気も澄んでて気持ちいい!!

 麻や木々、ホルデム。日の光をたくさん吸い込んだ緑の匂いが、そよぐ風に乗って胸一杯に流れ込む。喉に滴る鬱陶(うっとう)しい汗も、吹き抜ける風に撫でられれば清々しいものだ。
 初めて目にする色が(あふ)れ、命芽吹く世界。
 流石にソーマも感動の一つや二つでも覚えたのだろうか。その光景を目の当りにして、銀の瞳と口を大きく開け放ち立ち尽くしてしまっている。
 フフッ、気に入ってもらえたかな?
 自然の素晴らしさを堪能しているであろうソーマの邪魔にならぬよう母大樹へ礼拝を済ませれば、いよいよここからが本番だ。
 早速拾集に取りかかるべく、各自の分担について女性陣たちは確認をはじめた。

「そんじゃ、今日は人手も少ないから、手軽な物から済ませようかね。テララちゃんとソーマは、2人で肉とこの袋に香辛料を拾ってきてくれるかい?」
「お肉と香辛料……ドゥ―ルスの実ですね?」
「そうそう。肉の方はあまり水気が残ってない物の方がいいかもね。その方がすぐ保存にも回せるし。あたいらは、籠一杯にホルデムをたんまり刈るとして、一旦、向こうの麻の山に日が差しかかったらここで落ち合おうか?」
「分かりましたっ! それじゃ、行ってきます。ソーマ、行こう?」

 分担も決まり、いざ拾集開始。
 と、勢いよく爪先を返して小山へとテララも向かいたいところだったのだが。

「……ソーマ? おーい? フフッ、ほら行くよ? お仕事、お仕事!」

 小山の絶景によほど見惚れたのだろう。テララの声が競り負けることもあるみたいだ。
 未だハリスの山を見詰め立ちつくし垂れたままの手を引いて、テララは目的の小山を目指した。





 まずはムーナから手渡された小袋を満たすべくドゥ―ルスが実のる山吹色の小山へと向かった。
 道すがらソーマはまたテララの手を振り切って駆けまわりだすものかと思われたが、どうも今回は違うみたいだ。
 小山に来てからソーマ、いつもよりずっと大人しいような気がする……。考えすぎかな?

「ねぇ、ソーマ。あれ見て? あの枯草色の小山がムーナさんの話してたホルデムの山だよ? 茎の先に付いてる穂のとこだけを集めるの。1本から少ししか採れないから、籠いっぱいにするのすごく大変なんだ」
「…………」
「でもホルデムはお粥にしたらすごく美味しいし、ソーマも乳粥好きでしょ?」
「………………」
「帰ったらご飯、一緒に食べよっか。あっ! それから向こうの山はね――

 やっぱりそうだ。勘違いじゃない。ずっと遠くを見詰めた目も、固く閉じてしまった口も。震えたり、強張ったりしていないから分からなかった。あの日からそんなに経ってないのに、勝手に落ち着いた気になってたんだ。そうだよね。そんなに簡単じゃないよね……。
 小山に着いてからの違和感が、今になってようやく確信に変わった。だとすれば、今テララがすべきことは。

「よおーーうし、着いたよ! ここでね、木に沢山()ってるあの小さくて丸いのを採るの。ちょっと見ててね?」

 そうして目的地に到着すると、テララは手早く拾集の準備をはじめた。繋いだ手を放し籠を下ろし、中から受け取った麻袋を取り出す。
 相変わらず心ここにあらずなソーマを一人ぽつんと残したまま、それは一見すると少年をほったらかしで、テララらしくない素振りにも見える。けれど、その声は何かを意識した、何かを妨げようとしているような。そんな風にも聞こえる。
 テララは近くに立つ細樹の枝下へと足早に向かうと、そこに袋を広げ置き、未だ反応に乏しい少年に微笑んでみせた。

「フフフッ。いくよーー! せえーーの……それっ!!!?

 そして一呼吸の後、そんな(ほが)らかな笑みに若干の茶目っ気が顔を覗かせた。その意味を確かめる隙もないほどに、テララはおもむろに細い幹を掴むや両手に力を込めてそれを大きく揺さぶりだしたではないか。
 その突然の出来事にはさすがのソーマもびっくり仰天。銀の瞳を丸くして、その場にうずくまってしまった。
 揺さぶられる樹は枯れ細った幹をしならせ、実る果実が幾度もぶつかりざわめき立っている。

「もうちょっとかな? そーーれっ! それっ!! えいっ! えーーーーいっ!!

 あからさまに不穏な音を立てて(きし)む細樹に構うことなく、悪戯テララはより一層の力を込めて幹を揺すった。
 するとどうだ。あまりにもの揺れように耐えきれず、枝から千切れたドゥ―ルスの実が幾つも落っこちてくるではないか。
 少しだけ、いやずいぶんと強引で大胆な拾集方法だ。これも日頃、世話のかかる誰かさんへの不満が溜まっていたからだろうか。下手に詮索しない方が身のため。本能的にそう思わせる荒々しさが木の実に乗って飛び散っている。
 (あふ)れ揺れる少女の気苦労は徐々に大きく物々しくなっていく。一体、どう納まりを見せるのか。不安にさせる危なっかしい拾集ではあったが、思わぬ犠牲によって一旦の打ち切りをみたようだ。
 空高らかに弾け飛んだ少女の不慣れな憂さ晴らしは、不運にもソーマの頭頂部に見事に命中してしまったのだ。これはまたいい音が鳴った。

「ウギャッ!!!?
「あっ! ご、ごめんっ!! 痛かった? 怪我は……してないみたいだね。よかったあ。……フフッ。昔ね、お姉ちゃんがこうやってたくさん実を落してくれたの。ああ……。そう言えば、私も落っこちて来た実がおでこにぶつかって泣いちゃったんだっけ……。ちょっと無茶しすぎちゃったよね。アハハッ……、ごめんね?」

 本当にいい迷惑だ。すぎた戯れは意図せず他人を傷つけてしまうものだ。一番言い聞かせてやりたい事の大本、張本人が知らぬ間にまた一つ風当たりが強くなったところで、まだ頭に残った痛みをさすりながらソーマが不意に立ち上がった。

「ああ、やっぱり痛かった? お、怒った……よね。本当にごめんね? ……ん? ソーマ? どこに……?」

 てっきり泣きつくのかと思われたが、うむ。今回の少年の心模様は一筋縄ではいかないらしい。
 無言のままゆっくりとテララの横を通り過ぎ、よろめきふらつきながら、やがてあの細樹の下で止まった。

「ソーマ? あっ!? ちょっと待っ――!?

 しまった!? テララはそう思ったに違いない。しかし、それはもう遅すぎた。
 思いだしてほしい。いくら無言であっても、いつになく大人しくても、ソーマがソーマであることに変わりはないのだ。そして今日の少年は知っている。今、隣に伸びているそれがどういうものなのかを。そしてじんじん痛むほどに思い知った。テララが何をしたいのかを。
 巡りめぐった姉妹のいざこざに少々痛く呼び覚まされたいつもの銀眼は、真横にある樹に狙いを定め両手でがっしりとそれを掴んだ。そして、今度はお返しだ。と言わんばかりに幹を大きく揺さぶりだしたではないか。
 大人が十数人がかりで動かせるスクートスを一人で引っ繰り返した力の持ち主だ。そんな少年が揺するとなれば、これはちょっとした惨事になるかもしれない。いや、ちょっとどころでは済まない。
 樹はその幹が砕け折れんばかりにぐわんぐわん大きく盛大に揺れている。その揺れは次第に地を伝い、辺りの木々も巻き込んで、激しくその枝を振るわせはじめた。まるで小山全体の木々が揺さぶられているかのようだ。いや、ようだではなく、揺れている。

「ソ、ソーマッ!? そ、そんなに揺すったら、キャッ!?

 テララの声は(うめ)き立つ小山にかき消されて、少年にまるで届かない。
 揺さぶられる樹もいよいよ耐え兼ね、今にも折れてしまいそうだ。
 もしそれがソーマの方へ倒れでもしたら、それこそ怪我だけでは済まないかもしれない。そうなってしまっては大変だ。
 は、早く止めさせなくちゃ!
 揺れる足元と不安に怯えながら、なんとか荒ぶるソーマの下へ。だがそれも、ほんのわずかに遅かった。
 テララの到着を合図に、先程とは比べものにならない量の実が、雨の如く次々と、それはもう袋に納まりきらないほど次々と、二人目掛けて降り注いできたのだ。

「痛っ!? いたたたっ!!!? もうソーマ、やめっ……あいたっ!? ……フフッ……アハハハハッ!」
「……シッ、……ニシシシッ!」

 ――あ。

「……やっと笑ってくれたね。ごめんね。気付いてあげるの遅くなっちゃって……。私、もっとがんばるから。もっとちゃんと、ソーマのお姉ちゃんになれるように、認めて、頼ってもらえるようにがんばるから」
「テ、ララ……、オ、オエチ、アン……?」
「私、すぐ浮かれちゃって、独りで空回りしちゃうことあるけど。ソーマにはずっと笑っててほしいから。だから、改めてよろしくね?」
「ヨ? オ……イク……?」
「うん。ヨ・ロ・シ・ク」

 まだその言葉の意味を理解していないのかもしれない。けれど、そっと握った白い手。戸惑いながらも握り返してくる小さなその手を、もうずっと一人ぼっちにはさせたくない。させない。安堵の色を浮かべながらぎこちなく笑って見せている銀の瞳を見詰めて、テララはそう強く思った。
 しかし、少々これはやり過ぎではある。

「それじゃ、えっと……。これ。どうしよっか……」

 しばらく揺すられ傾いてしまった樹には千切れる実も、葉一枚さえなくなって、辺りは山肌が見えないほどの大量のドゥ―ルスの実で溢れてしまっていた。もう、広げておいた袋がどこにあるのかさえ分からない。

「こんなに沢山落ちてるの初めて見たよ……。お姉ちゃんが見たら喜び過ぎて倒れちゃいそう。ムーナさんからもらった袋で足りるかな?」
「タク、サン! ニシシシッ!!
「たしか、この辺に……あった。それじゃちょっと、と言うか、すごくもったいないけど、袋に入るだけ拾っちゃおっか」
「ニシシッ。ハ、イッ!」
「いい返事! でも、次からはもうこんな採り方するのやめようね。アハハハ……」

 今回は異例も異例。異様で異質すぎる光景ったらない。一つ一つ拾うだけでは終わりが見えそうにないなんて、考えたくもないほどだ。
 地に(あふ)れた実を掻き集めながら(すく)い上げてゆく。テララもまさか両手で水を掬うように実を拾うことになるとは思わなかっただろう。大人の枕ほどの袋は、予備も含めてあっという間に膨れ上がってしまった。

「すごい。もう一杯になっちゃったっ!? ソーマのお陰だね。ありがとう!」
「アイ、ガ、ト!」
「フフッ。それじゃ、次の所行こっか。後はお肉だからこの辺りだと……、確か向こうにあったかな?」

 そうして、はち切れんばかりに膨れた袋を籠に縛り付け、二人は再び手を繋いで次なる目的地へと意気揚々に向かった。
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